第57話 祝福の日
手作りのアクセサリーをレダに贈ったあと、俺たちは互いのことを打ち明けた。
「こんなに素敵なブローチ・・・私になにかお返しできることはありませんか?」
半ば暮れた薄暗い路地を肩を寄せて歩きながら、ようやく平静を取り戻したレダが、真剣にそう言う。
そこで俺は、
「じゃあさ、俺に読み書きを教えてもらえないかな・・・」
と切り出した。
「読み書きを、そうでした! 本を預かってましたね、お返ししなきゃ、でも・・・」
そういえば、レダのうちに預かってくれてるんだ。そして、家は見られたくない様子だった。
その様子に、なぜか俺は、自分のことを全部レダに明かしたくなって、並んで歩きながら口を開いていた。
元いた世界で事故に遭って死んだことから、妙なスキルを与えられて、それを目当てに奴隷にされ、迷宮で戦わされていたことまで。
どれぐらい理解されるだろうとか、俺のコミュ力で伝わるんだろうかとか、その時はまるで考えてなかった。ただ、聞いて欲しかったんだ。
レダはほとんど口を挟まず、ただ相づちを打つぐらいだったけれど、なぜか、こっちの世界に来てから最も俺の話を理解している人のように思えた。
そして、彼女も何か思い詰めた様子で言った。
「私も、シローさんになら知って欲しいって思えます・・・」
そして、明かりの少ない裏通りに、俺を導いていった。
安酒場と、あれはグレオンの言ってた娼館か、そんな路地をさらに進むと、暗がりにけばけばしい色合いの薄物をまとった女が2,3人。独特の気配を漂わせて立っている。
一人がこっちを向いて何か呼びかけたように見えたが、レダは目をそらし、俺の手を引いて通りの反対側を足早に通り過ぎた。
そして、さらに裏通りの奥に進むと、火事でもあって焼けたんだろうか?という様子の廃屋と、廃屋同然のおんぼろの掘っ立て小屋が並ぶ、暗い路地に出た。
貧民窟ってやつだろうか?
俺が呆然としているのを見て、一瞬、レダの足が止まる。
それから、「どうぞ」と低い声で誘うと、外からでは昼間でも人が住んでいるとは気づかないだろうボロ小屋の前に立ち、そこに被さった、ゆがんだ板をずらして、中へ入っていく。俺は、頭が麻痺したまま、後に続いた。
ろうそくの一本もない、暗い小屋の中には、奥の窓というか隙間から月明かりが差し込んでいた。まだ新月を過ぎて数日だから、本当にかすかな光だ。
その奥から、「かあたん?」と、舌足らずな声が聞こえた。
「ごめんね、遅くなったね。いい子だったわねぇ・・・」
と、レダは俺がこれまで聞いたこともない、聖母のような優しい声でその子を抱きしめ、低くかすかに、なにか歌って聴かせているようだ。
すぐに、子どものむずかる声が静かになり、すーすーと寝息が聞こえてきた。
「どうぞ、上がって下さい」
ただ入口に立ち尽くしている俺に、レダがいつもと変わらない穏やかな声をかけた。
「それとも、お帰りになりますか? こんな様子を見たら・・・」
「レダさん・・・」
「これが、私です。“見て”いいんですよ?」
その時、俺はずっとレダを“判別”スキルで見ていなかったこと、いや俺自身が見まいとしていたことに、初めて気がついたんだ。
その上で言った。
「ありがとう、レダさん。それに、ごめん」
レダが、ため息をついて下を向いた。なにか覚悟している様子だ。
「あのさ、俺、鈍い奴だから、きっと苦しい気分とか、嫌な気分にさせたんだよね。だからごめん!」
レダが首をかしげている。
「・・・それで、っていうか、でも、なのか、わからないけど・・・俺は、レダさんが、好きだ、と思う。いや、思うじゃなくて、好きだ!」
最後はもう自分でもなに言ってんだかわからなかった。
