1話 とある女暗殺者
時計の針が0時を回った頃。
人気の無い真っ暗な路地裏。
月光の下、二つの影が蠢いていた。
1つは息も絶え絶えな走る男性。
もう1つは、その男性を追尾する女性の影。
男性は追手に気付いていないようだった。
やがて足取りを止めてゼェゼェと息をする。
女性の影---ボクはその隙を見逃さなかった。
「……ッ」
「ボクから逃げられると思わないでよね」
突然現れたボクの声に男は背筋を震わせる。
「年貢の納め時だよ」
「はぁはぁ……クソッこんな所で」
悪態をつく彼は裏社会の住人だ。
普段は大人しくし仕事してんのになー。
今回はやり過ぎちゃったね。人身売買に、子供の薬漬け、女児に対するレイプ紛いの行為。
「大人しくしなよ。死ぬとき痛くなっちゃうぜ」
んで、ボクは彼の始末を依頼された暗殺者。
物心ついた時から暗殺者として育てられ、コイツみたいな最低最悪の人間を中心に殺し回ってる。
ついた渾名は「泥拭い」。カッコイイでしょ。
「はは、俺を殺すだって……笑わせるな」
お? 急に強気になった。
追い込まれてやけになったのかな。
「面白いこと言ったかなボク」
「言ってやる……俺のバックは虎口組の幹部だ」
「それが? 何を切り札みたいに言ってるのさ」
「俺を殺したら、テメェもタダじゃおかねぇって言ってんだよ! 理解しろ馬鹿が!」
ペっ。
うえぇぇぇ汚いぃぃぃ!
こいつボクに唾吐いてきやがった!
慌ててボクは洋服の裾で唾を拭いながら、
「えーと、虎口組の幹部だっけ?」
「ああ! そうだよ! ここで俺を殺したら、虎口組の全組員を敵に回すってことだ!」
「うーん……それは実現しないんじゃないかな」
はぁ?と、男は薄ら笑いを浮かべる。
だって、
「この依頼、虎口組からだもん」
「………………は?」
まぁ、仕方無いよ。
部外者のボクでさえやり過ぎって感じるからね。
「蜥蜴のしっぽ切り。君はもう、必要ないってさ」
「……う、嘘だ! デタラメに決まってる!」
ようやく動き出した男の焦点はブレブレだった。
恐らく、自分でも思い当たる節があるんだろう。
「嘘をつく理由が無いよ。それに自分でも、切られたって自覚してるみたいじゃんか」
「グッ!」
「ほら、何も言い返せなくなった」
ボクはポケットから愛用のナイフを取り出す。
切れ味は抜群で頸動脈くらいなら簡単に断ち切れる。
「それじゃ、来世ではやり過ぎに注意しなよ」
「待っ」
ブシュッ!
暗殺は静かに、小規模でするものだ。
血が周囲に飛び散ったら掃除が面倒だし、苦悶の声を挙げられたら他の人に気付かれる。
ふふん、これくらいは今じゃ慣れたものだよ!
「さて、と」
早速ボクは暗殺協会に依頼達成の連絡を入れた。
すぐに掃除の業者を向かわせるらしい。
それまでは待機だ。大体、30分も掛からないくらい。
「……まだ5分しか経ってない」
……その間にやることが無いのが苦痛だ。
暇だなぁ。通りすがりの知り合いが居ないかなぁ。
「先輩、こんばんは」
と、暗闇から声が聞こえてきた。
月明かりに姿も晒されて彼の人相が見える。
彼は後輩君。暗殺者に上司部下って構造は無いので、単なる年下の暗殺者の男子だ。
「ホントに来た!」
「うわ何ですか。驚かせないでくださいよ」
ごめんごめん。
「んで、何かボクに用?」
「いえ……先輩に逢いたくなって……つい」
言って後輩君は照れるように頬を赤くする。
「ボクに?」
「はい……って、言わせないでくださいよ」
なんだコイツ。
「まるで恋する乙女みたいな反応するじゃん」
後輩君はあくまで仕事仲間だ。
お互いに尊敬し合える大切な家族のようなそんz
「……恋する……という部分では間違いないですね」
「………………」
………………春きた?
これはボクに初春到来ってことでいいのかな!
「な、なんだい。君ボクが好きだったの?」
「……好き……といいますか、なんと言いますか……」
むふふ、悪い気はしないね。
ボクは女として見られないから余計に!だ!
「ち、ちなみにボクのどこがいいの?」
「そ、そうですね……まずは顔……ですかね」
顔!
「次に優しい性格」
性格!
「プロポーション」
身体!
「暗殺の腕前」
あっうーん……全肯定されて身体が溶けりゅう……。
「先輩!?」
焦った顔の後輩君がボクの肩を掴む。
ちょっと痛かったけど、愛故だと受け入れよう。
「……ん? 痛かった……?」
有頂天になり掛けた頭が急速に冷えていく。
何かがおかしいぞ、と身体が警報を発していた。
こういう直感は、意外と当てになる。
後輩君はそこまで力を込めていなかった。
爪が食い込んだのと思ったがどうやら違う。
今の痛みは、棒状の何かで刺されたようなもの。
つまり、今のは、
「……バレましたか。流石ですね」
後輩君の攻撃だ。
「何をしたのさ」
「……筋弛緩剤に近い毒を打ち込みました。効果は打ってから数秒で現れる優れものです」
確かに……身体の自由が効かなくなってきた。
くっそー……完全に油断しちゃったな。後輩君とは長い付き合いだから裏切りは無いと思ってた。
「ひとつ聞いていいかい?」
「どうぞ」
「誰からの依頼?」
山ほどいるから検討もつかない。
「暗殺協会です」
と、後輩君が告げた名前はまさかのだった。
裏切りどころか、正式な上からの命令じゃん!
「まじかー……尽くしてきたのになー」
「伝言は、先輩はもう用済み、だそうです」
うがぁぁぁぁ! うぜぇぇぇぇ!
ふぁっきゅー! ふぁっきゅーめーん!
「ま……後輩君の手で終われるだけマシかな」
だが、ボクはあくまで余裕な態度を崩さない。
ハニトラに引っ掛かって殺される暗殺者とか恥ずかしすぎる。億尾にも出してやるものか!
「先輩……」
後輩君は悲痛な表情を浮かべていた。
……それが見れりゃボクは充分。危険な組織に所属してる以上は、覚悟していたことだしね。
「ボクの分まで長生きしろよ!」
そうしてボクの暗殺者としての人生は終わった。
「……先輩。さっきの演技だと思っただろうな」
血濡れのナイフを逆手に持って心臓に向ける。
「本当に……好きでした」
叶うなら、あの世でもう一度伝えられますように。