追いかけっこは夕暮れまで ~中編~
前編からのつづき。
サイは目を輝かせながら言った。
「母のお弁当もおいしいですが、このお弁当もおいしいです。やっぱり高級料亭のお弁当だけのことはあります」
「八千円ということは一人前二千円か。俺なんか、いつも五百円のコンビニ弁当だから、四倍もするんだな」
「はあ、ボクも二千円のお弁当なんか食べるのは初めてです」
ウサギが三人を見回して言った。
「みんな、勘違いしたらアカンで。四つで八千円やなくて、一つで八千円やで」
「エ、エーッ!」三人の驚きの合唱がロビー内に反響した。
カジキは箸を止めて、お弁当を見つめる。
サイは目をつぶって、お弁当に手を合わせる。
コヤギはバッグの中から黒い筒を取り出した。
「おい、コヤギ、なにやってるんだ!」カジキが怒鳴る。
「はあ、八千円もするとは思いませんでしたので、パーティースパークでは失礼だと思いまして、四十連発のバルカンフォーティを……」
「だから、バルカン砲はやめろって言っただろ! こんな所でブチ上げると、スプリンクラーが反応して、弁当が水浸しになるだろ」
「はあ、そうですね。フヤけたらおいしくないですね」
コヤギは恨めしそうに天井に取り付けられたスプリンクラーを見上げて、名残惜しそうにバルカンフォーティをバッグにしまった。
ウサギはお弁当を食べ終えると、トイレの洗面所に行って、口の中をすすぐと、鏡で顔と全身をチェックした。
お弁当はおいしかったなあ。やっぱり高級料亭は違うなあ。玉露は子供にはちょっと苦かったけど。でも、こうやって、しょっちゅう鏡のあるところに来るのはめんどくさいなあ。
でもなあ、キチンとせんとお母さんに叱られるしなあ。
そう思いながら、洗面所に備え付けの紙で手を拭いて、自分のハンカチで口元をぬぐうと、また銀行のロビーに戻った。
二つのお弁当を食べ終えて満足そうなサイがウサギに訊いてきた。
「あのう、人質に取って、こんなことを言うのは変ですが、お母さんが心配してませんか?」
「そんなん大丈夫やで。心配してはるかもしれんけど、なんか、めっちゃ楽しいし、今日は冒険の日て決めてん。そやし、もうちょっと遊んで帰るわ」
「しかし、銀行にいたということは何か用事があったんでしょ」
「そうやねん。お母さんにニンジンを買ってくるように言われたんで、スーパーに行って、これ買うて」ウサギはソファーの上に置いてあった手提げバッグを見せた。「この中に一袋百五十八円のニンジンが入ってんねん。あっ、サイくん、食べたかった?」
「いや、生のニンジンはちょっとあれでして……」
「ほんで、両替をしてくるように頼まれたんで、銀行に来たんやけど。そしたら、そこに三人の強盗がおって、捕まってしもて……」
ウサギはそう言って三人を睨みつけた。
三人は申し訳なさそうな顔をした。
「エヘヘ、冗談、冗談。気にせんといて。ウチは全然平気やし。さあ、食後の運動でもしよかな。あっ、サイくんとコヤギくんも一緒になわとびの練習する?」
「えっ、いえ、私は……」
「あの、ボクも……」
「二人ともやれよ。ヒョロヒョロの五右衛門と、メタボな次元じゃ、モテねえぜ」とカジキが茶化す。
「じゃ、アニキ、七重跳びを見せてえな」と、ウサギが言う。
「えっ、ああ、七重跳びはな、タダじゃ見せねえのよ」
「それは残念やなあ」
七重跳びなんかできるわけないと疑っているウサギはニヤニヤして答えたが、なわとびの練習をしたら、また汗かいて、トイレの鏡のところまで行かなアカンし、面倒やなあと思った。
それと、顔と身だしなみのチェックもせなアカンしなあ。あーあ、どこかに手鏡はないかなあ。コンパクトはもっと大人にならんと買うてくれへんみたいやし。
えっ、コンパクト?
あっ、そうや! 今日は二十五日や!
「ねえ、アニキ、お願いがあるんやけど」
「おう、何だい。ウサギちゃんには、いろいろと世話になってるから、聞いてやるぜ」
「ガールズガールを買うてほしいねん」
「なんだ、そのカンガルーってのは?」
「動物と違うわ! 今日発売の雑誌やねん。アニキ、知らんの? ウチらの間では、めっちゃ、人気がある本やで。それにな、付録が付いてんねん。ほんで、今月号の付録がコンパクトやねん。それがほしいんやけどなあ」
「なんだガキの本かよ。それをまた拡声器で頼めと言うのか」
「でもな、アニキ、聞いてよ。その中に載ってるマンガも人気があるんやで。一番人気は、“それから恋して”ていうマンガやねん。ウチのクラスの男子も、そのマンガだけは読んでるくらい人気があんねん」
コヤギが興味深そうに訊いてきた。
「それはどんな話ですか?」
「あのな、一人の女子高生がいたんやけど、病気で死んでしもて、恋人の男子高校生が残されたんやけど、その女子高生が幽霊になって会いに来んねん。そやけど、四十九日間しかこの世におれへんから、もうあの世に行かなアカンねん。ほんで、いよいよそのお別れの日がやって来たんやけど、二人はどうなるか、今月号にそれが載ってんねん」
コヤギが推理した。
「ボクは最後にその女の子が蘇ると思います。打ち上げ花火のときも、よくあるんですよ。もう終わりかなあと思っていたら、まだもう一発残っていて、びっくりしたということが。それと同じシーンが展開されると思いますよ」
サイも話し出した。
「いや、私は涙、涙のお別れだと思います。まるでアイルトン・セナがこの世を去っていったときのような悲しい別れが待っていると思います。忘れもしない一九九四年五月一日。うぅ……」
アニキも割り込んできた。
「サイさんよお、メタボな顔面で泣くなよ、気味悪い。――まあ、俺はその男も死んじまって、あとを追いかけると思うぜ」
サイが涙をぬぐって反論した。
「でも、アニキ。昔の心中物じゃないんですから、今時そんなもの、はやりませんよ」
「なんだと! だったら読んで確かめてみようじゃねえか。おう、ウサギちゃん、拡声器を頼むぜ!」
ラクダ本部長はお弁当を差し入れしてから、何の動きもないことにしびれを切らし、窮屈なパトカーから外に出て、体操をしていた。うまい具合にお昼のラジオ体操の時間だった。
「まったく、奴らは何をやってやがるんだ。さっさと出てきて逃げやがれ。地獄の果てまで追いかけて行ってやるからな。――オイッチニイ、サンシッ、ニイニイ、サンシッと」
「本部長!」
「おう、カバ副本部長代理か。キミも体操をやったらどうだ。――オイッチニイ」
「いえ、自分は朝にやってきましたから」
「朝やったから、昼はやらないのではダメだろ。――サンシッ」
「昨日の昼はやりましたけど」
「昨日は昨日、今日は今日だろ。――ニイニイ」
「では、今日の夜にやります」
「だから、一日三回やらんとダメだと言ってるだろ。――サンシッと」
「はい、そうします」
「そうしたまえ。――ところで何か用か?」
「はい、犯人が何かを要求してます」
「バカ者! それを先に言わんか!」
“オマワリさーん、ガールズガールという雑誌を差し入れしてー! 断ったら、犯人が手榴弾を爆発させるて言うてるー。めっちゃ、怖いよー!”
警官たちはあわてていた。
ガールズガールという雑誌を誰も知らなかったのと、手榴弾を所持していることが新たに判明したからだ。
「ライフルにナイフに手榴弾だと! なんてことだ。奴ら、どれだけの武器を揃えてやがるんだ。――プロフェッショナル集団か。いろいろとやってくれるじゃないか」
ラクダ本部長はくやしくて地団駄を踏み、カバ代理に手榴弾を使った過去の犯罪をすべて洗うように命じた。
手榴弾を使うとは、やはり自衛隊員くずれか、それとも外国人兵士くずれか。
そうか、外国人ということも考えられるな。あの紙に書かれたヘタな金という字といい、さっきの拡声器のしどろもどろの話し方といい、日本人じゃないかもしれん。
そうだな、三人組の中に外国人が混じっている可能性もあるな。
ラクダはカバに不良外人の調査も命じたあと、走り回る警官とともに、銀行周辺を見渡した。
この銀行は個人的にもよく利用していた。給与の振込みもここにしていたので、月に二、三回は訪れていた。
こんなにたくさんの警官さえいなければ、よく見ているいつもの風景だ。
近年、銃器類を使った犯罪が日本でも増えてきている。手榴弾まで飛び出すと、いったいここはどこの国だろうかという錯覚が起きてくる。
しかし、ここは日本だ。しかも戦時中ではなく、間違いなく現代の日本だ。
ガールズガールについては署の若い婦人警官に訊いて、どういう雑誌かは分かったので、近くの本屋に二冊買いに走らせた。
一冊は差し入れ用に。もう一冊はなぜこの本が必要なのかを熟読して解明するために。
「これがガールズガールか」
ラクダが本を手に取ると、横からカバ代理が銀縁メガネを指で上げながら覗き込んできた。
「なんの変哲もない子供向けの雑誌のようですがね。何でも、毎号付いている付録に人気があるようです」
「おお、そうか。今月号の付録は……」
ラクダが輪ゴムをはずして分厚い本をめくると、付録が挿んであった。
「何だこれは。コンパクトか?」
「そのようですね。この説明書によりますと、コンパクトに自分の顔を映して呪文を唱えると、希望の人に変身できるようです。――ああ、これは昔、テレビのアニメでやってましたね」
「その呪文というのは、どういうものだ」
「確か、テクマク マヤコン テクマク マヤコン と言ったと思います」
「よしっ、その呪文を科学警察研究所の暗号解読班に回せ!」
「いや、あのう、本部長。これはアニメに出てきた単なる呪文ですが」
「カバ副本部長代理! 奴らを甘く見てはいかん。今までどれだけ警察を翻弄してきたか、キミも分かってるだろう。きっとその呪文には何か恐ろしい秘密が隠されてるはずだ」
「いや、しかし、この呪文はうちの娘もよく言ってまして、このコンパクトも似たようなものを持ってましたけど」
「で、希望の人に変身できたのか?」
「いや、そんなことはできませんけど」
「そのコンパクトはニセ物じゃないのかね」
「ニセ物、本物という意味ではなくて、もう少し犯人の出方を見た方がいいと思いますけど」
「そうか、副本部長代理のキミがそう言うのなら、もう少し待ってみるか。――その前に、わしが解読してみよう」
ラクダ本部長は“テクマク マヤコン”と紙に書いて、しばらく考えてみた。
そして……。
「分かった! カバ代理、これはアナグラムだよ」
「えっ、アナグラムといいますと、文字を入れ替えると、違う文章になるという……」
「そうだ。しかし、奴らときたら、どこまで我々をバカにするんだ。見ろ、これを!」
ラクダはいろいろと書き込んで、真っ黒になっている紙を自慢げに見せた。
その隅に回答らしきものが載っていた。
テ ク マ ク マ ヤ コ ン
↓
ク マ ヤ マ コ ク テ ン
「クマヤマコクテン、くまやまこくてん、熊山黒点。つまり、我々の熊山警察署が黒星を喫する。負けてしまうという意味だ!」
解説を聞いたカバ代理は困った顔をした。
「あのう。それはこじつけじゃないでしょうか」
「何! これを思い付くまで、何分かかったと思っているんだ。しかし、こんな複雑なメッセージを作成するとは、強盗のプロ、火薬銃器のプロ、車のプロ。この三人の中に言語学のプロがいるはずだ」
ますます困ったカバ代理であったが、科学警察研究所の暗号解読班に届けなくて良かったと思った。
静かな銀行のフロア。長い間鳴っていた電話も切れてしまい、机の上に置かれたパソコンのファンの音と天井にはめ込まれたエアコンの音だけが、かすかに聞こえる。
閉じ込められた三人組の強盗は、黙ってウサギを取り囲んでいた。
差し入れされた少女雑誌ガールズガールの人気連載マンガ“それから恋して”をウサギが読んでいたのだ。ソファーに座ったウサギがページをめくるたびに、中腰でのぞきこんでいる三人の顔も動く。最終ページを読み終えて、ウサギは満足そうな顔をした。
「まさか、こんなことになるとは思ってもみいひんかったなあ」
病気で死んでしまった女子高生の幽霊との最後のお別れに男子高生はどうなるのか。
コヤギ・女の子がよみがえる。
サイ・普通にお別れが待っている。
カジキ・男の子も死んでしまう。
しかし、三人の予想は、すべてはずれた。
男子高生がタイムマシンで過去に戻って、女子高生を助けるというとんでもない展開になっていた。
「なんだこれは。ホラーからSFに変わったじゃねえかよ」カジキが怒り出した。「どうせ、最後は女子高生が助かって、めでたし、めでたしだろうよ」
それをサイがなだめる。
「アニキ、そんなに怒らないでくださいよ。――私はタイムマシンの故障で、ジュラ紀あたりに到着して、恐竜に追いかけられるという話になると思いますが」
「今度は恐竜の登場かよ」
コヤギがボソッと言った。
「ボクは全部、夢だったというラストだと思います」
またカジキが怒り出す。
「夢オチなら、元も子もねえじゃねえかよ!」
「その方が現実的ですし」
「現実的じゃ、マンガはつまらなくなるじゃねえかよ」
「しかし、いきなりタイムマシンというのは」
「いいじゃねえかよ、夢があってよ。これは少女マンガなんだぜ」
また、サイがなだめる。
「まあまあ、アニキ、そう怒らないで。――では、男の子がF1レーサーになって、女の子がレースクイーンになるっていうのはどうです?」
「うるさい!」
ウサギは、三人の大人が少女マンガの先行きをめぐって真剣に議論しているところを、付録のコンパクトで顔のチェックをしながら聞いていた。
こうやって顔も見れるし、マンガも読めたし、一石二鳥やなあと思いながら。
「でも、アニキ。ウチらの予想とは全然違う話しになるかもしれへんで」
「おう、そうだな。ホラーからSFにきて、次はミステリーになるかもしれんしな」
「まあ、来月が楽しみになったし、エエやんか」
「おう、そうだな」
カジキは、おうおうと言いながら、ガールズガールの別の連載マンガを読み始めた。
それを見たウサギ。
「このマンガはウチのクラスの男子にも人気があるけど、大人の男子も熱中するとは思わへんかったわ」
ヒンバ副本部長からラクダ本部長に無線連絡が入った。
「本部長! 人質になっている女の子の身元が判明しました」
「何! よくやった」
「捜査員が、きりんや本店の近くの聞き込みをしていて、その子のお母さんを見つけたそうです。小学四年生になるお子さんが、おつかいに行ったまま帰って来ないということです。なんでも、だんなさんの仕事の都合で、関西からこちらに引っ越してきたばかりで、その子も関西弁を使うそうですから、間違いないと思われます」
「それで、犯人からの連絡は入っているのか?」
「いえ、それはないそうです。お母さんが言うには、ごく普通のサラリーマンの家庭で、これといった資産もなく、恨まれる覚えはないそうです」
「そうか。では、その子をねらっての犯行ではないんだな」
「はい。スーパーへ買い物に行って、帰りに銀行へ両替をしに行くように頼んだそうです。それも急に思い立って、頼んだおつかいだそうです」
「おつかいに行くことを事前に知っていた者はいないということか」
