第71話 別れ
王国会議の当日、カレーナたちは夜明け前に王宮に出仕し、俺たちはその結果の知らせを待っていた。
「家臣一同、集まってくれ!」
普段見ない宮廷女官みたいな服装で化粧までしているセシリーが、その姿に似合わない馬にまたがって宿舎の門を駆け込んできた。
みんなびっくりしていたのは、その大声か姿かどっちにだ? まあ、そう言う俺だって、あの最初の夜の記憶がなければ、この美女がセシリーだとすぐにはわからなかったかもな。
王都の通りを埋めた祭の見物人たちも、見事に馬を駆る女官姿にあっけに取られたか、あるいはこれも大道芸か催し物の一幕だとでも思っただろうか。
王宮の叙任式に出席を認められたのは、当事者であるカレーナの他はセバスチャンとイグリ、つまり騎士身分以上の貴族だけだ。
そこにセシリーは、「カレーナの世話をする侍女」ということで同行を認められ、残る兵たちは、明日の帰り支度をしながら結果の報告を待っていた。
俺も朝イチでノルテの身の振り方をなんとかしようと動き回って、結果は微妙だが一応の目処をつけて戻ってきたところだった。
残留組の指揮を執っていたベリシャが、急ぎみんなを広間に集めた。
「どうだったんだ、王命は?」
緊張しながらセシリーに尋ねる。
「うむ・・・内示通り、カレーナ様はオルバニア家の継承を正式に認められ、“カレーナ・フォロ・オルバニア女子爵”となられた!」
「オーッ!」
広間に歓声が上がった。
セシリーはスカート姿には不似合いな拳を振り上げながら続けた。
「加えて、スクタリの南と東の辺境部の領有と、そこに位置する開拓民の村3つに対する徴税権を認められ、また、騎士身分の叙爵権も与えられることになった」
再び歓声があがる。領地が広がるってことと、叙爵権ってのはどうやら、騎士の身分を配下に与えられる権限ってことかな。
兵たちの間から、質問の声が上がる。
「ブレル子爵はどうなったんだ?」
「ブレルは残念ながら、ドウラスの支配は既成事実として認められたが・・・」
そこでいったんブーイングが上がる。
「オルバニア家に対する優越的地位は否定され、シキペール地方でドウラス以外に不当に占拠していた街のうち領有を許されたのはペシュコフのみ。あとは王家直轄地として代官が派遣される見込みだ。またヴェラチエ河の優先水利権も否定された」
そこで、ざまーみろ、とか、いい気味だ、とか多くの兵から声が上がったのは、両家の確執の深さがわかるな。
「・・・ところで、一時金や迷宮討伐の報奨金などのお話は?」
おずおずと、今回、文官としては唯一同行している徴税官のジェコが切り出した。
「・・・それは、なかった」
セシリーの言葉に、これまでの元気がなくなった。
「なにも?ですか・・・それは、少なくともあと半年は大変ですな」
ジェコはがっくりと肩を落とした。
領地が増えても、そこから税収を得られるのは早くて次の秋の収穫期からだ。それまではむしろ広がった所領の治安維持が負担になるし、今回の王都往復にも多額の費用がかかっている。
迷宮討伐で得られた魔石などの利益と、この間、俺たちがゲンさんから新たに借りた金で、そこまではつないでいかなくてはいけない。
これでは領兵への褒美なども厳しそうだな、とまわりの兵がひそひそ話をしていた。先ほどまでの盛り上がりが、目に見えて下がった。
「と、とは言えだ、これまでの先が見えない状況に比べたら、今後は良くなる一方だぞ」
湿っぽくなりかけた空気を、ベリシャが一生懸命、明るくしようとする。
「そうだそうだ、我々はもう、ブレルの息のかかったならず者たちに侮られることもないし、手柄を立てれば給金だって来年からは上がる、はずだ」
セシリーも不器用に盛り立てる。
まあ、少なくともこれまでは主家お取り潰し、家臣はみな浪人に、って暗い未来図しか見えてなかったんだから、それよりはずっと良くなったってのは本当だよな。文字通り“浪人”の俺が言うのもなんだけど。