ただ、気がついたらレダを抱きしめていて、いや、抱きしめられていて、かもしれない、どっちかよくわからないけど、真っ暗で狭い、じめじめした、すぐ横に小さな子どもが眠っている部屋の、ぎしぎし音を立てる床の上で、俺たちは抱き合っていた。
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レダはかつて、ドウラスにあった頃の伯爵家で女官をしていた。
カレーナがまだ神殿に預けられる前、幼かった彼女の世話係をしたこともあったと言う。
やがて、聡明さを認められた彼女は十代にして書記官の補佐役のような仕事を任されるようになり、領内の財務や産業振興の立案にさえたずさわった。そして、若い騎士に見初められて結婚し、女官の職を辞した。
ところが、その頃から伯爵家は急激に傾き始めた。
迷宮の討伐に失敗し、領地を失い、男子を失い、ついには伯爵自身が討ち死にして、凋落の一途をたどった。
その上、将来有望と言われていた夫は、女と見れば見さかいの無い、享楽的な男だった。
カレーナが神殿から還俗させられ、スクタリに落ちていく頃には、夫は伯爵家を見限ったのか?それとも、やむを得ない事情でもあったのか?レダはそう信じているが、いずれにしても、ある日を境に家に戻らず何の音沙汰もなく姿を消した・・・
お腹が大きくなっていたレダは働くこともままならず、主家から逃亡した不名誉な騎士の家族に手をさしのべようとする者もおらず、家財を売り払って食いつないでいたが、娘が生まれ、さらに生活に困窮し、ついにはやむなく身も売った。しかし、それが今度はドウラスの娼婦たちの元締めに目をつけられて街にもいられなくなり、かつての主家を追うようにスクタリに逃げ延びてきたのだという。
俺は言葉もなかった。
「見て下さい、見て欲しいの、あなたに」
夢中で求め合った翌日、ひとつの毛布の中で目覚めた俺に、再びレダはそう言った。もう昼近くなっていた。
<レディアナ・セルマ 人間 女 25歳 商人LV1
スキル 人物鑑定(初級)
算術(LV2)
商業(LV1)
農業(LV1)
交渉(LV2)
騎乗(LV1)
奉仕(LV2)
料理(LV1)
魅了(LV1)
性技(LV2) >
「性技(LV2)」。娼婦として過ごさなくてはならなかったレダに押された烙印のようだった。
そして、彼女の多才さを示すような多くのスキルが、それが報われなかった年月を嘆いているように見えた。
突然、遠くで何か破裂するような音がした。
「爆竹でしょうか?」
こっちの世界にもあるんだ。
「珍しいですね、この街に来てからは初めてです」
それで俺は思い出した。
迷宮討伐完了を祝って、今日は昼間、領兵の手で振る舞い酒が行われると。昨日、街に出る前に兵舎の誰かに聞いた気がする。
それを伝えると、レダは花を売りに出たい、と言う。
たしかにいい考えだよな。お祝いならきれいな花も、普段より売れそうだ。
ただ、普段なら昼は洗濯などをしながら、子どもの相手をしてやっていると言う。
3歳になる女の子だ。
「連れて行かないか?花売りの邪魔にならないように、俺が連れて、ちょっと離れてついてくから。レダさんの姿が見えてれば安心するんじゃないかな・・・」
こうして俺たちは、まるで子ども連れの夫婦みたいに、にわかに祭りムードになった街中に出た。
レダが、いったん街壁の外の知り合いのところに、花を仕入れに行き、その間に俺は、ディーナという女の子に、昨日レダさんが持ち帰った串焼きを食べさせて、一枚だけの外出着に着せかえていた。
「おじちゃん、かあたんは?」
と聞かれたので、“おにいちゃんと待ってて”って言ってたよ、と訂正した。
スクタリの中央広場に兵たちが酒樽を運んできて、そのまわりには食べ物の屋台とか野菜や古着の露天市まで出ていた。
