追いかけっこは夕暮れまで ~後編~
中編からのつづき。
慌ただしいでかしたくんとは反対に、おてがらくんはそよ風が吹く草原の中に静かに停まっている。ラクダ本部長は紙コップでレモンティーを飲んでいた。この景色にはレモンティーが似合うと言われて、ヒツジ見習いが慌てて入れたものだ。
この捜査本部にはキッチンがあり、長期戦に備えて、たくさんの食材が搬入されていた。その中からフレッシュレモンを取り出して、絞って出してあげると、本部長は大喜びで紅茶をすすっていた。
天井のスピーカーが鳴った。
「ラクダ本部長。こちらカバ副本部長代理です。用意ができました」
「どうなったんだ?」
「はい、主催者と相談の上、ショッカーの役をいただきました」
「なんで仮面ライダーじゃないんだ!」
「はい、もう役者さんが決まってまして、無理と言われました」
「だったら、怪人の役はどうなんだ?」
「それも譲れないと言われて、残っているのはショッカーの戦闘員だけです」
「それじゃ、しょうがないな。ヒンバ副本部長はどうした?」
「はい、自らショッカー役を志願されまして、今、黒い全身タイツに着替えておられます」
「しかし、奴らはライフルを所持している。もし正体がバレたら、狙撃される可能性もあるぞ。防弾チョッキはないのか」
「はい、ありますが、先程防弾チョッキを着た上から全身タイツを着ましたら、モコモコしまして、不自然でした」
「そうか、試してみるとはさすが副本部長だな。では黒タイツのまま、がんばるように伝えてくれ。もし、ライフルの弾や手榴弾が飛んで来たら、すばやく避けるように言ってくれ」
「それは無理かと……」
「貴様、それでもショッカーか! そんなことでは仮面ライダーに勝てんぞ!――それと、無線はこのままオンにしておくので実況中継をしたまえ」
「はっ!」
「犯人の奴ら、まさかショッカーの中身が警官で、戦いながら、密かに自分たちが観察されているとは気づかんだろう」
ウサギたちはあまり期待していなかった仮面ライダーショーだったが、始まってみると面白い。
ステージ上では子役が迫真の演技をしていた。その子供をさらっていく六人のショッカー戦闘員たち。その中で、なぜか一人だけ動きが鈍い人がいる。みんなとテンポがずれているのだ。
「あの人、新人と違う? なんか、ヘタクソやで」ウサギが言う。
「ありゃ、学生のバイトだろうよ。今、ちょうど春休みで稼ぎに来てるんだろう」カジキが言う。
五人のショッカーは次々にバク転や側転を決めているのに、その一人だけはモタモタして、突っ立ったままだ。やがて観客席の子供達が気づいて、指を差したり、ヤジを飛ばしたりし始めた。本人も自分が言われていることに気づいたのか、意を決して、バク転に挑戦した。
そして――。
「あーっ!」
会場にため息がこだました。
その男は背中から落ちたと思ったら、打ち所が悪くて息が詰ったのか、床に転がったままジタバタしていた。
その間に飛行怪人モモンガ男が現れて、戦闘員と一緒に仮面ライダーと戦い始めた。
みんなの邪魔になってはいけないと思ったのか、その男は這ったままステージの隅に移動する。その間も一人、二人と戦闘員がやられていく。
そして、最後にモモンガ男がやられて、ステージの袖に引っ込んだ。
その男はドサクサにまぎれて逃げればよかったものの、あまりにもドン臭くて一人だけ取り残されてしまった。
そして、たちまち仮面ライダーに発見されてしまった。
「ラクダ本部長、大変です!」
ラクダはレモンティーを吹き出した。
スピーカーから聞こえてきたのは、運転係の捜査員だったからだ。
「どうした?!」
「ヒンバ副本部長がやられました!」
「何! ライフル銃か?! 手榴弾か?!」
「ライダーキックです!」
「何だと! カバ代理はどうした?!」
「はい、自分が副本部長のカタキを討つんだと言って、黒タイツに着替えて、仮面ライダーに向かって行きました!」
「バカ! 止めんか!」
「あーっ、カバ代理もやられました!」
「今度は何だ!」
「ライダーパンチです!」
「おい待て、その仮面ライダーはなんでそんなに強いんだ?!」
「先程、打ち合わせのときに聞いたのですが、中に入っているのは大学の空手部の主将らしいです。部費を稼ぐためにこのアルバイトをしていて、空手の練習にもなるので、一石二鳥だと言ってました」
「分かった。そのバイト学生を呼んできて、この無線に出せ」
カジキたち四人は食い入るようにステージを見つめていた。全然期待してなかったショッカーの最後の戦闘員の、あまりの迫真の演技に見とれてしまったのだ。
その男がライダーキックでやられたと思ったら、もう一人が登場し、その男はライダーパンチで吹っ飛んでしまった。
二人はしばらくステージ上で悶絶していたと思ったら、動かなくなり、スタッフがあわてて担架を持って来て、運んで行ってしまった。
「すごい迫力やったなあ」ウサギが感心する。
「バイトもあれだけやれば、時給もアップしてくれるんじゃねえか」カジキまで感心している。
「でも、痛そうだったです」コヤギが顔をしかめる。
やがて、車はUターンをして、名残惜しそうに駐車場を後にした。国道に出る途中の道路は牧場と接している。サイは、ウサギに牛や馬がよく見えるように、柵をスレスレに走ってくれている。
「あっ、サイくん、ここで止めて!」
ウサギの声で車が静かに止まった。
すぐ横で親子と思われる馬が二頭、仲良く並んでこちらを見ていた。
ウサギは手提げバッグの中から、ニンジンを取り出した。お母さんに頼まれて、スーパーに寄って一袋百五十八円で買ったニンジンだ。
お母さんに怒られるかもしれへんけど、このニンジンをあげよ。今晩のカレーはニンジン抜きやけど、ガマンしよ。
「たぶん、あの子馬は生まれたばっかりやで。ニュースでやってたわ。名前を募集中やから、まだ名無しの権兵衛やけど」
ウサギがニンジンを見せると、馬の親子が走ってきた。
「はい、ご飯だよー。あっ、こらっ、お母さん馬は後やで。子馬が先やで、はい、どうぞ」
恐る恐るニンジンを差し出すウサギ。
「じゃあ、これはお母さんの分やで。はい、どうぞ。急いで食べたらあかんで。あれっ、子馬はもう食べたん。早いなあ。はい、二本目やで」
ウサギは馬に話し掛けながら、つぎつぎにニンジンを取り出す。馬もウサギに懐いてか、うれしそうにいななく。
またたく間にニンジンはなくなって、ウサギは入っていたビニール袋を名残惜しそうに手提げバックにしまった。それを見ていたカジキ。
「よしっ、サイさん、Uターンだ」
「はっ?」
サイもウサギもコヤギもカジキを見る。
「あれだ」
振り向くと、牧場のコテージに“絞りたての牛乳あります”のノボリが揺れている。
「俺は一日一回牛乳を飲まないと調子が悪いんだ」
サイはハンドルを回しながら言う。
「牛乳は栄養があって良いですからね。特にカルシウムを摂取すると、心が落ち着くので、怒りっぽい人には良いらしいですね」
「誰が怒りっぽいんだよ、こらっ!」
ウサギがケラケラ笑う。
「ねえ、アニキ。ウチに牧場でもっと楽しんでもらおうと思って、わざと引き返したんと違う?」
「そ、そんなことねえよ」
またカジキが照れた。
やがて緑色の車はコテージ正面にある専用の駐車場に入った。中では牛乳、ヨーグルトやプリンなどの食べ物の他、キーホルダーやストラップなどのお土産も売られている。
駐車場はほぼ満車に近かったが、サイはカジキに言われて、コテージの中からでもよく見える位置に車を止めた。車を盗まれたのでは、業界ではちょっとばかし有名な泥棒の名がすたるらしい。しかも今回は一千二百万円という大金を積んでいる。
建物の入り口にもたくさんの人が立っていた。
カジキが辺りを見渡して言う。
「降りるとき、周りを確認してくれ。警察が張ってるかもしれん」
ウサギが小さな声で教えてくれた。
「アニキ。あのおネエさんがいるで」
メジカが止めたバイクにもたれて菜の花畑を見ていた。
「本部長、こちらメジカです。彼らは今から牧場のお土産屋さんに入るようです」
メジカが襟元のマイクにつぶやく。
バイクのバックミラーにカジキたち三人が映っている。
「こちらラクダだ。のんきにお土産の物色とは恐れ入るな」
「入り口付近にスーツ姿の男性が何人か立って、お客さんを出迎えていますので、何かイベントがあるのかもしれません。それと、彼らはエンジンをかけたまま、コテージに向かいましたので、今のうちに車に細工をすることも可能ですが」
「いや、待て。奴らを甘く見てはいかん。火薬類のプロがいる。何か仕掛けてるかもしれん。そのまま張り込んでくれ」
「了解」
「ところで、ヒンバ副本部長はどうだった?」
「先ほど見てきましたが、蹴られた脇腹の痛みがまだ退かないそうです」
「カバ副本部長代理はどうだ?」
「殴られて軽い脳震盪を起こして、まだ頭が揺れているそうです」
「分かった。大事に至らなくてよかった。正義の味方の仮面ライダーにやられたとなると、熊山警察署始まって以来の最高級の恥だからな」
そのとき、何かが弾ける音がした。
パパパーン。
「何だ、今の音は!?」
カジキたち四人はコテージの入り口の木製の階段を上っている。先頭はサイだ。食べ物となると足早になる。お弁当二個とパンダパン数個を食べたが、もう空腹を感じているらしい。
その後をコヤギ、ウサギ、カジキとつづく。
四人の両側を数人のスタッフらしき人たちが並んで、出迎えている。
まさか、こいつらは警官じゃねえだろうなと思いながら、胡散臭そうに睨みつけていたカジキ。
「なんだ、やけに中が暗いじゃねえか。店じまいか?」
建物の中はライトを落としているようで薄暗い。しかし、人影がたくさん動いているので、営業はしているようだ。
マイクを持った女性の声が店内に響く。
「三人、二人、一人……。おめでとうございます! こちらのお嬢ちゃんでーす」
パパパーン。
破裂音がして、天井からぶら下がっていたクス玉が割れ、中から紙吹雪とともに、垂れ幕が下りてきた。
“祝! あなたが馬山牧場一万人目のご来場者です!”