ベリシャが気を利かせて、「荷造り作業の分担を終えた者は日没まで街に出て良いぞ」と告げたことで、再び兵たちの雰囲気も持ち直し、俺は○○に土産を買いに行くぞ、とか、王都の娼館に行くなら今しかない、とか、それぞれに活気?が生まれていた。
ベスはスクタリに遠話で報告する内容を詰めるため、ベリシャとセシリーに呼ばれ、「まだ回ってない古書店が・・・」とかぶつくさ言っていた。
「シロー、日没の半刻後に三階に来い」
そして、去り際にセシリーから小声でそう言われた。
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窓の外では、すっかり暗くなってからも賑やかな音楽が続いていた。だが、その音色は少しずつ甘く寂しさを秘めたものになり、祭りが終わりに近づいていることを知らせるようだ。
「やっぱり、当家に仕えてくれる気はない?」
宮廷用の正装から、少しくだけたドレスに着替えたカレーナだったが、髪型や化粧はばっちり決めたままで、迷宮で一緒に戦った時とは別人のように見える。
「・・・ごめん、俺、前にも話したように、この世界を見て回りたいんだ。姫様たちを許せないとか、そういう気持ちは今はもう全然ないんだ、ほんとだよ」
俺は何度も考え抜いた言葉を、また絞り出す。強く意思を持っていないと、流されてしまいそうで。
「ううん、こちらこそごめんなさいね。一応確認よ、もう心の整理はついてるから」
カレーナはにっこり笑って、口調をあらためた。
「ではまず、奴隷身分からの解放後、本日までの働きに対して、領兵の基準で給金を支給します。のちほど受け取って下さい」
セシリーがうなずく。
「そして、あらためてシロー・ツヅキ、あなたのこれまでの働きに対し、褒美を取らせます。とは言え、聞き及んでいると思いますが、このたびの決定で、当家は所領は得たものの直接的な金銭的報償は得られませんでした。ですから、あなたにもお金の形で十分な褒美をあげることはできませんが・・・」
カレーナはそう言うと、俺の目をまっすぐ見つめて
「あなたを、騎士身分に叙爵します」
と宣言した。
俺は昼間のジェコとセシリーのやりとりを聞いて、大した褒美なんて期待していなかったので、どう反応していいかわからなかった。
「え、と・・・いいの?」
だとしても、この反応はないよな、しっかりしろ、俺。
「その、俺はこの世界の制度とかよくわからないんだけど、騎士にするとかって、一応貴族?だよね、大変なことなんじゃないの?」
俺は、セシリーに最初に出会ったとき、いつか騎士になってカレーナを支えたい、と聞かされたのを思い出して、今も女官姿のセシリーに目を向けた。
驚いたことにセシリーは、「ああ、そうか」という顔をしてから、にっこり微笑んだ。そんな顔されたら、普通にいい女だよ、不意打ちだよ。
「ふふっ、シローらしいですね。ええ、大変なことですよ」
カレーナも笑顔を見せた。
「特にあなたは当家に仕えてくれるわけでもなく、明日には私たちを捨てて行ってしまうんですから、そんな人に爵位など。セバスチャンに伝えたら、カンカンでした。貴族の身分をなんと心得ておられるのですか!って」
捨てるとか、人聞きの悪いことを言わないでくれ、姫さま。
「でも、だからこそ、今あげられる最上のものの一つが、おそらくこれですから。あなたがこの世界で暮らしていく上で、なにかと助けになるはずです」
微妙な言い回しをした。
そして、ちらっとセシリーとアイコンタクトを交わした。
「それと、気を遣わなくていいのよ。セシリーもこのたび正式に騎士身分となりましたから。領主の叙爵権をさっそく行使してるの」
そういうことか。セシリーの笑顔は。
「あー、そうなんだ。なんていうか、あの、おめでとう、セシリー」
・・・って言ったら、ぷっ、と吹き出しやがったよ、この残念美人。
「ああ、ありがとう。そしてお前もな、ありがたくお受けしろよ。お前は本当に礼儀知らずでスケベでしょうもないやつだが、命がけでカレーナ様の力になってくれた。そして、私にとっても単なる奴隷ではなく命を預けられる戦友だからな」
・・・これ、すごい褒め言葉じゃないか?どうしちゃったんだ。
