ねえ、みんな。新通貨どう思う?
いつも有難うございます
よろしくお願いします
来年の2024年度上期に発行となる新通貨。
見てみましたか?
まだの方は是非「新通貨」で検索してみて下さい。
私の感想は「見慣れてないからなんか変。10000、5000、1000の数字が大きくなって、外国の紙幣っぽいな」です。
きっと、外国の方たちにもわかりやすい表示にしたのだと思います。
新札の新たな顔は、一万円札が、渋沢栄一。裏面は、東京駅。五千円札は、津田梅子。裏面は、藤の花。千円札は、北里柴三郎。裏面は、葛飾北斎の富嶽三十六景「神奈川沖浪裏」の図柄になります。
選んだ人物については、前回同様、明治以降の文化人で、偽造防止の観点から鮮明な写真が残っていることや、紙幣にふさわしい品格があること、国民に広く認められていることなどから決めたそう。
品格?広く認められてるって…どう?
確かに、学生時代に必ず聞く名前ではあります。
だがしかーし。
私の脳みそでは、埋もれ、忘れ去られた記憶…
なので調べました。
渋沢栄一は、銀行制度と株式会社制度を普及させた「日本資本主義の父」と呼ばれる人です。
津田梅子は、女子英学塾の創設者であり、日本における女子教育の先駆者です。
北里柴三郎は、「近代日本医学の父」「感染症学の巨星」と呼ばれる人。
素晴らしい功績を残した方々です。
もう少し詳しく調べてみます。
(以下、ネットで調べられる物を、抜粋し、まとめた物になります。)
五千円札の顔になる津田梅子は「6歳で渡米した日本人初の女子留学生の一人」でもあります。
6歳で渡米…
選ばれる時点で只者ではありません。
そこで梅子ではなく、両親はどんな人か?を、調べてみました。
母は津田初子。
初子は、佐倉藩の津田大太郎とその妻「ふく」の、五男七女の次女として、江戸・牛込南徒歩町に生まれました。
(姉の竹子は田安徳川家に仕えて田安慶頼の側室となり、徳川家達の母となっています)
二十歳で下総佐倉藩士で勘定頭元締だった小島善右衛門良親の四男である仙と結婚。
1864年に、次女の梅子を出産。
父は津田仙。
仙は津田家の婿養子です。
仙は日本で初めて通販を始めた人だそうです。
そして仙と初子は青山学院設立などに大きく関わっています。
青山学院大学名誉教授の氣賀健生(故人)が記した書籍には『…彼の生きた明治期には、官界から外交、実業、農業畑、教育、宗教界から社会事業界に至るまで、津田仙の名は広く知られていた(中略)彼は生涯その身を飾る何の称号をももたなかった。ごく若い時代を除いて終生在野の「平民」であった。しかし、豪放磊落にして義侠肌、直情径行にして天真爛漫、その行動力は群を抜き、巨躯をひっさげたその姿は至るところに見られ、情深く涙もろく、畏敬をもって人に頼られる「大平民」であった。(中略)…足尾銅山鉱毒事件においても、田中正造を助け、八面六臂の活躍をした。』と仙を紹介しているそうです。
凄く良い人に思えますね。
津田仙は30歳の時、江戸幕府の通訳として渡米。福澤諭吉・尺振八らも同乗しニューヨーク、フィラデルフィア、ワシントンD.C.を訪れています。
(福沢諭吉と友達…響きに憧れます…)
梅子の母も、父も凄い人ですね。その両親を持つ津田梅子。
なるほど、五千円の顔で間違いないでしょう。
千円札の顔は、北里柴三郎です。
北里柴三郎は、1853年、熊本県で代々庄屋を務める家に生まれました。
1874年に東京医学校入学、そこで病を未然に防ぐ予防医学の重要性に気づき、生涯の仕事にすることを決意します。
北里柴三郎は、予防医学の普及と研究に力を注ぎたいという目的のため、病院長の半分以下の給料である内務省衛生局職員の道を選びます。
衛生局では、致死率の高い病「コレラ」の原因究明などの功績が認められ、国からの推薦によってドイツに留学します。
1889年に「破傷風菌の純粋培養」に成功しました。
翌年には、破傷風菌の毒素を中和する抗体も発見し、この発見が「血清療法」の確立につながったのです。
伝染病の効果的な治療法がなかった当時では、医学界を揺るがす画期的な発見でした。
