エピローグ2 モモカエンド
如月桃香が高校1年の夏に死ななかったルート、その5年後・・・
混み合った地下鉄のホームで、受験生らしい姿が多いのを見て、考えてみたらセンター試験の朝だったよなと思い出した。
去年の今頃は大変だった。
なんとか奇跡的に第一志望にうかったおかげで、今こうして呑気にデートなんてしてるリア充野郎になれたわけだが、何か1つでも歯車が噛み合ってなかったら一体俺はどうなってたんだろう?
それもこれも、隣りにいるモモねえのおかげだ。
***
俺は物心ついた時には、ナースをしていた母親と2人ぐらしだった。
父親の記憶はないし、それを聞くと母親がキレるので、子供心にそれは聞いちゃいけないことなんだとわきまえた。
夜勤の多い母親は、家にいる時は大抵寝ていて料理とかもしないし、コンビニ弁当とかを買ってくるのは機嫌のいいときだけだったので、俺は保育園の年長になると、家事は一通り覚えていた。
けれど、小学校高学年の頃から、母親が男を連れ込むことが増えて、そのうち一人が半ば自分の家のような顔をして居座り始めた。そいつは、俺にタバコの火を押しつけたり、酔って殴る蹴るの暴力を振るった。
それ以上にたちが悪かったのは、母親も男におもねるように俺を折檻したり、これまで以上にネグレクトがひどくなったことだ。
いつも汚い格好で通学するようになって、当然のように学校でもいじめに遭い、半分登校拒否になった。
そんな俺を、文字通り救い出してくれたのがモモねえだ。
近所に住んでいた2つ年上の如月桃香と清香の双子の姉妹は、幼い頃から遊んでくれたり腹を空かせているとお菓子をくれたりもしたし、小学生の頃には草野球チームに誘ってくれたりもしていた。
それが、俺が中2で二人は高1の夏に、双子が旅行に行ってバスジャックに遭い清香が殺される、という信じられない悲劇が起きた。
それ以降、モモねえは前にもまして、まるで死んだ妹の代わりに俺を実の弟みたいにかわいがって、なにくれと世話を焼いてくれるようになったのだ。
あの事件で一番つらかったのは、目の前で妹を失い自分も重傷を負ったモモねえだったはずなのに。
当時今の俺より年下の15歳でしかなかったモモねえは、まるで全てを理解し受け入れたとでもいうように、事件についての恨み辛みも痛みも口に出すことは無く、なかなか立ち直れずにいた両親を慰め励まし、さらにそれまで以上に俺の力にもなってくれた。
私立の進学校に進んでいたモモねえ自身が、学校の勉強や部活や、さらには学生向けの科学オリンピックの日本代表に高1の時から選ばれるぐらいの天才ぶりで忙しい毎日だったのに、俺の家庭教師までしてくれるようになった。
それも、母親が男を連れ込んでるうちのアパートじゃなく、そこから連れ出す口実のように如月家に呼んでくれて、サヤねえが使っていた部屋が俺の勉強部屋になった。
俺の母親は、邪魔なコブ抜きで男を連れ込めるようになるからか、喜んで俺を送り出した。
そして、育児放棄のせいで着るものもボロでろくな食事もとれていなかった俺は、如月家で衣食の面倒までしばしば見てもらうことになったのだ。
モモねえにも両親にも本当に感謝しかない。
けれどただ1つ、あの事故後にモモねえが話し始めた物語は、最初はまったく理解不能なものだった。
最初は“事故の後遺症だろうか?”と思った。
それから、俺なりに臨床心理とかの本を読んで原因を探って、“これは妹を失ったショックを乗り越えるために桃香の心が創り出したストーリーなんだろうか?”と思った。
だってそうだろ。
“桃香は実は清香と共にあの時死んでいて、剣と魔法の異世界に転生して魔王と戦った”とか・・・
桃香も俺に負けないゲーマーだから、ある意味あまりにパターン過ぎて藁・・・ってやつだ。
おまけにその話にはさらに信じがたい続きもあったのだ。
“しろくんも事故死して、その転生先で私たちと奇跡的に再会して、一緒に魔王を斃した。そして二人と婚約してた”とか!!!
いや、最後の部分だけはめっちゃ歓迎ですけど?
てか、重婚でもいいんだ、二人は。
いやいや、それ以前にさ、俺ずっと「できが悪いから面倒見てあげたくなる弟クン」枠だと思ってたのに、それってモモねえも、おまけにあのサヤねえまでも俺のことを「オトコ」枠で見てくれてたってこと!?
