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聖騎士レイダークの手記

元神官によるコボルド教育記録

作者: 奥雪 一寸

 私の名はエルナス・ウォルド。

 わかりやすく自分で容姿を伝えるのは絵心も文才も乏しい私には難しいが、背は高くなく、肉付きは比較的良いほうだとは思う。瞳は青。頭髪は銀。長髪は好きではないので頭髪はいつも短めにしている。

 神殿勤め上がりの神官職の冒険者で、二十年近い日々を探索や人々の脅威の討伐に費やしてきた。

 しかし齢も四十に近くなり、足腰が悲鳴を上げ始めていることを感じ、すでに冒険者は引退済みである。

 この手記は、そんな私の日記を抜粋し、編集しなおしたものだ。もっともこの手記をまとめた理由は、私のことを整理しておきたいからではない。

 とはいえ、一足飛びにこの手記の主役を説明すると少しわかりにくくなるため、そのあたりは最後に記すことにしよう。


 (※)


 私は現在は人里離れた森の中に建つ、古い屋敷を買い、そこで暮らしている。購入した家は二階建ての比較的立派な家だ。

 一階にはリビング、台所兼食卓、納戸として使用している部屋の三部屋、二階には寝室と書斎、客間がそれぞれひとつずつ。

 街の中に家を買うことができる財産はあったが、私がそうしなかったのは、長い冒険の日々の中で夢として掲げた目標を果たすためだった。私の夢が理解されるかはあやしい限りではあるが、それについてもおそらく説明したほうがよいのだろう。

 まず、前提としてだが、この世界には、まず、人類と称される生物がいる。人類とはすなわち、人間、エルフ、ドワーフ、ピクシー、フェアリーなどといった街の中で共同の社会を作っている人型の生物のことだ。そして、人類とは別に、様々なモンスターと呼ばれるものたちがいる。モンスターというのは、獣、鳥などのいわゆる動物や、多岐にわたる分類の、人類以外のうごくもの、あるいは生物であり、あるいは非生物だったりするもの、のことだ。モンスターの中には、人類に友好的な個体がいるモンスターもいれば、すべからく敵対的とされているモンスターもいる。すべからく敵対的とされているモンスターといわれるものは、神学的に言い換えれば、常に悪とされるモンスターたちだ。

 当然冒険者として長く活動してきた私も、かなりの数の『悪のモンスター』を討伐してきた。

 だからこそであるが、長い冒険の日々の間で、すべからく敵対的とされるモンスターの、明らかにまだ生まれて間もない個体が、敵味方の区別もなく鳴いている姿も、私は繰り返し見てきた。巣の中で、洞窟の暗がりで、彼らは善悪など持たないように鳴いていた。彼らの姿に、私はずっと疑問を感じていた。彼らが生まれながらにして悪だとしても、善に導くことも可能なのだろうかと。彼らのような存在を、果たして人間が愛情をもって育てたらどのような存在に育つのかを、私は見たい。それが私の夢であり、目標だった。

 もちろん、そういった個体を保護出来たら引き取って育てるには、万が一のことがあってはいけない。彼らを人里で育てるのは、人々にっとても、モンスターの子供にとっても危険すぎるのは明らかで、人里離れた場所に暮らすことが、彼らを育てる環境としては唯一の選択肢だと確信していた。だから、人里を避けた場所の家を買ったというわけだ。

 そして実を言えば、家を購入した時には、すでに私は、育てると決めたモンスターに、出会っていた。

 種族はコボルド、雄である。彼は、赤銅色の鱗と黒い眼をした、見た目はどこにでもいるコボルドだ。

 知らない人は少ないと思うが、念のためコボルドについても記しておく。

 コボルドは、小型の爬虫類型の人型モンスターだ。雑食性で、人が食べられるものであればなんでも食べる。夜目が聞く半面、昼間の日光の下では極端に視力が落ちる夜行性の種族といわれている。草原や森、丘陵など広く分布しており、街道を外れればすぐに目につくほど冒険者にはなじみの深いモンスターだ。好戦的なのに根は臆病という二面性を持っている種族であり、先手を取って脅かすと蜘蛛の子を散らすように逃げていくことでも知られている。

 力は強くないが、武器や防具、罠を扱う程度の知恵はある。戦闘訓練を行っていない者でも一匹二匹くらいなら倒せないではないが、たいてい群れで行動し、簡単な集団戦術くらいは用いるため、危険ではないとは言えない。

 もっとも私が彼と出会ったとき、彼はひとりぼっちだった。日暮れ後の小川のそばで、彼と出会った。

 彼の群れは、冒険者によって駆除されていたが、彼は子供だったため、戦闘には加わらなかった結果、生き延びて放浪していたらしい。

 その話は、彼自身の口から聞いた。私にとっても彼にとっても幸いだったのは、彼が人間の言葉を話せたことだ。しかも、私が期待したよりも、彼はずっと利発で、しっかりとものを考えている子供だった。彼は私が育ての親になるという意味についてはよく理解していない様子だったが、とりあえず私とともに、私の家に住むことは了承してくれたことだけは確かだった。私は彼にラルフ、と名付けた。

 ラルフは人間の家のこともある程度理解していたため、家に慣らす時間はいらなかった。これも私にとってはありがたかった。

「群れの前のねぐらは人間の廃墟だった。誰もいなくなった後、嵐で潰れて無くなった」

 とのことだった。彼が人間の言葉を覚えたのは、そこにあった子供向けの絵本と、冒険者や巣の近くにある集落の襲撃時の見張りなどを通して耳にした音を照らし合わせて、独学で身につけたという話だ。人間の言葉が分かれば、襲撃時の危険を減らせるのだということを、彼は知っていた。彼の群れでは襲撃、略奪の際の見張りは子供の役目で、見つかってあっという間に駆除されるのをいつも見ていたから、身を守るための技術を得るのに必死だったのだとラルフは語った。コボルドらしい甲高い声ではあるが、キンキンと耳に障るような、不快な声ではない。

 また、ラルフの自室を決める際に、私は彼の能力の片鱗を知った。 

 私は自分の家を普通の二階建てだと思っていたが、二階の廊下の隅の天井に、さらに屋根裏に上がるための落とし戸があるのを、目ざとく見つけたラルフが教えてくれたのだ。

 落とし戸を棒で開けると縄梯子がおりてきて、登ると屋根裏部屋になっていることが分かった。ラルフはそこが気に入ったようで、屋根裏部屋が彼の部屋になった。屋根裏部屋の窓には板が打ち付けられていて、昼間でも暗いのがうれしいようだった。