あちこちでカメラのフラッシュが焚かれる。報道陣も来ているようだ。
万雷の拍手の中、スポットライトが当たって驚くウサギに女性がマイクを差し出した。
「おめでとうございまーす。お嬢ちゃんがちょうど一万人目のお客様でーす」
頭の上にたくさんの紙吹雪を乗せたウサギが答える。
「えっ、そうなん? めっちゃ、びっくりした!」
女性が中腰になりながら、インタビューを始めた。
「お嬢ちゃん、お名前は?」
「ウサギです」
「へえ、ウサギちゃんて言うの。かわいい名前だね。今日は誰と来たのかな?」
「アニキと……。いや、あのう……」
ウサギが三人を見ると、カメラに映らないように下を向いたまま、体中に付いた紙吹雪を掃っている。
「ウチとお父さんとお父さんの弟さんと近所のお友達の四人で来ました」
「そうですか。ではお父さんにも聞いてみましょうか。お父さん、おめでとうございます! 今のお気持ちはいかがですか?」
体に巻きついている紙テープと格闘していて、いきなりマイクを向けられたカジキ。
あたふたして言う。
「いや、ああ、ありがとよ。まあ、日頃の行いが良いからな」
「そうですか。お父さんは何のお仕事をなさっているのですか?」
「しがない泥棒稼業……。いや、味気ない地方公務員だ」
ウサギがクスクス笑い出す。どう見ても公務員には見えないからだ。
「ではつづいて、お父さんの弟さんに訊いてみましょう」
サイにマイクが向けられた。
「おめでとうございます。ご感想を一言お願いします」
「はい! シャンパンかけがないのが不満です!」
「シャンパンかけですか。まるでF1の表彰式みたいですねえ」
「はい、その通りです! そもそもF1と申しますのは今から七十年以上前に……。痛ッ!」
サイがいきなりF1の解説を始めたので、横からカジキがみんなに見えないよう、足を蹴飛ばした。
「では、ご近所のお友達にも訊いてみましょうか。おめでとうございます!」
コヤギがアニメ声で答える。
「はあ、でも、さっきの爆竹は納得できません。もっと派手な花火を希望します。できればこんな……」
そう言ってリュックの中を探り出した。
バルカンフォーティの黒い頭が見える。
「――痛ッ!」
またカジキが蹴っ飛ばした。
三人を不思議そうな顔で見ていた司会役の女性。
「では、シャンパンと派手な花火は二万人目の表彰のときに用意しておきましょう。四人の方にはこれをどうぞ」
もう一人の女性がウサギに“わたしが一万人目の来場者です”と書かれたタスキを頭からかける。
他の三人も同じタスキをかけられて、迷惑そうな顔をしていた。
ウサギは三人を見ながら、必死に笑いをこらえていた。こんなにタスキが似合わない連中はいないからだ。
さらに、ウサギはフラッシュライトに囲まれて、表彰状をもらい、副賞の賞品ももらった。
「わっ、ちょうど四人分ある!」
「牧場を楽しんでいってくださいね」
ヒツジ見習いがおてがらくんの車内に響き渡る声で叫んだ。
「ラクダ本部長! 今、ウサギちゃんがテレビに出てます!」
「何だと!」
運転席にいたラクダが小走りでやって来る。
「ウサギちゃんが馬山牧場の一万人目の来場者だそうです」
テレビではウサギが満面の笑みを浮かべて、インタビューに答えている。
「犯人たちはどうだ!」
「それが、うつむき加減で立っていて、帽子をかぶっているので、顔はよく見えません。しかし、このお父さんという奴が主犯格の強盗のプロで、この太った奴が真っ赤なフェラーリを持って来いと言っていた車のプロで、この近所の友達というのが、本部長のスマホのアドレスを聞いてきた銃器類を扱う女じゃないでしょうか?」
「おお、そうだ! そうに違いない。しかし、ウサギちゃんは笑顔で答えているが、きっと犯人たちにそうしろと脅されたのだろう。なんと、かわいそうなことだ。ウサギちゃん、待ってなさい! この熊山警察の威信にかけて、絶対に救い出してあげるぞ!」
そう言うと、ラクダは横で所在無さげに立っている仮面ライダーを見上げた。
「分かっているだろうな。キミは警官に殴る蹴るの暴行を働いた。これを公務執行妨害という」
「ちょっと待ってください。ボクはアルバイトで、言われたとおりのアクションをして、ショッカーを倒しただけです」
「黙れ! キミは何年生だ?」
「三年生です」
「だったら二十歳を越えてるな。明日の朝刊に本名フルネームで載りたいか? 顔写真ドアップで載りたいか? 中学の卒業文集をワイドショーで紹介されてもいいのか? 来年からは就職活動もあるんだろ?」
「そ、そんな……」
「嫌だったら、わしらの言うことを聞くんだ」
牧場で時間を延長して、存分に遊んだウサギとカジキたちは、ふたたび北へ向かって走り出した。
山間部を行く長くてなだらかな国道。車内には飽きもせず、F1のテーマソングが軽快に流れている。後部座席の床には、ベージュ色の布に包まれた長い棒状のものが二本、その横にも小さな包みが二つ。そして、トランクには盗んだ一千二百万円。
ウサギはコンパクトを見ながら、顔のチェックに余念がない。
ぴったりと制限速度四十キロを守って走っているサイが、バックミラーを目で示して言う。
「アニキ、さっきから自転車が付いてきますけど、なんだか変です」
カジキとコヤギが振り向く。ウサギもコンパクトを閉めて、後ろを振り返る。
「何だ、ありゃ!」カジキの素っ頓狂な声がする。
「はあ、何でしょうか」コヤギも目が点になっている。
「えー、意味が分からへん」ウサギも理解不能。
一台の自転車が後ろから懸命に追いかけてくる。この辺は緩やかな上り坂になっているので、こちらと同じ四十キロの速度で走るのは大変だろう。
「ほら、変でしょ。追いかけてくるんですよ、あの自転車で。ふつう、追跡するとしたら、スポーツタイプの自転車なのに、なんでマウンテンバイクなんですかねえ。あれじゃ、しんどいでしょ」
「サイさんよお、俺達が変と言ってるのは自転車の種類じゃなくて、自転車に乗ってる奴のことだ」
「あの人が警察官ということですか?」
「違うだろ! よく見ろ。なんで、仮面ライダーの格好で自転車を漕いでるんだよ」
「仮面ライダーならバイクですよね」
「じゃなくて、あんな格好はおかしいだろ」
「あっ、そっちの方ですか」
「それしかねえだろ! あんなコスプレ警官がいるかよ! しかしな、もしかしたら警官の手先かもしれん。――よしっ、いいこと考えたぞ」
カジキはコヤギとウサギに、よく掴まっておくように言った。
やがて山間部にブレーキ音がこだました。――つづいて激突音。
ドアが開く音がして、カジキが飛び出した。
「こらっ、仮面ライダー! こんなところで何をやってるんだ!」
仮面ライダーがトランクの上で伸びていた。
少し前のこと。ラクダ本部長が仮面ライダーに言った。
「いいか、学生。わしたちは銀行強盗の犯人を追いかけている。今、キミが乗っているのが、捜査本部のおてがらくんだ。奴らは人質を取っている。だから、さすがの優秀な警官であるわしたちでも手出しができん。警官の姿を見たら人質を傷つけると言っているからだ。そこでだ、キミにお願いがある。わしたちに代わって尾行をしてもらいたい。キミは家からここまでどうやって来たんだ?」
「はい、あそこに止めてあるマウンテンバイクで」
「おう、そうか。では、あれで追いかけろ」
「えっ、でも、ボクは民間人で……」
「何だと! 文句を言える立場か。この犯罪者が!」
「そんな……」
「そんなもヘチマもない。そんなことで立派な刑事になれると思ってるのか!」
「いえ、ボクは警察官志望じゃなくて、ファッション関係の仕事に就きたいと……」
「バカもん! じゃがいものような顔で何がファッションだ。パリコレが驚いて逃げて行くぞ。いいか、尾行には二種類あるんだ。分からないように後をつけて行き、情報を得るタイプと、わざとこちらの姿を見せて、動揺させて相手を追い込むタイプだ。キミには後者のタイプが向いている。頼んだぞ、仮面ライダー!」
仮面ライダーは何でこんなことになるのか、よく分からないまま、自転車を漕ぎ出した。
そして今。
「起きろ、仮面ライダー!」
カジキは伸びている仮面ライダーの仮面をもぎ取った。
「なんだ、中身は子どもじゃねえか。お前、ここで何をやってるんだ」
やっと、気がついた学生バイト。
「それが、自分でもよく分からなくて……」
学生はよく分からないまま、今までの経緯を説明した。
「つまり警察に利用されていたということだな。善良な市民を活用するとは、とんでもない野郎だな。お前、無事に帰りたいだろ。だったら俺の言うことを聞け」
カジキは学生の耳元でミッションを伝える。
コヤギが車から下りて来て、倒れている自転車を起こしてあげている。
「そんなこと……」
「できないと言うのか。あの子がどうなってもいいのか!」
車の中からウサギがのぞいていた。
「でも、ボクはあの子を知らないので……」
「バカ野郎! お前はそれでも仮面ライダーか。子供たちのヒーローか。そんなことで地球の平和が守れるとでも思っているのか。まったく、最近の大学は生徒に何を教えてるんだ」
仮面ライダーが縮こまった。
おてがらくんの運転席から、ヒツジ見習いが叫んだ。
「本部長、仮面ライダーが戻ってきます!」
「おお、早いな。何か重要な情報を得たのかもしれん」
ラクダは仮面ライダーが犯人と交渉をして来たと聞いて、上機嫌でレモンティーを入れてあげた。
「よくやった! 犯人のスマホ番号を聞き出すとは、将来は立派な刑事になれるぞ」
仮面を脱いだ学生はソファーに座って、紅茶をすすっている。
その横ではヒツジがスマホを持って立っている。
「では、本部長。さっそく私が電話をして、犯人を説得してみます」
「よしっ、頼んだぞ!」
ヒツジが緊張した面持ちでボタンを押し始めた。
Turuuu…。
「あれ、こんなときに電話か……」ラクダがスマホに出る。
ヒツジが大きな声で怒鳴る。
「こちらは警察だ!」
「こっちも警察だ!」
「お前たちは包囲されている!」
「こっちは包囲しているんだ!」
「あきらめて出て来い!」
「あきらめるわけないだろ!――おいっ、これはわしのスマホの番号だろ!」
「あれっ?」
ラクダとヒツジが学生バイトをにらむ。
「いえ、あの、ボクは……」
学生はフレッシュレモンが入ったレモンティーの紙コップをそっとテーブルに置いた。
「お前なんか刑事失格だ! さっさと出て行け! その前にレモンティーは残さずに飲んでいけ。それと、仮面ライダーのコスチュームは主催者に返してやるから、さっさと脱いで行くんだ」
怒鳴られた学生はなぜ怒鳴られたのかもよく分からないまま、まだ熱いレモンティーを無理に一気飲みして、仮面ライダーの手袋、マフラー、ブーツ、衣装を脱ぐと、外に止めていた自転車にまたがって、ヨタヨタと来た道を下りはじめた。
そこに、またラクダの声が飛んできた。
「こらっ、ライダーベルトも置いていかんか! それがないと変身できんだろ!」
カジキたちの乗った車が左右に揺れはじめた。
「どうしたサイさん?」
カジキが不安そうに隣で運転しているサイを覗き込む。
膝の上に置かれた教則本が床に落ちた。
「おい、大丈夫か。とりあえず路肩に止めろ」
緑色の国産車はパーキングランプを点滅させながら、ゆっくり停止した。
「サイくん、どうしたん?」
ウサギも後ろから身を乗り出してきて心配している。
サイは頭をしきりに振っている。
カジキがサイの額に手を当てた。
「熱はないようだな」
目をパチパチさせてサイが言う。
「アニキ、すいません。強盗をやる前に花粉症の薬を山盛り飲みまして、今ごろになって副作用で眠くなってきました」
「バカか! たくさん飲めば効くってもんじゃねえだろ。――おい!」
カジキは目を覚まそうと、サイの胸倉を摑んで、手の平でふくよかな頬をペチペチと叩きだした。
「おい、ちゃんと起きてろ! お前がいないと困るんだよ」
そのとき、メジカが猛スピードで追い越していったが、誰も気づいていない。
おてがらくんのモニター画面で、カジキの車を追っていたラクダ。
「なんだ。奴ら、止まりやがった。――でかしたくん、応答せよ!」
「ヒンバです。なぜ止まったのでしょうか?」
でかしたくんでも、モニターを見て彼らの異変に気づいていた。
「分からん。とりあえずスピードを緩めてくれ。奴らがまた何か企んでるようだ」
そのとき、天井のスピーカーが鳴った。
「本部長、こちらメジカです。今、助手席の男が運転をしている男を殴りつけてます」
「何、内輪もめか! もしたしたら、仮面ライダーの尾行に動揺して、精神的に追い込まれたんじゃないか。そうだ、きっとそうだ。よくやったぞ、仮面ライダー! こんなことじゃ、もう一杯、レモンティーをご馳走するんだったな。では、そのまま並走をつづけてくれ」
「了解。あっ、たった今、爆発音がしました」
「何だと!」
カジキたちの乗った車はふたたび真っ直ぐに走り出した。
「そんなことでF1ドライバーになれるとでも思っているのか!」というカジキの決めゼリフに、サイの目がパッチリと開いたのだ。魔法の言葉である。
それに加えて、眠気覚ましにと、大量のグリーンガムを噛まされて、サイは完全復活を遂げた。
そのとき、コヤギが車内で爆竹を破裂させた。
「こらっ、何をやらかすんだ!」
カジキが怒鳴ったが、
「サイさんに目を覚ましてもらおうと思ったのです」
「もう目を覚ましとるわ!」
「だったら、快気祝いということで」
コヤギは久しぶりに花火の音を聞いて、とてもうれしそうな顔で言った。
車内には煙が蔓延したため、窓を全開にして、涼しい風がドンドン入ってくるようにした。
気合が入ったサイは教則本を膝の上に戻すと、鋭い眼光で前後左右を確認し、スピードメーターを見て、法定速度内かどうかをチェックした。
そして……。
「アニキ、大変です! ガソリンが切れそうです」
「なんだと! やっぱり、エンジンをかけっぱなしだと、すぐになくなるな。県境までは持ちそうか?」
「たぶんダメだと思います。エンプティランプがついてますから。スタンドに寄りましょうか?」
「それはちょっと危険だな。警官に取り囲まれたら最後だ。――うーん、何かいい方法はないか、コヤギくんよ」
「はあ、まったくないです」
「お前は花火のこと以外だと頭が回らないのか?」
「アニキ、エエこと考えたで!」
「おっ、何だ、ウサギちゃん」
「サイくんがペットボトルを持ってはるやんか。ガソリンスタンドに行って、それに入れてもらったら?」
サイは強盗を働くとき、家からお弁当と一リットルのペットボトルに入ったお茶を持ってきていた。そのペットボトルはウサギが銀行内できれいに洗って、サイに返してあげていた。
「おお、いい考えだな。サイさんよお、一リットルあれば、県は越えられるだろ」
「はい! あっ、あそこにスタンドがありますが、誰が買いに行きますか?」
「ウチが行く! 一番怪しまれへんし」
スタンドの手前で車を停めると、ウサギはサイからペットボトルを受け取った。
そして、カジキはウサギに小銭入れを渡しながら、領収書をもらってきてくれるように頼んだ。
「本部長、こちらメジカです。車は走り出しましたが、窓から煙が出てます」
「何! ――分かった! 火薬のプロが調合に失敗したんだろ。サルも木から落ちる。弘法も筆の誤り。人生楽ありゃ苦もあるさというやつだ。仲間割れの次はケアレスミスとはな。――よしっ、運はわれわれに味方をしてきたぞ!」
「また、止まりました。車からウサギちゃんが出てきました。手にペットボトルを持ってます」
「奴ら、何を企んでやがるんだ」
「ガソリンスタンドに向かってます」
「また人質を利用して何かをしでかすつもりだな」
小さなペットボトルに、アルバイトと思われる男性が器用にガソリンを入れてくれている間に、ウサギは辺りをキョロキョロと見渡していた。カジキに、警官に化けた人物が張り込んでいるかもしれないと言われていたからだ。そんなことを言われると、みんなそう見えてくる。このお兄さんや向こうで洗車をしているオジサンまでも……。
そのとき、柱にポスターが張ってあるのを見つけた。
“緑の旅団、募集中”と書いてあり、その下に、山の周りを緑色の渦が囲んでいる絵が載っていた。
みどりの……? 何やろ。読めへん。団はお団子の団やろ。緑色のお団子か?
