第7話 宿屋
紹介された宿屋は家族で切り盛りしていた。魔石を売った金で泊まれるようだ。
この世界の通貨の価値がなんとなくわかってきた。
バンの宿は簡素な2階建てで古びてはいるが、石造りで周りに比べるとしっかりした作りの建物に見える。
脇に板葺き屋根があって、その下にはトリウマが3頭つながれて飼い葉をついばんでいた。宿泊客のものか、宿で飼っているのかわからないが。
中から話し声が聞こえる木の扉をあけて宿に入ると、1階は酒場のようだ。まだ夕暮れ前だっていうのに、既に5、6人の男がオレンジ色の液体の入ったジョッキを傾け、緑色の豆をつまみながら大声をあげていた。
扉が開いたことで何人かは俺の方をちらっと見て、セーターとジーンズという場違いな格好に目をとめたが、すぐにまた自分たちの会話に戻った。
もう酔っ払ってるのかな。その方がありがたい。注目されるのは嫌いだ。
ウエイトレスっぽい格好の少女が呼びかけてきた。
「いらっしゃいませ~。お食事ですか?それとも、お泊まりの方?」
中学生ぐらいだろう。暗褐色の髪をお下げにしていて、まだこれから発育します、っていう感じのやせっぽちだが、愛嬌のある明るい雰囲気の子だ。
俺が食事でも宿泊でもなく、酒を飲みに来たっていう発想はないんだな。
何歳ぐらいに見られてるんだろう、っていうか、そもそもこの世界は飲酒に年齢制限はあるんだろうか。
「泊まりたいんだけど」
「お泊まりですね。お父ちゃん!宿泊のお客さんだよ」
なるほど宿屋兼酒場の看板娘か。
厨房からいかにも酒場の亭主的な、赤ら顔でメタボ体型のおっさんが出てきた。父親似でなくてよかったね。
このメタボ氏がバンさんなのかな。
そう意識したら、<商人 LV6>と表示が浮かんだ。『判別』スキルだ。なるほど、ある程度相手のことを知りたいと意識しないと働かないわけか。
宿屋の主とか酒場のマスターっていう表示にはならないんだ。
実際の職業はともかく、このゲーム世界的なジョブとしては、そういうのは独立してない、ってことだろうか。あるいは、商業ギルドに登録しているサービス業者は、まとめて商人扱いなのかな?
でも、ジョブで「料理人」とか、スキルとして「料理」とかっていうのはありそうだが。
それはそうと、娘の方はあらためて意識して見ても、何も表示が浮かばない。子供はまだジョブってのがついてないのかな。
ちょっと顔を赤らめながら、ニコッと微笑まれた。ドキッとした。
いや、ごめんなさい。じっと見つめてたら、なに?って思うよね、そりゃ。
メタボ氏は、俺の素性をうかがうように、スニーカーの足下からちょっと伸びすぎてセンターが終わったら切ろうと思ってた髪の毛まで、視線を動かしてから、いやなんでも無いよ、という口調で尋ねた。
「旅のお方かね?相部屋なら一晩で銅貨4枚。一人部屋がほしければ銀貨1枚の部屋があいてるがね。体を拭くお湯はサービスだ」
この先の事を考えたら、持ち金は節約すべきだし、情報収集も兼ねて安い相部屋にするのが賢いだろう。
だが、コミュ障の俺には知らない人間との相部屋なんて苦痛でしかない。それに、人形とか見られたくないものもあるし、防犯上大丈夫かってのもあるしな。
「領主のカレーナさんから勧められたんだ。できれば個室がいいんだが」
「領主様の知り合いですかい。なら、銀貨2枚の広い部屋を特別に1枚と銅貨8枚におまけしときますぜ」
いや、かえって高い部屋を勧められても・・・領主パワーはうまい方向には効かなかったようだ。
「いや、それなら銀貨1枚の個室で」
「そうかね。朝食は簡単なものだが料金に含まれてる。夕食は銅貨1枚でつけられるが、酒は別だ」
上客ではないと見たのか、ちょっと残念そうなメタボおやじの口調が元に戻った。
食べ物の相場がわからないのと、正直言って疲れと空腹でもう歩きたくないのとで、言われるままに朝夕食事付きにして、前金で銀貨1枚銅貨1枚を払った。
これでもう、残る財産は銀貨3枚と銅貨4枚だ。
貨幣価値的には、ざっくりと銀貨1枚でビジネスホテルのシングルルームと見ると数千円程度。銅貨で安い一食だとして数百円、というところかな。
仮に銀貨=5千円札、銅貨=5百円玉、という覚え方をしておこう。
魔物を狩ると魔石が売れるとすると、オーク1匹で5千円の賞金ゲット、という計算になるな。もっとも、あの浄化とかいう魔法を使えない場合はどうすればいいのかわからないが。
ともかく、貨幣価値はきょう得られた大きな情報だ。