 私とラルフの生活の始まりは、人間とコボルドという敵対的な関係な生物同士だとは思えないほど穏やかだった。


 あれから七日がたった。

 ラルフとの関係は今のところ良好である。

 ラルフは基本的に夜行性だ。昼間は寝て、日暮れとともに起きだしてくる。そのため、私たちが顔を合わせるのは夕飯の時だけだった。他の食事はどうするのか彼に尋ねたら、逆に不思議がられた。

「人間は、何回も食べるの?」

 言われて初めて気が付いた。彼のようなモンスターは危険と隣り合わせの、野生に近い生活をしている。一日何回も無防備になる食事をするようにはできていないはずだ。私は自分が思っているほどコボルドの生態に詳しくないのだと気づいた。冒険者として得た知識に必要ない部分の、生物学としての知識が抜けているのに、分かったつもりになっていた自分はすこし気恥ずかしかった。

 とにかく、彼は一日一食しか食べないため、私たちがともに食べる夕飯は、彼にとっては唯一の食事の時間だった。彼のために夜半や早朝の食事を用意しなくてよいということは、私にとっては楽だった。

 私たちは食事の間、これまでは取り立てて意味のある話をしたことはなかった。

 夜の間の活動についてはラルフはほとんど自分からは話さなかったし、私も特に聞くことはなかった。逆にラルフも私の昼間の生活に興味を示すことはなかったし、私から話題にすることもなかった。いや、正直にいこう。何から話していいのか、何から聞いたらいいのか、私はきっかけをつかみ損ねていたのだ。ラルフは別に話題を探しているようではなく、家の中で見つけた、彼の興味を引いたものについて尋ねてはきたが、それがどういうものかを理解すると、それで満足してそれ以上話を膨らませてくることがなかった。

 かなり気まずい。

 視線をさまよわせて私が話題を探していると、ラルフは喉を鳴らすような笑い声をあげ、口を開いた。

「単刀直入で大丈夫、エルナスさん」

 ほとんど汚れてはいない口元をナプキンで拭き、ラルフは言った。

「僕は、コボルドだ。人間とはたぶん、違う考え方の生き物。あなたたちがいう、モンスターだ。分かってる」

「私たちが君たちコボルドを敵対生物と考えているのは……村を襲撃したり、旅人を襲ったりするからだ」

 私はこちらも理由なく嫌っているわけでないことを説明する。

「わかってる。僕たちから見たら、人類は危険でない個体が多くて、一体あたりの実入りが多い、効率がいい狩りの獲物。狩られるほうに両手を広げて友達扱いしてくれなんて、言わない」

 彼はとがった爪の生えた指を揺らしながら、少し得意げに話した。おそらくコボルドはありていに言って馬鹿だと思われていると感じていたのかもしれない。人間が思っているよりも頭がいいのだといいたそうだった。

「それなら私たちと取引したほうが楽じゃないか?」

 私は問いかけた。

「あなたたちが、僕たちから欲しいと思うもの、ある? ないでしょ」

 彼の答えは明快だった。確かに、ない。

 コボルドが持っているもので、人類がより品質が高く作れないものはおそらくないだろう。

「それと、コボルドに取引って言葉、ない。コボルドは、弱い生き物。騙されて、裏切られて、虐げられて。けど、反抗しても、殺されるだけ」

 生き残るための知恵。対等の立場に立てる相手がいない以上、自活して、種単体で生き抜いていくしたたかさ。そういったものが、彼らには必要だったのだ。

 しかし、だとすると彼は何故私についてきたのだろう。

「なるほど。でもそれなら私についてくるのは危険だったんじゃないかい?」

 聞いてみた。

 ラルフは少し考えこんだ。

「うん……たぶん。僕も、不思議。でも、あなたと一緒にくることに、うん、としか言えなかった」

 それから、理屈に合わないことを不思議がった声で、話してくれた。

「そうしないと、いけないって。なんか、分からない、ええと、そう、確信が、あった」

「どういうことかな」

 その様子に私は興味を覚えた。ラルフは私たちの出会いの先に何かを見たのだろうか。私にはそんな風に見えた。

 ラルフは首を振った。何度も振った。

「わからない。でも、エルナスさんの、誘い断ると、とても、怖いことになる。そんな、気がした。今でも怖い」

 それ以上、彼にも説明できないようだったので、私は静かに食事を進めることにして、それ以上聞くのをやめておいた。


 三十日目。

 ラルフがだいぶ前に話した、とても怖いこと、は今のところ起きる気配はない。

 だが、私たちの暮らしの中で、ラルフに少しずつだが変化は起きてきている。

 まず、夜の間何をしているのか、話してくれるようになってきたこと。

 次に、書斎の本を借りてもいいかとか、外に出てもいいかとか、要求をしてくるようになってきたこと。

 さらに、わからない文字、言葉、図などを夜の食事のあとで説明してほしいとせがんでくるようになってきたこと。

 なにより、たどたどしかった人間の言葉の発音が、流暢になってきていること。

 この家で学べるものをなんでも学ぼうとしているように、ラルフは知識を急速に蓄えていった。

 そして、今日、私はとても困惑している。

「父さん」

 ラルフが、私のことを、エルナスさん、ではなく、父さんと呼んだのだ。

「ん……? 父さん? 私のことかい?」

 夕食時、いつものようにラルフと食卓につくなりのひとことに、私は思わずかじりかけのパンを口から落とした。コボルドに父さんと呼ばれる日が来るとは予想だにしていなかった。

「うん。今日読んだ本に、血縁関係にない子供を養育してくれる人は、育ての親ってことになるって書いてあったんだけど。僕もそれに倣おうかなって」

 ラルフは賢い子だ。確かにそうだ。私は彼をわが子として育てたいと思っている。そうでなければ私の夢は達成できない。彼のひとことは、私にその覚悟が足りていなかったかもしれないことを教えてくれた。

「ああ、そうだ……君は私の子供だ。そうだ、私は、君のお父さんになりたいと思っている」

 私はうなずいた。

「そういうつもりでなくとも、僕は父さんのおかげでこうしてまだ生きてる。だから僕は父さんと呼びたいと思ったんだ。つまりその、それだけ感謝してるって意味で」

 感謝。コボルドから聞くとなんとも感慨深い。彼の素直なまなざしが、とても美しいものに見えた。

 しかし、それで満足していてはいけないのだと私には思える。ラルフをどこに出しても恥ずかしくない人格に育てること。それがそもそもの私の夢で、彼をこの家に招き入れてからは、私が背負った責任だ。