「・・・一番はそこっ?しろくんが信じられないって理由」
「・・・あっ」
モモねえと見つめ合って、二人とも真っ赤になっちゃった。
俺の視線は、無意識のうちに、高校生になってすごくボリューミーになってきたモモねえのバストに下りてたらしい・・・
それに気付いたモモねえが両腕でタンクトップの胸元をかくし、俺は慌てて目をそらしたけど、モモねえはしばらく考えてから、そっとタンクトップの胸元を押し下げたのだ。
「っ!?」
大胆すぎる行為に、俺は思わずつばゴックンしちまった。
けど、モモねえが見せたのは、その谷間に大きく刻まれていた外科手術の跡だった。
白い肌に、何十センチもの長さで刻み込まれた、消せなかった傷。
あの事件でバスジャック犯を取り押さえようとして斬りつけられた傷だ。
もう少し深ければ、サヤねえと同じくモモねえも帰らぬ人になっていたんだ。
「私、キズモノになっちゃったけど、それでも将来、しろくんの恋人にしてくれる?」
「・・・あたりまえじゃん、モモねえ。そんなの気にするわけないし・・・てか、俺なんかでいいの?モモねえみたく美人で天才で完璧女子が、俺なんか年下でなんも取り柄ないし頼りないし・・・」
俺は突然の告白に驚きながら、モモねえがこれまで見せたことがない不安げな表情を浮かべたことにドキドキした。
「しろくんは取り柄なくなんてないよ!頼りないのは、まあ今はまだ否定しないけど、だから一緒に強くなって欲しいんだ。約束して・・・」
それから、モモねえによるマンツーマンの家庭教師が始まり、俺は自分の生い立ちとか環境への言い訳を封印して、モモねえを信じて努力した。
勉強だけの話じゃない。
モモねえは事件後、高校で合気道部とやらに入って、俺にも護身術とかを教えようとしてくれた。
母親が連れ込む男の暴力から身を守らせるためだ。
俺も覚悟を決めて登校拒否状態だった中学にまた通いだし、うちの学校には合気道部ってのはなかったから、柔道部に入った。
当初は笑われて、いじめられて、稽古という名のリンチまがいの扱いも受けた。
けど、この時だけは続けられた。
友達なんてものはついぞできなかったし、部活は単に力をつけるための場だったが。
中3の終わり頃、勝手に県立高校を受験したのがバレて、当時の母親の男にボコボコにされかけたけど、その時初めて本気で反撃し、気付いたらその男を家からたたき出していた。
それからは母親が男を連れ込む頻度は減ったが、相変わらず家にいるときは寝ているし、起きている時は再三、
「あんたがいるせいで条件のいい男をつかまえられない、あんたはあたしの時間も金も奪った、だから利子つけて返せ」
と言っていた。
おまけにナースだからなのか“医師信仰”がやたら強く、
「あの世界は医者にならなきゃダメ」
が口癖だった。
そのせいで、大学に行きたいと伝えたら、地元の公立医学部に受かったら行かせてやってもいい、と言い出しやがった。国公立なら医学部でも授業料変わらないからね、と。
理系科目は、まあ得意だったとは言え、無茶ぶりにもほどがある。
けれど、それもモモねえのマンツーマン指導で実現した。
俺は去年、授業料ゼロでおまけに手当まで支給されるという、医学系の大学校に合格したのだ。
そこは家を出て寮に入ることが規則だったけど、ウチ的にはむしろありがたい。これであの戸籍上の母親と縁をきれるんだし、金の負担も無いからお互いに望ましい展開だ。
まさに奇蹟というほかない。
こんなできすぎた話を信じられるなら、モモねえが話してくれた荒唐無稽な異世界転生物語だって信じられる。
・・・だからってわけじゃないけど、繰り返し少しずつ、そのあまりにもリアルなモモねえの転生物語をこの5年間聞かされ続けたことで、俺はすっかりその“アマナヴァル世界”とやらのことを自分も実際に住人だったみたいに覚えていたし、今では半分ぐらい信じるようになっていた。
だが、モモねえはそれを“半分”で済ませる気はなかったらしい。
***
「俺たちの都合で言えば池袋でよかったと思うんだけど、なんでわざわざ朝から渋谷なの?」
「・・・きょうこの時間に、この場所で確かめたかったの」
モモねえは、混雑したホームで何かを探しているようだ。
最近ようやく渋谷駅にもホームドアがついた。
これも大学に入ってNPO活動とかを始めたモモねえたちが、鉄道会社にバリアフリー化の陳情活動とかをしたことが後押ししたらしい。
帝大理学部に通う才媛ってだけでなく、こういう行動力もかなわないなって思う。
そのホームドアに近い端の方をよろよろ歩いている女の人がいた。
妊婦?