「はい。それと、銀行内にいた目撃者の話によると、両替の機械が混んでいて、その子は、順番が来るまで銀行のフロアの奥の方に飾ってあった絵を見ていたそうですから、誘拐という線はないと思われます」
「つまり、絵を見ているうちに偶然、三人組みの銀行強盗が入ってきて、鉢合わせたということだな」
「はい、どうやらそのようです」
「まだ四年生か。お母さんも心配だろうな」
「明るくて、人懐っこい性格の子らしいです」
「そうか、犯人たちが危害を加えなきゃいいがな。その子の親御さんには、警察が必ず救い出すから、心配はしないようにと伝えてくれ。それと、その子の名前は?」
「ウサギちゃんです」
ラクダ本部長はいらだたしげに無線機を置いた。
ウサギちゃんか。
それにしても、腹が立つのは十五人の銀行員だな。客の誘導もせず、さっさと自分たちだけで、逃げてしまったのだからな。しかも、残された小学生の女の子が人質に取られたのだから、彼女の身に何かあったら責任問題だ。
一緒に逃げて来た客がそんな行員に憤慨しながら、警察に状況の説明をしていた。
「あの人たちは客の私たちより先に逃げて行ったのですよ。支店長と次長が一位と二位を独占ですよ。お巡りさんからもちゃんと言っておいてください」
あいつらは日頃から、お客様第一主義だとか偉そうなことを言いながら、結局は自分第一主義じゃないか。非常ボタンを押して、強盗を閉じ込めましたと自慢げに言っているようだが、人質も一緒に閉じ込めたんじゃ何の意味もない。
いっそのこと、そのまま金を奪って逃げてくれた方がよかった。こんな田舎町だ。入り組んだ道路もなく、隠れる場所もない。あんなに目立つな真っ赤なスポーツカーだから、確実に捕まえられただろう。
しかし、奴らはプロ集団だ。裏の裏をかいてくるかもしれん。
ラクダはふたたび無線を取り上げた。
「ヒンバ副本部長。念のため、ウサギちゃんの家に警護の者を付けて、電話も傍受できるようにしておいてくれ」
コヤギは、行内のロビーと裏を行ったり来たりしているウサギを見ていた。
ウサギちゃんはもう、なわとびの練習はしないのかなあ。さっきは湯飲みを運んでいたと思ったら、今度はきりんやのお弁当箱を重ねて運んでいるし、何をやっているのだろうなあ。
サイさんは、行員から無理矢理買い取ったF1ミニカーを手に持って、ソファーの上を走らせて遊んでいる。
「ブーン、ブーン。アイルトン・セナ様のお通りだぞ~」
なんだか、無邪気でかわいいけど、今は強盗の最中なんですけどねえ。
カジキのアニキは計画書をせっせとめくっていたと思ったら、今度は腕を組んだまま天井をにらんで動かないし、こっちも何を考えているのか分からないなあ。
金魚花火はやり終えたし、パーティースパークはもうないし、新しい花火をやろうと思ったら、アニキに止められたし、これからどうなるのかなあ。
「ねえ、ウサギちゃん、さっきから何をしているのですか?」
一仕事を終えてソファーに戻ってきたウサギは、フウとため息を一つ付いて言った。
「さっきのお弁当箱と湯飲みを洗てたんやで」
見てみると、入り口の脇に、きりんやのお弁当箱と湯飲みとポットがきちんと置かれていた。
「へえ、ウサギちゃんはしっかりしてますねえ」
「もう四年生やから、これくらいは当たり前やで。また勉強になった?」
「はあ、十分なりました」
ウサギはサイの方を向いて言った。
「ねえ、サイくんのお弁当箱と一リットルのペットボトルも、ちゃんと洗っといたで。こうやっとくと、サイくんのお母さんも助かるやろ?」
「ブーン、ブーン。キーッ!」
セナ様が急停車した。
「えっ、ウ、ウサギちゃん、やさしすぎます。うぅ……」
「サイくん、泣きすぎやで。男の子なんやから、もっと強くならんとアカンで」
「は、はい!」返事だけはよかった。
そのとき、カジキがテーブルの上に広げていた計画書をぱたんと閉じると、みんなを見渡して言った。
「さてと、次の作戦に移るぜ」
「えっ、まだ何かあるのですか?」
「あのなあ、コヤギ。この銀行のロビーで一生を終えるつもりか? もう二度と打ち上げ花火はできないぜ」
「それだけは絶対にいやです」
「そうだろ。今からここを出るからな。――さて、サイさんよお、いよいよ出番だぜ。車で脱出して、アンタの腕で警察車両を振り切るんだ。そのために高い金を払って雇ったのだからな」
サイはF1ミニカーを大事そうにバッグにしまうと、元気に答えた。
「はい、車のことならこの私にお任せください!」
「銀行の前に停めてある車じゃ、目立ちすぎるからな。違う車を頼んでくれ。もちろん、オートマだぜ」
そう言うと、カジキはサイに拡声器を渡した。
はい! と大きな声で気合を入れたサイはカーテンを少しだけ開けて、拡声器を窓から突き出した。
ラクダ本部長は、銀行の正面玄関に停めた濃い緑色の地味な国産車のそばに立っていた。犯人のために用意されたものだ。しかし、この車でみすみす奴らを逃す手もない。カバ副本部長代理に頼んで、分からないように細工をしておいたのだ。
「本部長、どうです。どこに細工をしたか分からないでしょう」とカバ代理が自慢げに言う。
「実はですね、このボンネットを開けると、ほら、発信機が付いてるんですよ」
ギギーッ。
「こらっ、カバ代理! こんなところで開けると、犯人にバレるじゃないか」
「わっ!」
カバ代理はあわてて、ボゴン! とボンネットを閉じた。
「もっと集中したまえ!」
「すいません。しかし、これはGPSを使った最新鋭の発信機でして、奴らがどこへ逃げても、すぐに追いかけられますのでご安心ください。それと、遠くへ行けないように、ガソリンを四分の一しか入れてません」
「ほう、いい案だな。この車に乗った犯人を二台のCCで挟みながら移動する。ガソリンが切れて止まったところを御用というわけだな」
「はい、この街を出る前にガス欠になるでしょうから、われわれの所轄内で捕まえることができます」
「よしっ、すばらしい作戦だ。隣の狸穴警察署の世話にだけはなりたくないからな。こんなチャンスはもう二度と巡ってこないだろう。全部、熊山警察署の手柄にして、全員出世させてやる。よそにおいしい所を取られてたまるか」
振り返ると、警察車両の周りをマスコミ陣が取り巻いていた。
「あいつらも追ってくるだろうからな。全国にわれわれの手柄が報道されるわけだな、カバ代理」
「そうですね。一応、報道規制はかけてますが、その辺は臨機応変、放映してもらいましょうかね」
「そうしてくれたまえ。一世一代の晴れ姿だからな」
“警察関係者各位殿。お忙しいところ、たいへん申し訳ありませんが”
拡声器から声がした。
カジキはあわててサイを止めた。
「おい、言葉遣いがていねいすぎるだろうが! 俺たちは強盗犯だぜ」
「そうですか。では、もう一度。――こらっ、ポリ公! 逃走するための車を用意しなさい。できれば、真っ赤なフェラーリにしてね」
「サイ、何を言ってんだ。お前はそんな繊細な車を運転できるのかよ」
「はい、何度か動かしたことがあります」
「何! そうか」
「はい、六万点も取りました!」
「それはゲームだろうが! 俺と代われ!」
カジキはサイから拡声器を奪い取った。
「えーと…、あのう…、そのう…」
「ちょっと、アニキ、なに言うてんの!」
ウサギが割り込んできた。
「また緊張しちまって……」
「ウチが話す!」
ウサギが拡声器を奪い取って話し始めた。
「オマワリさーん。犯人が車を用意しろて言うてる~。できたら、あんまり目立たへんオートマの車がエエて言うてる~」
ラクダ本部長は歓喜した。
「聞いたか、カバ代理! われわれの読みどおりだ。奴らは車を乗り換えて逃げるつもりだ」
カバ代理もうれしそうに小さい目を輝かせている。
「やりましたね。まんまと罠に引かかりそうですね」
「わざわざ地味な国産車を持って来た甲斐があったというもんだ」
「署の駐車場の片隅に放置していたボロ車が役に立つとは思いませんでしたよ」
「しかも、うまい具合に用意したのはオートマ車だからな」
「では、この街を出る前に奴らの運は尽きるというわけですねえ」
「そうだ。隣の街の姿は拝めないということだ」
“それとな、オマワリさーん、犯人が車に変な機械を付けるなて言うてる~。ガソリンも満タンにしておけと言うてる~。警察は追いかけてくるなと言うてる~。オマワリさんの姿を見たら、ウチを手榴弾でバラバラにするて言うてる~。怖いよ~”
銀行前で、ラクダとカバは顔を見合わせた。
「どういうことだ?」
「こちらの作戦が読まれてます」
銀行内で、カジキとサイは顔を見合わせた。
「よく気が回るな」
「ウサギちゃんは天才です」
地団太を踏んだラクダは無線を取って指示を出した。
まったく、今日何度目の地団太だ。警察をバカにするにもほどがある。
あいつらはわしが捕まえる。
これ以上地団太を踏んで地球が地割れする前に、絶対捕まえてやるからな!
「ヒンバ副本部長! カバ副本部長代理と一緒にCC二号機がすぐに出発できるよう、準備をしておいてくれ。行く先は奴らが右折禁止の交通標識を守るとして、北部方面だ。奴らが出たあとに、捜査本部を置いたCC一号機で追いかける。――作戦通り、挟み撃ちだ!」
発信機を取り外して、ガソリンを満タンにした緑色の国産車が、銀行の正面玄関に横付けされた。
行内ではカジキがロビー内を見渡していた。防犯カメラと目が合ったが、とっくにスイッチは切っていて、それ以前に録画されたハードディスクはありがたく頂戴して行く。後で破壊するつもりだ。
「忘れ物はないだろうな。俺たちの身元が分かる手がかりを残すんじゃねえぞ」
「はあ、現金が入った袋も花火も持ってます」とコヤギが言う。
「はい、F1ミニカーも持ちました」とサイが言う。
「ウチも手提げバッグ持ったで」とウサギは、ニンジンとガールズガールとコンパクトが入ったバッグを振り回すと、外に出られるのがうれしいのか、またピョンピョンはねだした。
「ドライブ、ドライブ、楽しいな~」と歌を歌って、水槽を覗き込んでいる。
「金魚さん、バイバーイ! 今からウチら、ドライブ行くねん」
カジキは四、五回深呼吸をして、拡声器を手に持った。
ソファーに座り込んで、天井をにらみながら、ずっと考えていた作戦を実行するつもりだ。
「おい、警察! よく聞け。俺たちが出て行くところをマスコミに撮らせるんじゃねえぞ。といっても、パパラッチもいるだろうからな。念のため、銀行前に停めてある赤いオープンカーに積んであるブルーシートを広げて、俺たちが車に乗り込むところを隠すんだ。――分かったな!」
ラクダ本部長は双眼鏡で拡声器と赤い車を交互に見ていた。
「くそっ、そんな物まで用意してやがったのか。さすが強盗のプロだけのことはある。――そうだ! カバ代理、いいことを考えたぞ。そのブルーシートの内側を歩いている犯人の上から網をバサッとかぶせて、文字通り、一網打尽にするというのはどうだ」
「それは名案ですね! ライフルの照準を合わせているヒマはないし、手榴弾を破裂するヒマもないでしょう」
「ウサギちゃんには少し怖い思いをさせるかもしれんが」
“では、そのブルーシートを持つ奴らを発表する”
ふたたび拡声器から声がした。
「何だと! 奴らはわれわれの人事まで把握しているのか!」
“第八中央銀行熊山出張所から真っ先に逃げた行員三名だ。顔は全員分かっているからな。警官を潜り込ませても無駄だ”
「行員にやらせろというのか。犯人の要求を人質に話させて、弁当の配達を店の人にやらせたと思ったら、今度は銀行員を利用するとは、どこまで用心深い奴らなんだ。――うーん、さすがは頭脳集団だ」
ウサギはカジキがまた緊張してしゃべれなくなるのではと思って、横に立っていたが、ちゃんと要求を言うことができた。
「アニキ、やればできるやん。それと、お客さんとウチを放っておいて逃げ出した銀行員を使うなんて、最高のアイデアやんか」
「そうだろ。ずっと考えていたからな」
ウサギは自分の全身をながめながら、残念そうに言った。
「でもなあ、写真を撮られるんやったら、もう少しエエ服を着てきたらよかったなあ」
コヤギがウサギをなぐさめるように言った。
「そのジーンズ姿はよく似合ってますよ」
「えっ、ほんま? よかった。じゃあ、あとは顔やなあ」
ウサギは付録のコンパクトを手提げバッグから取り出して、顔のチェックをはじめた。
サイはブーンブーンと言いながら、ハンドルを切るマネをしている。
それを不思議そうに見ているカジキ。
「サイさんよ、何をやってるんだ」
「はい、運転のシミュレーションです!」
「はあ? おい、大丈夫かよ。ちゃんと警察を振り切るんだぞ」
「はい! オートマ限定ゴールド免許と六万点の腕前をお見せしますよ」
熊山署で事情聴取を受けていた十五人のうちの三人の行員が、まもなく銀行前に集められた。
客を見捨てて逃げたことはマスコミを通じて、すでに世間に知れ渡っていた。銀行の本社にはクレームが殺到していて、広報部がその対応に追われているらしい。夕方には頭取をはじめとする役員たちの記者会見が開かれる予定だった。
しかし、その失われた信用を挽回するチャンスが巡ってきた。ライフルや手榴弾を所持した強盗団が脱出するときに、ブルーシートを持って覆い隠すようにとの要請を警察側から受けたのだ。犯人側から、そうするようにとの要請があったらしい。
そして三人は犯人が人前で発砲はしないだろうとの見解の元、防弾チョッキではなく、防刃チョッキを着せられて、待機していた。
支店長が持つスマホには頭取自らが電話をかけてきた。
「全国の人々が見ている。失墜した信用を取り戻す機会だ。三人ともしっかりと大任を果たすんだ」
支店長、次長、女子行員は緊張した表情で広げたブルーシートを両手で持ち、犯人が出てくるのを待っていた。
コヤギは裏から持ってきた脚立の上に乗って、すべてのカーテンをはずし始めた。たちまち、銀行内に光が入り込み、明るくなる。そこへリュックから出した大量の花火を仕掛けていく。窓の上の部分には設置されたいくつもの花火がぶら下がっていた。
それを見上げながらウサギが訊いた。
「コヤギくん、大丈夫? 脚立を持っててあげよか?」
「大丈夫ですよ、これくらい。すぐに済みますから、安心して見ていてください」
コヤギは肩にかけた花火を順番にほどいて、手際よく壁に貼り付けていく。
たちまち窓がぶら下がった花火で隠れていく。
「コヤギくんは花火のことになると元気が出るなあ」
「この花火をウサギちゃんに見せられなくて残念です。でも、もう一つの仕掛けは見ることができますよ」
「えっ、何それ?」
「それは後のお楽しみです」
ウサギは取り外されたベージュ色のカーテンを丸めて、隅に置いた。
何枚ものカーテンが重なって、たちまち山になった。
「ヤッホー!」
ウサギが山に向かってダイブした。
やがて電動シャッターがゆっくりと上がり始めた。
遠くのビルの屋上からは、報道規定を無視したマスコミの望遠レンズが狙っている。
ラクダ本部長はカバ代理と並んで、この風景をイライラしながら見ている。犯人がすぐそこを歩くというのに捕まえられない苛立ち。