「それで、ごめん、父さん。父さんって呼びたいって話がしたいわけじゃないんだけど」

 ラルフが申し訳なさそうに続けた。確かに、それはそうだろう。

「何だい? 言ってごらん」

 私は食事を続けながら先を促した。ラルフのことだ、そんなに突拍子のないことではないだろう。

「うちに、武具の扱い方を覚えられる本ってある? なければ買ってもらうことはできる?」

 戦闘技能を学びたいということなのだろう。ラルフの話は、こうだった。

「僕はコボルドだから、人の街で、パンを焼いたりとか、家具を作ったりとか、そんな風には一緒には暮らせないと思うんだ。だとしたら、僕は野外で生き残れる技術を身につけないと生きていけないんだと思う。仕方ないことだし、でも、野垂れ死には僕もさすがに嫌だよ。だから、練習しなくちゃ。今のうちに。そうじゃない? ……群れの中なら、武器をいじっているうちにだいたい覚えるんだけど、僕には、それはもうできないし、別の方法で覚えなくちゃ」

「そうだね……そうだ。用意することはできる。少し時間はかかるがね。でも、その前にひとつだけ聞かせてほしい。戦う方法を覚えるということは、他人を傷つける力を持つということだ。その力を持ったら、ラルフは何がしたいかな?」

 私は、大切なことなんだ、と尋ねた。その答えによっては、彼の望むものを用意することは正しいことではない。

 ラルフは少し考えこんだ。少し、ではなかったかもしれない。彼にとって、きっと考えたこともないことをはじめて真面目に考えているのだ。それから、ようやくのようにおずおずと口を開いた。

「うん、わからない。僕はたぶん自分の身を守ること、生き抜くことで精いっぱいだとしか思えなくて。今は、何かができそうなんて、想像できないよ。たぶん、僕は、コボルドのほかの群れには、もう混ざれないと思うから。一人で生きていかなくちゃいけないだろうから」

「そうか。それじゃ、例えば、こういうのはどうだい。人間の冒険者とコボルドが戦っていたら、ラルフはどちらに加わる?」

「どちらにも加わらないと思う。見つかる前にその場を離れるよ。怖いもん」

 生き残ることがすべて、ちっぽけで、弱い生き物。ラルフは自分自身をそうとらえているのだろう。だとしたら、私は、この問題がとても重要なのだということを彼に教えなければいけない。

「いいかい、ラルフ。おそらく、君が知っているコボルド……私が知っているコボルドという種族でもある……が、我々の書物を読んで、武技を磨いたことはないはずだ。本能のままに、あるいは、考えたとしても大雑把に、こうすれば相手に傷がつく程度の認識で武器を振り回しているはずだ。でも君はそこから武技に習熟しようと望んでいる。すでに君のしようとしていることは、ふつうのコボルドの範疇から一段階上のステップを目指そうとしているんだ。いや、一段階どころではないかもしれない。とても、とても、高い次元の力を望んでいるんだよ。だから、君がそれを修めたら、君は君が想像しているよりもずっとすごい力を手に入れる。だから、考えなきゃいけないんだよ。想像してごらん。君は、コボルドの巣を全滅させる力を持った、君たちの巣を全滅させた、冒険者と同じだ。さあ、君は何をする?」

「僕は、コボルドだよ。冒険者みたいには大きな武器は重くて持てないよ。ものすごく遠くまで飛ぶような弓も引けないよ。モンスターをまとめて焼き払うような魔法も使えないよ。ちっぽけなコボルドだよ」

 ラルフは首を振った。そんな彼に、私はそうではないことを説くために答えた。

「その理屈では、人類は巨大な体を持った巨人には勝てない。空を飛び、強大な魔法を操り、火を吐き、尾の一振りで砦を崩すドラゴンには勝てない。でも、実際には、勝っている人がいる。技術というのはそういうものなんだ。純粋な力だけでは絶対に覆せない差を、埋め合わせ、そして、超えていくすごい力なんだ。君が望んでいるものは、そういう力なんだ」

「武具の扱い方を覚えて、戦う技術を練習すると、僕も、ドラゴンと対等になれるってこと?」

 ラルフは戸惑ったように言った。

 私はうなずいて見せた。

「そうだよ」

「僕は……だとしたら、僕は、こっそり夜中に村はずれの小屋に狩りに入って、食糧や道具なんかを集めなくても、いいのかな?」

 ラルフは少しずつ、戸惑いながら少しずつ、疑問を口にする。

「誰かが僕に、そういうものをくれたりするのかな?」

「そうだとも、ただし、分けてもらえるかは、君次第なんだ」

 私はその疑問に、私が考え付くかぎりの真剣さで、答えを出した。

 それは、きっとラルフの知らない世の中の話だ。彼はしきりに天井を見上げて考えこみながら、それを必死に想像していた。

「どうすればいいの? ええと、どうやって、父さんたちは他人からものを分けてもらってるの?」

「お金を稼いで、買っているんだ。見たことあるだろう? これといろんなものが交換できるんだ」

 お金。コボルドたちにはピカピカしたきれいなメダル以上の価値を持たないもの。私はテーブルの上に金貨を一枚乗せてみせた。

「君たちの巣を全滅させた冒険者たちもそう。きっと、君たちが『狩り』の対象にしていた村が、お金を払って退治してくださいって頼んだんだよ」

「じゃあ、僕も、もし、ドラゴンと対等な力があって、同じようにしたらお金が稼げる? ……待って。なんか違う。おかしい。今のなし。命が危ないのは狩りと同じだ。それは怖い。なし、なし」

 ほほえましいほどに真剣に、ラルフは必死に考えてくれた。悩んでいる様子は、実際、人間の子供と全く変わらなかった。

 そして、急に立ち上がって叫んだ。

「あ! そうか! わかった! 父さん! 僕、分かったよ!」

「聞かせてくれるかい」

 私はどんな答えであっても、向き合うつもりだった。それはきっと私たち人間とは違う結論なのだろう。

「君の答えを。ラルフは何がしたいのか」

「僕は何もしないよ、父さん。僕は自分からは何もしないよ。僕がもしドラゴンと対等の力があったら、僕は人類に見つからないようにするしかないんだ。きっと駆除されないようにする方法はそれしかないんだ。だって、僕が人類の味方をしようとしても、僕はコボルドで、モンスターだから。きっと人類は僕を怖がるだけだから、僕が人類の味方になるまえに、人類は僕の敵になると思う。しかたないよ、だって僕モンスターだもん。だから、僕は何もしないほうが、きっと、安全なんだ」

 その答えに、私は書物は買おう、と約束した。だが、きちんとした木剣や弓はまだ早いと判断した。


 ラルフに戦闘技術の書物を求められてから、書物を用意するまでに一週間がかかった。

 思ったより時間がかかってしまったお詫びの意味のこめて、弓などに関する書物も用意したところ、思いのほか喜んでいた。

 それからさらに一週間。書物を頼りに、棒切れや木の板、木を削っただけの粗末な矢と、粗雑な造りの玩具のような手製の弓を使い、一心不乱に練習を行っている。夜半くらいまでそうして練習を続け、早朝までは書斎にこもり、様々な書籍を読み漁っていた。彼は熱心で、飽きるということを知らなかった。

