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第58話 (幕間)続・本屋と花売り

スクタリの街が祝福に包まれた日のもう一つの物語

「振る舞い酒の評判も良く、街中は随分と活気がある様子です」

 兵の報告に騎士長のザグーは満足げに頷いた。


「久々の慶事ですからな、派手に祝いませぬと。それが銭を回し商いを盛んにすることで、領内を豊かにする一番の薬かと存じます」

 徴税官のジェコも口を揃えた。


「されど、それだけでは一過性のものに終わりましょう。新たに借り入れた金子は無利子という破格の条件なれど、これまでの借金は年末までに金利だけでも返さねばなりません。魔物の討伐が一段落した今、ようやく新たな殖産興業こそ急務かと」

 だが、最年長のセバスチャンのみは笑みを見せず、そうカレーナに進言した。


「そうですね。軍費の心配がいらなくなった今だからこそ、内政に力をいれないと。せっかく使える資金も借りられましたし。でも具体的にはどうしたら?みな、よい知恵はありませんか」

 年若い領主はそう言って、集まった幹部たちに問う。だが、それには皆、気まずそうに互いの顔を見るばかりだった。


 スクタリは元々人口も少なく、平地の面積も狭い。大した産業もなく、だからこそ辺境の寂れた街に留まって、若者はさらに大きな街へと職を求めて流出し、なおさら活気が失われてきたのだ。


 しかも、幹部と言っても内政を専らとするのは徴税官のジェコぐらいだ。

 伯爵家が凋落し、治安が急激に悪化した経緯から、最小限の武官だけを残し、内政官のほとんどは暇を出されるか自ら去るかしてしまったのだ。


「マンジャニ老に使いを出しておりますので、もう間もなく・・・」

 ジェコがなかば責任転嫁をする。亡くなった伯爵の書記官だったマンジャニは、引退するまで伯爵領の内政の実質的な責任者で、気むずかしい性格から煙たがられていたものの、手腕は高く評価されていた。


「でも、マンジャニは、これまで助言を求めてもずっと召し出しを拒んできたのではありませんか?」

「そうですな。老齢で身を引いた者が今さらお役に立てることなどないと・・・」

 カレーナに続きザグーも、老官吏が知恵を貸してくれることに期待は持っていないようだった。


「だが、ではどうしたら・・・」

 議論が進まぬまま煮詰まってきた所に、取り次ぎの女官が慌てたように入ってきた。


「お話し中、申し訳ございません。ただいま、ムハレム兵長が戻りまして、元書記官のマンジャニさまをお連れしたと・・・」

「なんだと」

 一番驚きを見せたのは、自ら文を書いたジェコと、それを届ける兵を送ったセバスチャンの両名だった。


「・・・ともかく、こちらにお連れして」

 カレーナも意外感を隠せずにいた。



「たいへんご無沙汰しておりまする、姫様。たいへんお美しくご立派になられて、亡き奥方様によう似ておいでです。この老骨、感激しておりまする・・・」

 杖を付き、足を引きずって入ってきた老人は、そうカレーナに挨拶すると、失礼、とことわって用意された椅子に腰を下ろした。


 同年配で長年の盟友でもあったセバスチャンが、無遠慮に問うた。

「腰を痛めて不自由な身を呼び出してすまなんだな。しかし、これまでは何度召し出そうとしても“隠居した身だから本屋のあるじとしてのんびり暮らしたい”と言っていたおぬしが、こうして出てきてくれたのはどういう風の吹き回しなのだ?」


「セバスチャン、せっかく来てくれたのにそんな言い方は・・・」

「よいのです、姫様。これまで固持しておったのは、わしにお役に立てる具体的なすべが見当たらなかったから、わしの力不足ゆえにござる」

 マンジャニはそう言って、頭を下げた。


「そんな、顔を上げて下さい、マンジャニ卿」

「しかし、ある若造のおかげで、よき知恵が得られましてな。これならお役に立てるかもしれぬと、一案をお持ちした次第なのです」

 そして、女官に持ち込ませた資料を、円卓の上に広げはじめた。


 マンジャニが献策したのは、簡単に言えばスクタリの壁外に広がる森を伐り拓き、ベラチエ河の支流から水を引いて大規模な灌漑農地を生み出す、というものだった。


 スクタリでは近年、魔物の跋扈で壁外での生産がほとんどゼロに近くなっている。そして、そこにいた民は逃散した者も多いが、壁内に逃げ込んで貧民窟を作るようになった者もいる。