横には裏口を見張っていたヒツジ見習いも来ていた。裏口にはもう用はない。犯人たちは堂々と正面玄関から出て行くことになったからだ。
広げられたブルーシートにはなぜか、ちょうど人の頭くらいの大きさの穴が三ヶ所開いていた。
カジキがオープンカーの上からかぶせたときに、そこから顔を出して、前が見られるようにと、開けておいたものだ。まさか警察側はそんなことのために穴が開いているとは思ってもいないだろうが、ラクダ本部長はその穴から何とか犯人の情報がつかめないかと、目を凝らして見つめていた。
犯人の身元はまだ割れていない。三人の内、一人は声からして、中年の男だと分かった。そして、先ほどフェラーリを持って来いとふざけたことを言っていた奴がいる。こいつも
声からして中年の男だ。残る一人の情報がほしいところだが。
自動ドアが開き、犯人たちが外に出てきた。
人質のウサギを含めた四人が銀行に横付けされた車にゆっくりと向かう。
「写真班! いいか、あの穴から奴らの写真を撮れ!」
ラクダが命令を下す。
帽子のツバを後ろ向きにしてかぶっている捜査員がカメラをかまえた。
そのとき――。
シュー、シュー、シュー。
どこからか、いろいろな色の煙が噴き出して、たちまち犯人たちを包み隠した。
「おい、どうしたんだ。なんだこの煙は?」ラクダがうろたえる。
写真班もカメラのファインダーから目を離して、状況を見つめる。
「本部長、これじゃ撮れません!」
周りを取り囲んでいた捜査員の中から、爆弾じゃないかという声が上がり、二、三人が逃げ出そうとする。
それを見て、ラクダの怒号が飛ぶ。
「こらっ、よく見んか! ただの煙幕だ!」
犯人たち四人を包みながら、色とりどりの煙が空高く上がって行く。
「コヤギくん、すごいなあ」
ウサギが前を歩くコヤギに小さな声で言う。
「はい、これはカラースモークといいまして、白色と黄色とオレンジ色の煙が出ます。これを足元に三十個ほど撒いておきました。少し煙たいですが、我慢してください。これで、警察からはボクたちの人相までは見えないでしょう。これがさっき言った、後のお楽しみです」
犯人たちは銀行に押し入ったときと同じく、帽子をかぶり、マスクをしていた。サイは花粉症用の立体マスクだ。
先頭を歩くカジキは煙にむせながらも、振り向いて言う。
「ゴホッ、コヤギくんよお、よくやった。俺も花火が好きになりそうだぜ」
一方、ラクダ本部長は、
「こんな物まで用意周到していたなんて、なんて野郎どもだ」と悔しがったが、
警察が用意した車に歩いていく犯人たちの姿が煙に包まれながらも、その穴から見えた。
そして、ラクダ本部長たちは仰天した。
二人の犯人がそれぞれライフル銃を持ち、一人がナイフらしき物を見せ付けるように持ち、人質のウサギが手榴弾と思われる物を手に持っていたからだ。布のような物に包まれていて、はっきりとは分からないが、形状からして銃器類だと思われた。
突然、近距離からフラッシュが焚かれた。
カメラマンがいつの間にか潜り込んでいたようだ。
「バカ! 何をやってるんだ。そいつを押えろ!」
部下が駆け寄って、取り押さえる。
ラクダは肩に装着された無線機に向かって、小声で指示を出した。
「いいか、全員よく聞け。奴らを刺激してはならん。ライフルは二挺、手榴弾も確かに所持している」
一番最後を歩いていたサイは、煙で目をしょぼしょぼさせながら、ブルーシートを持っている三人の行員を順番に見ていた。
支店長と女子行員の間に四十歳くらいの男性が立っていた。
あっ、この人が真っ先に逃げた次長のクマダさんだな。どうやら私よりちょっと年上らしい。
サイは思わず声をかけそうになったが、我慢して心の中でつぶやいた。
(クマダさん、1/43 トルーマンTG184 ポルトガルGPのミニカーをいただきました。ちゃんと、お金と受取書は置いておきましたよ。これを私は五台持ってまして、これで六台目なんですよ。いやあ、セナは何台あってもいいですねえ。今は取り込んでますので、今度、ゆっくりお話をしましょう。お酒は飲めますか? F1の話をサカナにお酒を飲むのは最高ですよね。そう思いませんか、クマダさん)
しかし、クマダは四人が前を通る時に、シートを持っていた両手を一段と高く上げたので、顔が見えなくなってしまった。丸く開いた穴から、クマダさんのネクタイが見えた。
(おおっ、レーシングカーのデザインだ。わっー、クマダさんとはますますお友達になりたくなりましたよ。この仕事が終わったら、訪ねて行きますよ。ええ、もちろん定期預金口座も作って、いっぱい預けますよ。預けるお金は、今日そちらから盗んだものですけどね。ではまたお会いしましょう)
サイはブルーシートの裏側に向けて、胸元で小さく手を振った。
警察が準備した車の運転席に座ったサイは、バッグから何かの本を取り出して、膝の上に置くと、せっせとページをめくり始めた。
それを、助手席に座ったカジキが咎める。
「サイさん、何をやってるんだ! 出発だ、出発!」
後部座席にいるウサギも心配して、サイをのぞき込む。
「サイくん、こんなときに何を読んでるの?」
サイが振り返って言う。
「ああ、これは自動車教習所でもらった教則本です。これを見ながら運転しようと、家から持ってきたのです」
カジキが驚いて、本を取り上げる。
「ちょっと待てよ、サイさん。こんなときに冗談はやめろ。自慢のゴールド免許を持ってるだろ」
「はい! 私は仮免の試験に四回も落ちまして、五回目の試験のとき、教官にここまでくれば十回落ちるくらいの気持ちで、余裕を持って運転しなさいと言われたのです。そして、その一言ですごく気持ちが楽になって、見事に合格できたのです。あの教官は本当に素晴らしい人でした」
「こらっ、サイ! こんなとき、スイートメモリーに浸るんじゃない。今どんな状況か分かってるんだろうな。早く車を出すんだ!」
カジキに怒鳴られて、オロオロしだしたサイだったが、ルームミラーで後ろを見ると、ウサギとコヤギにも睨まれていたため、あわててキーを回して、エンジンを始動させた。
そして、ギアを入れて、ハンドブレーキを解除したまではいいが、周りをキョロキョロと見はじめた。
カジキの怒号が飛ぶ。
「サイ! 何やってるんだ。早く出ろ!」
「はい、前と後と左と右の安全確認をしているところです」
「前後左右、どこを見てもオマワリだらけじゃねえか! 行けー! 行くんだ!」
「はい、では出発いたします。あのう、その前に、後ろのウサギちゃんとコヤギくんはちゃんとシートベルトをしてますか?」
「うん、してるでー」「はあ、やってますが」
「おい、サイ。そんなことで時間を取るな」
「いやあ、後ろの席でシートベルトをしてない人が多いのです。でも、さすがウサギちゃんとコヤギくんですね」
「おい、変に感心してないで、早く行け!」
「はい、あっ、そうだ。これを忘れてました」
サイはバッグから一枚のCDを取り出してセットした。
たちまち、F1のテーマソングが流れ出す。
♪ダダッ、ダダッ、ダダッ、ダダッーン!
「では、スタートします」
ブーン。
ゆっくりと警察の用意した車が動き出した。
しかし……。
――ガクン!
止まってしまった。
「こらっ、サイ、何をやってるんだ。なんでオートマなのにエンスト起こすんだ」
「すいません。たくさんの人たちに囲まれてるので、緊張してしまいました。それに、F1マシンよりハンドルが大きいので運転しづらいのです」
再びキーを回したサイは、今度は止まることなく、車を発車させた。
カジキがあきれて言う。
「俺は一瞬、警察が何か仕掛けやがったんじゃねえかと疑ったぜ」
「いえいえ、私のちょっとしたミスです。アニキ、こんなことで心配しないでくださいよ。まだ先は長いんですから」
「お前が言うな、ボケッ!」
バキッ!
そう言ってカジキは、ダッシュボードにパンチを入れた。
ポロッ。
そのショックでフタが取れてしまった。
「クソッ、警察の野郎。安物を寄こしやがって!」
苦々しい顔で腕を組みながら車を見送ったラクダ本部長は懸命に祈っていた。
左に曲がれ。左に曲がって北に行くんだ。そこは右折禁止だ。右に行っちゃいかんぞ。北部方面で一網打尽にする作戦だからな。その予定で準備がしてあるんだ。頼むぞ、交通ルールを守ってくれよ、銀行強盗さんよ。
ラクダは腕を組みながらも、下半身は準備体操に余念がなかった。カジキたちが乗った車を追いかけるために、近くのコンビにまでダッシュしなければならないからだ。
オイッチニ、サンシ!ニイニ、サンシ!
まず、右のアキレス腱。
次に、左のアキレス腱。
そして、屈伸運動。
最後は首をグルッと回して、美しく深呼吸。
フウーッ。
銀行前を出発した車は大通りへ出ようとした。
左へ曲がると北へ、右に曲がると南に通じる。
助手席でカジキは前方に広がる青空をにらんで考えていた。
「さて、どちらに行くかだ。うーん、そうだ! ♪どちらにしようかな~、天の神様の言う通り~」
カジキが指を左右に動かし始めたのを見て、サイが言った。
「アニキ、何を迷ってるんですか。標識は右折禁止ですよ。左に決まってるじゃないですか」
「何言ってるんだ。こんなときに堅苦しい規則を守る必要はねえよ」
サイは膝の上に広げた教則本を目で示した。
「それじゃダメですよ。ここに交通ルールは守りましょうと書いてありますよ」
さっきカジキに取り上げられた本を取り戻していたのだ。
「アニキ、もし右に曲がって、交通課のお巡りさんに捕まったらどうするんですか」
「分かったよ。じゃあ、左へ行ってくれ」
「はい、かしこまりました!」サイはレバーを動かした。
シュッ、シュッ。
突然、ワイパーがせわしなく動き出した。
「どうした、雨か?」
「あれっ? ウィンカーを点滅させたはずなんですが」
「こんなときに間違うなよ!」
「はい、すいません」サイはまたレバーを動かした。
シュッ! シュッ! シュッ!
すると、ワイパーがさらにせわしなく動き出した。
「逆だろ、逆! 早く止めるんだ!」
「はい、すいません」
サイはまたレバーに手をかけた。
プシュー、プシュー、プシュー。
今度は泡が吹き出した。
「フロントガラスを掃除してどうするんだ! ウィンカーだ、ウィンカー!」
「はい、すいません。これですね」
サイはレバーを引いた。
ボコッ!
ボンネットのロックがはずれた。
焦ったサイは急ブレーキをかけて、教則本のページをバサバサとめくりだした。
「おい、何をやってるんだ!」
カジキはあわてて外に飛び出した。
これじゃ、顔を見られないようにブルーシートで覆った意味がないだろ。
しかしこのまま走ると、風圧でボンネットが跳ね上がって、前が見えなくなる。
視線を合わせないように、うつむいて車の前へ走った。
遠巻きに見ている警官の鋭い視線が背中に突き刺さる。
カジキはボンネットをいったん上にあげると、勢いをつけて、ボコンと閉めて戻ってきた。
そして、ゆっくりと教則本の目次を調べているサイを無視して横から手を出すと、レバーを押した。
「これだろ、これっ!」
カチッ、カチッ、カチッ。
左方向のウィンカーが点滅を始めた。
「アニキ! すごいですね。教習所の教官みたいですね」
下半身の準備体操をしながらカジキらの乗る車を見ていたラクダ本部長は、組んでいた腕をほどいてつぶやいた。
「やっぱりあのホームレス大学生からの情報は正しかったようだな」
横にいた部下が、何がですかと尋ねる。
「犯人の中に車のプロがいるという情報だ」
「しかし今、ウィンカーを出そうとしてワイパーを動かしてましたよ」
「バカ者! だから素人は困るんだ。いいか、わしは交通課が長かったから分かるのだが、車が好きな奴はトコトン車をきれいにするもんだ。わしが昔に捕まえた暴走族の奴なんか、下にもぐって車の底にワックスをかけておったわ。それと同じだ。見ただろう、今のを。フロントガラスの汚れが気になったので、掃除しやがったんだよ。金を奪って逃走をしようとするこの緊急時に車の心配をしてやがるんだ。さらに、ボンネットを開けて、すばやく中を点検しやがった。実はな、さっきカバ副本部長代理がボンネットの中に発信機を仕掛けていたんだ。直前に取りやめたが、仕掛けていたら、見つかって人質の命はなかったかもしれん。あんな余裕をかますなんて、間違いなくプロだ。――我々はなんて恐ろしい奴らを敵にしているんだ」
サイが運転する車は、律儀に右折禁止の交通標識を守って左に曲がると、北へ向かって走り出した。
それを見たラクダ本部長は、捜査本部が設置されたCC一号機が停めてあるコンビニの駐車場に向かって駆け出した。
先ほどから続けていた準備体操のおかげで下半身は温まっていて、足は軽やかだ。
「よしっ、みんな、ついて来るんだ! 今度こそ、手柄を立てさせてやるぞ!」
本部長に指名された三人の部下が後を追って走る。
奴らめ、やっと出てきやがったか。狙い通り、北部方面に向かったな。挟み撃ちにして、仕留めてやるからな。銃器を持っているとはいえ、こちらは最新鋭のCCだ。そんなヒョットコ弾など簡単に跳ね返してやる。
無線連絡をしたCC二号はヒンバ副本部長の指揮の下、カバ代理、他三人の捜査員を乗せて、すでに走り出しているはずだ。その後を犯人が乗った車が行く。さらにその後ろをCC一号が追うという挟み撃ち作戦だ。
犯人たちが出て行った第八中央銀行熊山出張所に熊山警察がなだれ込んだ。
先頭で指揮を取るのは、先ほどまで裏口を見張っていたヒツジ副本部長代理見習いだ。やっと出番が回ってきたので張り切っている。ここの捜査が終わりしだい、本部長が乗っているCC一号機に合流する予定だ。
手柄を立てて“見習い”という取って付けたような恥ずかしい称号を外してやるんだ。
そんなに広くはないロビーにヒツジの声が響く。
「何でもいいですから、犯人の手がかりを捜してください。ただし、犯人の中に銃火薬のプロがいます。何か仕掛けているかもしれませんので、十分に気をつけてください」
捜査員と鑑識があちこちに散らばって行く。
カウンターの上、ソファーの下、机の中、行員のロッカーの中……。
指紋が付いていそうな場所には鑑識が張り付いている。捜査員たちは彼らの邪魔にならないように調査を進めていく。
「見習い! きりんやの弁当箱が見つかりました」
若手捜査員の声がした。
「さっそく見つかりましたか。では鑑識に回してください。DNA鑑定をしてもらいましょう。前科があったら、身元が判明しますからね。――他に何か見つかりませんか?」
ヒツジ見習いが他の捜査員に声をかけたとき――。
シュルシュルシュル――。
「な、なんだ、これはーっ!?」
シューーーー。
東西南北、四ヶ所の壁の上から火花が噴き出した。
四つの火元は壁を伝って、火花を床に落下させながら、四方の壁を駆け回る。
火花の滝が行内をグルリと取り囲んだとき、あたりは煙に包まれて見えなくなっていた。
パニックになった捜査員が悲鳴を上げながら、火花が舞うロビーを走り回る。
頭や肩に火花が降り注ぐ。
やがて、スプリンクラーが作動し、天井から水が噴き出した。
ステン!