 私はメイスくらいは使えるが、剣は明るくない。書籍についても同様で、簡単な学術などならば教えられるが、専門知識を欲した場合には教ええることもできない。いずれしっかりと教えられる師が必要になるだろうかと頭を悩ませていた。また、もうひとつ私は悩み始めていた。彼はかたくなに昼には起きてこない。夜行性だからというよりも、極端に昼を恐れているだ。昼の世界を、ラルフは敵視と言っていいほど自分の世界ではないと言い張った。

「ラルフは夜目が利くし、昼間は視力が落ちるということも知っている。でも、昼は暖かく、色鮮やかなのだということを彼にも知ってほしいんだ」

 私が言うと、彼は決まってこう答えた。

「その色鮮やかな景色は僕にはまぶしすぎるんだ。それに、僕から周りがくっきり見えるってことは、僕も周りからすぐに見つかるってことだよ。昼の世界は危ないよ」

 彼にとって、まるで世界はすべて危険だらけの地下迷宮の中と変わらないものに見えているようだった。木々のむこうにはいつも、より強いモンスターや冒険者たちが手ぐすね引いて待ち構えており、すぐに彼の命を奪いにとびかかってくるのだといわんばかりのおびえようだった。

「この家の周りは安全なんだ。庭の周りを高い石壁の塀で囲んであるし、門だって頑丈な鉄の扉だ。庭にすこし出るくらいなら危険はないよ」

 私の言葉に、しかし、ラルフは安心はできないようだった。

 昼の世界に出られる必要は必ずしもないが、それでも、彼には昼でも生きられる力を会得してほしかった。私の家で一生を過ごすのであれば、昼の世界で活動できる必要はないだろうが、野外で一人で生き抜くことになった場合、選択肢は多いほうが良い。実際、野外で昼にコボルドに遭遇することも多い。多くのコボルドは昼夜問わず活動できているのだから、昼の世界を怖がるばかりの彼の認識は、矯正が望ましいと思えた。放浪中も昼の間は洞窟や暗がりでじっと隠れていたらしい。実際には、そのほうが危険だ。

 彼を昼の世界に連れ出せるいい方法があればいいのだが。今のところは妙案は浮かんでいない。とりあえず、危険だということだけは、私は伝えたかった。

「それに、一人になった時には、外敵は昼夜問わず襲ってくるんだ。昼活動できないと、君の身が危ないんだよ」

「わかってるけど、でも、やっぱり怖いよ。人間だって、昼に十分に戦えるようになってからじゃないと、夜の外出は危険なんでしょ?」

 ラルフはすこしうなだれて言った。まずいという自覚はあるのだろう。

 私は彼に、人間の子供と、彼との違いを語って返した。

「だが、少なくとも、人間の子供は、夜、ねぐらにこもって縮こまっていたりはしないよ。村の中とか、街の中とか、庭先とか、そのくらいは夜でも出るよ」

「そうなんだ」

 ラルフはすこし困ったように、考え込んだ。彼にもどうしてそんなに昼が怖いのかがわからないのかもしれなかった。

「でも」

 と、ラルフは彼自身がなぜ恐怖に立ち向かわなければならないのか、それが分からないと言った。

「怖いものは危険ってことだ。危険はできるだけ避けないと」

 本当に物事をきちんと彼基準で考えているからこその言葉なのだろうと思う。それは必ずしも私には歓迎できない言葉だったが、彼が思い付きだけで言葉を発している子供ではないことの証拠だった。

「そこが多分根本的に私と認識が違うのだろうね。昼自体は決して危険ではないんだ。同様に、私たちも夜のすべてが危険だとは思っていない」

 もっと彼に納得できる言い方があればいいのだが。しかし、うまい例えは私には思いつかなかった。

「僕は夜に身を隠す方法は知っているし、じっと動かないことで怖い敵をやり過ごす方法は知っているけど、昼には通用しないことばかりで、僕にはどうやって光から身を守ればいいか分からないよ。光は隠れている僕を照らして、怖い敵の前に引きずり出すんだ」

 縮こまって震えるラルフは、想像しただけで失神してしまいそうだと言わんばかりで、とてもか弱い生き物に見えた。実際、コボルドが脆弱な生き物なのは確かだ。それにしてもラルフの怯え方は尋常ではなかった。

 私が見つけるまで彼は子供ながらに一人で森の中を生き抜いてきたはずだ。そこまですべてに怯えるほど弱くはないはずだと私は思う。むしろ個体としては普通のコボルドよりも強いのではないだろうか。

 彼自身がそのことを自覚してくれる日がくればいいのだが。私はそう思ったが、それを教えてやれる言葉を、私は持たなかった。


 ラルフと出会ってから六〇日が過ぎた。

 ラルフは相変わらず飽きもせずに書を読み、武技を磨いている。そして夜半過ぎには森に出て、練習の意味を確かめるために走り回っているようだった。

 また、普段お世話になっているお礼と言って、仕留めた野兎や小鹿を持ち帰るようになった。彼はその締め方や解体方法をしきりに知りたがり、自分自身あまり詳しくない私は、またそういった書物を買いに走ることになった。彼はすぐにそのやり方を覚え、狩った獲物を食べられるように調理するまでの技術については、今ではすっかり彼が私の先生だ。彼は単体で自活する能力を、確実に確立しつつある。それは結局自分はモンスターであり、人に交じって生きることは望んでも得られないものなのだという無言のあきらめのようで、私には少し寂しいことに感じられた。

 このままでは私が目指した彼の姿が見られる前に、彼に私の家という巣がが必要なくなるのではないかという不安を、私は感じていた。

「それはないよ、父さん」

 私は折を見ては、ラルフに、この家を出ることを考えたりするのかと繰り返し聞いた。彼はそのたびにそう言って笑った。

「父さんは僕にいろいろ買ってくれたし、僕が今日も生きているのは父さんのおかげだ。僕はその恩を返せてはしないし、それに」

 ラルフはいつの間にかだいぶ難しい言葉を、理解して口にするようになっていた。それにすこし生意気になった。さまざまな物事を覚え始めた人間の子供のように。

「父さんいつも兎の肉焦がすじゃないか。心配で一人にできないよ」

 言い返したいが、事実なので私は何も言えなかった。私の食事事情で、自分で作る朝食や昼食と、ラルフが作る夕食の出来の違いは悩みの種だ。

 相変わらずラルフは昼間は起きてこないし、夜のうちに獲って来た獲物の下ごしらえすると、日が昇る前に屋根裏部屋に籠ってしまう。それでも少しずつ人間的な暮らしについても生活力をつけつつあった。彼は最近になって掃除を覚え、

