第10話 5年分の家族サービス。
翌日から藤宮家の時間のほとんどは、新しい家族のために使われた。
まずは買い物。服や日用品などを揃えて、空き部屋は星奈の部屋として1からコーディネートされた。
星奈に日本の暮らしや文化を教えることも必須だ。日本語や歴史の勉強をした。今はインターネットを使えば簡単な資料や動画が幾らでも出てくるし、星奈はそれ自体にも興味津々で勉強はとても捗った。大概のことは一回で覚えてしまう。苦戦していたのは日本語の書きや、箸の使い方くらいである。
専業主婦の母は付きっきりで俺と星奈に付き合ってくれたし、父は忙しい仕事の傍ら養子縁組の話を進めてくれている。
そんな感じで、あっという間に2週間が経過した——金曜日の夕食時。
「息子帰還休暇が取れました」
珍しく早めに帰ってきていた父が、碇ゲ◯ドウスタイルでそう切り出した。
「…………………………」
俺と星奈、母はしばし顔を見合わせる。
「明日太、お醤油取ってくれる?」
「はいよ」
「あ、ママ。次私にもください」
今日の夕食は豪華にお刺身だ。
異世界で生の魚なんてあり得なかったから、俺は大興奮で舌鼓を打っていた。
星奈も最初こそ警戒していたものの一枚食べれば虜になって、赤目を輝かせてガッツいている。ちなみに箸使いはかなり上達して、今はテーブルや口元を汚さなくなっていた。
「ワザビもいるか?」
「それはアスタの鼻にでも突っ込んでください」
「おい」
辛いのはダメらしい。お子ちゃまめ。
「……みんな、無視しないで?」
3人で団欒していると蚊帳の外の父が捨てられた子犬みたいにか細い声を漏らす。
「……なんだよ、息子帰還休暇って」
さすがに可哀想になってきたので返事をしてみる。
「あ、明日太ぁ……! ゆ、有休だ! 有休を取れ
たんだよ! 2ヶ月! パパずっと頑張ってたから、だから特別にってさぁ!! すごいだろ!? ねぇすごいよねぇ!?」
初めからそう言え。結局なんだよ息子帰還休暇って。存在しねぇよ。
「2ヶ月って、そりゃ太っ腹だな」
海外なら一遍にそれくらい休みを取ったりすると聞くけれど、日本ではまずありえない。
大学の授業とかどうするのだろう?
まぁ、俺が気にすることでもないか。
「ふっふっふ〜。と・い・う・こ・と・で〜、パパは決めました!」
息を吹き返した父は満面の笑みで可愛い子ぶると、なぜか最後にまた碇ゲン◯ウスタイルに戻って、低い声でこう言った。
「旅行に行こう。日本一周旅行だ」
キマったとばかりに変顔ウィンクしてくる父は、そりゃあもうキモかった。
しかしそのアイデア自体は素晴らしいもので、特に星奈は早くも胸を躍らせている。
夕食後、俺は旅行誌を買い占めるために夜の街を自転車で駆けるのだった。
「明日太よ。我が息子よ」
旅行のプランについて何時間も話し合ってようやく解散、という頃。未だに酒を手放さない父はとろんとした瞳でこっそりと俺だけを引き留めた。
「これを、渡しておこう。時がきたら役所に届けなさい」
差し出されたのは婚姻届。ご丁寧に証人欄はすでに記入されていた。
余計なお世話すぎる。マジでなんなんこの父親。
目の前で破り捨ててやろうかと思ったが、星奈との嘘の関係を思い出してギリギリ踏みとどまる。
後日、誰にも見つからないように処分しよう。