捜査員が水浸しになった床で足を滑らせて転んだ。
ステン!
転んでいる捜査員につまずいて別の捜査員も転ぶ。
ステン!
それを見ていた捜査員もバランスをくずして転ぶ。
しかし、一人のベテラン鑑識が冷静に火元を観察していた。
「落ち着け! ただの仕掛け花火だ」
捜査員全員が立ち止まって、まだ火花が落ちて来ている壁を見上げた。そこには横長の花火が何メートルにも渡って張り付けてあり、行内の壁を一周していた。
一人の捜査員が肩に乗った燃えカスを払いながら言った。
「なんだよ驚かせやがって、ただの花火かよ。てっきり爆弾かと思ったよ」
別の捜査員はハンカチでビショビショの服を拭きながら言う。
「思わず逃げるところだったよ。――あれっ、ヒツジ見習いは?」
捜査員たちが行内を見渡すが、自分たちの指揮官はどこにもいない。
やがて火花も収まり、煙も薄れはじめた頃、入り口の自動ドアが開いて、ヒツジ見習いが辺りをキョキョロ見渡しながら入ってきた。
「見習い。これはただの花火でしたよ。今までどちらへ?」
「えっ? ああ、あれだ、ほら、外にも仕掛けてないかを調べに行ってたのだよ」
「いやあ、さすが、見習いですね。我々はそこまでは気が付きませんでした。驚いて走り回るばかりでして、中には逃げ出そうとした奴もいたんですよ」
「そ、そうか。逃げちゃいかんねえ。ところで他に何か見つかっ……」
――そのとき。
ブスブスブス……。
取り外してロビーの隅に山積みにしてあったカーテンが燃え出した。落ちてきた火花が引火して、今ごろになって火を噴いたのだ。
それを見たヒツジ見習いが、ワッと悲鳴を上げて出口に向かって走り出した。
「見習い! どちらへ?」
消火器を持ってきた捜査員が声をかけた。
ドアの前で、あわてて立ち止まったヒツジ。
「いや、あの、ほら、まだ外で見落としがないかなあと思ってね」
自動ドアが静かに開いて、新鮮な空気が入ってきた。
「いやあ、さすが、見習い。私は燃え出したカーテンに気を取られて、そこまで考えませんでしたよ」
そう言いながら、消火器をカーテンに向けた。
ふたたび行内に戻ってきたヒツジ見習い。
「やはり、念には念を入れないとね。外はまた後で見に行くとしよう。あの、まあ、しっかりと消火してくださいね」
放水が止まったスプリンクラーから、一滴の水が落ちてきて、ヒツジの首筋に当たった。
「キャッ!」
F1レーサー希望のサイが運転する車が左に曲がったとき、銀行の方から悲鳴が聞こえてきた。
ウサギが驚いて振り向くと、ちょうど玄関からヒツジ見習いが人一倍大きな悲鳴をあげて飛び出してきた。
「わあ、あの人、みんなを置いて一人で逃げて来たで。おまわりさんの中にも他人を放ったらかしにして、自分だけ逃げる人がいるんやなあ」
コヤギがニコニコしながら言う。
「うまくいったようです」
コヤギくんがうれしそうなので、ウサギもうれしくなってきた。
「ねえねえ、コヤギくん、どんな花火を仕掛けたん?」
「超特大 流星大瀑布ナイアガラ大仕掛けという花火でして、全長七メートルあるのですが、八つつなげて五十六メートルにして、ロビー内をグルッと三百六十度囲ってみました。そして、ちょうど警察が入った頃に花火に点火するくらいの長さに導火線を設定しておいて、火を付けてきました」
「へえ、すごいなあ。コヤギくんは花火のことになると、ものすごい力を発揮するなあ」
「何と言っても、八つで八千円もしますから」
「げっ、きりんやのお弁当と同じ値段やんか!」
「きっと、本物のナイアガラの滝に負けないくらいの素晴らしい火花の滝が見られたと思います。できれば、ボクも立ち会って見物したかったのですが、アニキにダメだと言われました」
助手席のカジキが振り向いて言う。
「当たり前だろ。ボケッと見ているうちに捕まったらどうするんだ」
「ボクは花火を見ていて逮捕されるんでしたら本望です」
話しているうちにも、警官の悲鳴は止まない。
ヒツジ見習いは一人で電信柱の陰に隠れて、中腰のまま、中の様子をうかがっている。
「お巡りさんたちも大パノラマに感動しているみたいで、仕掛けてよかったです」
「あれは感動じゃなくて、怖がってるんじゃねえのか?」
「そうですか。花火は怖がるものじゃなくて、鑑賞して感動するものですけどねえ」
コヤギは当然という顔で言った。
カジキは唖然という顔で呆れた。
「何だと!」
ラクダ本部長の声がCC内にこだまする。
銀行の前に放置されていた真っ赤なオープンカーの点検をしたが、何も得られるものはなかった。ナンバーはガムと思われるものを貼り付けて偽造がしてあり、剥がして出てきた番号を照会すると、数日前に盗まれた盗難車であることがわかった。
三つの穴が開いたブルーシートも盗まれたものと思われたが、こちらは盗難届けも出ていないため、確かなことは分からなかった。
さらに銀行内に残されていたきりんやの弁当箱も湯飲みもきれいに洗われていて、洗ったあとに玄関脇へ運んだときに付いたと思われる、一種類の小さな指紋が検出されただけだった。大きさからして子どもの指紋と思われたが、その指紋を照合した結果、人質になっているウサギのものだと分かった。念のために、お母さんから提出してもらっていたウサギの部屋に残されていた指紋と一致したのだ。
「自分たちが喰ったあとの弁当箱を子どもに洗わせるとは、何という奴らだ」
机やソファーからは何種類もの指紋が採取できていて、その照合が進められていた。しかし警察のデータベースに登録されている指紋との照合には、まだまだ時間がかかりそうだった。
「結果を待ってる暇はない。奴ら三人に前科があるとは限らんからな。その前にとっ捕まえてやる!」
ラクダ本部長の隣では合流したヒツジ副本部長代理見習いが立っていた。
「はい。このCCさえあれば百人力です」
CC=キャンピングカー。
トヨタのハイエースロングワゴンをベースに作られたキャンピングカーを、さらに警察仕様に改造した熊山警察の秘密兵器。全長は約五メートル。収容人数は七名。温水シャワー、トイレ、格納式ベッド、L字型キッチンに加え、パソコン、無線機、ファックス、テレビなどを搭載し、防弾ボディー、防弾ガラスで覆われている。
CCの入り口を入ってすぐのところには“第八中央銀行熊山出張所強盗人質事件捜査本部”と書かれた長い紙が貼ってある。熊山警察署の事務係がパソコンで製作したものだ。
つまり、CCとは移動式の捜査本部であり、逃亡中の犯人たちを捜査本部ごと追いかけるために急遽、警察署から運ばれて来たものだった。
普段は整備だけはきちんとされていたが、パトロール以外にこれといった出番もなく、八百万円もかけて購入した意味がないのではと言われ続け、もしかして署員がレクリエーションに使っているのではないかとまで言われ、市民の非難の的になっていた。
しかも、これと同じ車がもう一台あり、今はヒンバ副本部長の指揮の元、犯人の車の前を走っていた。
ラクダ本部長は、この警察仕様キャンピングカーを本格的に使う機会がやっと訪れたので、張り切っていた。
CCが無用の長物ではないというところを見せてやる!
「ヒンバ副本部長、こちらラクダだ。そちらはどうだ」
「ヒンバです。犯人の車の約一キロ先を走行中です」
「分かった。くれぐれも見つかるなよ。奴らは警官の姿を見たら、人質を手榴弾でバラバラにすると言っているからな。今から一号車も出発する。この布陣で奴らがガス欠してストップするまで追いかけるんだ」
「了解しました」
捜査本部が置かれた一号車にはラクダ本部長とヒツジ副本部長代理見習いの他、二名の署員が乗り込んでいた。一名はハンドルを握り、もう一名はその横で、ナビゲーターの役と無線の応対の役を務めていた。
ラクダはクッションがきいたソファーに座りながら、温かいお茶が入った紙コップを片手に、ゆっくりと動き出したCCの車内を満足そうな顔で見渡していた。
「ガソリンは予備タンクにも満タン入っているからな。どこまでも追いかけ回してやる」
その向かいには、やはり紙コップを手にしたヒツジ見習いが座っている。
「食料も三日分を積んでますから、すでに勝ったも同然ですね」
「この乗り心地といい、機能といい、相変わらず素晴らしい捜査本部だ。これに乗るとイノシシ事件を思い出すなあ。あのときは、このCCでイノシシを路地に追い詰めて、逃げられなくなったところを、わしがヘッドロックで締め落としてやったんだよ。世に言う野生イノシシヘッドロック事件だ」
ヒツジは三十回くらい聞かされたこの手柄話を、さも今始めて聞いたような顔をして、うなずいてあげていた。
「しかし、この車は確かに高価なだけあって素晴らしいが、あの名前だけは勘弁してもらいたいものだな」
CCというのは便宜上、そう呼んでいるだけで、別に正式な名称があった。しかし、その名称があまりにも恥ずかしいので、みんなはCCと呼んでいた。
「しかし本部長、あれは署長自らが名付け親だと聞いてますが」
「そうらしいな。緊急無線は署長も聞いているだろうから、今後はあの名前を使わざるを得ないだろうな」
ラクダがそう言った瞬間、外部からの無線連絡のランプが点滅した。
熊山警察署の署長からだった。
「ほら、ウワサをすれば何とやら」
無線は事件が解決するまで、フルオープンに設定されていた。つまり、天井にはめ込まれたメインスピーカーから、すべての警察車両に無線からの声が聞こえるようになっていた。
「署長だ。ラクダ本部長、聞こえるか」
署長の声が車内に響く。
「はい、ラクダです」
「経過を報告せよ」
「はい。犯人が乗った車は北に向かって逃走中。犯人の前方一キロにヒンバ副本部長たちが、後方一キロにこの捜査本部がつづいて、挟み込んでます。しばらくは一本道がつづきますので、このまま追いかけます」
「分かった。くれぐれも人質の安全を優先して、ことに当たってくれ」
「はい、この車があれば大丈夫です。何といっても署長が名付けられた車ですから」
「そうだっけ?」
「えっ、違うのですか?」
「うーん、そういえば、そうだったような気がしてきたが」
「署内で名前を募集したところ、あまりいいものがなかったので、署長自らが決められたと聞いてますが」
「ああ、そうだ、そうだ。思い出したよ。あれはだな、わしもいい案が浮かばなかったので、幼稚園児の孫に頼んだんだよ」
「それで付いた名前が“おてがらくん”ですか」
「おお、そんな名前だったな。もう一台が……」
「でかしたくん」
「おお、そうだ。しかし考えてみると、変な名前だな。まっ、決まったのだから、その名称で呼んでくれたまえ」
「はい。かわいいお孫さんが付けられたのですから」
「そうなんだよ。月日が立つのは早いもので、幼稚園児だった舞ちゃんも今年からは小学生なんだよ。ピンクのランドセルが似合ってねえ。かわいいもんだねえ、キミ。舞ちゃんはまだ一年生だろう。だから、ランドセルの方が大きいくらいなんだよ。しかし、二年生になるとねえ……」
ガチャン!