「父さんの掃除はずさんすぎる」

 と言いながら、夕食後に家じゅうの掃除を始めるようになった。文句を言っているようにしか聞こえないが、彼なりの心配なのだろう。

「もし万が一、僕がいなくなったらお手伝いさんくらい雇ったほうがいいよ。お金はあるんでしょ?」

 彼には口を酸っぱくしてそう言われた。確かにそれは考るべきかもしれない。

 ラルフは順調に人の暮らしに順応している。だが彼は決して覚えようとしない分野があった。

 金銭の価値や経済活動については、

「僕には必要がない」

 と言って、頑なに学習しようとはしなかった。彼の中にはまだ自分がモンスターなのだという壁が蟠っていて、自分が街や村での生活を望むようになることをおそれているようだった。

 ラルフの中ではそれは望んでも永久にかなわない夢という諦めがあることが、私には見て取れた。


 九〇日。

 ラルフが丈夫な糸と1メートルほどの木の竿、それと手で曲げられないくらいの固い針金とアルコールランプ、熱した鉄をつかめるグローブを欲しがった。

 すぐに買ってきてやったが、何がしたいのかは分からなかった。

 翌日の朝ラルフの部屋を見たら、手作りの釣り竿が出来上がっていた。その日の夜、ラルフは何尾か川魚を釣って来たようだった。うまく捌けなかったのか、こっそり自分で処分したらしく、頭と背骨と尾びれ、それに少量の腸だけがごみ入れに捨てられていた。


 一二〇日目。

 何から書けばいいのか分からない。私はとても混乱している。

 朝目覚めた時に、私は家の中の何かが変わっている気がした。その違和感の正体を明らかにすべく、私は家の中をくまなく歩きまわった。正体はすぐに分かった。

 屋根裏部屋にラルフがいなかった。日は昇り、家の中まで陽光が差し込んでいるのに、いつも日が昇る前には籠っているはずのラルフがそこにいなかった。

 私はラルフがいなくなったのかと思い、慌てて建屋を飛び出した。そうではなかった。

 ラルフは、私が普段から花を少しばかり植えている庭先に、静かに立っていた。

「父さん、おはよう」

 ラルフは笑いながら言った。つきものが落ちたような、晴れやかな顔をしていた。

「いつものように一回は寝たんだけど」

 彼はそう言って話し始めた。

「すぐに夢を見て、起きてきたんだ」

 私は自分の言葉でそれを残すことが難しいように感じる。だからここに、彼が語ったそのままを記そうと思う。


 (以下、ラルフの話である)


 僕はここでない夜の森の中をさまよっていた。

 いつもの森の空気ではなかったし、いつもの森の匂いでもなかったから、僕はそこがどこか別の場所だと気が付いていた。

 僕の手には父さんが買ってくれた木の棒と、木の板を持っていた。危険な匂いはしなかったし、僕はそれで十分だと思った。弓は背負ってなかったように思う。

 森には道はなかったけれど、怖くはなかった。夜は僕たちの時間だし、空気は澄んでいて、森はとても平和だった。

 少し歩くと、僕は小さな広場を見つけた。そこに切り株があって、背の高い年老いた男の人が座っていた。

 人間に見つかると危険だし、僕は広場には入らず、身を隠して立ち去ろうと思った。

 けれど、老人は僕に既に気が付いていて。

「こんばんは、出ておいで。私は君を傷つけるものではないし、君が私を傷つけるつもりがないことも分かっているよ」

 僕にそう声をかけてきた。こういう時に下手に逃げると逆に危険だということは分かっていたから、僕は茂みの裏で息を殺して老人が立ち去るのを待った。

「そうか。ではそのままでいい。私の話を聞いておくれ」

 老人は立ち去るのでもなく、僕に近づくでもなく、切り株に座ったまま話を始めた。黒っぽいマントのようなものを着ていて、ねじくれた長い金属の棒を持っていた。その先にはたくさんの輪っかのようなものがついていて、色とりどりの石が嵌っていた。

「君は自分ひとりでこの世界を生き抜くための力をつけようとしているね。そして、誰かの友達になることを心の中で望みながら、それはかなわない夢なのだと諦めている」

 老人の言葉は、まさに僕が考えている通りのことを言い当てていた。だから僕はそれだけの力の差があるのだと思って、心の中を見透かされるままに、答えずに隠れていた。そのつもりだった。飽きて居なくなってくれることを期待した。

「何故君はそこまで自分を諦められるのだろうか。私には分からない。君はまだほんの子供で、まだ何も試していないというのに」

 老人の言葉は、僕にはただの勝手な想像にしか聞こえなかった。僕は答える気がなかったし、答えたところで分かってもらえる気もしなかった。僕は黙っていた。ただ、面倒なことになる前にさっさとどこかへ行ってほしい、それだけを望んだ。

「ほら、それだ。何故そうやって逃げてしまうんだい? それは君の可能性を殺してしまうのだというのに」

 言いたい放題言われると、流石に僕も腹が立ってくる。でも力の差は歴然で、相手は僕が何も言わなくても僕の頭を呼んでしまうような相手だ。僕はいらだちをぐっと抑えて、やっぱり黙っていた。

「そうか。それが君の答えなのだね。なんたることか。君は未来に友達になれたかもしれない誰かを殺してしまった。私にはとても残念だ」

 さすがにカチンときた。僕は思わず言い返した。

「だって僕はコボルドだ。そんな口車に騙されたが最後、利用されるだけ利用されて、用がなくなったら見捨てられるだけだ。コボルドってそういうもんじゃないか。コボルドは人類の敵で、モンスター連中に友達なんて概念はない。そんなお花畑みたいな世界はどこもない」

「やっと君を答えてくれたね。ありがとう」

 老人はそう言って笑った。僕は決して間違っていないという顔で。けれど、老人の顔に浮かんだものは、それだけじゃなかったように見えた。

「けれど、君は一つだけ思い違いをしているよ。お花畑みたいな世界はここにある」

 老人はそう言って笑った。いつの間にか切り株の周りには花がたくさん咲いていて、夜風に揺れていた。広場は暗くて、色は分からなかった。

「君が望み、そうなるように君が何ができるかを探せば、花畑はどこにでもある」

「その前に殺されてしまう」

 僕は答えた。それが当たり前のことで、僕はコボルドで、モンスターなのだからそれが現実だ。

「君はまだ子供で、これから先には無限の未来が広がっている。君がそうなるように努力すれば、君は何にだってなれる。さあ、ここへ来るといい、見せてあげよう」

 声をかけてしまったのだから仕方がない、僕は観念して老人の前に出て行った。

 老人は僕の頭に手を乗せると、

「さあ、見てごらん」

 と、僕の前に薄い水の膜なようなものを出した。たぶん魔法だろうと思うけれど、僕には良く分からなかった。それは銀色に光っていて、僕の姿を映していた。

 鏡の中の僕は、かすかに虹色に光るピカピカの鎧を着ていて、同じような色の刃の剣を持っていた。それに同じような色の盾も。盾には祈りをささげる誰かが彫られていて、とても優しい顔をしていた。