ガソリンスタンドで抹茶入りの団子を売ってんのか?
背伸びをしながら、事務所の中をのぞいてみたが、ジュースの自動販売機があるだけで、お団子は見えなかった。
ウサギは数枚のコインを渡して、車に戻った。
「ガソリンスタンドで抹茶のお団子を売ってたで」
「えっ!」サイが振り向いた。「アニキ、買いに行きましょう!」
「サイさんよお、さっき牧場で牛乳アイスをてんこ盛り喰ったばかりだろうが」
「いえ、あれはあれですから」
「ダメだ。食べ過ぎると眠くなって、また運転ができなくなるだろ」
「そのときはまたガムを噛みますから」
「お前なあ」
そのとき、外からコヤギの声がした。
「サイさん、ガソリンを入れますから、給油口を開けてください」
「あっ、はい!」
――ボコン。
ボンネットが開いた。
「本部長、こちらメジカです。彼らはスタンドでガソリンを一リットルだけ買ったようです」
「何だと。ガス欠で止まるところを狙っていたのに、給油しやがったのか。だったら、スタンドに寄ればいいのにな。――そうか、われわれが張っているとでも思っているのか。なんて慎重な奴らだ。さすがプロ集団だな。しかし、一リットルとなると、そう遠くにまでは行けないだろう。――よしっ、そのまま尾行をつづけてくれ」
あいつらが給油するとは予想外だったな。また給油されたら、今度は県境を越える可能性も出てくる。そうなるとやっかいだ。隣の狸穴警察署の世話にだけはなりたくないからな。次に給油するまでに捕まえなければならん。
ラクダは無線を手に取って叫んだ。
「熊山警察署の全署員に告ぐ! これから勝負をかける。必要最低限の人員を残して全員出動せよ!」
イチョウの木の下で警察無線を傍受していた爺ッ様ことヤマネは、耳からイヤホンを抜いて、パソコンを起動させた。
そして、あるサイトにアクセスをして、無線より入手したカジキたちが乗っている車の車種と年式を入力する。
しばらく待つと、ガソリン一リットルあたりの走行距離が現れた。
――十二キロ。
つづいて、違うサイトにアクセスする。
「うーん、スタンドでガソリン満タンとはいかないのかなあ。やっぱり張り込んでいると思ったのかもしれないなあ。今ラクダさんが言ったとおり、カジキさんは慎重だなあ」
やがて、画面上に地図が現れた。
「うまい具合に大きな駐車場があるな」
ガソリンを給油したところで、さらに長期戦になることが分かり、ラクダ本部長はモニター画面でカジキらの車を追いかけながら、ソファーに座って、ヒツジ見習いとともに日本茶をすすっていた。
「そういえば、腹が減ってきたな。ずっとお茶ばかり飲んでるから、茶腹になっとるわ」
そう言って大きなお腹をさする。
「では、私が何か作りましょうか?」
「おっ、キミは料理ができるのか?」
「はい、女房が料理好きですので、教えてもらって、できるようになりました。そう思って、このおてがらくんにも、たくさんの厳選された食材を積み込んでますから」
「そうか。キミのところは新婚だったな。では、キミの料理を食べるということは、キミの奥さんの手料理を食べるのと同じことだな」
「そうなりますかねえ」
「――で、何が作れるんだ?」
「はい、チキンドリアとカルボナーラとラザニアです」
「はあ? 日本語の料理はないのか」
「これが女房の得意料理でして……」
「待て。キミはたしか三十九歳だったな。奥さんは何歳だ?」
「はい、十九歳です」
「キミはケダモノか?」
「そんな。法律的には何も問題はありませんが」
「法律的にはよくても、人道的にはどうなんだ!」
「人道的にも問題ない……」
「分かった、もういい! 十九歳のギャルの料理ならそんなもんだろ。ところで、わしはな、銀シャリを食わないと力が出んのだ。その中でメシはどれだ?」
「はい、チキンドリアなら中にライスが、いや、ご飯が入ってます」
「じゃあ、それでいい。――大盛りで頼む」
「かしこまりました。ではご注文を繰り返させていただきます」
「いらん! 早く作ってくれ!」
「はっ!」
ヒツジ見習いは立ち上がると、ロッカーからフリルが付いたピンクのエプロンを取り出した。
「そんなものまで持ってきたのか?」
「はい、女房から借りて来ました。でも、うちの奴は身長が百五十センチしかないので、このエプロンはピチピチで小さいです。あっ、本部長、後ろのヒモを結んでください。すぐ解けるように蝶々結びでお願いします」
あきれたラクダはギュッと固結びで結んでやった。
カジキたちは途中で休憩を取っていた。
長時間運転するときは休憩を挟むようにと、教則本に書いてあるらしい。
サイがそう主張するので、四人は国道沿いにあった木陰に車を止めて、外の空気を吸いながら、一服していた。カジキはタバコを吸い、ウサギとサイとコヤギは牧場で買った飲むヨーグルトを飲んでいた。
これらの代金も経費として計上するために、領収書をもらってきていた。
なぜこんな小さな買い物にまで領収書をもらうのかという理由について、カジキはサイとコヤギのために経費の計上について計画書を読み上げた。
「いいか、よく聞け。特殊業務遂行規約。第四条。本業務を遂行するに当たっての必要経費は業務遂行者が一時負担するものとする。ただし、領収書が存在するものは、業務終了後、清算するものとする。なお、何らかの理由により領収書が取得できなかった場合に於いても、その状況により、支払い可能なケースも生ずるため、何らかの記録をしておくことが望ましい。――こらっ、サイ、寝るな!」
「へっ? ああ、アニキ、何を言っているのかさっぱりでして……」
コヤギも隣で大きくうなずいた。
「はあ、サイさんもそうですか。ボクもまったく……」
二人とも車にもたれたまま、ウトウトしていた。
ウサギは背伸びをしながら、興味深そうに計画書を覗いていた。
「ねえ、アニキ、計画書の後ろの方はどうなってんの?」
「おお、ここか。この部分は企業機密が隠されているから、袋とじになっている」
「えっ、見せて、見せて!」
「爪で破こうと思っているだろ?」
「なんや、バレたか」
袋とじになってることを見つけたウサギだったが、見ることはできなかった。
カジキは大事そうに計画書をしまうと、煙を吐き出しながら言った。
「それにしても、ガソリンがあんなに早くなくなるとは、思ってなかったぜ。何とか走ってくれているだけでもありがたいけどな」
そう言って、札束が入っているトランクの上をポンポンと叩いた。
そのとき――。
「――ん? 何だ、これは」
サイが驚いて振り向く。
「アニキ、どうしたのですか?」
「これを見ろ」
カジキは黒くて小さい物を指で摘んで、みんなに見せた。
三人は飲むヨーグルトの紙パックを持ったまま寄ってくる。
「これは発信機だ。ここに磁石で付いてた」カジキは車のボディをトントンと叩く。
「アニキ、見せて、見せて」
ウサギは発信機を手の平に乗せてもらうと、興味深そうにながめた。
「こんなに小っこいのに発信機か。すごいなあ」
コヤギも感心して見ている。
「では、ボクたちの行動はバレてたのですか?」
「そういうことだな。しかし、いつ付けやがったんだ。金を入れるときはなかったし、牧場に止めているときでも、注意して車の方を見ていたぜ」
「こうやって、投げたのではないですか?」サイがピッチングのポーズをする。
「そんなにうまく付くかよ。法定速度とはいえ、こっちは走ってるんだ。相当近づかないと無理だぜ」
そのとき、ウサギがひらめいた。
「分かったで、アニキ。あのおネエさんや。ほら、最初に出会ったときに、グーンと近づいてきて、ぶつかりそうになったやんか。あのときに付けられたんと違う?」
「そうか、ふざけやがってあの野郎。レースクイーンじゃなくて、ポリスクイーンだったのかよ」
そのとき、木の上に止まっていたカラスが鳴いた。
――カア。
「ちくしょう。カラスまで笑ってやがる」
カジキは声の主を見上げた。
「おっ、アイツは俺のフレッシュミカンを盗んで行きやがったカラスだ」
同じように見上げていたコヤギが言う。
「お知り合いですか?」
「おお、そうだ。青い車公園で、俺がお地蔵さんにお供えしたミカンを取って行った奴だ。体中が白と黒のシマシマになるバチも当たらないで、のうのうと生きてやがったのか」
「でも、アニキ。ここから青い車公園までは相当離れてますので、違うカラスじゃないのですか?」
「いや、アイツだ。同じ色だ」
「カラスはみんな同じ黒色ですけど」
「いや、微妙に濃い黒だから、アイツに違いない。――おっ、そうだ。ミカンを一個だけ持っていたんだ」
カジキはポケットからミカンを取り出した。
フレッシュだったミカンは萎んでシワシワミカンになっている。
「よく見ておけ。アイツは絶対、これを咥えて逃げるからな」
「アニキ、ウチが投げたい!」
「おっ、ウサギちゃん、やってみるか。じゃあ、こうやって腕を伸ばして投げるんだ。アイツの頭の上の方を狙え」
「うん、分かった。――エイッ!」
放物線を描いて飛んで行ったミカンにすばやく反応したカラスは、ダッと飛び上がると、パクッと咥えて、バサッと飛んで行った。
「どうだ見たか、あの見事な妙技。やっぱり同じカラスだ。泥棒から泥棒していくんだから、たいしたカラスだぜ」
「うまいこといったなあ」ウサギが笑った。
ラクダ本部長はチキンドリアの大盛りを、今か今かと待っていた。待つ間もお茶を飲んでいる。
小さな赤い点は沿道に止まったまま動かない。メジカが車に取り付けた発信機は、犯人の乗った車の位置情報を、モニター画面へ正確に映し出していた。カーナビに照らし合わせても、あの辺りには何もないので、たぶん休憩でも取っているのだろう。
そして、しばらく休んだ後、ふたたび車は北に向かって動き始めた。
しかし、しばらくすると、また国道をはずれて西の方角に進路を変えた。
ラクダはお茶を噴き出しそうになりながら、あわてて無線を手に取った。
「ヒンバ副本部長! Uターンだ。奴ら、西に行ったぞ!」
「ヒンバです。了解しました!」
でかしたくんでもモニターを見ていて、犯人が予想もしなかった方角に向かったために、急停車していた。ちょうどすぐそばを走っていたメジカも傍らに停まっている。中ではカバ代理が地図を広げて、確認をしていた。
犯人の行き先は白い鳩公園だった。
「カバです。奴らの行き先が分かりました!」
ラクダも地図を広げて、カーナビに載ってない小さな公園を見つけた。
「よしっ、でかしたくんはそのまま追ってくれ。特別応援団を差し向ける」
続けて、ラクダは無線のスイッチを切り替える。
「熊山警察署の全署員、出番だ! 白い鳩公園に向かってくれ!」
「犯人捕獲応援団団長のキツネです。了解しました!」
「本部長、こちらメジカです。追いかけましょうか?」
「小さな公園だ。我々と一緒に入り口で待機してくれ!」
「了解しました」
「ラクダ本部長!」
「どうした、ヒツジ見習い!」
「チキンドリアの完成でーす!」
「バカもん、後にしろ!」
国道脇では、ラクダたちが乗るおてがらくんとメジカが乗る銀色のバイクが待機していた。国道から西へ入るとそこは白い鳩公園だった。
