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朝はまだきに

作者: 葛城大和



 朝目が覚めたら、外は一面銀世界だった。


 居間のカーテンを開けてベランダを見ると、手すりに雪が三十㎝は積もっている。視線を上に上げると、灰色の雲に覆われた空が見えた。お弁当と朝食の準備をしている母が外は氷点下五度だよ、と報告してくるのを聞いて、私はげんなりと肩を落とした。この分だと昼間のうちに雪が溶けるのは期待できそうにない。それにこの積雪。今日は父に送っていってもらうしかないだろう。


 私の通う高校は、家の近くにあるバイパスを利用して自転車で約三十分強のところにある。一度去年、一年生の頃、今日のように雪が積もった朝に、積雪がなんぼのもんじゃいと自転車で強行突破してみたことがあるのだが、その日は登校に一時間かかった。積もった雪の中を自転車で突破するのは本当に、それはもう大変だった。進みにくいし、積雪の薄いところでは滑る滑る、氷上を自転車で行くのとはまた違ったスリルだった。それ以来、雪が積もった朝は車で送っていってもらうことにしている。


 車で送ってもらう日は、バイパスの混み具合などの関係もあっていつもより早く家を出る。したがって、学校に着く時間も早い。


 七時四十五分、やはり教室には誰もいなかった。


 私は自分の席に鞄を置いて、ストーブをつけた。ストーブが起動する、灯油が燃え出す鈍い音が出始める。寒いと呟いた息が白い。


 席に戻り、鞄から文庫本を取り出す。二つあるストーブのうちどちらの方があたたかくなるのが早いだろうか、と比べてみて―――実際たいした違いはないのだろうけど、前の方のストーブの前に陣取る。


 ストーブに心持ち腰掛けようとして教室を見回して、私は眉をひそめた。入ってきたときには気がつかなかった、クラスメイトの机の上に投げ出された、黒いリュックサック。


 こんこん、と窓が叩かれる音がした。


「笹沼くん」


 窓の向こう、教室のベランダに、クラスメイトの姿があった。慌てて文庫本を置いて窓を開ける。


「おはよ」


 にか、と笑いかけてくる彼の頬は寒さで真っ赤だ。


 私は思わず訊いた。


「おはよう。…………寒くない?」


「寒いよ」


 それはそうだ。


「今朝、氷点下五度らしいよ」


「げ、マジ? そうなんだ」


 通りで寒いと思った、と笑う彼に、私は呆れてみせる。


「ストーブつけたから、入ってきたら? 風邪引いちゃうよ」


「うん、でもあともう少しだから」


「もう少し?」


 首をかしげてみせると、彼は足下を指さしてみせた。そこには大きめの雪の塊が一つ。


「………雪だるま?」


「の、予定のもの。予定外に早く着いちゃってさー、暇だから」


「それは判るけど」


 私はちらりと教室前の時計を見やった。八時前。HRが始まるのはまだまだ先だ。しかも今日は雪が積もっているだろうから、電車やバス通学の子たちは遅れてくるだろう。さすがに雪国だけあって電車は雪に強いが、うちの学校は駅からバスで三十分、雨や雪の日に時間通りになった試しは一度だってありはしない。


「でもそれにしたって、せめてストーブつけてから出ようよ」


「あー、うん、檀野がつけてから思った」


 あはは、と笑う彼につれて私も笑った。


 再びしゃがんで、雪だるまの頭を作り始める彼をしばらく眺める。うちの学校の男子は校内ではサンダルだから、彼の靴下に雪が乗っている。冷たそうだ。ああ、でも、うずうずする。外は寒い。開けた窓から容赦なく冷気が入ってくるから判る、雪は冷たそうだ、でも。


「―――私もやる」


 宣言すると、彼が驚いて顔を上げるのが見えた。私は窓を閉めて席に戻って本を置き、ガラリとベランダの戸を開けた。全身に冷気が晒されて、身震いする。


「………寒くない?」


 気の抜けた声だった。


「寒いよ?」


 私は肩を竦め笑ってみせる。


「でも、笹沼くん見てたら、やりたくなっちゃった」


 ナースサンダルに覆われない部分が雪に触れてやっぱり冷たい。それでもしゃがみこんで、雪をかき集め始める。


「………朝練、行かなくてもいいの?」


「今更なこと言うね。今日はどうせみんな集まらないよ。それに寒いし指が動かない」


「ああ……フルートだっけか」


 私は吹奏楽部でフルートをやっている。彼とは二年になって初めて同じクラスになったのだけど、それほど親しいというわけでもないから、楽器まで知っているとは思わなかった。


「よく知ってるね?」


「……まあね、ちょっと」


 彼は言葉を濁すと、いったん手を止め、両手をコートの中に突っ込んだ。


「ほら」


 こちらに差し出された手の中に、紺色の手袋。私はきょとんとして、目を瞬かせた。


「貸す」


「………ありがとう」


 私も手袋くらい持っているのだけど。好意を無駄にするのも悪いので、ありがたく受け取っておく。


 借りた手袋は、当然と言うべきか、私にはとても大きかった。だいぶ指の部分が余っているのを見て、小さい手だな、と彼が笑う。


「笹沼くんの手が大っきいんだよ、私のは普通ですー」


「俺のだって標準だよ」


 彼の手が伸びてきて、私の手のひらと合わさる。


「……ほんと、ちっさい手」


 彼の声は何故か感慨深げだった。


「いいなあ、大きくて」


 私の手はフルートを吹くには問題ない大きさではあるけれども、でも彼くらいの大きさだったらもっと楽に吹けそうだ。


 手のひらを合わせたままの彼が何故か気まずげに視線をそらしたその時、おはよう、という友人の声がして、手のひらは離れた。


 彼の顔は赤いままだった。




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