「君は自分自身でない誰かを守れるし、そうやって君は友達を増やすことができる。君の人生はまだこれからだ。望むことを諦めなければそれは手に入る未来だ」

「でも」

 僕は銀色のスクリーンに映った僕の姿に手を伸ばした。立派な僕の姿は消えて、棒切れと木の板をぶら下げたちっぽけなコボルドの子供が映っていた。

「僕にはそんな力はないと思う。不釣り合いな格好してもむなしいだけだよ。僕にはこれがふさわしいと思う」

「それだよ。それが君を導いてくれる。君がそれを忘れなければ、君は誰かと友達になれる君でいられる」

 老人の言葉は難しかった。でも僕は一生懸命考えてみた。

「望む自分を目指せば努力を続けられるってこと?」

 僕が導き出した答えがそれだった。老人は大きく頷いた。

「そうだとも。君は今の自分が見えている。だからそろそろ未来の自分を描くことを始める時だ」

「あなたはさっき僕が友達になれるかもしれない誰かを殺してしまったと言った。それは今からでも取り返しがつくのかな」

 僕は本当は老人のその言葉に後悔を感じていることに気がついて聞いた。僕が何もしないことで死んでしまう誰かがいるかもしれないなんてことは、考えたこともなかった。けれど、確かにそうなのかもしれないと思った。

「もちろんだとも。まだ君は何も決めていない。決めるのはこれからだ」

 ほっとした。泣きそうだった。僕はまだ誰も見殺しにはしていないと思うと、そういうこことなんだって、老人の言葉がすっと理解できた気がした。

「分かった。ありがとう。僕にも分かった。誰かを見殺しにするくらいなら、自分が危険な方がずっとましだ」

「そしてね」

 老人が笑った。いきなり周りが明るくなる。僕は自分の姿が光に赤裸々にされるのを感じて、森の奥に逃げたい衝動に駆られた。

「大丈夫だ。ここに君を傷つける者はいない」

 老人はそう言ったけれど、怖いものは怖い。僕はうずくまってがたがた震えた。

「どうしてそんなに怖がるんだい。今までいた場所と同じ場所だよ。光が差し込んだ以外、何も変わっていない。君がさっきまでいた広場がどこかに行ってしまったわけではないんだよ。君が別の世界に迷い込んでしまったわけでもない。同じ場所だ」

「でも、不安になるんだ。光の中では僕の目はよく見えないし、でもほかの生き物からは夜よりずっとよく見えるんだ。僕だけが光に閉ざされていて、一方的に僕だけが不利なんだ」

 僕は答えた。怖くて仕方がない。光の中では僕はより弱さが増すだけだ。

「僕たちは光に嫌われているんだ、だから僕たちは光の中では不利ばかりが増すんだ。ここは僕がいていい世界じゃないんだ」

「そうではないよ」

 老人の声は優しかった。僕はその声が信じられなかった。僕を昼の世界に引きずり出して丸かじりにしようとする、悪魔のささやきのように聞こえた。

「何も変わっていない。同じ場所だ。ただ明るいかくらいかの差でしかない。ただそれっぽっちの違いなんだ。別の世界ではないし、むしろ同じ世界の中に、光はあって、闇もある。両方なければ世界は壊れてしまうし、だから夜に愛された君たちコボルドが、昼の世界に憎まれているなんてことはないんだ」

「でも怖いよ」

 僕が答えると老人は静かに笑った。そして怯える僕の頭にまた手を置いて言った。

「それは君が怖いと思うから怖いだけで、昼はそんなことは望んでいない。ただ、君を日差しで暖めて、色とりどりな美しい世界を見せてくれようとしているだけなんだ。昼が君を憎んでいるんじゃない、君が昼を憎んでいるんだ。君は夜に生きることができる。だからと言って昼に生きてはいけないなんてこともない。君が昼を拒絶することをやめれば、昼は君を温かく受け入れてくれるよ。さあ、もう一度見てごらん」

「うん」

 僕は立ち上がった。やっぱり、怖い。けれど、木々の向こう側で目をぎらつかせて僕を狙っているものなんて、どこにもいなかった。さっきまでの広場だった。色とりどりの花が咲いていて、とても心地のいい暖かい光と、澄み切った風が吹いていた。

「きれいだ」

 僕が言うと、老人は嬉しそうにまた笑った。

「昼も君に褒められてうれしいと思っているよ。昼も夜も同じ世界に存在していて、両方そろって世界なんだ。昼は君の友達で、夜は君を愛している。君は両方を愛していいんだ。それは兄弟で、姉妹で、同じ世界の中に存在する仲間なのだから」

「うん」

 僕は頷いて笑った。まだ少し怖いけれど、少なくとも昼は僕が恐れているような危険なものじゃなかった。

「そして覚えておいてほしい。暖かいだろう? それは、昼が君の友達になりたがっている証拠だ。君が心を閉ざさなければ、君は昼と友達になることができる」

「うん」

 僕は頷いた。何故だか分からないけれど、僕はもう老人と別れる時間だと思った。老人も頷いて、僕を促した。

「さあ、お行き。君の未来に向かって、歩き出す時間だ」

 その言葉を聞いた途端。僕は目が覚めた。外は明るかった。それで、僕は無性に外が見たくなった。


(以上がラルフが語った話だ。なるべくすべてを記したつもりだが、何かが抜けているかもしれない。私が考察するに、ラルフが夢で出会ったという老人は、彼の話の内容と照らし合わせると、信じがたいことではあるが、私は世界である可能性を示唆していると考えている。我々の世界は、オールドガイア、『老いた大地』と呼ばれている)


「僕は分かったんだ」

 そう告げたラルフは昨日までよりずっと成長したような表情をしていて、私には彼に目を奪われた。

 陽光に照らされたラルフの鱗は輝いていて、その小さな体には力が満ちていた。

「前に言ったけれど。僕は力を得ても何もしないと。それは僕の望みじゃなかった。僕が力をもし持ったら、僕は」

 振り返って、ラルフは告げた。その目には確固たる意志が宿っていた。

「僕が助けなければ死んでしまうかもしれない、誰かを守りたい」

「そうか」

 それは確かに私がラルフに求めた答えだった。悪であると言われたコボルドは、ついに自分の中に善を見つけたのだと思った。

「一人でいいんだ。多いに越したことはないけれど、欲張るつもりはないんだ。僕が助けることで、もし誰か一人でも救えるのだとしたら、僕はそうしたい。父さんたちは、そうやって協力しあって生きているんだね」