地元の人たちがイヌの散歩をしたり、子供たちを遊ばせたりする公園で、スペースは狭いが、一通りの遊具類は揃っていた。
その小さな公園をたくさんの警察車両と警察官が取り囲んでいた。
「こちらヒンバです。今、キツネ団長と合流して公園を張っていますが、車は一台も見えません」
「そんなことはないだろ。モニター上の赤点はそこから動いてないぞ。木の陰とか公衆便所の陰に隠れてないか?」
「車が隠れるほど大きい縄文杉のような木はありませんし、便所もありませんが」
「そうか。待っていてもしょうがないな。――よしっ、全員で突入だ。無線はそのままつないで実況中継せよ!」
「了解しました! ――今、キツネ団長を先頭に総員三十二名が公園内に散らばりました。木の上、ベンチの下、雑草の中、遊具を見てます。しかし、何も見つからないようです」
「待て。その遊具だが、試してみたのか?」
「いえ。見ているだけです」
「見ているだけなら分からんだろ。試してみるんだ!」
「はい! ――おい、みんな、本部長の命令だ! その遊具に乗ってみるんだ!」
「はっ!」「はっ!」「はっ!」
公園のあちこちから返事が返ってきた。
ヒンバ副本部長の報告はつづく。
「二台あるブランコに乗って、漕いでますが何もないようです。ジャングルジムにも十人ほどが登ってます。うんていにも数人が飛びついて先を競うように進んでます。シーソーにも座って、ギッコンバッタンやってます。砂場も掘り返してます。すべり台はキツネ団長が自ら滑っています。そのあとに順番待ちの署員が並んでます」
公園内の捜査はつづく。
空にはヘリコプターが飛んでいた。
「ねえ、白い鳩公園で遊んで行かない?」
二人を誘ったのは一年生の陸くんだった。
「早く帰らないと、お母さんに怒られるから」
同じクラスの竜くんが先を急ごうとするが、陸くんはあきらめない。
「悠くんがさあ、あの公園でクワガタを見つけたんだよ」
「えっ?」
クワガタが大好きな竜くんの足が止まった。
そして、隣にいた二年生の美咲ちゃんを見た。
「そのクワガタは何時ごろに見つけたの?」美咲が訊く。
「夕方だって。だから今ごろ行けばいるかもしれないんだよ」
「でもクワガタって、すごく早い朝にいるんだよ。四時とかそんな時間に。だから、そのクワガタは誰かが飼ってたのが逃げてきたんじゃない?」
「だったらさ、もう一匹くらい逃げてるかもしれないよ」
「そんなうまくいかないって」
美咲はすげなく言う。
しかし、陸くんは行きたそうな顔をしだした竜くんが、味方になってくれると思った。
「じゃあ、五分だけ! お願いだから」
「五分だけならいいかな」思ったとおり竜くんは付き合ってくれるようだ。
美咲も、じゃあ、五分だけだよと言ってランドセルを下ろし始める。
そのとき、三人の目の前に黄色いテープが貼ってあるのが見えた。
英語で何か書いてある。男子二人は幼稚園のときから英語を習っている美咲を見た。
“KEEP OUT” “POLICE”
「近寄ったらダメだって書いてあるよ。それと警察だって!」
陸くんが黄色いテープをツンツンしながら言う。
「もしかしたら、この公園で殺人事件が起きたんじゃない?」
興奮した竜くんが黄色いテープをボヨンボヨンさせながら言う。
「そうだよ! だから入れないようになってるんだよ!」
美咲は空を見上げた。ヘリコプターが飛んでいるからだ。
「じゃあ、あれはテレビ局かなあ」
「だったら、映るかもしれないよ!」
「ワーイ!」「オーイ!」「こっちだよー!」
三人はヘリコプターに向かって、懸命に手を振った。
陸くんがそばのフェンスによじ登った。
「ここから公園の中が見えるよ。あっー!」
竜くんが訊く。
「えっ、どうしたの?」
「オマワリさんが貸し切りで遊んでる!」
轟音の中、ヘッドホンをしたウサギは口元のマイクに向かって話した。
「ほら、コヤギくん、空風山やで」
コヤギがプッと噴き出すのが聞こえる。
頂上にはいくつかの登山客の団体がいて、くつろいだり、バンザイを繰り返したりしている。
「あっ、牧場や。菜の花畑も、めっちゃきれいや!」
牛がのんびりしている牧場。馬が走り回っている牧場。その隣には桜に囲まれて黄色い菜の花畑が広がっている。
相変わらず、たくさんの人出だが、車も人も豆粒くらいにしか見えない。
馬山牧場一万人目の来場者で、表彰状の他に副賞として賞品をもらった。
ヘリコプターの遊覧飛行四人分だ。
空風山と馬山牧場は遊覧コースに入っている。遊覧中はタスキをしたままでと言われ、喜んでいるウサギ以外の三人はしぶしぶしているが、相変わらず似合わない。しかし、コヤギは打ち上げ花火を大成功させた空風山を、上空からながめることができて、とてもうれしそうだ。
一方、高所恐怖症のサイは大きな体を小さくしていた。
「あの、私は地に足が着いてないとダメなタイプでして。空を飛べるF1のマシンはありませんから」
カジキがからかう。
「将来は車が飛べるようになって、F1も空中戦になるんじゃねえか。どうすんだよ、サイさんよ」
「そんなあ。どうしたらいいですか?」
「そうだな。まず、ジャングルジムあたりで練習するんだな」
そのとき、ウサギが何かを見つけた。
「あっ、アニキ、ちょうど、公園が見えるで。――えっ、なんやあれ?」
たくさんの警察官がいろいろな遊具に乗っていた。ジャングルジムにも制服警官がアリのようにたかっている。ブランコやシーソーを漕ぎ、順番にすべり台を滑っていた。うずくまって砂場を掘っている警官もいる。
「なんだ……?」カジキも驚いている。
日頃からお世話になっている警察官の実態を熟知しているカジキだったが、この行動は理解に苦しむ。
「なんで遊んでやがるんだ? レクリエーションかよ。まあ、職業柄、ストレスがたまるといっても、あれはダメだろ」
ウサギがマイクで答える。
「ホンマやなあ。あっ、あそこで三人の小学生が足止め食らってるで」
低空飛行をつづけるヘリコプターに、三人が手を振ってくれていた。
「ワーイ!」「オーイ!」「こっちだよー!」
ラクダは熱いチキンドリアをハフハフ言いながら食べている。
犯人たちの手がかりはまだ見つからない。モニターの赤点は動かないままだ。
だが、奴らはこの公園のどこかに潜んでいるはずだ。
公園か……。そうだ!
「ヒンバ副本部長! 公園なら噴水があるだろ!」
「はい、ありますが……」
「そこだ! ダイバーはどうした。帯同してるんじゃないのか!」
「はい、ゲンゴロウさんがいます」
「なに! あの伝説のダイバー、ゲンゴロウさんが来ているのか。それは頼もしい限りだ」
ゲンゴロウは熊山警察署の専属ダイバーとして、数々の功績を残し、定年退職後は嘱託員として働いていた。
「さっそく、ダイバースーツに着替えてもらえ!」
「いえ、普段着でいいと……」
「ばかもん! 早くせんか!」
「は、はい。では――」
まったく、うちの署員は行動が遅い。慎重といえば聞こえがいいが、犯人は人質を取っている。ハフハフ。
また給油をして遠くに逃げないように、ここで押えておかなければならない。ハフハフ。
熊山警察署の総力をあげて捕まえてやる。ハフハフ。
それにしても、ドリアというものは熱いものだな。
天井のスピーカーからヒンバの声がした。
「本部長! ゲンゴロウさんの準備が整いました」
「よしっ、潜ってもらえ! 実況中継を頼むぞ!」
「今、顔を漬けました。出てきました。何もないそうです」
「おい、なんでそんなに早いんだ!」
「はい、噴水といっても、直径が五十センチほどしかないミニ噴水ですから」
「はあ? 足元にペダルはないか?」
「ああ、あります」
「踏んでみろ!」
「あっ、水が出てきました」
「それは噴水じゃなくて、水飲み場だろ! わざわざ潜らなくても、上から覗けば分かるだろ!」
ラクダは他に何かを見つけたら、どんな些細なことでも報告するように伝えて、ドリアが入った器の底をさらっていた。
まったく、箸じゃ食べづらいな。十九歳のギャルはいつもこんなもん喰ってるのか。ややこしい食い物だな。
ピンクのエプロンをしたヒツジ見習いがやってきた。
「本部長、お代わりはどうですか?」
「いや、もういい。こりごりだ」
「では、デザートはどうでしょか? 先程、用意しましたので」
「デザートなんかミカンでいい。ちなみに何があるんだ?」
「ティラミスとカヌレとマリトッツォです」
「はあ? 漢字のデザートはないのか。大福とか草餅とか羊羹とか……」
そのとき、ふたたび天井からヒンバの声がした。
「本部長、報告します!」
「奴らが見つかったか?!」
「それが、白い鳩公園だというのにカラスがいて、ミカンを食べてます」
「バカもん! そんなことを報告するんじゃない!」
カラスが木の枝に止まってミカンを突っついている。
やがて……。
――ガキッ。
何か堅いものを齧ったカラスはそれを食べられないと判断して、地面に吐き出した。
小さな黒い塊が木の根元に転がった。
ウサギがミカンに埋め込んで、カラスに投げつけた発信機だった。
三十分間の遊覧飛行を終えて、地上に戻ってきた四人はふたたび北へ向かって走り出した。
一方、突然モニター画面の赤い点が消えて、ラクダはあわてていた。
一体どうなっているのか分からない。確かに赤い点は白い鳩公園に到着して動かなくなった。でかしたくんのモニターにも同じように映っていたというのに。
そのでかしたくんは犯人の赤い点が消えて見失ってしまったため、取り敢えず、公園の捜査をやめて、北の方角に向かっていた。
犯人は途中で寄り道をしているとはいえ、一貫して北へ向かっているからだ。
代わって、おてがらくんが白い鳩公園のキツネ団長と合流して、公園を調べていた。ラクダ本部長は犯人の車が見当たらないといっても、何か手がかりはないものかと、すべり台の上に仁王立ちになって、双眼鏡で辺りを見渡していた。
そして、メジカはトンネルの中にいた。
オレンジ色のライトが辺りを包み込んでいる。側面にバイク一台を止められるくらいのスペースがあった。鉄製のドアが付いている。トンネルのメンテナンスに使うのだろう。ここから内部に入れるようだ。
つぎつぎに車が行き交う。そのたびに車種とナンバーと人を確認する。
情報によると、犯人たちは四人。うち成人男性が二人。成人女性が一人。女の子が一人。トンネル内では確認が難しく、車が来るたびに緊張が走る。
メジカは長々と続いていた車の列の最後を走っていた一台の軽トラックを見送った。
その後はしばらく車が来そうにない。
事件後、ラクダ本部長からさまざまな情報を得た。
強盗と車の運転と銃火薬の三人のプロがチームを組んで銀行を襲ったこと。偶然居合わせたウサギちゃんを人質に取ったこと。うまく行内に閉じ込めたが、まんまと逃げられたこと。彼らが強盗に成功したのは、銃火薬を所持していたためであり、特に携帯式のライフルと手榴弾の存在が大きいこと。
ライフルと手榴弾。さらにナイフも所持している。
犯人の車の中を覗き込んだとき、垣間見えたライフル銃と手榴弾とナイフと思われる包み。床の上にベージュ色の布に包まれた長い棒状のものが二本。これがライフルか?
その横にも小さな包みが二つ。これが手榴弾とナイフか?
