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前編

R15、残酷な描写あり。

リアルに疲れている方はご遠慮ください。

 救うと誓ったのです。

 約束を、したのです。

 必ず救けると。



「小隕石群が近づいてるんですってね」


 朝、シャワーを浴びたあと。

 つけっぱなしのテレビを横目で見ながらトーストをかじっていると、淹れたてのコーヒーを手にキッチンから母がやってきた。


 コーヒーを受け取り、砂糖とミルクを溶かし込みながら羽衣音(はいね)は母を見上げた。


「何の話?」


「さっきテレビで言ってたのよ。地球に隕石群が近づいてるって」


「へえ。それで、どうなるの?」


「地表にぶつかる前に燃え尽きるそうよ。一度にたくさんの隕石が降り注ぐから、きれいな流星雨が見られるんじゃないかって言ってたわ」


「ふうん」


 ロマンチックだが、恋人のいない自分とはあまり関係のなさそうな話に、羽衣音は興味も失せてさっさと朝食を済ませることにした。


 もうそろそろ仕事に出かけなければいけない時間だ。

 職人の父は、受けた依頼ごとに違う遠くの現場へと出かけるため、とっくに姿がない。


 トーストをほとんど噛まずにコーヒーで流し込むと、羽衣音は本日2杯目のカフェインで気合を入れた体を、無理やり椅子から立ち上がらせた。



 アパートの階段を降りてふと空を見上げる。

 隕石の影などどこにも見当たらなかった。

 ただ青い空だけがある。


 ああ、仕事行きたくないなあ。


 コールセンターでの勤務は心にも体にもこたえる。

 羽衣音は古くなったパンプスに痛みと不快感を感じながら駅へと歩き出した。






 由香里はバスの手すりに掴まりながら、ぼんやりと車体の揺れに体を合わせていた。


 スマホを見る気にもならない。


『ガンに間違いありません。しかも進行が早い。もって数ヶ月です』


 昨日受けた告知が、少しずつ現実味を帯びて脳に染み込んでくる。

 38歳。

 娘が小学校に上がり、再就職をしたばかりだった。


 会社に行ってどうするというのだろう。

 話せば楽になるのか?

 務め始めたばかりで、こんな話ができる同僚などいない。


 退職することになるのだろう、きっと。

 手術するにしても、投薬するにしても、何もしないにしても。


 目の前の隣り合わせて座った女子高生たちが、スマホを覗き込んで声を上げた。


「隕石だって」

「へえ。落ちるのかな。氷河期来ちゃう?」

「なんかね、途中で燃え尽きるんだけど、毒ガスが出るかもって」

「何それ。嘘くさい」

「ネット情報だしね。でもやじゃない?」

「ねーー、毒ガスも氷河期もやだよねーー」


 本気にしていない様子でケラケラ笑う女子高生たち。

 その笑い声に娘の未来が重なり、愛おしさを感じる。


 隕石が来るのとあたしがガンで死ぬのと、どっちが早いかな。

 彼女たちの無邪気な話を聞きながら由香里はそう考え、思わず吹き出しそうになった。


 どちらにしても、数ヶ月先には確実な死が待っている。






 豊はバイト先のコンビニから自宅へと帰る途中だった。


 就職に失敗し続け、生活費を稼ぐためコンビニの深夜帯のバイトをしている。

 一緒に暮らしている学生時代からの彼女は派遣社員として働いていたが、つい先週派遣切りにあった。


 昔は豊にも彼女にも夢があった。


 けれど現実は夢を追う暇などなく、いつか結婚して子どもを持つことすら、今では夢のまた夢だ。


 彼女は気にしないで欲しいと言う。

 結婚式など挙げなくていいし、子どもも産んでも育てられないから、産まなくていいと言う。


 2人で一生懸命働いて、少しの楽しみを糧に暮らせればそれでいいと。


 毎日笑って暮らそう。

 毎日、ささやかな楽しみを見つけて、静かな幸せを喜ぼう。


 赤信号で立ち止まり、忙しく走り出す車の流れを見るともなく見て、豊はため息をついた。

 何気なくスマホに目を落とすと、小隕石群だかのニュースがトップにあった。

 昨晩は小惑星だと言っていたが、情報が錯綜しているのか、あちこちでデマが飛び交っているようだった。


 もしかしたらこの大量の車の中には、どこぞに避難する者たちがいるのだろうか。

 だが、避難するとしても豊には車がない。遠くへは行けないから、場合によっては避難は諦めないといけないだろうと考える。


 子どもがいなくて良かった。俺は死んでもいいけど、子どもが死ぬのは可哀想だ。

 そして家で待っているはずの彼女のことを考えて、小さく笑みを浮かべた。


 惨めな人生は、気づかないふりで生きていくのが一番だ。






 彼女はうずくまってまどろんでいる。


 世界は憎しみと恐怖と怒りが渦巻き、他者を支配する事に昏い喜びを覚える者たちが栄えている。

 支配する事で得られる力は絶大だ。

 惨めさが、嘆きが、絶望が、諦めが、彼らをさらに強くする。


 静かに、優しさや思いやりと共に生きる者はその支配下で奪われ続ける。


 その両方が、彼女に力を与えていた。


 どちらもが彼女の糧である。


 彼女の上に生きるものは、人であれ動物であれ、形があろうとなかろうと、石や風、光や闇、木々から離れた木の葉の一枚から、大気、感情、ゆらぎや響きに至るまで、何もかも全てが彼女を構成する一部で力の源であった。