住民もこんなにいたんだ、と思うぐらい活気があった。
俺たちはその中心からは筋一本はずした通りをメインにして、レダは本当に二十歳そこそこにしか見えない可憐な笑顔で花を売り、俺はディーナを肩車して大道芸を見物しているふりなんかしながら、母親の姿が見えるようにしていた。
「リア充滅びろ」って、これまで言う側専門だった俺が、言われる側になった気分だった。
レダは短時間で普段の十日分も売れた、と嬉しそうに、ディーナと俺にエラン水と蒸しパンを買ってきてくれた。
やがて、ディーナが俺の腕の中で舟をこぎ始めたので、3人で掘っ立て小屋に帰った。おんぼろの小屋さえ、昨晩よりまともに見える。
レダが俺が預けていた剣や絵本を床下から取り出して渡してくれたとき、俺は思いきってこう切り出した。
「レダさん、俺、ここで仕官しないかって言われてるんだ。俺と、一緒に暮らさない?」
昨日まで、自由になり次第ここを出て行こう、自分の可能性を探しに行こう、って思っていた。だが、別に異世界転生した者がみな、冒険の主人公である必要なんてないはずだ。
ここで一人の女性と子どもを育てて、平穏な日々を送るってのも、ありだろう。どうせ一度死んだ人生なんだから。
「ごめんなさい」
そんなことを考えていたから、彼女の返事が一瞬、わからなかった。
「ごめんなさい。とても嬉しいけど、あなたと一緒になることは出来ません」
「えっ・・・」
俺は気持ちの片隅で、この状況でふられるはずなんてないと、思ってた。
「夫は死んだわけでも、離縁されたわけでもないですから・・・」
「でも・・・旦那さん、なにも言わずに失踪したんだよね?その、もし生きてたとしても、他のその・・・」
「ごめんなさい。どうしようもない女好きで、お金にもだらしない、だめな男だけど、優しい人なの、忘れられないの・・・なんど他の人に、その・・・」
すごく利発で頭のいい人だと今ではわかったレダだけど、なぜかこの夫のことになった途端、人が変わったみたいに理性がなくなってしまうように思う。
なんて言うか、俺にはわからないけど、世の中にはダメ男にはまって抜けられない女の人がいる、と聞いたことがあるけど、そういうのなんだろうか?
それとも、もちろん俺みたいな半ばDTの頼りない男じゃ比較にならないだろうが、夜のあっちとかがすごかったのか?
「それに、シローさんみたいな若い人が、私みたいな年上の女を好きだって言ってくれるのは、今だけよ。それは、私の“魅了”とか、その・・・スキルのせいでしかないの」
「そんなことない!」
「いいえ。それにね、私、もう男の人にすがって、生かされているっていうのは耐えられないの。こっちが本音かもしれない。今もあの人を忘れられなくて、それでも身も売って食べてるような女が何を言ってるんだって思われるかもしれないけど、私なりに誇り、ってものがあるの。だから・・・私を哀れまないで」
哀れみ・・・ああ、そうか。俺は、どこかでヒーロー気取りだったのかもしれない。
不幸な女性を救ってやる、的な同情心とか、何か良いことをしているような上から目線。こないだまでDTだった、スネかじりの浪人生で、何も世間の役に立つようなこともしていない、ダメ男って俺のことじゃないか。
でも、この気持ちは・・・
「でも、嬉しかったの、本当に。シローさんのことも大好きよ。だから・・・」
レダは俺に口づけた。甘く情熱的なキスだった。
「これだけでいいの」
セラミックのブローチが、その胸で揺れていた。
心も通じ合った気がしていたレダさんと、俺はやっぱり本当に絆みたいなものを作れたわけじゃないんだ。だって、なにも彼女の本質をわかってなかったんだから。
たった今まで、わかっていなかった。
俺は失恋したんだ。