ラクダは無理矢理、無線を切った。署長が孫の自慢話をすると止まらないのは、署内では誰もが知っている常識だったからだ。
それにしても、幼稚園児が名付け親だったとはなあ。
“おてがらくん”と“でかしたくん”か。
確かに、こんな変てこりんな名前は大人じゃ考え付かんわな。
ラクダはすっかり冷めてしまった紙コップのお茶をグビッと飲んだ。
F1のテーマソングが軽快に流れている。
カジキはみんなにグリーンガムを渡して、噛むように頼んだ。
「はい、ウサギちゃんも」
「ええーっ! ウチ、あんまり辛いの好きやないねん」
「そう言わないで協力を頼むぜ」
サイは相変わらず、ヒザの上に教則本を広げて、安全運転を心がけている。踏み切りの一旦停止もちゃんと止まって、左右を確認し、窓を開けて、電車が来ていないかどうかの音を聞いてから発進し、黄色信号でも必ず止まっていた。
「サイさんよお、俺たちは逃亡中なんだぜ。なんでいちいち黄色で止まるんだよ。黄色は注意して進めだろうが」
「アニキ、黄色は注意して止まれですよ」
「そんなこと教則本に書いてあるのかよ」
「書いてませんけど、止まった方がより安全だと思います」
「そうかい、そうかい。しかしな、法定速度を守るのはどうよ。みんな飛ばしてるだろうよ」
「いえ、守るべきです。それは教則本に書いてあります。F1レーサーもレース中は猛スピードで走ってますが、普段は安全運転を心がけているらしいですから」
「しかしよお、いざとなったらぶっ飛ばすんだぜ。今は警察の車も見当たらないからいいがな」
「それはウサギちゃんが警察官を見たら、手榴弾を破裂させると言って脅してくれたおかげですね」
サイがルームミラーで後部座席を見ると、ウサギはドライブがうれしいらしく、窓に顔をくっつけながら風景をながめている。コヤギは相変わらず、リュックを抱えながら、ボウッとしている。
バックミラーで後ろを見たが、警察車両らしい車は一台も走ってない。
もう少し待つと、追いかけてくる“おてがらくん”が見えるはずだが、彼らはまだその存在を知らない。
「でもアニキ、安心してください。いざとなったら、私の六万点のレーシングテクニックをお見せしますよ」
「テクニックって、ゲームじゃねえかよ」
「でも、こんなときのために毎日特訓をしてきたんじゃないんですけどねえ。あくまでも、F1レーサー志願なんです」
カジキは助手席であきれて黙り込んでしまった。
それまで黙っていたコヤギが言った。
「あのう、アニキ。ちょっと言いにくいことなんですけど、今回、一仕事終えたということで……」
「ああ、分け前のことか」
「そ、そうです」
「心配するな。計画書にはこう書いてある。読んでやるからよく聞け」
カジキは振り向いて、分厚い計画書を広げた。
「特殊業務遂行規約。第四条。報奨金支払い。本業務を遂行したすべての人物に対して報奨金を支払うものとする。ただし、その分割割合及び支払方法については、主たる人物が確定すること。なお支払金は円貨にて支払うことが望ましい」
「あのう、アニキ、その計画書はあまりにも漢字が多すぎませんか? できれば楽しいイラスト満載の……」
「そんな強盗計画書があるわけねえだろ。俺は金についてはきちんとしている人間だからな。みんな平等ということだ」
「でも、ボクはあまり働かなかったから」とコヤギはうつむく。
それを聞いて、運転しているサイもドキッとする。
カジキが現金を詰め込んでいる最中に、花火とミニカーで遊んでいたコンビだ。
「いいか。強盗に入るということはそれだけのリスクを背負うということだ。そのリスクは仕事の内容にかかわらず、みんな平等だ。捕まったら平等に刑務所行きなんだからな。俺は今までそういうポリシーで仕事をしてきた。今回、俺達が盗んだ金は一千二百万円と少しだ。金庫から盗めなかったからな。まあ、地方銀行の出張所にしては多い方だと思うぜ。次は都市銀行を狙って、デカく稼げばいい」
カジキは封帯がされた百万円の束を十二個とバラの札をあるだけ盗んでいた。
「細かい端数の金は俺がもらうとして、一千二百万円を均等に四人で割って、一人三百万円だ」
「三百万円ですか、ありがとうございます!」
コヤギはカジキに向かって丁寧に頭を下げた。
サイも運転席から前を向いたまま、頭を下げた。
「コヤギくんは何に使うんだ」
「そうですねえ、三百万円ですから」
そのとき、今まで景色を見ていたウサギがカジキの方を見て言った。
「ちょっと、アニキ! なんで四人で割るの。アニキとコヤギくんとサイくんで三人やんか。ウチがいつの間にか強盗団の一味になってるやんか」
「違ったっけ?」
「違うわ! ウチは人質やんか。小学四年の女子児童が強盗の一味なんておかしいやんか」
「そうだったな。すっかり泥棒仲間だと思い込んでいたぜ。じゃ、一千二百万円を三人で割って、一人四百万円だな」
「四百万円ですか。じゃあ、ボクは取り敢えず、いつも行ってる花火問屋で買い物をします」
「なんだ、コヤギくんは花火を問屋で買ってるのか」
「そうです。小売店でしたら、そんなに種類もありませんし、ましてやコンビニですと、小さな花火が詰ったセット花火がほとんどですし、冬は置いてなくて満足がいかないのです。一度コンビニで買ったことがありますが、そのときは棚ごと買いました」
カジキが驚いた。
「ホントかよ!」
隣で聞いていたウサギも驚いた。
「へえ、コヤギくん、マイケル・ジャクソンみたいやなあ」
「マイケル・ジャクソンは棚ごと買うのですか」
「そうやで。いつも大人買いするほどのお金持ちらしいで」
「じゃあ、ボクは日本のマイケル・ジャクソンですか?」
「そうそう、マイケル・コジャクソンやで」ウサギが笑った。
カジキは律儀に法定速度を守って走っているサイを見た。
「サイさんは四百万円を何に使うんだ?」
「はい、まず、1/43 トルーマンTG184 ポルトガルGPを買います!」
「そのミニカーはさっき手に入れただろうが」
「いえ、まだ六台しかありませんから、もっと欲しいのです。アイルトン・セナですから、何台あってもいいのです」
「相変わらず分からんな、キミたち二人は」
呆れるカジキにウサギが訊いた。
「アニキは何に使うの?」
「そうだな、まず溜まってる家賃を払うだろ」
「めっちゃ、セコイな」
「そう言うなよ。アパートを追い出されたら、ホームレスになっちまうじゃねえか」
「そうやなあ、他には?」
「これから夏が来るじゃねえか。壊れてる扇風機を修理するかな」
「新しいの買えよ!」小学生のウサギが突っ込む。
地味な緑色の国産車が走る。
♪ダダッ、ダダッ、ダダッ、ダダッーン!
F1のテーマソングを鳴らしながら、強盗団と人質を乗せて、制限速度でトコトコ走る。
「ラクダ本部長、大変です! こちらにお越しください!」
改造型キャンピングカー“おてがらくん”を運転している捜査員から大きな声がした。
紙コップに入った本日四杯目のお茶を噴き出しそうになったラクダは、目をひんむいて運転席に向かって怒鳴った。
「報告するときは落ち着いてせんか!」
先ほど、長期戦になるから、あわてずに、ゆっくりと構えて行動するようにと訓示したばかりだというのに、さっそくわめいているとはどういうことだ。
奴らのガソリンが切れるまで“おてがらくん”と“でかしたくん”で追い掛け回す。北へ向かう道は一本しかない。急ぐ必要は何もないはずだ。
ラクダはぶつぶつ言いながら、紙コップを持って、ヒツジ見習いとともに運転席に移動した。
そして、前方を見た本部長。
「どういうわけだ! おい、どういうわけなんだ!」
紙コップを放り投げたラクダは、運転手の肩を両手で掴みながら叫んだ。
「本部長、落ち着いてください! 運転中ですから危険です」
隣に座っていた署員が立ち上がって、後ろからラクダを羽交い絞めにした。
「アチチ……」
宙を泳ぐ紙コップから拡散したお茶が運転席に飛び散る。
ヒツジ見習いもお茶で右肩を濡らしながら、前の景色を見て呆然と立っている。
ラクダ本部長は床に転がった紙コップをグシャと踏み潰して、わめいた。
「なんで、我々の前を“でかしたくん”が走ってるんだ! 挟み込んでるはずだぞ」
もはや、あわてるなという先ほどの訓示はどうでもよかった。
署員を振りほどいたラクダは無線を手に取った。
「ヒンバ副本部長! おてがらくんのラクダだ。奴らはどこへ消えたんだ!」
CC二号機の“でかしたくん”内でも、全員があわてていた。
後ろから“おてがらくん”が追って来たからだ。
「おい、どうなってるんだ?」車内にヒンバの声が響くが、誰も答えられない。
確かに、二台で挟み撃ちをしながら走っていたというのに、犯人の乗った車を見失ってしまったからだ。
カバ代理が助手席の男にたずねる。
「カーナビはどうなってる?」
「はい、北部方面へはこの道だけしかありません」
「奴ら、どこへ消えやがったんだ」
無線が鳴る。
「ヒンバ副本部長!」ラクダ本部長からだ。「取りあえず、止まれ!」
路肩に全長約五メートルの“おてがらくん”と“でかしたくん”が縦に並んで止まっている。その横をときどき車が通り過ぎる。この地方には大型キャンピングカーが珍しいのか、みんな二台を横目で見ながら通り過ぎるが、犯人たちが乗った緑色の車は来ない。
なだらかな山の間を走る広い道路。緑に包まれて見晴らしが良く、郊外店など人工的なものは見当たらない。規制がされているのか、こういう風景でよく見かける大きな広告看板も立っていない。
外に出てきたラクダとヒツジとヒンバとカバの四幹部。
あまりにも空気がおいしいので、ヒツジ見習いが思わず深呼吸をしそうになったが、重苦しい雰囲気に負けて、あわててやめた。
口が半開きのままのヒツジはとてもマヌケな顔になった。
ラクダ本部長が口を開く。
「ヒンバ副本部長、まさか追い抜かれたんじゃないだろうな」
「いえ、それはあり得ません。同乗している捜査員がわれわれを追い抜いていく車を一台一台双眼鏡でチェックをして数えてましたから。その結果――」
ヒンバはポケットから紙を取り出して読み上げた。
「白い車が二十四台。黒は十八台。青が十二台。赤が八台。その他が四台。そして、犯人が乗っているのと同じ緑色の車種が二台通り過ぎましたが、乗っていたのはいずれも年配のご夫婦のようで、犯人たちとは無関係と思われます」
「そうか。さすがヒンバ副本部長。細かい所まで見ているな」
「本部長、お言葉ですが、おてがらくんの方はどうでしたか。逆に犯人の車を追い抜いたとは考えられませんか?」
「そ、そうだな」
運転は捜査員二人に任せて、ヒツジ見習いとゆっくりお茶を、しかも四杯も飲んでいたとは言えず、
「まあ、その可能性も無きにしも非ずだが。少しここで待ってみようか。われわれが追い抜いていたら、奴らはいずれここを通るだろうからな。もし先に行っていたら、張り込んでいる捜査員から連絡が入るだろう」
四人が路上で対策会議を開いている間にも、ドライブを楽しんでいる車がひっきりなしに通り過ぎる。
晴れ渡った青空を見上げていたヒツジ見習い。
「あーあ、こんなに天気が良いのにわれわれは仕事か」
しかし、ラクダ本部長に睨まれて、
「いやっ、仕事はいいなあ。警察官になってよかったなあ。これからも日本の平和を守るぞー!」
あわてて言い訳をしていた。
そのとき、でかしたくんのドアが開き、捜査員が駆け下りていた。
「本部長! 今、地図で確認をしていたのですが、途中で採石場に通じる道があります。国道から東に入る細い道のようで、カーナビには表示されてません」
「何! それだ。奴らはそこから入って逃げやがったんだ」
「しかし、この道は行き止まりになっているようです」
「だったら、袋のネズミじゃないか! 入り口に張り込んで、持久戦といくか。しかし、なぜ奴らはそんな所に入り込みやがったんだ?」
「うーん、採石場か。あっ、そうだ。本部長!」ヒツジ見習いが叫んだ。「そこはパンダ岩があるところですよ!」
二週間ほど前、降り続いた大雨の影響で採石場の一部が崩れ、中からパンダにそっくりな岩が出現したのである。
「奴らは横道にそれて、パンダ岩の見物に行ったというのか! ふざけやがって」
そのとき――。
パ、パ、パ、パ、パーン。
採石場の方向から、何かが弾ける音がした。
ヒンバ、カバ、ヒツジが採石場のある山の方向を振り返る。
ラクダはどうせ採石するのに発破でも仕掛けたんじゃないのかと言って振り返ったが、そこには意味不明の光景があった。
「何だあれは。なんでハートなんだ!」
カジキたちが乗った緑色の車が、北へ通じる国道から脇道にそれて採石場に入ると、パンダ岩の見物に来たたくさんの人たちで溢れ返っていた。
そこはある会社の社有地であったが、パンダ岩ができてから、採石現場や危険な場所には近寄らないならという条件で、見物客に開放されていた。まだ崩れてくる危険性があるので、そびえ立っているパンダ岩の周りにはロープが張られて、何人かの警備員も待機していた。人々はパンダにそっくりなその岩を見て、歓声をあげながら、遠巻きに見上げたり、記念写真を撮ったりしていた。
「わーっ、ホンマや、パンダに見えるわ」
パンダ岩の真正面に停めた車の中でウサギが大喜びしている。
「ウサギちゃん、もっと近くで見るかい?」
カジキが気を遣ってくれるが、
「ウチら逃亡中やんか。見つかったらヤバイやん。そやからここでエエわ」
そう言ってシートから身を乗り出すと、運転席のサイと助手席のカジキの間から、フロントガラス越しに見えるパンダ岩を見上げた。外で同じように見上げている人たちの中には、ウサギと同じくらいの年頃の女の子がたくさんいる。
「あの中に知ってる子がいたらマズイしね」
そう言いながらも、少しさびしそうに見えるウサギにカジキが振り向いて言う。
「こんなにデカいパンダとは思わなかったぜ。カメラを持ってくればよかったなあ、ウサギちゃん」
「でも、またいつか来れるしね。その時はカメラかスマホを持ってくるわ」
いつも外出するときに持っているスマホは、家に置いてきてしまった。スーパーと銀行に行くお使いだから、すぐに帰れると思って、持って出なかったからだ。もし持っていたら、お母さんから連絡が入って、また違う展開になっていたかもしれない。今頃アクビをしているデュークを横目になわとびの練習の再開をしていたかもしれない。
しかし、ウサギは冒険の日を楽しもうと思っていた。
だって、こんなにワクワクしてドキドキするチャンスなんか、めったにないもん。