1892年にドイツ留学から帰国した後は、福沢諭吉などの援助を受けて「私立伝染病研究所(現:東京大学医科学研究所)」を設立し、所長として細菌学や伝染病の研究に励みます。
(福沢諭吉の援助…なんとも素敵な響きですね)
インフルエンザ・赤痢・狂犬病に対する血清開発も続けました。
ペストに対しては、病原菌である「ペスト菌」を突き止めただけでなく、菌を運ぶネズミの駆除はもちろん、ネズミの侵入を防ぐためには、猫が自由に行き来できるようにするなどの具体的な対策を指導し、ペストの終息に貢献しました。
弟子の一人が、野口英世です。
ふむ〜。
北里柴三郎が生きていたら…世界を大きく変えたCOVID-19にどう立ち向かったか…気になりますね。
さて、最後は一万円札の顔、渋沢栄一ですね。
この方は、、、
どうしよう笑
まず、Wikipediaから。
江戸時代末期に農民から武士に取り立てられ、のちに主君・徳川慶喜の将軍就任にともない幕臣となり、明治政府では官僚も務めた。民部省を経て直属の上司である大蔵大輔と井上馨の下で大蔵少輔、吉田清成らと共に造幣、戸籍、出納など様々な政策立案を行い、初代紙幣頭、次いで大蔵省三等官の大蔵少輔事務取扱となる。
井上馨と共に退官後は実業界に転じ、第一国立銀行(現・みずほ銀行)や東京商法会議所(現・東京商工会議所)、東京証券取引所といった多種多様な会社や経済団体の設立・経営に関わった。
「日本資本主義の父」 と称される。
幕末期に一橋家に仕官し京都にいた頃、新選組の近藤勇、土方歳三らと在京薩摩藩士と内通している疑惑のあった大沢源次郎の捕縛の件で、接点があったことを自ら語っている
なるほど。
凄い影響力の持ち主だということがわかります。
農民からそこまでの地位を得るのも凄いです。
周りから「人格者」と讃えられ、本人も「俯仰天地に愧恥じることなし」と、公言しているそうです。
ただし、あまり知られていないようですが、その後に「… 明眸皓歯に関することを除いては」と、続きます。
現代語に訳しますと。
「私には、少しもやましい事などないっっ!(大声)…女性関係を除いては…(コソッ)」です。
自らを「婦人ぐるい」といい、愛人、妾を「一友人」と呼び、妻に了承を得て愛人との暮らしを始めたり、芸妓だけでなく、屋敷の女中にも手を出し、隠し子は20人以上だそう。(隠してるから正確な数はわからない)
その遊びっぷりは明治の花柳界でも五指に入るほどだったという。(ちなみに上には伊藤博文がいる)
そしてその血は息子の篤二も引き継ぎ…
篤二は、妻より愛人の芸者と暮らす。と、言い出します。
栄一は苦汁の決断で、大正2年1月10日東京地裁に「身体繊弱」という理由で篤二の廃嫡申請を提出し、正式に廃嫡します。(自分はいいけど、息子はダメ)
なお、栄一の跡継ぎは、篤二の嫡男・敬三となっています。
ふっ。
渋沢…何故一万円の顔がお前なのだ…
知ってしまったら「渋沢栄一と仲良し❤︎」とか「渋沢栄一の援助❤︎」などと言い辛いではないか。
新通貨の顔に選ばれた理由に「相応しい品格」がありました。
品格ってなんだろう…
これでいいのか一万円札よ。
……ま…まあ…
東京駅とは仲良くしてあげてもいいけどねっ
《参考》
津田梅子
(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/津田初子より抜粋)
津田仙
(青学プラスhttps://aogakuplus.jp/story/20190427_03/より抜粋)
北里柴三郎
(HugKumu https://hugkum.sho.jp/395587より抜粋)
渋沢栄一
(https://ja.m.wikipedia.org/wiki/渋沢栄一 Wikipediaより抜粋)
(https://president.jp/articles/-/45236?page=1より抜粋)
最後までお読み下さりありがとうございます
誤字脱字、間違いなどありましたらお知らせ下さい。
よろしくお願いします。
☆脱字の修正を行いました。お知らせありがとうございます。