 大きさも強さも関係ない。


 ただあるという事が価値の全てだった。


 ゆらゆらと微睡んで、半覚醒の中で遠い夢を見る。


 それは優しい記憶。


 最近、体に痛みが走る事が増えた。


 成長が始まっている。


 彼女の上に生きる者たちの醜い有り様が、少し煩わしい。

 軽く払えばすっきりするだろうか。


 彼女がほんの少し身じろぎしただけで儚く壊れてしまう生き物たち。

 成長を終えるその日まで、彼女は眠ることを選んだけれど、自由を得て侵略を始めた闇は少々汚らしい。

 だが壊してしまうのは胸が痛む。


 闇はただ闇であり、全てを隠して自己の繁栄を突き詰める事がその性であるがゆえに、自分と認識しているもの以外をその支配下におく習性がある。

 そしてそこから糧を得る。


 対して光はただ光であり、全てを晒して共同体のもとに集まろうとする。それゆえ、自身が所属している共同体の繁栄を優先させるため、闇が簡単に支配できる状況を作り出しがちだ。

 光の糧は心地よさ。より多くが集まって幸せである事に力を得る。


 彼女にとっては存在するものの繁栄が全てである。


 闇でも光でも、中立でもどちらでもなくともどうでも良かったが、目覚めるときに見るものは楽しいほうがいい。


 痛みや憎悪や悲しみよりは、明るく楽しげなもののほうが良かった。


 彼女はうずくまったまま夢を見る。

 夢に絶望が入り込む。

 その痛みにまた体が軋んだ。






『隕石群は、想像を遥かに超える規模のようですね』

『ええ。他の銀河系から飛来するこの隕石群は、先日発見者によって「神の火」と名付けられました。いささか不謹慎であるかと思うのですが、発見者は隕石群は1日2日どころではなく降り続けるだろうと言っているのです。ならば、人類は有史以来の光景を目にするのではないか、と』

『本当に地球に危険はないのでしょうか』

『大きさからすると地表にぶつかる前に燃え尽きるという話ですが、何事も絶対という事はありません。相当な数のようですから、何が起こってもおかしくない、と考えて万が一の準備はするべきでしょう』

『なるほど。我々はこの隕石群の到来に向けて何をするべきなのでしょうか。CMのあとは専門家の皆様にお伺いしたいと思います』


 明子はテレビを消した。


 洗濯物を干すためにベランダへ出て空を見上げるが、そこにあるのはいつもの空だ。

 今日は午後から曇るらしい。


 娘の羽衣音は無事成長して仕事についた。

 恋人がいないのが心配だが、そのうちどうにかなるだろうと思っている。

 何しろ、なんの取り柄もない自分ですら結婚して家庭を持てたのだ。あの子もきっと大丈夫だろう。


 今日は、近所の家のベランダでも空を見上げている人がいる。

 みんな気にする事は同じなのだ。


 最近では目も霞むし、足腰が痛んで立つのも歩くのも辛い。

 病院での検査なんてもう何十年も受けていないし、どんな病気があるかもわからない。もしかしたら明日にでも突然死んでしまうかもしれない。

 そう思ってずっと生きてきた。


 土地も財産もない、老後は年金だけで暮らすしかない事を思えば、長生きなどしても仕方がない。


 だから、もうすぐ世界が終わるかもしれないと言われてもあまり気にならない。

 娘が無事で幸せになってくれれば言う事はないが、みんな一緒に終わるのならそれでもいいかと思えた。


 世の中には、働かなくてもたくさんのお金が入ってくる人達がいるという。

 もしくは、頑張れば頑張っただけ幸せになれる人たちも。


 そこまでいかなくてもいい。

 せめて、健康で毎日の生活に苦労せずに済む、誰からも傷つけられたり踏みつけにされたりしない、そんな人生が送れるならそれで良かった。

 だがそんなものすら贅沢な夢であるということはもう十分に思い知っている。


 ああそういえば、と明子は洗濯物を干し終わってベランダの戸を閉めると、ガラスで隔てられた、外の暖かな一戸建てが並ぶ住宅街を見て思い出した。


 子供の頃はわたし、歌手になりたかったわ。


 小さな頃、おもちゃのマイクを買ってもらって、いつもそれを握って歌っていた。

 祖母とその友人たちがたくさん褒めてくれて、自分は歌手になるんだ、なんて思っていた。


『あきちゃんの歌はなんだかほっとするねえ』

『また聞かせておくれよ。明子ちゃんの歌を聞くと、元気になる気がするんだ』


 小学校に上がって、そんな思い上がりはいつしか捨ててしまったが。


 明子はパートに出かける準備をしようと、ベランダのカーテンを閉めた。



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