伝播する恐怖
「……貴様、一体何者だ」
相手の剣を弾き返して、先程と同じ問いを、先程とは違う含みを持たせた口調で繰り返した。
相手はやはり答えない。
それこそが、焔獄鬼の中に息衝く違和感を更に助長させる。
答える気がないのならば。力尽くで聞き出すだけだ。
焔獄鬼は刀を体の前に構えて、妖力を高める。刀に淡い光が灯った時、相手も何かを気取ったのか焔獄鬼に向けて再度攻撃を仕掛けて来る。
今度ばかりは焔獄鬼の方が速い。焔獄鬼は刀を上下に一閃させて、突風を生んだ。
相手の剣士は躱すことさえ出来ず、そのまま突風に煽られて、店の戸を破って一気に外に放り出された。
今度は焔獄鬼が追撃する番だった。地面に倒れ込んだ相手を、容赦なく頭上から串刺しの姿勢で襲い掛かる。
――人間は殺してはならない。
神楽からの厳命だ。
たとえそれが、“神楽が殺すと決めた相手”でも、“殺さなければいけない相手”でも。
お前は絶対に人間を殺すな。
だから焔獄鬼は、この相手がどれ程残虐非道な辻斬りであろうと、殺すわけにはいかない。
だが――
「う、ぐ……!」
焔獄鬼の刀は、迷いも躊躇いもなく、相手の黒ずくめの左胸――心の臓を刺し貫いた。
呻き声を上げて、口から血液を零す。
体が痙攣し、「あ……、あ」と口から悲鳴とも呻きともつかない声が漏れる。
その様子を、刀を突き刺したまま、焔獄鬼は冷ややかに見下ろしていた。
やがて黒ずくめは目を見開いたまま、動かなくなる。
完全に事切れた。この場に別の誰かが居合わせたなら、確実にそうとしか見えない光景だったが。
「っう゛あ゛あぁああああ!」
一瞬の後。
亡骸となった筈の黒ずくめが、突如咆哮を上げて体を半分起き上がらせながら、自分に馬乗りになる焔獄鬼に向けて刀を振るった。
焔獄鬼はそれを自らの爪で受けて、すかさず黒ずくめから刀を抜き、黒ずくめの右腕の腱を正確に斬る。
しかし黒ずくめは、更に悲鳴を咆哮に変えて、焔獄鬼の首に刀を突き出す。
それを躱して、焔獄鬼は黒ずくめの上から飛び退いた。
――人間ならば、殺すわけにはいかない。
ましてや神楽が殺すかどうかさえ決めてすらいない相手ならば、尚更。
だが、“人間ではない”のならば、話は別だ。
ゆらりと立ち上がった黒ずくめの左胸からは、大量の血が尚も流れ続けている。
雲が晴れ、月が夜を照らした時。漸く、その黒ずくめの顔がはっきりと見えるようになった。
「……神楽の見立ては正しかったようだな」
爪を更に尖らせ、刀も構え直しながら、焔獄鬼は低く呟く。
同時に彼は心の奥底で少しだけ、安堵した。
――あんな惨劇を生んだ者が、本当に人間でなくて、良かった、と。
□□□
きゅ、きゅぃ
狛が怯えたように神楽に擦り寄り、そのまま彼女の肩まで上る。
人間の悲鳴は聞こえなくなったが、代わりに瘴気と邪気、妖気がどんどん膨れ上がっている。
今この宿に現れた者と辻斬りが同一犯なのかまでは神楽には分からないが、少なくとも今、焔獄鬼と戦っている者は妖で間違いない。
濃い瘴気が、産まれたばかりの狛には刺激が強過ぎるのだろう。
「大丈夫。そのまま、私の肩に乗っていろ」
そっと狛の頭を撫でながら言えば、狛は神楽の頬に擦り寄ってくる。
「か、神楽様……焔様は大丈夫でしょうか……」
「あれの腕は貴方方もご覧になった筈。心配には及びません」
状況も分からず、焔獄鬼も戻らず、不穏な空気だけが漂い続ける現状に不安ばかりが膨らむのだろう。
寅蔵が震える声で神楽に話しかけたが、神楽は無機質な声でぴしゃりと言い放ってみせた。
「何が起きたんでしょう……まさか、例の辻斬りが……」
すると今度は助八が緊張した声で言う。
「恐らくそうでしょう。或いはただの盗賊という可能性もありますが……」
どちらにしろその正体は妖だ、という言葉は言わないでおいた。
今悪戯にそんなことを言えば、却って二人の混乱を強くするだけだ。
きゅぅ、ぃ
神楽の肩口で狛も警戒を強めて威嚇の姿勢を取る。
焔獄鬼との戦いで、相手の瘴気がどんどん深さを増している。
「――お、おい、一体下で何が起こってるんだ?」
「なんかさっきお侍さんが部屋から出るな! ってすげえ剣幕で怒鳴ってったが……」
「そ、それによ、なんか臭わないか? 錆みたいな……」
「よ、様子を見に行ってみるか……?」
部屋の外で他の宿泊客達が集まり始め、動揺が更に広がり続けている。
部屋から出るなとは言われたが、こんな状況で部屋でじっとしているのは恐怖でしかないだろう。
その恐怖から逃れたくて、皆一様に恐る恐る部屋から出て来たらしかった。
「待て」
これ以上騒ぎが大きくなれば面倒な事になる。
そう咄嗟に思った神楽は、部屋を半ば飛び出して宿泊客達を阻んだ。
「下で私の仲間が戦っているのは、恐らく最近巷を騒がせている辻斬りです。今迂闊に下に下りるのは、貴方方も危険です」
「つ、辻斬り!?」
「マジかよ、ついにこの町まで……っ」
「先程の悲鳴……あれも恐らく、宿の方々が襲われたのでしょう。今はあの男の言う通り、部屋で大人しくしていて」
少しばかり焦った声で神楽が言えば、宿泊客達は互いに顔を見合わせた。
「あのお侍が辻斬りをやっつけてくれるのか……っ?」
「ええ。必ず。ですから……」
「そんな保証何処にあるんだ! も、もし、あんたの言う通り部屋に隠れて、その間にあいつが敗けて辻斬りが襲って来たら!」
「そうだ! そうならない保証が何処にある!?」




