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06.二人の結末

 ワインを二つもらい、ギルの元へ戻ろうと足を進めると、彼に人だかりができていた。


 婚約者()と来ているのに、ちょっと離れた隙にすぐ令嬢たちに囲まれてしまうのね。


 囲まれていても頭一つ飛び抜けているギルは、やっぱり少し面倒そうに眉を寄せているけど、傍から見ても素敵だった。


 私もあの中の一人に過ぎないのかな……。


 持っているものといえば、彼の親友・アルフレートの妹、ということだけ。

 それがあるからギルは私との婚約は解消しないかもしれないけど、愛されることもないのかも。


 愛なんて、いらないはずだったのになぁ……。


 いつしか私は、ギルから愛されることを望むようになってしまっていた。


 所詮私も、その他大勢の女性たちと何も変わらない。面倒な女なんだ。


 はぁ、と息を吐いてアルを探すと、彼もまだ女性陣に取り囲まれていた。


「ほんとすごい……」


 急に虚無感に襲われて、一人で帰ってしまおうか。なんて考えていると、左手に持っていたグラスをひょい、と誰かにすくい取られた。


「こんばんは、マリーナ嬢」

「あ……あなたは――」


 確か、なんだっけ、前に婚約者候補で父に紹介された――。


「ニルスですよ。ニルス・クルーゲ」

「ニルス様、こんばんは」


 そうそう、ニルスだ。その軽そうな口調は忘れていないわよ。


「ニルス様もご婚約者様と?」


 アルが作り上げた〝運命の人〟と、彼は結婚すると言っていた。


「……実は、彼女とは終わったんだ」

「え?」


 自分に酔っているような表情でふっと笑みをこぼすニルスに、私は思わず顔をしかめた。


「ですが、運命の人だと……」

「うん……そう思っていたのだけどね、どうやら間違えていたらしい」


 ああ、そうですか。


 もう呆れて言葉も出ない。本当に、ろくでもない男が多いと、つくづく嫌な気持ちになる。


 せっかくアルが紹介した子爵家のご令嬢はどうなったのだろうか。婚約破棄をされて、傷ついているだろうか……。

 それを考えると、ムカムカしてきた。

 変なことを言ってしまいそうだから、早くどこかへ行ってほしい。


「しかし君は本当に美しいな。僕はとても惜しいことをしたようだ。あのときすぐに気づいていれば、今頃この天使は僕のものだったのか」

「……ほほほ、どうかしら」


 歯の浮くようなくさい台詞に、ぞわりと鳥肌が立つ。もちろん嫌な意味で。


「ねぇ、マリーナ。二人でちょっと抜け出さない? 君のことをもっと知りたいんだ」

「え……」


〝ニルスは度々夜会に足を運んでは毎度違う女性と姿を消す――〟


 アルから聞いたその言葉を思い出し、ぞくりと寒気がした。抜け出して何をしているのかは、想像もしたくない。


 性懲りもなく私にそんなことを口走るニルスに、なんとか作り笑顔を浮かべて答える。


「私、実は婚約したんです」

「もちろん知っているよ」

「……え?」


 知っていて声を掛けたっていうの?


「でも、相手はあの闇夜の騎士(女嫌い)だろう? 冷たくされているんじゃないかい? 僕が慰めてあげるよ」


 そう言って、甘い視線で私を見つめるとそっと手に触れられた。


 相手が公爵令息であるということも、どうやら承知しているらしい。よほど自分に自信があるのだろうか。


「ねぇ可愛いマリーナ、行こう?」


 彼の噂を知らなければ、確かに落ちてしまう令嬢もいるかもしれないと思う甘い顔と言葉で、そっと手の甲を撫でられる。


 気持ち悪い……っ! 勝手に触らないでよ……!!


 けれど私はもう限界。


「……結構です。私、あなたのように女性を玩具(もの)としか思っていない女好き(クズ)を見ていると、虫唾が走るの。消えてくださる?」


 とうとう耐えられなくなり、彼の手を振り払うとあくまで笑顔を保ったまま、そう言った。言ってしまった。


「……は?」


 しまった、と思ったときにはもう遅い。ニルスは表情をがらりと変えると、私を鋭く睨みつけた。


「公爵家の男と婚約したからって、調子に乗るなよ……」

「……別に私は、あの方が公爵家の人間だから婚約したわけではございません」


 ならばもう、引き返せない。乱暴な言葉遣いをするニルスに、私も平然と言葉をお返しした。


「調子いいこと言って、おまえもあの男の見た目と権力に惹かれただけだろ。女なんてみんなそうだ。金と権力、それにちょっと甘い言葉を囁いてやれば簡単に身体を開くからな。どうせおまえもそうなんだろ? それともあの男色公爵様には、相手にもされなかったか?」


 男色公爵……? いくらなんでも、そんなことをこんな場所で口に出して言うなんて――!