あのベージュ色の布。どこかで見た色……。
メジカは無線をつないだ。
「ラクダ本部長、こちらメジカです。銀行から強奪された品物をすべて教えてください」
「はあ? 分かった。何に使うのか分からんが、署からこちらに一覧表を送らせる」
しばらく車は来そうにない。メジカはヘルメットを脱いだ。トンネル内を通過していく風が心地よい。このトンネルには空調にもかなりのお金をかけてあると聞いたことがある。そのためか、空気もそんなに汚れているという感じがしないし、天井が高いためかトンネル独特の息苦しさもない。
ここに幽霊が出る。
そんなウワサが広がったのは今年になってからだ。警察が出動して大騒ぎになったこともある。ワイドショーでも取り上げられていた。気味の悪い再現ドラマだった。
メジカは頭から幽霊を払拭して、北の方向を見た。天井と側面に取り付けられたオレンジのライトが出口に向かって点々とつづいているが、出口はもっと先にあり、太陽の光は見えない。しかし、北へ向かうにはこのトンネルを通るしかない。彼らは公園にはいなかった。
ならば、北に向かっているはずだ。
入る手前に左折する道があったが、それはトンネルができる前に使われていたあぜ道で、大きく迂回して国道に戻ることができる。しかし、その細くて曲がりくねった道をわざわざ通るメリットは何もない。
しかし、無線から聞こえてきた声にメジカは驚愕する。
「こちらヒンバです。奴らを確認しました。われわれの後ろを走ってます」
どういうこと?
あぜ道を通ったということ?
私が張り込んでいることに気付いたの?
「ゴホッ、ラクダだ。そのまま見つからないように走ってくれ。こちらも、そろそろ公園を引き上げて後を追う。ゴホッ、ゴホッ!」
メジカは取り交わされる無線の声が、遠くに聞こえるように感じた。
そして、ラクダ本部長が言っていたことを思い出した。
奴らはドリームチームだ。奴らは警察を翻弄している。
翻弄されたメジカはヘルメットをかぶり直して、バイクを始動させた。
トンネル内にエンジン音がこだまする。
その頃、ラクダは……、
「ゴホッ、ゴホッ!」
ティラミスのココアパウダーにむせていた。
ヒンバ副本部長はでかしたくんの存在がバレないようにと、犯人の車との距離を少し開けた。その慎重さが仇となった。車を見失ったのだ。
今までは目で捉えられない距離で走っていたので心配はなかったのだが、今回は違った。ラクダ本部長から、事件の大詰めが近づいているので、常に犯人の車が目視できる位置を走れと命令が下っていたからだ。
「しばらくそこで待っていろ。すぐに来るだろう」ラクダから命令が下った。
ヒンバたちは、でかしたくんを路肩に止めて、犯人が乗った濃い緑色の国産車を待った。
やがて、双眼鏡を手にしたカバ代理が叫んだ。
「副本部長、来ました! あの車だと思います」
遠くに緑色の車が見える。
ヒンバはふたたびラクダに連絡をした。
「ただいま犯人の車を確認しました。こちらに向かって来てます」
「よしっ。ゆっくり走り出してくれ。こちらも今から公園を出て追いかける」
そのとき、二人の会話にカバ代理が割り込んできた。
「副本部長、緑色の車がもう一台見えます」
「だったら、どちらかだろう」
「あっ、もう一台見えます」
「だったら、三台の中のどれかだろう」
「あっ、また増えました」
「おい、待て! なんで緑色の車ばっかり走ってるんだ。白色や黒色なら分かるが、緑色の車なんかそんなにないだろ」
ヒンバは無線をオープンにしたまま、運転席に移動した。
そこから見えた光景は……。
無数の緑色の車が、群れをなして、こちらに向かっていた。
「なんだ、あれは!」
「ヒンバ副本部長、どうした!?」
スピーカーからラクダの声が響く。
「緑色の車がいっぱい走って来ます。犯人の車がどれか分かりません」
「そんなバカな……」
「あっ、先頭の車のフロントに垂れ幕が張ってあります。緑の旅団と書かれてます」
カバ代理が叫んだ。
「分かりました! デモ行進です。業者が伐採をしてはげ山になった山に緑を取り戻そうと、NPO法人が緑色の車を集めてデモ行進を行っているのです。確か、署にデモの許可申請が出ていたはずです。それによりますと、緑色の車は百五十台ほど集結するようです」
ふたたびラクダの声。
「なぜ、早くそれを言わん?」
「いや、こんなことになるとは思ってませんでしたので」
「行進中の車の集団の中から、奴らの車を見つける方法はないのか?」
だんだん迫り来る緑の旅団。
普通車、大型車、軽自動車、トラック、すべてが緑色だ。バイクや自転車もチラホラ見える。百五十台の旅団は轟音を発しながら、ゆっくりと向かってくる。
それはまるで森が動いているかのような風景だった。おそらく緑色の車で森を表現したかったのだろう。
「しかし、こんなに似たような車が多いと……」
そのとき、いったん外に出ていたヒンバが四人の男性を連れて戻ってきた。
四人とも首から双眼鏡を下げている。
「ラクダ本部長、ご安心ください。奴らを発見できます。只今、近くでバードウォッチングをされていた日本野鳥の会の皆さんをお連れしました」
「でかしたぞ、副本部長! さすが、でかしたくんに乗っているだけのことはある」
「では皆さん、お願いします」
「はい、おまかせください」
四人は双眼鏡とストップウォッチを持って、でかしたくんを降りると、二人ずつ道路の両脇に立った。
その頃、メジカは道路脇に止まって、ラクダからの報告を聞いていた。
「銀行から盗まれた物の一覧表が署からファックスで届いた。――読み上げるぞ。まず、現金は一万円札が一千二百万円分と千円札が五万円分だ。それにホウキが二本。これは途中で折られた柄の部分だけで、掃く部分は残っているそうだ。それとスマホ電話三台、タマゴくんという十センチほどの白い卵形の貯金箱が一つに、1/43 トルーマンTG184 ポルトガルGPというF1ミニカーが一台。最後にカーテンが一枚。――以上だ」
「本部長、それです。犯人が所持していると思われるライフル銃はホウキの柄をベージュ色のカーテンで包んだもので、手榴弾もタマゴくんという貯金箱を包んだものではないでしょうか。ホウキの柄は長い棒状で、貯金箱は丸い形をしてますから。ライフルと手榴弾の盗難届けや紛失届けは出てませんので、行内で調達したのではないかと思っていたのです。もしも武器を所持していれば、強盗の際に見せ付けて、脅していたと思います。ですので、携帯用のライフルを所持していたというのは、少し無理があると判断いたしました」
「うーん、なるほど、見事な推理だ。では、盗まれたミニカーは何に使っているのだ? ナイフに見せかけるには形が武骨だぞ」
「それは分かりません」
「うーん、カーテンで包んで銃器に見せかけたか。しかし、最初はカーテンが一枚だけなくなっていることに気づかなかったらしいぞ。全部取り外して、一ヶ所にまとめてあったらしいからな。その山に火の粉が散って、焦げてしまい、スプリンクラーの水でビショビショになって使い物にならなくなったので、そのまま捨てようとしたらしい。しかし、念のために数えてみたら、一枚足らなかったらしい。うーん、そうか、分かったぞ。奴ら、カーテンを一枚だけ使ったことが、バレないように、わざとすべてのカーテンをはずして、代わりに花火を仕掛けやがったんだな。恐ろしいプロフェッショナル集団だが、だんだんと読めてきたぞ。ホウキの柄とタマゴくんという貯金箱を持ってるだけで、銃器類はないと分かったら、こっちのものだ。強攻策でとっ捕まえてやる。――そのまま尾行をつづけてくれ!」
一方、カジキはイライラしていた。
「なんだ、この渋滞は!」
後部座席からウサギが言う。
「アニキ、変なことに気づいたで。ウチらの周りを走ってる車はみんな緑色やで」
「おっ、ほんとだな。どういうことだ?」
ウサギの隣に座っているコヤギが言う。
「アニキ、あの垂れ幕に緑の旅団とありますよ。その下にハゲ山に緑を取り戻せと書いてあります」
「なんだ、デモ行進かよ。あの金物屋のばあさんが言ってたやつだな。まったく、変なものに巻き込まれたな」
「なんや、抹茶のお団子と違うのか……」ガッカリするウサギ。
「しかしよお、サイさんが守る法定速度をはるかに下回って走ってるんじゃ、たまらんなあ」
膝の上に教則本を広げながら運転しているサイが言う。
「スピードオーバーの違反はダメですけど、ゆっくり走ったらダメだとは書いてないです」
「うるさい! 屁理屈を抜かすな」
バキッ!
そう言ってカジキは、ダッシュボードにパンチを入れた。
ポロッ。
そのショックで、フタが取れてしまった。
「クソッ、また取れやがったぜ、警察の安物が。――ウサギちゃん、足元にある小さい方の包みを取ってくれ。タマゴくんじゃない方だ」
ウサギが拾って渡す。
「何が入ってるの?」
「おお、これは商売道具よ」
ベージュ色のカーテンのきれっぱしの中から出てきたのは、まだ新しい十字ドライバーだった。毎月新しい道具を買うという儀式により、街の金物屋に寄って、五百二十五円で買ったものだ。ラクダたちがナイフを包んでると勘違いした物だ。
カジキはドライバーを手に取ると、ダッシュボードを器用に直し始めた。
おてがらくんのはるか前の方に緑色の車の集団が見える。
傍らには、でかしたくんが止まっている。
「本部長、こちらヒンバです。日本野鳥の会のみなさんが戻ってきました」
「犯人の乗った車は分かったか!?」
「調査によりますと、普通車が六十二台、大型車が二十四台、軽自動車が三十八台、トラックが七台、バイクと自転車が十九台だそうで、普通車が一番多かったらしいです」
「なんで台数を数えているんだ! 犯人の車はどうしたんだ!?」
「それが、普通車で成人男性が二人、成人女性が一人、女の子が一人乗っている車はなかったそうです」
「くそー、せっかくのチャンスだったというのに!」
――ゴン!
ラクダは怒りのあまり、おてがらくんの壁を蹴飛ばした。
その怒りはヒツジ見習いの闘志に火を付けた。チャンスという言葉に反応したのだ。ここで、一世一代のチャンスを逃してはならない。
「わたしが奴らを捕まえてきます!」
緑の旅団の最後尾はまだ先に見えている。あの中に犯人が乗った車が確実に走っている。
その旅団に向かって、ヒツジは駆け出した。
フリル付きのピンクのエプロン姿のままで……。
急いで脱ごうとしたが、後ろのヒモがなぜか固結びだったため脱げなかったのだ。
「待てー、こんちくしょー!」
ヒツジの声が山間部にこだました。
「待てー、ヒツジ見習いー!」
ラクダの声が重なった。
その頃、メジカも緑の旅団のデモ行進に阻まれて、犯人の車を見失っていた。
大きな駐車場でカジキたち三人は車を物色していた。一リットルだけ入れたガソリンが、ついに切れてしまったのだ。近くにスタンドが見当たらないため、買うこともできず、盗むことにした。
「いいか、ドアが開いて、キーが刺さったままの車を見つけるんだ」
サイとコヤギにそう言って、手頃な車を探しに行かせると、カジキはウサギと一緒に手をつないで車の間を歩きだした。傍から見れば、親子が仲良く歩いているように見えるため、疑う者はいない。
「昔は簡単に盗めたが、最近は無理にこじ開けると、防犯ブザーが鳴りやがるから、気を付けないとな」
ときどき、心配そうにサイとコヤギの方を見ている。ブザーが鳴ったり、見つかったりしたら、言い訳をしないで、さっさと逃げろと言ってある。先程、サイがいいのを見つけましたと言って来たが、後部座席に赤ちゃんが乗っていたので断念した。あやうく誘拐犯になるところだった。誘拐の罪はとても重い。
ウサギはなかなかいいのが見つからないのに焦れて、カジキから手を離すと、一人で車を探し始めた。二手に分かれた方が効率いいと思ったからだ。
そして……。
「アニキ、ちょうどエエの見つけたで、こっち、こっち!」
駆け寄って来たウサギは、カジキの手を取って走り出した。
「ほら見て、あの車。後ろがちょっとヘコんでボロそうやけど、ドアも開くし、キーも刺さってるで」
カジキはその車を見て驚いた。
「なんで、青い車公園の青いワゴン車が止まってるんだ!?」
犯人の乗った車は、県境のすぐそばまで来ていると思われた。ライフルなどの銃器類は所持しておらず、人質になっている女の子の体力も限界に来ていると思われたため、ラクダ本部長は強攻策で捕まるようにと、全捜査員に指令を出していた。
そのころ、メジカは犯人の車を捉えていた。
さっそく、ラクダ本部長から挟み撃ちにして捕まえるようにと命令が下った。
「ヒンバ副本部長、応答願います。こちらメジカです」
「――ヒンバだ」
「今、犯人の車がそちらへ向かって走っています。道路の封鎖をお願いします」
「そうか、了解した!」
ヒンバは無線を切ると、全長約五メートルの白い大型キャンピングカー、“でかしたくん”を横向きに止めて道路を塞ぐと、臨時の検問所に早変わりさせた。
そして、全員を外に出して、走ってくる車を一台ずつチェックし、犯人の車ではない一般車両なら、道路とのスキマから通行を許可していた。
物々しい警戒に、ドライバーたちは驚きながら、でかしたくんの脇をすり抜けていった。
無線が鳴った。
「ヒンバ副本部長、こちらメジカです。只今、犯人の車の後ろに付けてます」
双眼鏡で見ていたカバ代理が車を見つけた。
「発見しました! たぶんあの車です。後ろからバイクが追いかけてきます」
まちがいなくこの車だと言うように、赤と白のライダースーツを着たメジカが片手を上げて合図を送る。
今、でかしたくんに向かってくる車はその一台しかなかった。
ヒンバは警視総監賞の表彰式に出席している自分を想像して、ニヤリと笑った。
「みんな、来やがったぞ! 一気に捕まえて大手柄を立てるんだ!」
ヒンバ副本部長とカバ代理が、でかしたくんを降りて道路際に立った。
なだらかな上り坂を、バイクに追われるようにして、一台の車が登ってくる。
「まさか、このまま突っ込むつもりじゃないだろな!」
ヒンバは大きなでかしたくんを見上げる。
「改造にいくらかかってると思ってるんだ。ドテッ腹に穴を開けられたら終わりだ。みんな、奴らを止めるんだ!」
四人は拳銃を抜いて身構えた。
止まらない場合は、タイヤを撃ってでも、強引に止めるつもりだ。
「止まれー!」
四人の叫び声が響く。
車はあざ笑うように、スピードを緩めないで近づいてくる。
「止まらんかー!」悲鳴に似たヒンバの声がする。
「ダメかっ!」すでに、頭からは表彰式のことは飛んでいた。
しかし、おてがらくんに乗っていたヒツジ見習いがそうであったように、でかしたくんにも熱血漢がいた。
カバ代理だ。
「副本部長、自分が行きます!」
カバ代理は拳銃をヒンバに渡すと、突進してくる車に負けじと突進していった。
カバとヒンバの雄叫びが交差する。
「ウオォォォーーーーーーー!」
「待て、カバァーーーーーー!」
甲高いブレーキ音が山間にこだました。
キーーーーーーーッ。
すんでのところで車が止まった。
タイヤから白煙が上り、あたりに焦げた臭いが漂う。
メジカのバイクが運転席の横に付いた。彼女もとっさに拳銃を抜いてかまえる。
ゆっくりとウィンドウが下りて、一人の男が顔を出した。
メジカの瞳孔が大きく開いた。
「キミは……?」
「待ってください。ボクは善良な大学生です。強盗犯に脅されて車を運転してました。お騒がせしてすいません」
若い男はヤマネと名乗った。
メジカは信じられないという目で、その濃い緑色の車のボディを見つめた。
青い車公園の主である青いワゴン車を、サイがうれしそうに運転している。ラッキーなことにオートマだったからだ。一方、カジキはキツネにつままれたような顔をしていた。
あの青い車は廃車じゃなかったのか? なんで動くんだ? なんでここにあるんだ?