「領主として最初に行使する叙爵を、女人と素性も知れぬ風来坊に与えるのかって、もちろん言う人は言うと思うけど、あなたたちは私と共に迷宮の討伐を完遂した、たった5人の仲間っていう文句のつけられない功績があるから・・・グレオンも奴隷から解放して兵長待遇に、ラル-クとベスもそれぞれ昇進させるから。それに、グレオンとラルークは・・・」
「そうか、結婚するんだっけ?」
「ええ、私が媒酌する予定だからね。自分の結婚より前に、しかも年上のカップルの」
「ああー、それはなんとも・・・」
3人でけらけら笑った。たわいない時間が、キラキラまぶしい気がする。
窓の外に満月が輝いていた。
派手な火薬の音とともに、花火か?明るい色合いの光も見える。
花火と言っても打ち上げ花火って感じの凝ったものじゃなく、手筒花火みたいな炎のシャワーみたいなのが、通りの方からかすかに見えた。
それから俺はセシリーに案内され、いったん廊下に出て、同じ三階の少し格式張った部屋に連れて行かれた。
ここはカレーナ専用の区画らしく、廊下にも誰もいない。今夜の当番兵がセシリーだと言うことになってるらしい。連れて行かれた部屋で、ずっしり重みのある革袋を渡された。さっき言われていた、奴隷解放後の日割りした給金らしい。こういう所は律儀だな。
これでお別れなのかな、と思うと、がらにもなく寂しい気がする。
でも、セシリーがフッと息をついてこう言った。
「・・・シロー、これからの事は一切他言無用だ、いいな?」
そして、奥の扉からこんなのがあったんだ、というような暗い通路に俺を連れ出し、そこで、「黙ってついてこい」と告げると、手を引いて歩き出した。窓も明かりもなく、しばらく行くと本当に真っ暗で、ただ、かなり強い香水の匂いが立ちこめ、別の部屋に入ったようだ。
セシリーが手探りでゆっくり進んでいくのに引かれ、大きな寝台のようなものに突き当たった。
誰かいるのか?そう思ったとき、真っ暗な中で、そっと柔らかい唇が触れてきた。
「なにも聞くなよ、この女性は口がきけないんだ」
セシリーがひとことそう言い、俺の服に手をかけた。それが最後の言葉だった。
その女性は本当にひと言も口を開かず、俺たちはただ手探りで求め合った。
たった一度だけ、夜更け過ぎに
「俺、きょうで19になったんだ」
と言葉に出したら、息をのんだ気配がして、また強く唇が押しつけられた。俺はぎゅっと、柔らかい体を抱きしめた。
後のことは、全部一夜の夢だったんだ、と思う。
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朝霧に包まれた王都を、隊列が出て行く。
王国会議の翌朝、地方領主の多くが領地への帰途につき、城門の前は混み合って、隊列が途切れることはない。
けさ、宿舎から出る仲間たちと別れを惜しんだ。
ベスは「また王都に来ますけど、手紙も書くからちゃんと読み書きを覚えて下さいよ」と、ラルークは「お前さん、結局だれに惚れてたんだい? ともかくグレオンの分までノルテを頼んだよ」と笑って手を振って行った。
なぜだかリナも魔女っ子モードになって、そっくりのベスとハグして別れを惜しんでいた。何を話してたんだと聞くと、<女子トークを教えるとか、ないから>とか言いやがった。なんだよいったい。
イグリとベリシャ、ヴァロンには、冒険者としてうまくいかなかったらスクタリに戻って来いよ、今度は一緒にパーティー組んで討伐をやろうぜ、と肩を叩かれた。
そうして、一度は一行を送り出したんだけど、やっぱり城門まで見に来てしまった。ちょっとしまりがないかな。
高位の貴族の大がかりな隊列から順番に出発し、かなり待たされた後で、ようやく見慣れた紋章をつけた少数の隊列が、城門を通る番が来た。
その中で一台だけ立派な箱馬車が、城門を出て、やがて霧に包まれて完全に見えなくなるまで、俺はずっと見つめていた。
第一部「迷宮奴隷篇」、これにて完結です。お読みいただき、ありがとうございました。
第二部「ハーレム篇」もどうぞお楽しみに。