「そうだ。そうだよ」

 私は気が付いたらラルフを抱きしめていた。彼の夢が彼を変えたのだとしても、ラルフが自分でその選択をしたことに変わりはない。

 彼は私にきちんとした木剣や盾、弓矢が欲しいと言った。私はそれらを買うことを彼に約束した。


 一二一日。

 昨日からラルフが朝食も昼食も食べるようになった。三食食べるの同時に、食事は毎食作るになったため、私の食事事情も格段に向上した。うれしい誤算だ。


 一五〇日。

 ラルフはあれから昼夜問わず森を駆け回るようになった。そして人類の社会、とりわけ国や街、村といったものの資料を欲しがるようになっていた。

 そして人間の子供が読むような絵本ではない、大人向けの物語の書籍を欲しがった。彼は喜劇や英雄譚ではなく、悲劇を求めた。そして羊皮紙が欲しいと言っては、何が原因でそうなっていくのか、それを避けるためにはどうするべきだったのか、物語を自分なりに考察した内容を羊皮紙にまとめるようになった。現実とは違うことは理解しながらも、悲劇を回避する思考力、想像力をつけるための練習だと、彼は言っていた。

 彼が大人の猪を仕留めてきた。確実にラルフは力をつけている。


 一八〇日。

 今日、ラルフは帰ってきてから何やら羊皮紙に書きなぐっている。

 野兎を狙う狼を見たそうだ。ラルフはそれを見て疑問がわいたそうだ。もしそれがモンスターと人間だったとして、人間を助けてモンスターを飢えさせるのが正しいのか、モンスターを飢えさせないために敢えて人間を見殺しにするのが正しいのか、とても難しい問題だと唸っていた。彼の正義感は哲学めいてきている。私にも明確な答えが出せなかった。

 翌日、答えが出たかと聞いたら、

「答えなんかなかったんだ。その時に人間を助けたいと思ったら助ければいいし、モンスターが可哀想に見えたらそっと立ち去ってもいいんだ。きっと選択ってそういうものなんだ」

 ラルフはそう言って笑っていた。

 彼は私よりずっと世界を高次元で見ているのかもしれない。



 二一〇日。

 ラルフが散歩に行くといったまま、帰ってこない。木剣も盾も持たずに出て行ったらしい(それ自体は最近はよくあることだが)。何かあったのだろうか。


 二一一日。

 今日もラルフが帰ってこない。何かあったのだろうか。


 二一二日。

 ラルフは戻らない。家の周りを捜索したが、彼がいる形跡はなかった。最近の彼の行動範囲は、私などよりずっと広いから、ラルフの居場所を私が見つけることはできなかった。無事にいてくれれば良いのだが。不安は募るばかりだ。


 二一三日。

 ラルフが傷だらけで帰って来た。酷い大怪我を負っていて、意識も朦朧としている。私は急いで彼に治癒魔法を掛け、屋根裏部屋のベッドに運んだ。毒や疫病に感染している兆候は見られないが、一応解毒魔法と病気除去の魔法もかけておく。手ごたえはなかった。

 夜になってから酷い発熱。一体彼の身に何があったのだろうか。


 二一四日。

 まだ発熱は続いているが意識ははっきりしている。何があったのかを聞くと、逆に彼に今日は何日だと聞かれた。

 私が日付を答えると、彼はベッドで体を抱えたまま押し黙ってしまった。


 二一八日。

 ラルフは元気を取り戻し、今まで以上に熱心に訓練に励んでいる。

 それでも彼は何も言ってくれない。話してくれないと心配だという私に、

「話したくない。それに、もし話さなければいけなかったとしても、話してどうにかなるには、僕が帰れた日には遅すぎた。手遅れなんだ。だから放っておいてほしい」

 と言ってやはり話してはくれなかった。


 二二〇日。

 今日は珍しく来客があった。近隣の村のグレイという男性だ。息子のジョンという子供を連れていた。

 家の中に招くと、ラルフを呼んでほしいという。家にもよく立ち寄る行商が、この家にコボルドの子供がいるという話を村でもたまにしているらしい。うかつだった。行商に口止めするのを忘れていた。

 そんな話は知らないとしらを切ろうかとも思ったが、要件が気になった。私はいることを認め、どのような用かと聞いた。

 彼らの話は驚くべき内容だった。

 丁度一〇日前、ジョンが木の実を拾いに森に入ってしまった際に、ノールと鉢合わせたらしい。そこを子供のコボルドに救われたというのだ。もしかするとそのコボルドはラルフのことかもしれないと行商から聞き、その礼を言いに来たという。私は急いでラルフを呼んだ。

 ラルフはジョンを見るなり、顔をくしゃくしゃにして言った。

「ちゃんと村の近くまで送ってあげられなくてごめん、あのあと無事に村につけたんだね。良かった」

 そういう事か。私にはラルフが言った手遅れの意味が分かった気がした。

 ジョンもラルフが無事だったことを喜んでいた。彼はどのようにしてラルフに助けられたのかをつぶさに語ってくれた。

 ノールがジョンに向かって襲い掛かろうとした時に、ラルフは木の枝と、朽ちた木の塊を持って飛び出して来たらしい。モンスターが増えたことに半狂乱になったジョンは、ラルフの背中に地面の葉っぱやら石やらを投げつけたそうだが、

「そんな元気があるなら立って。そして走って逃げるんだ。さあ行け!」

 とラルフは彼を叱り飛ばしたそうだ。それで無我夢中でジョンは走って逃げることができた、という話だった。

「うちの息子は、ラルフの勇気ある行動がなければ間違いなく死んでいたでしょう。そして自分が味方であることを弁解するよりも、ジョンが逃げないことを叱ってくれた。まさしく彼はうちの息子の英雄だ」

 グレイの言葉に私は目頭が熱くなるのを感じた。一方でどこかでラルフらしい決断だと感じていた。

「子供のコボルドが木の棒と木の板でノールに勝てるわけがないことも分かっていただろうに。それでも飛び出して、息子を逃がしてくれた君を、私は尊敬する。本当にありがとう」