中も外もきれいに掃除してあるし、ガソリンは満タンだし……。
――さっぱり分からん。
ルームミラーで後部座席を見ても、コヤギはリュックを抱えたままボケッとしているし、ウサギはコンパクトで顔のチェックに余念がない。誰に訊いても無駄のようだ。
走り出して五分が過ぎようとしていたときのことだった。
いきなり声が聞こえてきて、四人は飛び上がらんばかりに驚いた。
“カジキさん、こんにちは。青い車公園のヤマネです”
「おう、なんだよ、爺ッ様じゃねえか!」
カジキは車内をキョロキョロと探しながらも、突然の声に答える。
「これは、どこから聞こえてるんだ?」
コヤギもウサギに、スピーカーがどこかにあるのですかねえと言いながら、キョロキョロしている。
“ご無沙汰してます”
「今どこにいるんだ?」
“青いワゴン車の乗り心地はいかがですか?”
「なんでこの車が走るんだ?」
“今度はガソリンもすぐに切れたりはしませんのでご安心ください”
「あれは廃車じゃなかったのか?」
“なぜ、こういうことをするかというと、腰痛の漢方薬のお返しです”
ウサギは、コヤギと一緒にヤマネの声の出所を探していたが、
「ねえ、コヤギくん、二人の会話が何か変じゃない?」
「そうですか?」コヤギは気づかない。
カジキはスピーカーを探すのをあきらめて、天井に向かって答えている。
「まったく、お前も義理堅い奴だな」
“漢方薬はすぐには効かないとおっしゃってましたが効果てき面でした”
「あれは、俺の死んだばあちゃんの常備薬だったからな。塗り薬の方はちょっとニオイがきつくねえか?」
“どんな腰痛の薬も効かなかったのに、あの薬はよく効きます”
「まあ、偶然見つけたんだけどよ。あの公園の近くに薬局があるだろ?」
“立ち上がるときは一苦労でしたが、今はだいぶ楽になりました”
ウサギは声の出所を探して、シートの下に頭を突っ込んでいた。
「ほら、コヤギくん、おかしいやんか」
「何がでしょうか?」コヤギも身をかがめて訊く。
「二人の会話が噛み合ってへん」
そして……、
「あっ、あった! ほらほら」
ウサギは小型のテープレコーダーを片手にシートの下から出てきた。
「アニキ、見て。この人の声はどっかのスピーカーから流れてるのと違って、ここから一方的に聞こえてるだけやで」
カジキは目を丸くして驚いた。
「ホントかよ」
そのレコーダーから、つづけてヤマネの声が聞こえてくる。
“では、楽しいドライブをお過ごしください”
カジキはそれでもレコーダーに向かって礼を言った。
「ありがとよ。助かったぜ、爺ッ様」
“なお、このテープは自動的に爆発します”
「えっ、大変だ!」
サイが急ブレーキをかけた。
すかさずシートベルトをはずして外へ飛び出す。
助手席のカジキも引きちぎるようにベルトをはずすと、ドアを蹴り開けて飛び出した。
後部座席のコヤギも両手を震わせながらバックルをはずして外に出ると、二人が伏せている草むらに向かって駆け出した。
一人残ったウサギは不思議そうにテープレコーダーをながめている。
「ホンマに爆発するんかなあ」
そのとき、テープからヤマネの声がした。
“なーんちゃって“
「なんや、最後に、なんちゃってが付いてるやんか」
ウサギは窓を開けて、草むらに潜んで顔だけ出している三人に向かって叫んだ。
「なんちゃってが付いてるでー! 爆発なんかせえへんでー!」
三人はすごすごとワゴン車に戻ってきた。
ウサギは怒っている。
「ちょっと、サイくん。一番初めに逃げたやろ」
サイの大きな背中がビクッとした。
「す、すいません」
横からカジキが言う。
「お前はメタボのくせに、何でこういうときだけは素早いんだ?」
ウサギは隣を睨む。
「コヤギくん! ウチが隣に座ってるのに一人で逃げたやろ」
コヤギの小さな背中が震えた。
「ご、ごめんなさい」
振り向いたカジキが言う。
「お前はレディファーストを知らんのか?」
ウサギはカジキと目が合った。
「アニキも逃げたやろ」
「えっ、ああ、あのなあ、俺は……。すまん」
「三人とも! 子供を置いて大人だけで逃げたらアカンやんか!」
三人は小さく萎れた。
ヤマネは、カジキが乗っていた緑色の車の車種と年式を警察無線から傍受し、ネットでリッター何キロを走るかを調べた。そして、おおよその地点で、彼らが次の車を盗むであろう大きな駐車場を見つけると、青いワゴン車を置いておいた。シートの下にはタイマーセットをしたテープレコーダーを置き、カジキへの漢方のお礼を伝えた。
青い車公園の青いワゴン車はとっくに車検が切れているが、ガソリンさえ入れればいつでも動くようになっていた。しかし、公園の住民の中には免許証を持っている者がヤマネしかおらず、放置されたままで、ニセ爺ッ様のような流れ者の簡易宿泊所になっていた。
ヤマネは駐車場でカジキたちがワゴン車に乗り込むのを見届けると、それまで四人が乗っていた緑色の車に携帯用のガソリンを入れて、わざと警察が張り込んでいる北部方面に向かって走り出した。
自分が囮になって、カジキたちを逃がすために。
ラクダ本部長は、おてがらくんの中のソファーに座っていた。
ヤマネが正面に座っている。
東仁大学教育学部児童心理学科三年。山根直之。
大学に連絡をして在籍の確認は取れた。ただし、去年より休学中らしい。
補導歴も前科もなし。犯人との接点はなく、脅されて車を運転していただけだという。
なぜかレモンティーを出された山根は、ラクダが苦々しい顔で酸っぱいレモンティーを飲む姿を、笑いをこらえながら眺めていた。
警察無線で声だけは知っていたラクダ本部長だったが、声のイメージと容姿はピッタリ合っていた。刑事ドラマに出てくる典型的なベテラン刑事といった風貌だ。
簡単に事情聴取を行い、そろそろ釈放しようと思っていたところ、ヒンバ副本部長から無線連絡が入った。
「狸穴警察署が出張ってきているそうです」
「何だと! なんでお隣さんが出て来やがるんだ」
「なんでも、110番通報があって、ピンクのエプロンをした中年変態男がすごい形相で何かをわめきながら国道を走っていたそうで、さっそくパトロールを始めるらしいです」
「ピンクのエプロン? バカもん、そいつは、ヒツジ見習いだ!」
山根を解放したあと、カジキたちに振り切られたラクダとヒンバは、キツネ団長の協力を得ながら国道周辺を走り回って捜索をしていたが、見つけることができず、そろそろ日が暮れようとしていた。
ラクダはおてがらくんのモニター画面を見ていた。
銀行の見取り図、銀行の窓から見える犯人の写真、犯人が去った後の銀行内の写真、メジカがヘッドカメラで映した車内の画像など、過去の資料が映し出されている。
スイッチを切り替えると音声が流れる。拡声器から流れる犯人の声、本部長のスマホにかけてきた声。
いったい奴らはどこへ行きやがったんだ。
あの緑の旅団に紛れて姿を消しやがった。最初から企んでやがったのか?