 食べていくすべを持たないそうした民に、「新たに拓く農地は無償で貸し与え、5年耕作すればその土地を与える」と広く知らせる。そうすれば、壁内のみならず、周辺地域の貧しい民も集まってくるので、それを労働力として開拓村の整備を進めれば、人口も税収も短期間に増える、との案だ。


「それが出来ればもちろん効果的でしょう。だが、最初に森を大規模に伐採し、整地して、河から水を引く大工事をどうやって行うのです?たいへんな費用も人手もかかりますぞ」

 ジェコが、机上の空論だ、と言わんばかりに批判する。


「当然の指摘じゃな。わしもそう思っておったゆえ、これまで具体的に考えてもおらなんだ。じゃが、その若造が言うには、いま領兵には高レベルの魔法使いがいるそうではござらんか」

 あっ、と叫んだのはザグーかセシリーか。


「その魔法を使えば、森を必要なところだけ焼き払い、土をならして、堤防を築き水を引くこともできる、と。それほどの魔法が使える者が領内に育っておるとはついぞ知りませなんだ・・・」


「ベスの火と地の魔法で・・・たしかに出来ない理由はないわね・・・」

「すぐ呼んで参ります!」

 なぜ気づかなかったんだろう、と頭を振るカレーナに、セシリーが部屋を飛び出していった。


「しかし、そこまで知っておるその若造というのは、もしや?」

 セバスチャンが訊ねる。


「なんと言うたかな・・・しばらく前に、文字を覚えたいと言って絵本を探しに来た妙な若造なんじゃが、今日また店にたまたま立ち寄っての、なんでも自分も堤防ぐらいなら造れるとか、馬鹿げた冗談を言っておったが・・・」


「シローだわ!」

「おぉ、シロ、そうでござった! いや、なにぶん最近、物忘れがひどうて、ご容赦下され、姫様」


 ジェコをのぞく幹部たちは、顔を見合わせてうなずき合った。


 マンジャニはさらに、気候が温暖なこの地で水さえ十分引ければ、綿を作物の中心にすえて付加価値の高い綿織物や布製品を街の産業として育てていけること、それを軌道に乗せるまでは、まずやせた土地でも育つ豆類を多めに作付けて開拓民の食を確保することなど、向こう十年に渡る具体的な展望まで用意していた。


「見事なものじゃ、家中きっての知恵者と呼ばれたおぬしの頭脳、さび付いてはおらなんだようじゃな。再び当家でその大仕事を実現してくれるか?」

 セバスチャンの感嘆の声に、だがマンジャニは少し顔を曇らせて答えた。


「この老骨の最後の一仕事、お役に立ちたいは山々じゃがな、もはやこの体じゃ。現場を自分の足で歩き民の肉声を聞くこともなく算盤をはじく内政官などゴミ以下・・・」

 その毒舌でしばしば同僚や主君さえも怒らせたと言われる口ぶりに戻って、自嘲気味に言う。


「そこで、姫様にお願いしたきは、わしに代わり実際の内政にあたる者を一名、お雇い願いたく」

「あなたの代理、ですか?そんな大任が務まる人材がこの地にいるのでしょうか・・・」

 カレーナがいぶかしげに問うた。


「はっ、かつてドウラスで伯爵様に内政をお任せいただいておりましたおり、当家の女官で独学ながら才豊かな者があって、わしの右腕として使っておりました。ゆえあって城を去り、行方知れずになっておったのですが、これまた偶然にも件の若造が、“思い当たる人がいる”と申しましてな・・・」


「女官ですか? 女でそんな才を持つ者が」

 カレーナは、ドウラスの城で過ごした幼い日々の記憶をたどった。

「元々は騎士の娘で、レディアナと申す者にございますが・・・」


 こうして、内政顧問として非常勤の任に就くことになったマンジャニは、呼び出されたベスを相手にさっそく計画立案に取りかかり、貧民窟にレディアナという元女官を探すため、兵が派遣されることになった。



そして、祝いの日の熱気が続いていたスクタリの街の、その街門が間もなく閉じられようとしていた夕暮れ時のことだった。

 門衛の兵があわてて館に駆け込んできた。


「王都からの使者、と名乗る方々が来訪しております!」


 迷宮討伐完了を知らせる早馬を街から送り出して、まだわずか2日だった。

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