カジキはみんなに噛ませていたグリーンガムを回収すると、ナンバープレートの偽造をするために外へ出た。何かあれば、すぐに発進できるようにエンジンはかけっ放しだ。トランクには強奪したばかりの千二百万円が入っている。
コヤギとサイはトイレに行くと言って出て行った。
カジキはなるべく早く帰って来るんだぞと声をかけている。
ウサギはカジキに頼まれて、一度に三枚もガムを噛んだため、口の中が辛くてヒリヒリしていた。
「ああ、ずっと噛んでたから、アゴがだるいよー。でもアニキのお願いやったからなあ」
ウサギは口を動かしてアゴをカクカクやったあと、手提げバッグの中から、ガールズガールの付録のコンパクトを取り出して、口の周りを中心に顔のチェックを始めた。
ときどき、おまわりさんがいないか、車の外をながめる。
カジキはともかく、サイとコヤギが心配だ。
二人ともエエ人なんやけど、なんか頼りがないしなあ。おまわりさんに職務質問されても、ごまかさんと、全部ペラペラしゃべりそうやしなあ。ほんで、もし二人が捕まったら、アニキは一人で逃げるようなことはせんと、一緒に捕まるんと違うかなあ。
アニキはそういう人やと思うしなあ。
ボンネット越しに、カジキが座り込んでナンバープレートにガムを張り付けている姿が見える。周りにはたくさんの車が停まっていて、その周りをたくさんの人々が行き来しているので、しゃがみこんでいたところで怪しまれることはない。
でも、大丈夫かなあ。
「よしっ。どうだ、これで」
カジキはガムでべとついた手をハンカチで拭きながら、振り返ってウサギを見上げた。
ウサギはカジキが心配になったので、車から降りてきて見に来たのだ。
「うーん、0を8に変えたのはエエけど、2も8に変えたのは無理があるんと違う? なんか、斜めに歪んでるで」
「まあ、いいじゃねえか。遠くから見たら分かんねえだろ」
そう言って、カジキは取れないように、もう一度ガムをムギュッと指で押すと、後ろのナンバーも偽造するために立ち上がった。
そのとき、サイがこちらにやって来るのが見えた。
「おっ、ウサギちゃん、見てみな」アニキが指差す。
「わっ、サイくんが走ってる!」ウサギは驚く。
人ごみをかき分けながら、サイが大きな体を揺らして車の方に走ってくる。
「あいつが走るということはF1か食い物だろうな」
火照った顔をほころばせながら、サイが帰ってきた。
手に大きな袋を持っている。
「向こうでパンを売っていたので買ってきました」
「ほら、やっぱり食い物じゃねえか」カジキが呆れる。
「わーっ、パンダパンやんか!」ウサギは大喜びをしている。
「人気に便乗して、そんなものを売ってるのか」アニキも袋を覗き込む。
「はい、ワゴン車で売っているのですが、すごい行列でした」
「えっ、サイくん、わざわざ並んでくれたん?」
ウサギが袋の中を覗き込みながら言う。
「はい、ウサギちゃんに喜んでもらおうと思って、この日差しが強い中を懸命に並びました」
「ウソつけ。お前が食いたかったんじゃねえのかよ」カジキが茶化す。
「はい! ゴマが香ばしくて、クリームもアンコも甘すぎずで、とてもおいしいです」
「なんで知ってるんだよ」
「はい、三個味見をしてみました」
「お前、さっき弁当を二個喰ったばかりじゃねえかよ」
「はい。でもパンは別腹ですから。それに毒が入っていたら危険ですから。――はい、ウサギちゃん」
サイは袋の中から、パンダパンを一個取り出すと、ウサギの手のひらに乗せてあげた。
パンダの顔の形をしたチョコレートとカスタードとアンコの三色パンだ。表面には黒ゴマと白ゴマがまぶしてあり、パンダのソバカスのように見える。焼き立てらしく、フカフカしていて、割ったらたちまち湯気が上がりそうだ。
「じゃあ、サイくん、いたたきまーす!」
ウサギは指でパンを押えてフカフカ感を楽しんだ後、パンダの右の耳にかぶりついた。
「めっちゃ、おいしいで。アニキも食べたら?」
「俺にパンダパンが似合うと思うか?」
カジキはそう言って周りを見渡した。ほとんどが子供連れの家族か若いカップルで、中年のオッサンはいない。
「じゃあ、車の中で食べようよ。サイくんももっと食べたそうな顔をしてはるし」
「えっ、私の顔に出てますか?」
「サイの場合は一年中食べたそうな顔じゃねえか」またカジキが茶化した。
ウサギは二個目のパンダパンに噛り付いた。小さいサイズだからまだ食べることができる。
サイは何個目か分からないが、新たなパンを袋から取り出して、口に押し込んだ。
カジキは甘いものが苦手なんだと言いながら、おいしそうにカスタードクリームを舐めている。
「コヤギの奴、遅いなあ。サイさん、一緒じゃなかったのかよ」
「はい、途中までは一緒だったのですが」
「まさか、オマワリに捕まったんじゃねえだろうな」
コヤギが座る後部座席には、コヤギの分としてパンダパンが二個置いてある。
「なんだか、いい事を思い付いたと言って、パンダ岩の方に行きましたけど」
「いい事? まさか……」カジキはウサギを見る。
「まさかね」ウサギもカジキを見る。
二人が目を合わせたそのとき――。
パ、パ、パ、パ、パーン。
パンダ岩の方向から、何かが弾ける音がした。
「ウサギちゃん、何か悪い予感がしねえか?」カジキが言う。
「うん。めっちゃするわ」ウサギが答える。
車の中の三人は同時に外を見た。
パンダ岩の上にハート型の打ち上げ花火が上がっていた。
「わっ、めっちゃきれいやー!」
「あんな花火があるのかよ」
ウサギとカジキは驚いて、ハートマークが描かれた空を見上げている。
サイもパンダパンを口に咥えたまま見とれている。
パンダ岩の右の耳の上に赤いハートのマークが開いた。左のアゴの横にも赤いハートができた。つづいて頭の上には青いハートが打ちあがった。
打ち上げ花火の三連発だ。
最初はその音を聞いて何事かと思っていた観光客も、打ち上げ花火だと分かって大喜びをし、カメラやスマホを向けている。緊張が走っていた警備員たちも、事情が分からないまま、うれしそうに空を見上げている。
みんなを喜ばせるためのイベントだと思ったのだろう。
その間も澄み切った春先の空に、次々とハート型の花火が打ち上がっていく。
「あっ、コヤギくんや!」
ウサギの声にカジキとサイが視線を下ろしてみると、コヤギがうれしそうにこちらにやってくる。
「わっ、コヤギくんも走ってる!」
「花火のことになると元気になりやがる」またカジキが呆れる。
ドアを開けて、コヤギが息を切らせながら乗り込んできた。パンダパンをお尻で踏んづけないように、ウサギがさっと避けてあげる。
「ウサギちゃん、見てくれましたか。あのハート花火は青空でも映えるように、赤い色の花火を選んでみました」
「映えるのは大事やしね。ねえアニキ、映えるって知ってる?」
「えっ? バエル? ああ、十年前から知ってるぞ」
「ぜったいウソや」
「みなさん、ハート花火は大成功でしたよ」コヤギの興奮は治まらない。
「大成功じゃねえだろ! 警察が気づいたらどうするんだ」
カジキが振り向いて怒る。
「あっ、そこまで考えてませんでした」
「お前は花火のことしか頭にねえのかよ」
「はあ、その通りです」
そのとき――。
パ、パ、パ、パ、パーン。
さっきと違う音がした。
「今度はなんだ、おい!」
「アニキ、安心してください。もう一種類の花火も、時間差で仕掛けておきました」
パンダ岩の上空に打ち上がった花火から、何かが落ちてくる。
「あっ、パラシュート花火や!」ウサギがうれしそうに言う。「これって、空風山の頂上で……」
コヤギがウサギの耳元で、シーッと言う。
「あっ、アニキたちには内緒やったね」ウサギが小さい声で訊く。「また、サルのぬいぐるみが付いてんの?」
「いえ、パンダのぬいぐるみです。でもあらかじめ用意したものではなくて、偶然にパンダなんですよ。あまりの符合の良さにボクもびっくりしてます」
青い空に白黒のパンダが舞う。
大きなパンダ岩の周りから、小さなパンダが次々とパラシュートで落下する。
「コヤギは何を考えてるんだよ。これじゃ目立ちすぎじゃねえかよ」
ウサギはあたりを見渡す。
観光客はますます喜んで、落ちてきたパラシュートを我先にと追いかけている。
「アニキ、そんなに怒らんでも、オマワリさんの姿は見えへんで。――はい、コヤギくん。これサイくんからの差し入れのパンダパンやで」
「えっ、そうですか。一仕事した後はお腹が空くので助かります。では、サイさん。いただきまーす」
コヤギはパンダのアゴに噛り付いた。
サイはカジキに言われて車を発進させた。発進の際には、後部座席のコヤギとウサギのシートベルトをチェックして、ちゃんとウィンカーを出し、前後左右の確認を忘れない。
今度はエンストをすることもなく、パンダ岩を後にした。
その横を白くて大きな車が通り過ぎた。
「わっ、でっかいキャンピングカーや!」
ウサギが大きな声をあげて驚いた。
全長約五メートルの白い大型キャンピングカー、“おてがらくん”と“でかしたくん”がUターンをして、採石場へと向かっている。
犯人の車を二台で挟んで走ってたが、見失ってしまった。一本道の国道を逃亡中の奴らが、まさか寄り道をするとは思わなかったため、思わぬ不覚を取ってしまったのだ。
ヒツジ見習いが、こっそりとラクダ本部長の表情を見ると、先程から怒りで顔を真っ赤にしている。
その真っ赤な顔のバックに、真っ赤なハート花火が上がっている。
「ヒンバ副本部長、ラクダだ。でかしたくんは採石場の入り口で待機していてくれ。おてがらくんが中に入り、様子を見てくる。奴らが国道に出てきたところで、また挟み撃ち作戦だ」
「了解しました」
ラクダ本部長は一つ深呼吸をした。
奴らにわれわれの姿を見せてはならない。警官の姿を見つけしだい、人質に危害を加えると言っているからだ。慎重に行動をしなければならない。しかし慎重すぎて、今回のようなことになってはいけない。
慎重かつ大胆に攻めていこう。奴らはまさか、このキャンピングカーが捜査本部になっているとは気づくまい。できるだけ近づいて情報収集を試みよう。
ラクダが思案にくれている間も花火の音は止まない。
「しかしなぜ奴らは銀行に続いて、こんなところでも打ち上げ花火を上げるのか?」
ラクダが分からないのも無理はない。仲間のカジキでさえ、コヤギの行動は分からないのだから。
おてがらくんが国道から左折して、舗装がされてない道を奥へと向かっていく。前にも後ろにも車がつながっている。逆に国道に出て行く車も多く、つぎつぎにすれ違って行く。そのたびに犯人たちが乗った車ではないかと、捜査員の間に緊張が走る。
やがて、パンダ岩が姿を現した。
「ほう、確かにパンダの形をしとるな。それにしても、すごい人と車だな。緑色の車もかなりあるから、これではなかなか見つからんぞ」
ラクダはヒツジを伴って、車外に出た。もう、ハートの花火は終わっていた。
あの花火はぜったいに奴らの仕業に違いない。火薬銃器類のプロフェッショナルがいるのだからな。第八中央銀行熊山出張所を出るときに仕掛けられた煙幕もそうだ。窓に取り付けられた花火もそうだった。
奴らは楽しんでやがる。警察が追いかけていると分かっていて、遊んでやがる。プロゆえの余裕か。そんな奴らは何としても捕まえて……。
そのとき。
パ、パ、パ、パ、パーン。
さっきと違う音がした。
ラクダとヒツジは思わず地に伏せた。
「狙撃かっ!」ラクダは首だけ上げて周りをうかがう。
「うへえ、怖いよう」ヒツジは頭を抱えて丸くなってガタガタ震えている。
しかし、子どもたちの歓声が上がって、空を見上げてみると、パラシュート花火が落ちてくるところだった。
「なんだよ、また花火かよ。驚かせやがって」
ラクダが立ち上がると、おてがらくんの中から、捜査員があわてて出てきた。
「本部長! 今の音は?」
「心配するな、また打ち上げ花火のようだ」
ヒツジはラクダの足元で、まだ丸まっている。
「おい、見習い! いつまでそうしてるんだ!」
「えっ?」
ヒツジはのそのそ立ち上がった。
「あれっ、本部長、新しい帽子ですか? 変わったチューリップハットですねえ」
「なに?」
ラクダは頭に手をやった。
落ちてきたパラシュートが乗っていた。側頭部にパンダのぬいぐるみがぶら下がっている。
「このパンダは? まさか、奴らは初めからパンダ岩に立ち寄るつもりで、こんなぬいぐるみを用意していたというのか。なんて野郎だ、くそっ!」
ラクダは頭からパラシュートをむしり取って地面に叩きつけた。
パンダの小さなぬいぐるみがピョンとはねた。
ラクダとヒツジと捜査員は捜査本部の中に戻った。
「取りあえず、出口はここしかないようだから、ここで車を停めたまま待機しよう。見渡すと家族連れが多いしな。中年のオッサンがウロウロしては目立ってしまう。しかもこのデカイ車だからな」
そのときだった。
緑色の車がおてがらくんの横を通って出て行った。
「ヒツジ見習い! 今の車のナンバーを確認しろ!」
「はい!」
ヒツジが双眼鏡を手に取って、
「えーと、ナンバーは……」後ろのナンバープレートの数字を読み始める。「全然違いますね」
「そんなはずはない。今の車がそうだろ。中に乗っている奴らはよく見えなかったが、同じ車種だったぞ」
「しかし……」
「分かったぞ。また偽造してやがるんだ。真っ赤なオープンカーのプレートにガムを張り付けてやがったからな」
ラクダは無線を手に取った。
「でかしたくん! 北へ向かって発進してくれ。犯人の乗った車が今、そっちに向かった。ナンバーは偽造してあるから、気にするな。奴らはまた北へ向かうはずだ。おてがらくんはこのまま後ろから追いかける!」
サイが法定速度で運転する車は、ラクダが睨んだとおり、国道に出ると、再び北上し始めた。
後部座席でウサギの隣に座ってるコヤギが、リュックの中をゴソゴソやり始めた。
「コヤギくん、車の中で花火をやったらアカンで」ウサギが注意する。
「いえ、花火じゃなくて、これです」
コヤギが取り出したのは、銀行のロッカーから盗んできた三台のスマホ電話だった。
「ウサギちゃんにスマホの使い方を教えてもらおうと思っていたのです」
「そういえば、そういう約束やったなあ。じゃあ、まずメールの打ち方を教えてあげよか?」
ウサギはスマホを受け取ると説明を始めた。
「まず、ここに件名を書くねん。何がエエかなあ」ウサギは外に目をやる。
「このあたり山が多いから、ヤッホーにしよかな」
ウサギは“ヤッホー”と入力した。
「次に本文を書くねん」
ウサギはコヤギに入力方法や漢字変換の方法を教えながら、メールを完成させた。
“ヤッホー!”