そういえば、門衛の隊長がこの宿の食事はいまいちだとか言ってたじゃないか。飲んでる連中も酒の他には、つまみの豆だけだった。
そう思い出したのは、疲れた足で2階の部屋に案内された後だった。
銀貨1枚の個室は、簡単なベッドがあるだけで後はなにもない、2~3畳ほどしかない本当に狭い部屋だった。小さな窓がなかったら独房みたいだ。
これだと、一泊5千円は高すぎだな。
そうすると、現代日本の購買力に換算して、銀貨はいいとこ4千円、銅貨が4百円、ぐらいの価値か。
ただ、掃除は行き届いていて、不快な感じはしない。
6号室、と言われて案内されたのだけど、扉には2桁の数字が刻まれていて、左側はギルドで見た数字の2のようだった。ってことは、右側が「6」で2階の6号室、みたいな意味なんだろう。
つまり横書きで左から右に書く。この辺は現代式というか西洋式だな。
すぐに中年の、主ほどではないが控えめに言ってぽっちゃりした中年女性が、湯気の上る小さな手桶と古着をつぶしたような布を持ってきた。
<商人 LV6>旦那と同じだ。二人一緒にこの宿を切り盛りしてきたんだな。これで2人のレベルが極端に違ったら、家庭の事情とか勘ぐっちゃうよな。いかんスキルだ。
看板娘と顔立ちはちょっと似ているし、やはり母親だろう。20年ぐらいするとあのやせた女の子が、横に倍ぐらい成長するってことか・・・
女の子と結婚を決める前に、母親に会えって言うよね。もちろん、年齢=彼女いない歴の俺には、無関係の話だ。
手桶のお湯が重かったのか、階段を上るとふうふう息を切らしてるけど、娘と同様、明るくて感じのいいおばちゃんだ。
「体を拭くお湯と布です。使ったら扉の外に出しておいて下さいね」
こういうところはサービスがいいよな。
もっとも宿としても、薄汚れた客に部屋や寝具を汚されないよう、身ぎれいにしてもらった方がいいから、ということかもしれないが。
実際のところ、歩いて、走って、戦ってさんざん汗をかいた挙げ句に、オークの返り血も浴びた。
もう自分では臭さを感じないぐらいに麻痺してるが、元の世界だったら、大抵の店には入れてもらえないぐらいの汚れ方だろう。
「お風呂、なんて無いんだよね?」
ダメ元で聞いてみる。
「おふろ・・・ってのは、お湯につかる浴場のことですか?」
驚いたようにおばちゃんが聞き返す。
「浴場ってのはあるの?」
「まあ、ご冗談を。遠くから来なさったんですか?領主様の館には、浴場ってのがあるって聞いたことがありますけど」
まあそうだろう。古代ローマ帝国とかを別にすると、庶民が風呂に入れるような文化は近代以降だった気がする。
俺がこの世界で大金持ちになったら、ぜったいに風呂を普及させよう。その時には、最初から混浴をデフォルトに啓蒙するのだ。
うん、異世界で生きていく目標ができた。
「着替えたら、衣類も桶と一緒に出しといてもらえば、洗濯もできますよ。あがりは明日の午後になるから、連泊でないと引き取りに来てもらわないといけないですけど」
うっかりしていた。下着もなにも持ってないぞ。
「着替えを持ってないんだけど、どこで買えるかな?」
「それは、お困りですよね。近いのは2軒先に古着屋があるけど・・・大きな店は、中央の通りの広場の角の所に色々そろった店がありますよ。この街だと若い人にはそこが人気ですね」
お湯で体を拭くのは、着替えを手に入れてからの方がいいな。
「だったら、うちの家族の古着でよければ一式譲りましょうか」
いや、親父さんのあの体型のはいくらなんでも・・・
「心配しないで。息子のお下がりがあるから」
狩人をしている息子がいるらしい。
売るほどじゃない獲物は、下の居酒屋で料理に使っているそうだ。
結局、銅貨1枚で町の若者が着ているような服と下着まで譲ってもらった。下着はカボチャパンツみたいなやつだったが、ちゃんと洗濯されていて問題なかった。
銅貨をもう1枚渡して、着ていたものの洗濯を頼んでおく。
一人になった部屋で素っ裸になると、湯をめいっぱい使って全身をきれいにする。顔と手を洗い、桶に頭を突っ込んで髪を洗い、湯に浸しておいた布で体をごしごし拭く。
しばらく裸のままで、ベッドに大の字になる。
ようやく生き返った心地だ。
すると、部屋の外からいいタイミングでおばちゃんの声がする。夕飯の用意が出来たそうだ。
まわりにとけこめる服装も手に入れたことだし、異世界メシ、初挑戦だ。
 