ヒツジ見習いは、それはありえないと言う。
奴らが逃走するためにわれわれに頼んだ車は、目立たないオートマの車ということだった。
緑色という色の指定はない。だから、緑の旅団は偶然に現れたもので、最初から紛れよう
と利用したものではないという。
果たしてそうだろうか。
奴らは何度もわれわれを翻弄しつづけた、三人のプロ集団だ。知能集団だ。
緑の旅団のデモ行進を事前にキャッチして、作戦を立てていたのかもしれない。
われわれは忘れてはいけない。
奴らは選りすぐりのドリームチームだということを。
――夕暮れ。
メジカは国道脇にある見晴台にバイクを止めていた。ほぼ一日中かぶっていたヘルメットを脱いで、髪の中に風を通す。
つないである無線からは、ラクダ本部長やヒンバ副本部長の声が聞こえてくるが、犯人の手がかりはまだ摑めないらしい。
スマホを取り出す。待ち受け画面にクワガタ虫を持って微笑む男の子が映っている。
その子をしばらく見つめたあと、電話をかけた。
「もしもし、悠くん、ママだよ」
「うん」
「ねえ、悠くん。悪いんだけどね、ママ、お仕事で遅くなっちゃうんだ。だから、朝作ってきたオカズが冷蔵庫にあるから、それをレンジでチンして食べてくれる?」
「いやだ」
「えっ、いやなの? お腹が空いちゃうでしょ」
「いやだ」
「どうして?――それとね、お風呂は追い炊きをして入ってくれる?」
「いやだ」
「えっ、それもいやなの? ねえ、悠くん、できるでしょ?」
「できないもん」
「悠くん、ママを困らせないでくれる?」
「――エヘヘ。ウソだよ。ちゃんとできるよ」
「なんだ、びっくりさせないでよ。それと、寝る前にはね……」
「火の元と戸締りをしっかりしておく!」
「そうそう、悠くんは偉いね。よくできました」
「当たり前でしょ。ボクは女性刑事の息子だよ」
「そうだったね」
「ねえ、ママ。明日はお休みでしょ? ツーリングに行きたい。ツーリング!」
メジカは空を見上げた。夕焼けがきれいに広がっている。明日は晴れそうだ。
「そうだね。行こうね」
「やったー!」
休みの日はツーリングと称して、後ろに悠くんを乗せてあちこち出かけている。
メジカは悠くんの青くて小さなヘルメットを思い浮かべた。
「ねえ、悠くん、どこへ行こうか?」
「うーんと、パンダ岩に行きたい! クラスの子はほとんど行ってるんだよ。それと馬山牧場! 馬の赤ちゃんが見たい!」
「あそこは菜の花と桜もきれいだよ。それとね、仮面ライダーショーもやってるよ」
「えっ? 見たい、見たい!――でも、ママはなんで知ってるの?」
「さっき、お仕事でちょっと寄ったんだよ」
メジカは電話を切ると、明日、臨時出勤にならないことを祈った。
そして、待ち受け画面のクワガタ虫を持った悠くんの写真に向かって話しかけた。
「うちには、大人の事情でお父さんがいないけど、しっかりがんばるんだぞ、雌鹿 悠一郎くん!」
ウサギは、雑種犬のディークと一緒になわとびの練習をしていた広場に戻ってきていた。
駐車スペースにはもうすぐ買い換える予定である、お父さんの白くて小さな車が止めてある。ここからもきれいな夕焼けが見えた。もうすぐ日が暮れようとしている。
広場の隅でウサギは、梶木、佐井、子八木と一緒に座り込んで花火をしていた。
「やっぱり、こういうときは線香花火です」
子八木がリュックから線香花火の束を取り出した。
「おい、いったい何本あるんだよ」梶木が驚いて言う。
「はあ、百二十本あります。本当は十本千円の高級品“ひかりなでしこ”を買いたかったのですが、お金がなかったので十二本百円のものを十セット買いました」
その細い花火に、梶木が一本ずつライターで火をつけている。
チッ、チッ、チッ……。
小さな音が静かな広場に響く。小さな花が開いては消える。
四人は黙って座ったまま、自分が手にしている花火を見つめていた。
花火から上がる煙で、あたりは白い靄がかかったようになっていた。
しかし、風は緩く、その靄はなかなか消えてくれない。
やがて、たくさんあった線香花火も最後の一本になった。
梶木がその一本を黙ってウサギに渡し、火をつけてやった。
チッ、チッ、チッ……。
「ウサギちゃん、四十五度に持った方が長持ちしますよ」
「へえ、そうなん?」
子八木のアドバイスにウサギは手を少し傾けた。
チッ、チッ、チッ……。
白煙が顔にかかるが、ウサギは目を細めただけで、そむけようとしない。
開いていた花が小さくなっていく。
やがて、線香花火は小さな玉になった。
「落ちるな……」
ウサギがつぶやく。
「まだ落ちたらアカン……」
三人は黙って玉をみつめる。
「落ちたら、みんなとお別れなんや。もうちょっとがんばってや」
ずっと花火がつづいてほしいとみんなは思った。
今日一日の思い出がつぎつぎに蘇ってくる。
やがて……。
小さな玉はスッと落ちていった。
周りはまた薄暗い闇に包まれた。
ウサギは暗くて表情がよく見えない三人を見渡して言った。
「ねえ、ウチが大人になったらまた会ってくれる?」
三人はウサギに驚いた顔を向ける。
「また、みんなと会いたいなあ。いつになるか分からんけど、また会ってみんなと遊びたい」
やがて、静かな広場にすすり泣く声が聞こえてきた。
子八木が泣いていた。
梶木が声をかける。
「子八木くんよお、なに泣いてんだよ」
「だって、アニキ。ボク、二十九年間生きてきて、女の人にまた会いたいと言われたのは初めてなんです」
佐井も泣き出した。
「子八木くんはいいですよ。私なんか、三十六年間生きてきて、女の人にまた会いたいと言われたことはないです」
梶木があきれていう。
「お前らなあ、たかが小学生の女の子にまた会いたいと言われたくらいで泣いてんじゃ、泣いてんじゃ、泣いてんじゃねえ。ウゥ……」
梶木もついに泣き出した。
三人はまだ肩からかけていた“わたしが一万人目の来場者です”と書かれたタスキで涙を拭いている。
夕暮れの空のもと、銀行強盗三人組の泣く声が広場に響く。
やがて、ウサギが立ち上がった。
「さあ、大人がいつまでも泣いてたらアカンで。まだ一仕事残ってるんやからね」
そう言って、お父さんの車の元へ走ると、手になわとびを持って戻ってきた。なわとびを
練習した後、バックミラーに丸めてぶら下げてあったものだ。
「アニキ、これでウチを縛って」
「えっ、ウサギちゃんにはそんな趣味があるのか?」
「違うわ! 小学校四年生でSMに目覚めたら、将来が怖いやろ!――ええから縛って!」
梶木はなわとびでウサギの体をぐるぐる巻いた。
「――痛ッ!」
「おお、大丈夫か。ちょっと緩めるか?」
「これでエエわ。これくらいキツイ方がエエ。そしたら、今度はウチをその辺に転がして」
「服が汚れるぞ」
「ちょっと汚れた方がリアルやし、気にせんと転がして」
ウサギは広場の入り口付近になわとびで縛られて転がされた。
わざと二、三回転がったので、トレーナーとジーンズが汚れている。
「ねえ、佐井くん、足元にウチの手提げバッグがあるやんか。その中に車のキーが入ってんねん」
佐井はバッグの中からキーを取り出した。
「あそこに白い車が見えるやろ。あれ、ウチのお父さんの車やねん。あれに乗り換えて逃げて。その方が安全やと思うし」
梶木が驚いて言う。
「家の車じゃダメだろ」
「もうすぐ買い換える予定やから大丈夫やねん。最後のドライブに行くつもりでガソリンも満タンに入ってるけど、新しい車で行った方がエエやんか。お父さんは思い出が詰ったあの車で行くて言うてるけど、ウチとお母さんは反対してたところやから、ちょうどエエねん」
佐井はキーを取り出すと、手提げバッグをウサギの頭のそばに置いてあげた。
バッグの中には、雑誌ガールズガールと付録のコンパクト、馬山牧場でもらった表彰状とタスキ、お母さんか両替するように渡された一万円札とニンジンを買ったおつりの八百四十二円が入っていた。――冒険の日の思い出の品々だ。
ニンジンは牧場の馬にあげてしまった。
人質になって連れ回されている間、どこかに落としたと言えばいいだろう。
「じゃあ、ウサギちゃんよお、いろいろと世話になったな。大人になったらまた四人で遊ぼうぜ。それまで元気で過ごすんだぞ。まあ、俺が言うのもなんだが、しっかり勉強をしておけよ。そうしないと、この二人みたいに知性の欠片もない大人になっちまうぜ」
梶木が佐井と子八木を指差して、明るくて大きな声で言う。
暗い雰囲気だったので、アニキはわざと明るく言ったのだとウサギは思った。
佐井も転がっているウサギを見て言った。
「ウサギちゃん、とても楽しかったです。ワゴン車からF1のカセットテープを持ってきたので、これをかけながら走ります。それと、お父さんの車がオートマで良かったです。自慢の運転テクニックが使えます。また、いつか……、一緒に……、ウゥ……」
佐井はまたタスキを握り締めて泣き出した。
子八木もまた泣き出した。
「ウゥ…。ウ、ウサギちゃん、とても勉強になりました。銀行のロッカーから盗んだスマホはちゃんと返します。料金着払いですけど。ウサギちゃんとやった線香花火は今までやった花火の中で最高の花火でした。ウゥ……」
「ホンマ、よう泣くなあ」ウサギはあきれている。「ねえ、アニキ、これからどこへ行くの?」
「ああ、北海道だ。俺はもともと北海道出身だし、子八木くんも住んでいたことがあるらしいし、佐井さんは一度北海道へ行きたかったらしいから、みんなの意見が一致して、そう決めたんだ」
「そうか。じゃあ、北海道の反対はどこ?」
「反対は……九州だな」
「九州には何があるの?」
「そうだな。阿蘇山だろ。桜島だろ。それと……」
「アニキ! 私はやっぱり芋焼酎ですね。あれをクーッとやりたいですね」
佐井がニコニコしながら言う。泣いたカラスがもう笑っている。
「お前は食い物のことになるとうれしそうだな。でもな、俺も芋焼酎には目がないんだ。明太子を肴にクーッとやりたいな」
梶木もうれしそうに笑っていた。
ウサギは寝転んだまま空を見上げた。きれいな夕焼けが出ていた。
明日も晴れそうなので、お父さんとお母さんにどこかへ連れて行ってもらおう。車はないけど、バスか電車で出かければええわ。新車が来るまでのガマンやな。
夕暮れの街に向かって、三人を乗せた白くて小さな車が遠ざかっていく。
ウサギはそれを寝転がって見ていた。
そのとき――。
お父さんがオプションで付けたサンルーフが開いて、黒い筒が出てきた。
ドン、ドン、ドン――。
そこからつぎつぎに花火が上がる。
バルカンフォーティだ。
あれだけ梶木に止められていたバルカン砲だったが、最後に許してもらったのだろう。
うれしそうに屋根から筒を差し出す子八木の顔が目に浮かぶようだ。
ドン、ドン、ドン――。
バルカン砲四十連発が夕焼けに舞い上がる。
オレンジ色の街に音が響く。
小さくなっていく白い車を見ながら、ウサギはつぶやいた。
「バイバイ、三人の悪党たち」
追いかけっこが終わった。
雌鹿はバイクにもたれて、街を見下ろしていた。
屋根から打ち上げ花火のようなものを吐き出して走っている白い車が見えた。何だろうと見ているうちに花火は終わって、車は遠ざかっていった。
そして、フルオープンにされた無線から、楽田本部長の緊迫した声が聞こえてきた。
「こちら特別捜査本部本部長の楽田だ。只今、人質を確保した! 繰り返す。只今、第八中央銀行熊山出張所強盗事件の人質になっていた宇佐木美月ちゃん、九歳を無事に確保した。
命に別状はない。少し服が汚れている程度だ。自宅のそばの広場の入り口で、縛られて、転がされている宇佐木ちゃんを、散歩中の老人が見つけてくれたらしい。そう、彼らは戻ってきたんだ。帰巣本能というやつだ。宇佐木ちゃんは少し疲れている様子だが、命に別状はない。犯人は人質を解放した後、まだ逃走を続けている。しかし、宇佐木ちゃんが犯人の有力な情報を聞き出してくれた。――みんな、よく聞くんだ。奴らは黒くて大きな車で南に向かった。九州に行って明太子を肴に芋焼酎で乾杯すると言っていたらしい。――分かったか、乾杯なんか絶対にさせるな!」
捜査本部のおてがらくんは、でかしたくんをはじめとする警察車両につぎつぎと指示を出していく。
「こちらおてがらくんの日辻見習いです。今から犯人の逃走経路を申し上げます!」
「はい、こちらでかしたくんの品場副本部長です。了解しました!」
「はい、こちらでかしたくんの樺代理です。了解しました!」
「はい、こちら特別応援団の木常団長です。了解しました!」
雌鹿の耳に無線の声が飛び交っている。遊軍で動いている雌鹿は自分の名前が呼ばれない限り、無線に出る義務はない。指示されない限りは、捜査のためにバイクでどこへ行こうと何を調べようと自由だった。
第八中央銀行熊山出張所強盗人質事件の犯人たち。
もらった情報では男性が二人、女性が一人らしい。強盗にしては変わった組み合わせだ。夫婦か兄弟が含まれているのかもしれない。そして、人質は小学四年生の宇佐木美月ちゃん。
彼らはまんまと現金の強奪に成功した。本来ならすぐに逃げるところを、あちこちに寄り道をしていた。最近名所となったパンダ岩に行って岩を見物し、馬山牧場に行って、子馬と菜の花畑を見て、ヘリコプターで遊覧飛行もやっていたという。
――なぜか?
なぜ、彼らはまっすぐ逃げなかったのか?
さらに――。
私が張り込んでいたトンネル。彼らはなぜあのトンネルを避けて、わざわざ細くて通りにくい横道に入ったのか?
さっき話していた、息子の悠くんの言葉。
“うーんと、パンダ岩に行きたい! クラスの子はほとんど行ってるんだよ”
“それと馬山牧場! 馬の赤ちゃんが見たい!”
行きたい。見たい。まるで悠くんのように。
行きたかったから行った。見たかったから見に行った。
そして、あのトンネル――。
ミステリーゾーンになっているトンネルを通らなかったのはなぜか?
――怖かったから。
幽霊が出そうで怖かったから。
行きたい。見たい。でも通りたくない。
彼らは本能の命ずるままに行動した。
まるで、無邪気な子供のように。
子供……。
そう、われわれ警察を翻弄していたのは、彼らではなく宇佐木美月ちゃんの方だ。
彼らは宇佐木ちゃんの言うとおりに行動し、結果的に警察が翻弄されたに過ぎない。
彼らは決して、楽田本部長の言うようなプロ集団でも知能集団でもない。ましてやドリームチームではない。
無線から楽田の声が響く。
「奴らは黒くて大きな車で南へ向かってる! 絶対に逃がすな!」
では、小学生の宇佐木ちゃんは共犯者なのか?