 グレイはそう言ってラルフにお礼を言っていた。人間にお礼を言われたことがないラルフは、ただ呆然としていた。


 親子が帰ったあと、私はラルフと話した。

 ようやく何があったのかを話してくれた。

「何日も帰らなくてごめんなさい。ノールの追跡をなかなか振り切れなくて。家までついてこられると父さんが危ないと思ったから、帰れなかった」

「そうか。でもそういう時は帰ってきていいよ。父さんは元冒険者だ。ノールに殺されるほど弱くはないよ」

 私が言うと、ラルフは激しく首を振った。彼なりによく見ているようだ。

「父さん最近腰が痛いしか言わないじゃないか。全盛期みたいに戦ったらぎっくり腰で動けなくなるよ。危険だよ」

 そうかもしれない。ラルフは最善を計算して行動した。それは確かなのだろうと私は思う。

 だが、私は不満があった。彼が私に頑なに話そうとしなかった理由が、私には理解できなかった。

「しかし、何故話してくれなかったんだ?」

「だって、ちゃんと村に帰れたのか分からなかったから。森の中は危険だらけだ。ノールから助かっても、別のモンスターに殺されてしまうかもしれない。でも僕はあの子を追いかけるわけにいかなくて。ノールがついてきてしまうから。どこかであの子がやっぱり死んでいたらって想像したら悔しかった。僕はまだ誰かを助けるのには足りないんだと思って。それに、どう話していいかもわからなかったんだ。実はあれは夢だったんじゃないかって。僕が誰かを助けたなんて、何となく実感が持てなかったんだ。それに」

 ラルフの言葉は純粋で、それは彼の性根が本当にまっすぐなのだと証明していた。私はそれが誇らしかったが、同時にそれを私に教えてくれなかったことが寂しくもあった。

「ノールにコボルドが挑みかかるなんて、どう考えてもあるわけなくて。嘘だろうと疑われるんじゃないかと思うと怖かったんだ」

「私はラルフの父さんだ。父さんがラルフを信じないなんてことがあるわけないだろう?」

 私はそう言ってラルフを叱った。考えてみると私が彼を叱ったのは初めてかもしれない。彼は頷いて聞いていた。

「でも、自慢げに言いふらすよりはずっといい。ラルフは偉かった。誰かを助けたことも偉かったし、ノールを倒そうという無理はせず、大怪我は負っていたが、きちんと生きて戻って来た。誰かが助かってもラルフが死んでしまったら何にもならない。誰かが助かるように勇気を出して、自分も助かるように最善を尽くして、それでもそれを驕らなかった。ラルフは偉いな」

「ごめんなさい、父さん」

 ラルフは着実に自分の理想に向けて歩いている。私に何ができるだろう。

 よく考えるべき時が着ているのかもしれないと感じた。  


 二四〇日。

 信じられないところから手紙が来た。

 この森から最も近い都市にある大聖堂の司祭からの手紙だ。グレイはそこで守衛として働いているようで、彼から司祭にラルフが人間の子供を助けた話が伝わったらしい。

 手紙にはラルフと会ってみるか迷っている、保護者の意見が聞きたいという内容が綴られていた。私はその日のうちに返事を出した。

 そこに私は以前ラルフが語った老人の夢の話と、私の自分なりの考察を添えた。

 それを読めば司祭は必ずラルフに会いに来るだろう。私は確信していた。


 二五〇日。

 司祭が家に来た。もちろんラルフに会いにだ。

 司祭はラルフが見た老人の夢の話、ジョンを助けた時の話を熱心に聞いていた。

 一通り聞いた司祭から出た言葉はおおむね私の想像通りだった。

「聖騎士になってみないかね?」

 だが、考えてみればラルフは神学などの書物を読んだことがない。聖騎士という職を知らなかった。

「それはどういうひとなの?」

「皆が仲良く暮らせるように、困っている人の話を聞いてあげて、力を貸してあげる人のことだ。それに、命の危険にある人を守って戦い、助けてあげる人のことだ。皆と友達になるために、剣と盾を持って、悪に襲われる誰かを守る盾になり、誰かを狙う悪を討つ剣になってあげるひとのことだ」

 私がそう教えてあげると、ラルフは聖騎士に興味を持ったようだった。

「モンスターを助けてあげてもいいの?」

「聖騎士はこの世の中に生きる、平穏に生きたいと願うすべての命の味方だ。人類の味方でなくてもいい。それが君が導きだした聖騎士道であれば、誰のために剣と盾を握っても良いのだ。誰かの私利私欲や憎悪、怨嗟などの邪悪に手を貸すのでなければ」

 司祭がラルフに語ると、ラルフはいったんは辞退した。

「それは僕が求める誰かを助けることとは違うから、じゃあ駄目かな。家族を無残に殺されて仇を討ってほしいと言われて、僕はそれはいけないとは止められない」

「何と利発な子だ!」

 司祭が驚いた声をあげる。瞬時に話の盲点を突かれたことに、嬉しそうに笑っていた。

「確かにそうだ。それは憎悪や怨嗟だ。しかし悪ではない。君は正しく物事を判断できるのだね。私が悪かった。君が手を貸してもいいと思ったことが君の正義で良いのだよ。それならどうかな」

「でも、僕はコボルドだ。僕を信用してくれる人は多くないと思う。その務めが果たせないんじゃないかって不安だ」

 ラルフの言葉は慎重だった。私は彼の性格をよく知っているから、そうやって慎重な意見が出るときは、実は心の中ではすでに、できることなら、という想いがあることを知っていた。

 私は彼に語って聞かせた。

「ラルフ、聖騎士というのは、人類の間では、信用されやすい人でもあるんだ。だからラルフが誰かを助けたいと望んでいるんだったら、聖騎士になればそうやって頼ってくれる人たちが、ちょっとだけ増えるよ」

「本当に?」

 ラルフは期待を籠った視線で、私と司祭を見ていた。私も、司祭も、ラルフに頷いて見せた。

「それなら、なってみたいです」

 ラルフの夢の行き先が決まった。


 二七〇日。

 ラルフの望みは、すでに明確な将来の夢に結像したようだった。

 より一層武技の訓練に励み、森の中で実戦経験を積んでいるようだ。ただ、ラルフは狩りについてはその日に必要な分だけを仕留めるようになり、過剰な狩りを嫌うようになっているようだった。最近ラルフは神学の本も読み始めた。彼の目指す目標は確実に明確な人物像になっている。


 三〇〇日。

 前日から久しぶりに夜通しラルフが出かけていた、

 朝になり、どっさり獲物を仕留めて帰って来た。少し前から、解体、下ごしらえ、調理を私にも手伝わせるようになっている。理由も分かっている。

 一日かけて二人で獲物を保存ができるように燻製にした。それから私たちは、夜遅くまでいろいろ話し合った。これまでのこと。これからのこと。寝る前にラルフは言った。

「父さん、お休み。ほとんど恩を返せてなくてごめん。ありがとう」


 三〇一日。

 大聖堂からの馬車が来た。

 ラルフが乗り込んでいく。私が買った木剣と木の盾、練習用の弓を持って。

「父さん」

 振り返って、彼は言った。

「行ってきます」

 私は胸が詰まって、言葉が返せなかった。



 (※)



 この記録は、大聖堂に保管するため、司祭に頼まれて纏めた、私が拾ってから、聖騎士見習いとして家を出るまでの、私とラルフの日々の記録である。

 私、エルナス・ウォルドは、我が息子、ラルフの前途が明るいものであることを祈っている。


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