 興奮して声が大きくなった彼は、次第に周りの注目を集め始めていた。どうやら自分では気がついていないようだけど。


「なんてことを言うの……。撤回してください」

「は? なんだよ、みんな思ってることだろう?」

「撤回しなさい!!」

「……っ」


 つい、私も大きな声を出してしまった。でも許せない。ギルを侮辱するようなことをこんな場所で口に出して言うなんて。許せない。


「ちっ、女のくせに生意気な……!」


 ニルスが手に持っていたグラスを強く握って奥歯を噛み締めた。

 その手が小刻みに震えているのがわかる。


 そして、彼の背後からツカツカツカ――と、とても恐ろしい形相をしたアルが近付いてきているのが目に入り、私はハッとする。


 大変、アルを巻き込んでしまう。


「調子に乗るなよ――!」

「!」


 アルに気を取られていた私に、ニルスが強く叫んだ。


 そのとき。


「少し頭を冷やせ」


 べしゃ、という水音と共に、ニルスの手に握られていたグラスのワインが、彼自身の顔にかかった。


「……ギル」


 それは、ニルスが私に引っ掛けようと動かした手を、ギルが軽く押し戻してやったからだった。

 それだけでも、反動でその中身は派手にニルスの顔に跳ね上がった。


「な……!」

「俺の婚約者が、何か無礼を?」

「あ、いや……え、何、助けに来たのかよ……嘘だろ、だってこの女は、お飾りの妻にするんですよね? ハルフォーフ様は女嫌いだから、この女のことだって別に好きなわけじゃ……」


 ニルスはポタリポタリと髪からワインを滴らせながら、公爵令息であるギルベルト・ハルフォーフを前にして、少し怖気付きながらも問うた。とても無神経で無礼な質問だと思った。


「おまえは何か勘違いしているようだな。マリーナをお飾りの妻にする気はないし、嫌いだとも思っていない。俺が嫌いなのは人を見た目や家柄でしか判断しない人間だ。そしてそういう人間は上辺しか見ていないから、簡単に人を裏切り、切り捨てる。男も女も関係ない。俺はそういう人間が嫌いなんだ。おまえのようにな」


 溜め息をついてから、ギルは冷たく言い放った。


「……ですが、この女は今俺を侮辱したんだぞ! たまたま兄貴がハルフォーフ様の友人だっただけで婚約者の座を得たくせに、偉そうに……!」

「侮辱? 事実を述べられただけではないですか? あなたの話は聞いていますよ、ニルス・クルーゲ」


 続いてニルスの後ろから様子を窺っていたアルが声を上げる。ニルスはばっとアルを振り返ると、苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。


 なぜならアルの後ろには、ニルスをひどく憎らしそうに睨んでいる令嬢たちが何人もいたからだ。


「な……っ、しかし!!」

「それ以上俺の婚約者を侮辱してみろ。二度と口をきけなくしてやる」

「同感だな」

「……っ」


 今は剣など持ち合わせていなくても、王宮一、二を争う騎士二人に睨まれて、ニルスは見えない刃を突きつけられたかのように震え上がった。


「も、申し訳ございません……!」

「この話はクルーゲ伯爵にも報告させてもらうぞ」

「そんな……、どうか、父には……!!」

「自分の犯した行いだろう。自分で拭え」

「……」


 アルに言われ、ニルスはがくりと項垂れた。その様子を見ていた城の従者にアルが合図を送ると、ニルスは両脇から抱えられて会場から追い出されていった。



「……さぁて、シラケてしまったね。飲みたい気分だ! 飲み物でももらってくるかな」

「ご一緒しますわ、アルフレート様!」

「わたくしも!」


 その場にいたご令嬢たちを引き連れて、アルは私たちから遠ざかっていく。


 残されたギルに目を向けると、彼は少し気まずそうに目を伏せた。


「ギル……」

「聞いただろう。俺は女が嫌いなわけではない」

「……」


 それはつまり、どういうことだろう。

 私をお飾りの妻にする気はないと言っていたけれど、でもそれは建前上の話ではないのだろうか……。


「俺に好意を抱いて近づいてくる女性は、大抵上辺で人を判断するような者ばかりだった。それで俺は女嫌いだと言われるようになったが、俺は君の奥底にあるものも、しっかり見たつもりだ」

「……」


 それはつまり……。少なくとも、嫌いではないということだろうけど。


 ギルの真意を探ろうと、彼の青い瞳をじっと見つめた。


「君はどうなんだ」

「え?」

「アル以外の男は、やはり好きにはなれないか?」


 まっすぐに見つめられ、その熱い視線にきゅん、と胸が疼く。それはまるで、愛しい人でも見つめているように見えたから――。


「いえ……いいえ! そんなことはありません!!」


 ドキドキと、緊張と不安で高鳴る胸に手を当てて、私は改めてギルに向き合った。


「アル……お兄様のことは変わらず大好きです。ですが、ギルには……あなたには、もっと違う感情が湧くのです」

「……それは、どんな?」

「こう、胸が締め付けられるような……熱くなるような……アルとは違うけど、でも……私は、ギルに愛されたい……そう思ってしまうのです」


 言った。言ってしまった。面倒な女だと思われてしまうのだろうか……でも、きっと――。


 おそるおそる彼の反応を窺うと、ギルは一瞬驚いたように目を開けたあと、とても優しく微笑んだ。


 闇夜の騎士が、笑った。


「やはり気が合うな。俺も同じことを思っていた」

「え……?」

「君に愛されたい。アル以上に。男として」

「ギル……」


 彼の手が伸びてきて、優しく頰に触れる。

 最初の頃の彼とも、アルの触れ方とも違う。


 これは、男性が愛しい女性に触れるときのものだ。


「……――」


 ギルの手にそっと自分のを重ねて心のままに微笑む。


 きっと私も、女性が愛しい男性を見つめるときの表情をしているに違いない。



 思い描いていた結婚生活とは違うものになりそうだけど、こっちのほうがずっといい。


 未来の旦那様の顔を見つめて、私は心の底からそう感じた。


お読みいただきありがとうございました。


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