いや、違う。
お母さんの証言によれば、宇佐木美月ちゃんを銀行に行かせたのは偶然らしい。自分で行くつもりが急用で行けなくなったので頼んだという。だから、彼女が彼らと共謀して強盗を働くことは不可能だ。
宇佐木ちゃんはスーパーで買い物をしたあと銀行に寄った。そして偶然、彼らと遭遇して、人質に取られた。
しかし、彼らは宇佐木美月ちゃんを脅すこともなく、傷つけることもなく、紳士的に振舞ったのだろう。
お母さんが言う明るくて人懐っこい性格の彼女は彼らと仲良しになった。
そして、逃げる途中で、パンダ岩や牧場に連れて行ってもらった。
小学生の彼女に罪悪感はなかったのだろう。
一緒に遊んでいる感覚で、今日一日、彼らと過ごしたに違いない。
彼らと一緒に冒険を楽しもうとしていたのかもしれない。
そして、彼らは彼女を連れてこの街に帰ってきた。
――なぜか?
雌鹿は空を見上げた。太陽が沈みつつある。
明るい色でひろがっていた夕焼け空にも、暗い色がかかってきた。
理由は――暗くなってきたから。
早く帰らないと、お母さんに叱られるから。
これ以上、お母さんを心配させてはいけないから。
子供ゆえの単純な理由。
決して、本部長が言う帰巣本能なんかではない。
そして、彼らは宇佐木美月ちゃんを自宅近くで解放した。
そのとき、彼女は一日一緒に過ごして、すっかり友達になった彼らをどうするだろうか?
――逃がす。
きっと逃がすだろう。
どうやって? 小学生がどうやって警察を騙すのか?
ふたたび悠くんの声。
ご飯を一人で食べてと言ったらいやだと言った。
お風呂も一人で沸かしてと言ったらいやだといった。
できるのに、できないとウソをついた。
私を困らせようと、とっさについたウソ。
本当はできるのにできないと言った単純なウソ。
小学生でも思いつくウソ。
――逆だ!
「奴らは黒くて大きな車で南へ向かってる!」
そう、彼らは、
“白くて小さな車で北へ向かってる”
無線機から自分の名前が呼ばれた。
「雌鹿刑事応答せよ、こちら本部長の楽田だ」
「こちら、雌鹿です」
「今、どこだ?」
「第三見晴台です」
「南に向かってくれ。奴らは黒くて大きな車で南に向かっている」
雌鹿は後ろを振り向いた。北へつづく道が伸びている。犯人は北へ向かっているはずだ。
北へ向かう道は二つ。やがてそれは一つに合流する。今から追えば捕まえることができるかもしれない。スピード違反を警戒して、そんなに飛ばしてはいないだろうし、北部の狸穴警察署との連携も可能だ。
雌鹿は傍らに立つ道路標識を見上げた。
私は警察官。
誰も見てなくてもルールは守らなくてはならない。
「今から黒い車を追って、南に向かいます」
「暗くなってきたから、運転には気をつけろ」
「了解!」
雌鹿は銀色のバイクにエンジンをかけて走り出した。
風圧でUターン禁止の標識が揺れた。
爺ッ様こと山根はイチョウの木の上を見上げていた。カラスが一羽止まっていたからだ。カラス独特の警戒心を持ち合わせてはいないのか、山根の存在が目に入らないかのように、ずっとお地蔵さんの方を見つめている。
「残念だね。梶木さんがお供えしたミカンはもうないよ」
カラスはお供えのミカンをどこかに咥えて行っては戻って来て、結局、全部を持って行ってしまった。
(奴らは黒くて大きな車で南へ向かっている! 絶対に逃がすな!)
警察無線からは楽田本部長の大きな声が流れていて、それに応答する捜査員の声が錯綜する。
ふーん、南か……。
「ハハハ、宇佐木ちゃん、うまく騙したな」山根は一人で笑った。
この男も宇佐木美月の行動を読んでいた。子供の心理を読むことに長けているのだ。
“こちら、雌鹿です”
「おっ、雌鹿刑事の登場か」
山根は声から雌鹿刑事の容姿を想像していた。きっとライダースーツが似合う、名前の通り雌の鹿のような人だろう。たぶん、ボクを取り囲んだときにいたあの女性がそうなのだろう。ヘルメットで顔はよく見えなかったが。
そして、いかにも刑事といった感じだった楽田本部長の雰囲気も当たっていたし、その横にいた日辻見習いも思ったとおりの軽そうな人だった。
“今から南に向かいます”
「えっ、雌鹿刑事まで騙されちゃうわけ? なんだ、ちょっと失望しちゃったなあ」
山根は無線機から電柱に伸びているコードを引っぱってはずした。
たちまち、辺りに静けさがもどった。
ゆっくりと立ち上がってみる。腰痛はすっかり治っている。
梶木にもらった薬が効いたのだ。
「久しぶりに大学へ戻るかなあ」
――カア。
カラスが一声鳴いて飛び立った。
「カラスが鳴くから帰ろう……か。そうか、あのカラスには子供がいるのかもしれないな。だから、せっせとミカンを運んでいたんだな。――そうだなあ、ボクにもかわいい子供達が待っているからな」
そうつぶやくと、両手をあげて伸びをした。
山根直之。東仁大学教育学部児童心理学科三年。
明日、復学予定。
警察庁十三階にある人事課特別監査室の窓から見える景色は、いつ見ても感動がなかった。東京の無機質な街並みが広がっているだけだからだ。
部屋の中も味気なかった。色あせたブラインド。一般の職員が使っているのと同じサイズの室長机。それに、どこから手に入れたのか毛並みの悪い絨毯の上に、安物の応接セットが置かれていた。
ちょうど真上にある、要人をお出迎えするための部屋とはエラい違いだなと室長は思う。
しかし、監査室内に金をかけても何ら利益は生まない。仲間からも嫌われる仕事をする場所にはちょうどいいとも思う。だから、不吉な数字である十三階に設置されたのかもしれない。
監査室長はあまりクッションが効いていないソファーに座り、目の前で紫煙を燻らせている恰幅のいい男と話し込んでいた。
高卒の一行員から伸し上って第八中央銀行の頭取にまでなった男。五人の取締役が束になってもかなわない男。今までたくさんの顧客を獲得してきたと思われる柔和な表情の中に、ときどき鋭い光が走る。銀縁めがねの奥の瞳には、各支店の主だった業績数字をすべて記憶しているという自信の表れが見て取れる。
しかし、そんな男にも自分の力ではどうにもできないことがある。
乱暴なノックの音がした。
返事を待たずに、ジーンズにジャンパー姿の男がズカズカと入ってきた。
室長が立ち上がって言う。
「よお、どうだった、北海道旅行は?」
「ちょっと時期が早すぎたな。かなり寒かったぜ」
男は安っぽいソファーに、ドカッと腰を下ろした。
「まったく今回は大変だったぜ。予想外の連続だ。まず、雇った奴らがあの知性のない二人。それに、勝手に人質になってついて来た女の子。おまけに、本物の爺ッ様がシャシャリ出てくるわ、仮面ライダーが登場するわ、ヘリで遊覧するわ……」
「その知性のない二人はどうした?」
「昨日の夜が遅かったから、まだ札幌のホテルで四百万円の札束を枕に寝ているだろうよ。まあ、二度と会うこともないだろうがな。仲間は有能すぎてもダメだが、今回のようにバカすぎてもダメだな」
男はあきれた顔をすると、隣で黙ってタバコを吸っている恰幅のいい男の方を見た。
「ほう、こちらが頭取さんかい?」
頭取はゆっくりと男に頭を下げた。
「行員の中でこの計画を知っていたのは誰だい?」
粗野な態度の男に、頭取は嫌そうな顔をして答えた。
「次長だけだ」
「ああ、最初に叫んで逃げ出した奴だな。ありゃ、迫真の演技だったぜ」
「前日、自宅でかなり練習したらしい。まんまと支店長以下、行員全員を誘い出してくれたよ。もっとも、支店長が真っ先に表に飛び出すとは思ってなかったがな」
「ふん、どこかでモニターを使って観察していたってわけか。奴らはどうなるんだ?」
「客を置いて逃げたのだから、残念ながら次長以外は全員処分する」
「どうせ予定通りだろうよ。しかし、出張所の行員連中くらい、頭取の力でどこかに飛ばせんのか?」
頭取は灰皿でていねいにタバコをもみ消した。ひん曲がった吸殻がどこかへ左遷されるであろう行員のようだ。
「まあ、いろいろあってな。みんなは仕事をそつなくこなすのだが」
「だったら、いいじゃないのか?」
「そつなくこなすということは、大きなミスはしないということだ。何かきっかけがないと、一度に大人数の人事は動かせん。それにこれからは、そつなくではなく、期待以上の仕事をしてくれる人間が必要なんだ」頭取は新しいタバコに火をつけた。
「ああそうだ。頭取さんに土産をあげよう」男はジャンパーのポケットから、タスキを取り出して、頭からかけてあげた。
“わたしが一万人目の来場者です”
続いて、男は監査室長に視線を合わせた。「そっちはどうなんだ」
「署長は訓告処分。楽田、品場、樺、日辻、木常の幹部連中は更迭。動く捜査本部のCCは二台とも元のキャンピングカーに戻して売却処分だ」
「それも予定通りだな。一石二鳥の達成じゃねえか。まあ、予定通りとはいえ、俺たちに一千二百万円も払って、元は取れるのか?」
「ああ、支店長一人の年収だけでその二倍は越える」
「ほう。だったら、今回ターゲットにした奴らの年収を全部合わせると億単位になるんじゃねえか。一千二百万円は安すぎるな」
男はふたたびあきれた顔をしながら、ジャンパーの内ポケットから取り出したものをテーブルの上にポンと放り投げた。
――計画書。
ところどころ破れている計画書をパラパラめくりながら言った。
「今回のもそうだが、やたらと漢字が多くてかなわんな。それに、簡単なことをわざと難しく書いているとしか思えん」
「まあ、役所の仕事はこんなもんだ」
「それと、俺の役どころだけどな。“車より高い物しか盗まないことをポリシーにしている泥棒”って、なんだ? もっといいキャラクター設定にしてくれないか」
「それは役所仕事とは思えんほどユーモアがあるだろう」
男は無視してつづける。
「それに、あの真っ赤なオープンカーはなんだ? マンガの世界じゃあるまいし、あれで銀行強盗はないだろ」
「まあ、そう怒るな。あれは黒かった事故車を赤く塗装したんだが、予算の関係でああなったんだ。警察の予算が厳しいことはアンタもよく知っているだろう。――さてと」
室長は少し腰を浮かすと、横にある机の一番上の引き出しに手を伸ばして、ペーパーナイフを取り出した。
そして、計画書の最後のページの袋とじを切って開けた。
“当計画は関係者全員の署名をもって完了とする”
監査室長は胸ポケットから万年筆を取り出すと、サラサラとサインをした。
つづいて第八中央銀行頭取も高級そうな万年筆でその横にサインをする。
最後に男がポケットから新品の筆ペンを取り出した。
「またそれか……」室長がからかう。
「筆ペンで書くと、字がうまいように見えるし、やっと大切な契約が終了しましたって感じがするだろう」
「ふーん、そんなもんかね。――なに、アンタはまだ梶木という苗字を使っているのか?」
「仕事がうまくいくようにゲンを担いでいるんだ」
男は自分のサインを満足そうにながめながら、筆ペンのキャップを閉じた。
「いろいろあったが、とりあえず成功ということで、しばらくの間、ゆっくりさせてもらうぜ」
室長はふたたび引き出しに手を伸ばして言った。
「そうはいかん」
「なんでだ?」
テーブルの上に新たな計画書が置かれた。
「来週から西へ飛んでくれ」
「ふん、人使いが荒いな。今度の相手はどこだ?」
「ボンクラの署長と副署長。それに警備会社の専務を切ってもらいたい」
「銀行とのコラボが終わったと思ったら、今度は警備会社とのコラボか。こんなことをしないと組織が活性化できないとは、世知辛い世の中になったもんだな」
男は新品の分厚い計画書を手に取ると、乱暴にドアを開けて出て行った。
頭取はまた嫌そうな顔をして男を見送った。
意味の分からないタスキはかけたままだ。
そして、完了した旧計画書を引き出しに仕舞っている監査室長に訊いた。
「あの男は、さっきゲンをかつぐと言っていたが、梶木という苗字は幸運でも呼び込むのかね」
「ははは。梶木というのは、奴が警官になって初めて捕まえた強盗の苗字だ」
「なに、あいつも警官だったのか!」
「あれでも元警官だ。警察官から泥棒に転職しやがった」
頭取の指からタバコが転げ落ちた。
「転職だと!? ビズリーチに紹介してもらったのか?」
「まさか」
(了)