“お元気~。(^)o(^ )
こっちは、めっちゃ、元気で~す。(^O^)/
今、ドライブ中だよ~ん。=^_^=
いいお天気で~す。\(~o~)/
パンダパンはおいしかったよ~ん。(●^o^●)
じゃあねえー。☆彡
バイバーイ。(^。^)y-.。o○“
「ほら、できたで。かわいいやろ? コヤギくん、分かった?」
「はあ、何とかできそうです。でもせっかく作ったのですから、誰かに送りたいですねえ」
「そうやなあ、誰がエエかなあ」
そのとき、助手席で二人の話を聞いていたカジキが振り返った。
「拡声器で偉そうに叫んでいた捜査本部長のラクダって奴がいただろう。あいつに送ってやればどうだ?」
「さすが、アニキ。それはいいアイデアですねえ」
コヤギは感心するが、ウサギは反論する。
「えーっ! ウチが作ったメールをそんないたずらに使わんといてほしいなあ」
そんなウサギにコヤギは頭を下げる。
「ウサギちゃん、お願いしますよ。警察をオチョクルのは極悪人志望のボクとして、当然のチャレンジなんですよ。この登竜門を乗り越えないと、一流の極悪人にはなれないのです。何とか目をつぶって、メールを譲ってください」
「うーん、なんか意味がよう分からんけど、今回だけやで。それと、そのスマホは持ち主に返さなアカンで」
「はい、送料着払いで返します。ちゃんと覚えてますから、安心してください」
コヤギは熊山警察署に電話をして、ラクダ本部長につないでもらうことにした。
いたずらとはいえ、コヤギのスマホを持つ手は震え、目もあちこちを泳いでいる。
「コヤギくん、大丈夫? 落ち着いて話しや。それと、極悪人らしい低い声を出さなあかんで。甲高いアニメ声やったら、オマワリさんに笑われるで」
「えっ、それは難しいですけど、何とかやってみます」
おてがらくんの無線連絡のランプが点滅した。
天井のスピーカーから車内に声が響く。
「こちら熊山警察署です。ラクダ捜査本部長、応答願います」
「はい、こちらラクダです」
「犯人から署に連絡が入ってます」
「何! 奴らは何と?」
「本部長と話がしたいそうで、今からそちらにつなぎます」
「おい、みんな聞いたな。何を言ってくるか分からんが、よく聞いておけ。ヒツジ見習い、録音は大丈夫だな」
捜査本部にかかってくる電話や無線は、すべて自動的に録音されることになっている。ヒツジ見習いは緑色の録音ランプが点灯していることを確認して、緊張した面持ちでうなずいた。
やがてスピーカーからコヤギの声が聞こえてきた。
“ラクダ本部長さん、聞こえますか。驚かないでくださいよ。私は犯人ですよ。今から大事な要求を言いますよ。一度しか言いませんので、よく聞いてくださいね”
車内が静まり返った。録音してあるとはいえ、聞き漏らさないよう、捜査員たちは懸命に耳を傾ける。メモを手に持っている者もいる。また犯人からの声は、同時に、でかしたくんの車内にも流れていた。そちらも、ヒンバ副本部長をはじめとして、全員が静かに犯人の次の言葉を待っていた。
“ラクダさんのメールアドレスを教えてください。――以上です”
「何だと! キミたちはいったい何をしでかす……」
ラクダは犯人を説き伏せようとしたが、人質とライフルをはじめとする銃器類のことが頭をよぎったため、ここは素直に教えることにした。
「分かった、教えよう。メールアドレスは――」
“ありがとうございます”
犯人はていねいにお礼を言うと、メルアドを訊いた目的も言わずに、そのまま電話を切った。しかしラクダ本部長の表情には歓喜が感じられた。
そして、でかしたくんの捜査員にも聞こえるように無線で叫んだ。
「みんな聞いたな、今の声を。犯人の一人は女だ!」
カジキたちが乗る車の中は爆笑の渦だった。
「コヤギくん、アカンやんか。もろにアニメ声やったで」
「えっ、そうですか。気をつけて低くしゃべったのですが」
カジキが振り向く。
「コヤギくんよお、お前の場合は低くても同じ声なんだよ。今後のために覚えておいた方がいいぞ」
「そうですか……」うなだれるコヤギ。
「もしかしたら、オマワリさんたち、コヤギくんのことを女の人と勘違いしたんと違う?」
「ははは、ウサギちゃん、オマワリはそこまでバカじゃねえだろ」
背筋をピンと伸ばして運転しているサイが言う。
「あっ、アニキ、いいこと思いつきました。ラクダ本部長のメールアドレスをネット上で公開しやったらどうですか?」
「そりゃダメだ。この計画書にも書いてある。よく聞け。特殊業務遂行規約。第六条。個人情報。業務遂行中、知り得た個人情報は適正に管理し、本業務以外の目的に利用しないこと。――分かったか?」
サイは残念そうな顔をしながら、安全運転をつづける。
ウサギはアニメ声をからかわれて、まだうなだれているコヤギを見て言った。
「じゃあ、コヤギくん、メールの送り方を教えてあげるし、よう見ときや。さっきのアドレスをこうやって入れるやろ。ほんで、この三角形のマークを押すねん。――ほら、簡単やろ」
スマホ画面を食い入るように見つめていたコヤギ。
「ホントだ。簡単ですねえ。これはいつ頃届くのですか? 今日中には間に合いますかねえ」
「何を言うてんの。もう届いてるで」
ラクダ本部長のスマホがメールを受信した。
「奴らだ! さっそくメールを送って来やがった。たぶん新しい要求だろう。今から読み上げるから、みんなよく聞け! でかしたくんの方も聞こえてるな。ヒンバ副本部長もよく聞くんだ!――なになに。ヤッホー! お元気~。こっちは、めっちゃ、元気で~すって、何だこれは? ヒツジ見習い! これは何か恐ろしい暗号かもしれん。さっそく科学警察研究所の暗号解読班に回せ!」
「あ、あのう、本部長。これはただのいたずらだと思いますが」
「何だと! 奴らを見くびってはいかんぞ。今までどれだけわれわれ警察を翻弄してきたことか。それに女というのは、実に恐ろしい生き物だということを知らんのか?――ああ、ヒツジくんは新婚だったなあ」
「そんなことよりも、これで奴らのスマホの持ち主が分かりますので、そちらから調べた方がいいのではないかと」
「何! それを先に言わんか!」
スマホの持ち主が割り出されたが、盗まれた第八中央銀行熊山出張所の女子行員のものだと分かった。
さっそく掛けなおしてみたが、電源が切ってあり、つながらなかった。
ラクダは再びヒツジとソファーに戻り、本日五杯目のお茶を飲みはじめた。
つながらないのは分かっていたことだ。電話して犯人がのんきに出てきちゃ、捕まえる張り合いがなくなるというもんだ。奴らはそう簡単にシッポを摑ませないプロフェッショナル集団だ。今回の強盗事件も綿密に計画を立てたのだろう。主犯格の強盗のプロが銃器のプロと車のプロを探し出すだけでも、相当の苦労があったはずだ。
しかも、この中に女が混ざっていたとはな。
ラクダは署に連絡をして、過去に強盗犯罪歴のある女性の調査を依頼していた。
ルパン三世+キャッツアイか。
待っていろよ、じっくりと料理して、そのツラを拝んでやるからな。
まっすぐに続く国道を走るおてがらくんの遥か先に、米粒のように犯人たちが乗った緑色の車が走っている。その前を、でかしたくんが走っているはずだが、ここからは見えない。
ラクダは五杯目のお茶を飲み干すと、おかわりをするために紙コップを置き、給茶機のボタンを押した。
そのとき無線の着信音がして、天井のスピーカーから女性の声が聞こえてきた。
“ラクダ本部長、応答願います。こちらメジカです”
サイは相変わらず、膝の上に教則本を広げながら安全運転をしている。法定速度を守っているため、次々に他の車が追い抜いて行く。もっとスピードを出して逃げろと言っていたカジキも、ずっと警察官の姿が見えないので諦めて、サイが運転をするままに任せている。
やはり、幼い人質を取っているのが大きい。警察も安易には手が出せないようだ。といっても、この人質、今日は冒険の日だなどと言い出して、この逃亡劇を楽しんでいる。困ったもんだ。
カジキはルームミラーでウサギを見た。のんきにコンパクトを覗いている。
何回見ても同じ顔だぜと言おうとしたが、怒られそうなのでやめた。
この山間部を走る国道を、このままずっと北上すると隣の県に入ることができる。入った後のことはまだ考えてない。昔仕事をしたことがあるところなので、ある程度の土地勘はある。市内に紛れ込んでしまえば何とかなるだろうと、こちらものんきに構えている。
先ほど赤信号で停止した。こんなところに信号があるのかと思ったが、道路脇に小さな見晴台があり、数台の車が止まっていた。桜丘見晴台と書かれた木製の看板が立っている。
確かに、ここからは遥かに山々が見えて景色がいい。そして、道路の反対側にはコンビニがあった。その二ヶ所を横断するための押しボタン式信号が設置されている。
「それにしても長い信号だな。なあ、サイさん」
運転中は常に前を向いている優良運転手のサイが、よそ見をしてコンビニの方を見ていた。お弁当二個とパンダパン数個を食べたので、腹はすいてないはずし、コンビニにあの高価なミニカーなんか売ってないはずだが。
カジキは返事をしないサイをいぶかしんで外を見た。
コンビニの駐車場にも何台かの車が止まっていて、その周りを子供達が走り回っている。そして、一番端の駐車スペースには銀色の大型バイクが止まっていて、黒いブーツに赤と白のライダースーツを着た一人の女性がヘルメットをかぶったまま立っていた。ヘルメットからのびた長くて黒い髪が肩にかかっている。
「サイさんよお、アンタも隅に置けないなあ。F1と食い物しか興味がないと思っていたのによお」
「い、いえ、アニキ、そういうわけじゃ……」
カジキの声を聞いて、ウサギとコヤギも外を見た。
「わっ、あの女の人、スタイルがエエなあ。めっちゃ足が長いわ。サイくんが見とれるのも無理がないなあ」
「あれっ、ほんとですねえ」
花火にしか関心を示さないコヤギまで身を乗り出して見ている。
カジキが笑い出した。
「みんな、甘いな。確かにスタイルは良さそうだがな、ああいうのは、ヘルメットを脱いだら、すげえ顔をしてるもんだぜ」
そのとき、女性がヘルメットに手を掛けた。
「ほら、見ててみな」
フルフェイスのヘルメットの下から素顔が見えた。
「わっ! アニキ、大はずれやで。顔もめっちゃきれいやんか」
カジキはあわてた。
「えっ、ああ、おお、ホントだ。きれいだな。――まあ、あれだな、物事には例外というものがあるんだ」
女性ライダーは長い髪を手でかき上げると、ヘルメットをバイクのシートの上に置いて、ウェストポーチからタバコを取り出すと、マッチを擦って火をつけた。
「今どきマッチかよ」
カジキがつぶやく。
「それがエエんやんか。あの人やったら、似合うわ。なあ、コヤギくん」
「はあ、カッコいいです。一緒に線香花火をしたいです」
「あっ、分かった。サイくんの興味があるのは、F1の車やなくて、レースクイーンのお姉さんやろ!」
サイが運転席から振り向いて言う。
「そ、そんなことないですよ。私は車が好きで……」
「でも、あの女の人、レースクイーンにいそうなタイプやで」
「ウサギちゃん、あんまり私をイジメないでくださいよお」
女性ライダーは火の消えたマッチを持って、灰皿の方に歩いて行った。そして、マッチ棒を投げ込むと、一息タバコを吸い込んで、煙を横に吐き出し、その灰を灰皿に落とした。
コンビニから出てきた若い男性のグループがすれ違いざま、チラチラと彼女を見ている。
彼女は彼らを無視しながら、タバコをふかす。
ウサギはコンパクトを落とさないように、しっかり手に持ったまま、女性ライダーを見つめている。
「かっこエエなあ。ウチも将来タバコを吸うようになって、男の子がナンパしてきたら、無視して、顔にフッーてタバコの煙をかけてやろ」
「ふん、何がフッーだよ」カジキが茶化す。
「アニキ、何か言うた?!」ウサギが怒る。
「いや、あのう……」
クラクションの音がした。
「おっ、サイさん、後ろから鳴らされてるぜ」
四人して、きれいな女性ライダーに見とれていたため、信号がとっくに青に変わっていることに気づいてなかった。
「わあ、急がないと!」
サイはあわてて発進した。
――ガクン。
またエンストを起こした。
女性ライダーはタバコを灰皿に擦り付けて火を消すと、止めてある銀色のバイクの方に歩き出した。そして、歩きながら、ライダースーツの襟の部分に取り付けてある小型マイクに向かって話しかけた。
「ラクダ本部長、応答願います。こちらメジカです」
「ラクダだ。今どこだ」
「桜丘見晴台の前のコンビニです。犯人の乗った車を確認しました」
「分かった。慎重に追ってくれ」
「了解」
メジカは再び赤いヘルメットをかぶると、バイクにまたがり、エンジンを始動させた。
山間部に響く大きなエンジン音に、周りではしゃいでいた子供達が驚いて振り返った。
「サイさんよお、何回エンストしたら気が済むんだ。俺たちは逃亡者なんだからよ、もっと真剣に緊張感を持って運転してくれよ。そんなことじゃ、F1レーサーになれないぜ」
助手席からカジキが文句を言う。
「はい、以後がんばります!」
運転席のサイが元気に答える。
後部座席からウサギが言う。
「でも、アニキもさっき女の人に見とれてたやんか」
「あれは見とれてたんじゃくて、チラ見していた程度じゃねえか。あれくらいの女に気を取られてたんじゃ、俺たち泥棒稼業はやっていけねえからな」
そのとき、コヤギが言った。
「アニキ、後ろから来ているのはさっきの人みたいです」
「なに!」
カジキが後部座席にまで身を乗り出してくる。後ろから一台のバイクが接近してくる。
「こらっ、コヤギ、どけ。見えないだろ!」
「ちょっと、アニキ。押さないでくださいよ」
「そうやで、アニキ。チラ見程度と違うの?」
「いや、まあ、あれだ。もしかしたら警察かもしれねえから、よく見ておこうと思ってな」
「あんなレースクイーンみたいな女性警官がいるわけないやん」
メジカが猛スピードをあげて、大型バイクで追いかけてくる。
爆音が車の中まで響いてくる。
長い足が銀色のボディーをはさみ、長い髪が風になびいている。
やがて――。
「わっー!」
バックミラーで見ていたサイが悲鳴をあげた。
他の三人も息を呑んだ。
メジカが車の左後部ギリギリにすり抜けて行ったからだ。
ウサギの目も大きく見開いている。
「わあ、びっくりした。ぶつかるかと思った。何やねん、あのおネエさんは。あおり運転やんか」
やがて、前方を走るメジカのスピードが落ちてきた。法定速度で走るサイの車が逆に追い抜いて行こうとする。しかし、バイクは右側にピタリとついたまま並走をはじめた。サイはぶつからないように、左側に寄って、右のスペースを作る。几帳面に正面を向いて運転しているサイ以外の三人は、右側を走るメジカを見上げる。メジカは車の方を見下ろしながら走っているが、フルフェイスのヘルメットに加えて、逆光のため表情は見えない。
“運転しているのは体格からして男性だ。助手席にいるのも男性のようだ”
運転手はこちらに目も向けずに運転をつづけている。
助手席の男は車の中が暗くて、はっきりと表情までは見えないが、熱心にこちらを見ている。
“その後ろに座っているのが人質のウサギちゃんか……”
興味深そうにこちらを見上げるウサギと目が合う。
“そして、その奥が……”
帽子を目深にかぶっているので顔がよく見えないが、かなりスリムなようだ。
“本部長がキャッツアイと呼んでいた女性か?”
