不未助、死後の世界で後悔する
JAPANの首都であるTOKYOの国会議事堂にいた私こと岸和田 不未助は、某4000年の歴史を持つ思想が真っ赤な国が発射した核弾頭によってなす術なく命を落としてしまった。
私は命を落とす前は死後の世界など存在しないと思っていたのだが、現在核弾頭により命を落としてしまった私の意識はどういう原理か分からないか残っているようで、今は何もない真っ暗闇の世界を漂っていたのだった。
まさか、死後の世界が存在するとは思ってもいなかったので、今自分が置かれている状況に少なからず戸惑いがあり、この暗闇の世界を一生漂い続けるのではないかと不安になってきた。
私はこの暗闇の世界に多少の不安を感じていたのだが、それよりも前世である総理大臣としての自分の行いへの後悔が激しく、もしかしたら、この後悔の感情から成仏が出来ずに死後の世界でも意識を保てているのではないかとも思い始めた。
いざ、死後の世界で自分の過去を振り返ってみると、総理大臣としての自分があまりにも無能であったことを思い知り、心の底からJAPANに住んでいた国民たちに申し訳ないという気持ちが溢れかえった。
どうして、私は生きている間に自分が総理大臣になれるほどの力量がなかったことに気づけなかったのかと心の底から思った。
生きているときは総理大臣という職業を全うすることに必死になっていたので、国民たちからの批判にあまり納得いっていなかったが、死んだことで総理大臣という職業から解放され、客観的に自分の行いを振り返ってみると、彼らが言っていたことに耳を傾けなかった自分がいかに愚かであったかを思い知った。
国民たちが自分のことを軽蔑の意味を込めて「検討士」と揶揄していたことも納得がいく。
私が総理大臣として行ったことは検討と増税しかなかったのだ。
私の前総理である菅原さんは某ウイルスが一番流行っている時期に加え、一年という短い期間であったのに様々な取り組みを行い、高齢者だけでなく、若者たちへの支援も行っており、本当に凄い人だと死んだ後でも思う。
そうして、前総理大臣である菅原さん以外のJAPANにおける歴代の総理大臣たちと自分のことを比べると、本当に自分が無能であったのかを思い知らされる。
本当に総理大臣として国民たちのために何も出来なかった自分が不甲斐ない。
いや、私は国民たちのために何も出来なかったどころか、増税による増税を重ね、某ウイルスの影響で不景気で苦しい生活を強いられていた国民たちに更に追い打ちをかけてしまうようなことをしてしまった。
本当に私は国民の代表である総理大臣として最低な政策ばかりをしてきたなと思った。
だが、これだけ後悔したとしても私はすでに核弾頭により命を落としてしまっており、再び総理大臣として、彼ら国民たちを助けるような政策を行うことは不可能になってしまった。
もしかしたら、私の意識が残っているのは後悔の念からではなく、今まで国民たちを苦しめてきたことへの罰として、私に何もない暗闇の世界を一生漂い続けるという刑罰が課されたのかもしれない。
私が今まで行ってきた罪に対する罰としては妥当......いや、この程度では私が犯してしまった罪とは釣り合わないだろう。
この刑罰は罪深い私に対する罰としてはあまりにも軽すぎる。
私の犯してきた罪を考えれば、一生爪を剥がされ続けるくらいの拷問が妥当と言えるだろう。
きっと、死後の世界があるとすれば、科学によって存在が否定されてしまった空想上の存在である私たち人類の上位存在である神も存在するであろうし、神が存在するのであれば、死後の世界も神が運営している可能性が高い。
そして、この国民たちを苦しめ続けた果てに危険な思想の国たちの侵攻を許してしまった罪深い私がただ何もない暗闇を漂い続けるだけの刑罰で済んでいるのは死後の世界を運営している神からの温情だろう。
なぜ、このような罪深い私に温情をかけるのか理解に苦しむが、某有名宗教の聖書通りの神であれば、こんな罪深い私にも救いの手を差し伸べてくれるのも納得だ。
そうして、私はこの時間も移動距離も何もかもが認識できない空間でどれくらいの時間が経ったのか分からなくなるほどの長い間、さまざまなことに思いを馳せていた。
さまざまなことに思いを馳せていた私であったが、私は思考の果てに一つの結論に至った。
そして、その一つの結論に至った私は誰にも届かないことが分かっていても声に出して呟いた。
「もう一度やり直したい...... 」
私が一言呟き、再び後悔の念に襲われそうになった時、
『おうおう、その言葉が聞きたかったぜ』
何もない暗闇の世界に自分以外の誰かの声が響き渡ったのだった。