メジカは頭をあちこちに向けて、薄暗い車の中を観察する。
ヘルメットの右横には小型のカメラが取り付けられている。ヘッドカメラだ。
“どこ?”
メジカは車の中を覗き込む。
“この中にあるはず”
ふと後部のトランクに目が行った。
“違う。そこだといざというときに取り出せない”
この暗さ。何とかならないかなあ。
そのとき、奇跡的に車の中に陽が差し込んだ。たちまち明るくなる車内。
“あった。ウサギちゃんの足元だ”
メジカはスピードを緩めて、車から離れた。
“本部長、こちらメジカです。後部座席の床の上にあります”
ヘッドカメラの映像はリアルタイムで、おてがらくんとでかしたくんのモニターに映し出されていた。
食い入るようにモニターを見つめていたラクダの元にメジカから無線が入る。
「後部座席。――おっ、これか!」
床の上にベージュ色の布に包まれた長い棒状のものが二本横たわっている。その横にも小さな包みが二つある。
「ライフル二挺にナイフと手榴弾だ。こんなところに無防備に置いてやがる。こいつさえ何とかできれば、犯人なんぞ、いちころに片付けてやるなのになあ」
ラクダは無線を手に取った。
「よくやった。そのまま追跡を続けてくれ」
「了解!」風の音に混じってメジカの声がした。
つづいて、天井のスピーカーから、ヒンバ副本部長の声が聞こえてきた。
「本部長、ただいまヘッドカメラを通じて届きました犯人たちの写真ですが、さっそく署に転送して、身元確認を依頼しました」
「おお、ご苦労さん。ちょっと不鮮明だがな、何とか身元が割れてくれたらありがたいのだが」
メジカは犯人たちが乗った車に付かず離れず、追い抜き追い越しをしながら、その前後を走っていた。
カジキたちにはドライブを楽しんでいるように見えているだろう。そして、車とバイクを大きく挟み込むようにして、遥か前方と遥か後方に、二台の特殊キャンピングカーが走っていた。
でかしたくんの車内。モニター画面を睨みつけていたヒンバ副本部長は、運転席の捜査員に叫んだ。
「奴らは国道をはずれて西へ入ったぞ! 後方一キロの地点だ。カーナビではどうなっている?」
助手席の男がカーナビを操作して答える。
「はい、その先は牧場です!」
「牧場だと! なんで奴らは真っ直ぐ逃げないで、寄り道ばっかりしやがるんだ」
そのとき、天井のスピーカーが鳴った。
“こちらメジカです。犯人の車が馬山牧場に向かいました。このまま追跡します”
つづいて、ラクダ本部長の声が交差する。
“ヒンバ副本部長! ラクダだ。すぐにUターンをして、奴らの後を追ってくれ!”
国道を戻ってきたでかしたくんが牧場へ向かうT字路で、おてがらくんと出会った。運転席に立っているラクダが先に行けと手で合図をする。
馬山牧場と書かれた案内板の前を通って、でかしたくんが右折した。こちらも運転席にヒンバが立っている。そして、その後を左折したおてがらくんが追う。
サイが運転する車が止まった。
「どうした、また信号か?」
カジキがサイを見ると、膝の上に広げた教則本をしきりに繰っている。
「いいえ、あの交通標識の意味がわからないものですから」
カジキが見ると、左前方に黄色い菱形の標識が立っていた。
「あれは落石注意じゃねか! こんなことでいちいち止まるなよ」
「でも、あの向こうにある標識も知らないものですから」
同じく黄色い菱形にシカがジャンプしている絵が描いてある。
「あれは動物が飛び出してくるから、気をつけろじゃねえのか?」
「そうですか。F1のサーキット場にはあんな標識はないものですから」
「当たり前だろ! レース中に岩が落ちてきたり、シカが飛び出してきたりしたらどうするんだよ」
「それは大丈夫です! 一流のドライバーなら避けられると思います!」
「そういう意味じゃねえだろうが! 早く行けよ!」
右ウィンカーを出して、緑色の車が馬山牧場に向かって走り出した。
「私はゴールド免許保持者ですから、交通標識はちゃんと守らないといけません」
「ゴールド免許を持ってるなら、標識の意味くらい覚えておけよ」
「シカというのは奈良県にいるものじゃないでしょうか?」
「シカなんか全国区だろ!」
「では、この辺にもいるのでしょうかね」
「おう、ビュンビュン走ってるんじゃねえか?」
意味不明の会話をつづけるカジキとサイ。
そのとき、車の横をメジカのバイクが追い抜いて行った。
「わっ、さっきのおネエさんやー!」
ウサギがメジカの銀色のバイクを目で追う。
やがて、前方に牧場が見えてきた。
「わっ、真っ黄色やー!」
ラクダ本部長はいら立っていた。
犯人は何を考えているのか、さっぱり分からん。金を強奪したと思ったら、優雅にドライブとは。なぜ真っ直ぐ逃げんのか。わしなら、金を持ってさっさと逃げるぞ。いや、忘れておった。わしは警官だった。強盗なんかやっちゃいかんわ。
では、他に何か目的でもあるのか?
いや、さっきのパンダ岩では花火を上げただけで、帰って来たではないか。自分たちの力を誇示するのなら、他に方法もあろうというもの。花火だけとは、ただ楽しんでいるだけとしか思えん。
奴らは、ただ我々をからかっている愉快犯なのか?
ならば、もっと警察に接触してきても良さそうなものだが。
分からん。ドリームチームの考えることは分からん。
前方をでかしたくんが行く。二台の間に数台の車が走っていて、逆に国道に向かって数台の車が出てくる。
「ヒツジ見習い。ただの牧場だというのになぜ、こんなに車が走ってるんだ。世間は牧場ブームか?」
「テレビでもやっていたのですが、なんでも菜の花が満開らしく、まるで黄色いじゅうたんのようだと言って、たくさんの人たちが押し寄せているらしいです」
「黄色いじゅうたんとは安易なキャッチコピーだな」
「でもここは桜の花もきれいで、すごく良い所です」
「なんだ来たことがあるのか?」
「はい、小学生のときに遠足で来ました」
「だったら、隠れる場所があるとか、逃げ道があるかどうかとか、牧場についてはいろいろと知ってるのか?」
「いいえそれが、牛の乳搾り体験のときに、間違えて馬のお乳のところに行きまして、蹴られまして、救急車で運ばれまして、気づいたら病院でして。つまり、よく覚えてないのです」
「分かった。今後、お前にはあまり期待しないが、気にするな」
「えっ?」
ラクダは気を取り直すと、無線機を手に取りながら、モニター画面に目をやった。
メジカのヘッドカメラからの映像は消えて、地図が映し出されている。小さな赤い点が少しずつ牧場へ向かって移動している。犯人たちが乗った車だ。
「ヒンバ副本部長! でかしたくんは牧場の中まで入って、奴らの様子を伺っていてくれ。おてがらくんは途中で待機している。人質の安全には十分に注意を払ってくれ。それと、かなりの観光客がいるらしいから、気をつけてくれ。奴らは銃器を持ってるからな」
そう命令すると、おてがらくんを道からはずれた原っぱに入れた。キャンピングカーが草原の中に止まっていても不思議ではない。
青い空に黄色い菜の花畑、それを取り巻くピンクの桜の花。緑の草原の中の白いキャンピングカー。――かえって自然な風景だった。
うーん、パンダ岩の次は牧場か。確かにあの菜の花畑は見事なものだったが。
爺ッ様ことヤマネはイチョウの木の下に座り、ネットニュースで見た光景を思い出していた。
牧場では馬の赤ちゃんが生まれて、その名前を募集しているとも言っていたなあ。
ヤマネも、ラクダやヒンバと同様に、なぜカジキたちが真っ直ぐに逃げないで寄り道をするのか不思議に思っていた。
しかし……。
目的は桜の花か、菜の花か、その子馬か、それとも牧場内に設置された特設ステージで行われるヒーローショーか。
うーん、カジキさんたちも大変だなあ。
追いかける警察はもっと大変だろうけど。
ヤマネはふと顔を上げた。
さっきから目の前に立っていた男が分厚い封筒を差し出したからだ。たぶん、五百万円はあるだろう。
高級スーツを自然に着こなしている六十がらみの白髪の紳士。温和な表情に丁寧な言葉遣い。誰が見ても一流会社の重役に見えるが、実は腕利きの泥棒だった。
一週間ほど前に紹介した金庫破りのプロと仕事をして、億単位のお金を盗み出したらしい。しかも、元々そのお金は事情があって表に出せないもので、盗まれたからと言って警察に届けるわけにも行かず、相手は泣き寝入りをせざるを得ないらしい。
その謝礼を受け取ってくださいという。
ヤマネは丁重に断った。
闇の派遣会社。受け取るのは紹介料だけと決めている。もちろん、目に前の札束には魅力を感じるが、こういう別途料金を受け取らないことで、今まで信用を積み重ねてきた。
「また機会がありましたら、ご利用ください。末長くお付き合いいただけるだけで、十分です」
「そうかね」
泥棒紳士は封筒を引っ込めた。
「末長いお付き合いか。なんだか銀行のCMみたいだな。それにしても、あの男には驚かされたよ」
紹介した金庫破りのプロのことらしい。
「てっきり金庫に聴診器を当てて番号を探ると思ったのに、なにやら変な機械をダイヤルにつないで、それがクルクル回ったと思ったら、パカッと扉が開いてね。本当にびっくりしたよ。その機械を一千万円で譲ってくれと言ったが、断られてしまったよ」
紳士はそう言って笑った。
「へえ、そんな機械があるんですか」
ヤマネは話を合わせたが、自分でも作れるだろうと思った。
「では、爺ッ様。また利用するかもしれないから、そのときはよろしく頼むよ。できたら同じ人がいいかな」
泥棒紳士は深々とおじぎをすると、青い車公園の横に停めてある高級外車に向かって歩き出した。
この光景を知らない人が見たら驚いただろう。立派な紳士がホームレスに頭を下げていたのだから。
ヤマネは公園の主の青いワゴン車にチラッと眼をやると、イヤホンを耳に差して、周波数を警察無線に合わせた。
「わーっ、牧場、めっちゃきれい!」ウサギが車の中で叫ぶ。
警察が張っているかもしれないため、ここでも車から出ないようにカジキに言われていて、エンジンをかけたまま、車中から景色を楽しんでいた。しかし、車から降りなくても、駐車場から見える風景はきれいなもので、馬や牛が遊ぶ牧場の真ん中には、丸太を組み合わせたコテージ風の巨大な建物が建っていて、“絞りたての牛乳あります”と書かれたノボリがそよそよと風に翻っていた。牧場の隣には桜と菜の花畑が広がり、そのバックには空風山がそびえていた。
「あっ、コヤギくんが大好きな空風山やで。あの頂上で花火を……」
「シーッ!」
またコヤギがウサギの耳元で言う。
「エヘヘ、冗談、冗談」
ウサギがカジキとサイに聞こえないように笑う。
車から降りた家族連れは時計を気にしながら、牧場の隅に向かって小走りで急いでいた。そこには、屋根が付いたステージが設置されていて、その前に並べられたイスにたくさんの人たちが座っていた。
「あそこで何か始まるんと違う?」ウサギが指を差す。
「ああ、ウサギちゃん、あそこに何か書いてありますよ」コヤギが言った。
駐車場の入り口に立っている掲示板にポスターが貼ってあった。
「えーと、もうすぐあそこで仮面ライダーショーがはじまるようです。どうですか、見に行きますか?」
「――でもなあ」
カジキが振り向いた。
「ウサギちゃん、ちょっとならいいぜ。一緒に行こうか」
「でも、ウチ、仮面ライダーには興味がないし、車の中からでも見れるし、ここでエエわ」
「そうか。だったら、サイさんよ、もっとよく見えるところまで車を移動してくれ」
車は駐車場の一番前に陣取った。ここなら観客席に座っているのと変わらない近さだ。
「アニキ、ウチのためにありがとう」ウサギは礼を言ったが、
「おう」カジキは照れて前を向いてしまった。
やがて開始時間となったところで、司会役の女性が大きな声で観客に拍手を要求した。
その拍手が合図となって、ステージの両脇から花火が打ち上がった。
それを見たコヤギが、リュックを手にドアを開けて飛び出そうとした。
「待て、コヤギ、どこへ行くんだ!」カジキがあわてて止める。
「あんな小さな花火では納得がいきません! ボクがこれを仕掛けてあげます」
コヤギが自慢げに黒い筒を持ち上げる。
「それは、バルカンじゃねえかよ!」
「はい、四十連発のバルカンフォーティです!」
「そんなもん上げたら大騒ぎになって、警察が来るだろうが」
「――そうですか」
「パンダ岩でも大騒ぎになって、あわてて出て来たんじゃねえか。ここではやるな。分かったな」
「はあ」
コヤギはしょんぼりして、小さなナデ肩を落とした。
ヒンバ副本部長はカバ代理とともに駐車場の隅へ、でかしたくんを停めて、犯人の車を見張っていた。
どうやら犯人たちはここで一休みしているらしい。車から出てくる気配はない。そして、この牧場のどこかにメジカがいるはずだが、バイクもその姿も見えない。
天井のスピーカーからラクダ本部長の声がした。
「ヒンバ副本部長! 犯人たちに動きはないのか?」
「はい、今のところ。これから始まる仮面ライダーショーを待っている様子です」
「何だ、それは。相変わらず余裕をかましてくれるじゃないか。――で、今どこだ?」
「犯人と同じ駐車場にいます」
「何! それでは見つかってしまうだろ。それでなくてもデカい車なんだからな。たぶん、パンダ岩でも目撃されてるだろう。もしかしたら、すでにマークされているかもしれん。どこかに隠れながら見張れる場所はないのか?」
「しかし、チビッ子たちがたくさんいて、こんな中にオッサン捜査員が隠れていたら、非常に目立ちます」
「うーん。――そうだ! さっき、仮面ライダーショーと言ったな。ショーの中に潜り込む
んだ。ステージの上からなら、犯人がよく見えるだろ。奴らも、まさか目の前に警官がいる
とは思わんだろうからな」
「しかし、どうやって?」
「その辺に主催者がいるだろ。そいつと交渉しろ!」
後編につづく。