「あの人たちかな・・・」
モモねえが俺の手を引いて、歩き出す。
知り合いだろうか?
「ううん・・・私が話したことは、あっちの世界のしろくんから聞いたことだから、確信はないんだけど・・・」
それで俺は思い出した。
モモねえの物語の中で、俺が異世界転生することになったきっかけの事故のことを。
俺自身にはもちろん思い当たる経験はないんだけど・・・!!
「俺が一浪してたら、きょうセンター試験を受けに渋谷駅に来てたのか!?」
「そうよ」
もうちょっと早く気付けよ、俺のアホ!
妊婦の足下、人混みに埋もれるようにして幼稚園児ぐらいの女の子と、さらによちよち歩きの幼児が見えた。
ホームに入ってくる地下鉄の音。
入口近くの列に割り込もうとする男。
幼児が押しのけられる。
ホームドアにぶつかって、転んだ。
「大丈夫か?」
俺はその子のそばにしゃがみ込んで、助け起こした。
通り過ぎようとするサラリーマン風の奴の膝が背中にあたった。
「気をつけて下さい」
モモねえが抗議しながら、女の子の手を引いた。
「あ・・・す、すみませんっ」
母親が慌てて俺たちにお礼をいいながら、手が離れてしまった子供たちに近寄る。
だが、お腹を押さえてしゃがみこんじまった。
「大丈夫ですか?無理しないで下さい」
モモカが声をかけながら背中をさすり、俺は幼児の手を引いて立ち上がり、母子を人波から守る壁役になる。
「え、ええ、大丈夫です、本当にありがとうございます」
「ママ、だいじょうぶ?」
「ままー」
子供たちも心配そうだ。
「ええ、だいじょうぶよ。ハナちゃん、ケンちゃん。やさしいのねぇ。だいじょうぶだからね、おうちに帰ったらお遊びしましょうね。なにがしたいかな?」
子供たちの表情がぱっと明るくなった。
「うん、じゃあね、ハナちゃんお人形遊び!」「う~、粘土遊びがいいの!」
「はいはい、両方しましょうね」
到着した地下鉄のドアが開き、人波が溢れ出てくるのを俺とモモねえは背中でブロックして母子をガードした。
母子と手を振って別れた後で、俺はやっと全てがつながってすっきりした頭でモモねえに切り出した。
「“このルート”はこういう展開になるはずだったってこと?モモねえは、全部わかってて、きょうここに俺を連れてきたの?」
モモねえは、なにか大きな荷を下ろしたように晴れやかな笑顔で答えた。
「確信はなかった。今もないかな。でも、こうしておいた方が確実なんじゃないか、って思ったの。私があの女神に願った、幸せなエンディングを手放さないためにはね・・・」
俺たちはどうやら、重要なイベントをクリアしたらしい。
「じゃあ、どっか店でも入る?モモねえも早起きしてお腹空いたんじゃない?」
俺は埼玉の寮から外出許可を取って朝イチで出てきたけど、あの大学校の生活で早起きには慣れてる。
モモねえは実のところ、朝は弱い体質だ。
「そうだね、実は朝ご飯食べてないんだ。久々のデートだしなに着てこうか迷っちゃって」
“デート”って言葉に俺はドキドキした。
言われてみると今朝のモモねえは、お気に入りのパステルカラーのノースリーブとミニスカートだけど、スニーカーじゃなくヒールだし化粧も決めてるし、いつも以上に美人で色っぽい。
まあ、大学に受かったときに付き合おう、ってことになって、それからは一応もう“彼女”ではあるんだけど、まだそういう関係ではないのだ。
「それとね、しろくん。そろそろ“モモねえ”は卒業しない?」
へんなことを言い出した。
いや、彼女なんだし姉さんではないんだけど、長年の習慣だしな。
「ええっと、じゃあ、なんて呼べば・・・」
「普通に、モモカでいいんじゃない?あたしと清香がそう呼び合ってたみたいに」
なぜか俺から目をそらして、モモねえが口にした。
「え・・・じゃあ、も、も・・・モモカ?」
「きゃっ・・・あはは、ちょっと照れるかも・・・うん、でもそれでお願い・・・シロー」
最後に耳元に唇を寄せて、ささやくみたいにシローって呼ばれて、全身がぞくぞくした。
ヤバすぎる、これ。
それからモモカは、無言のまま俺の腕に腕を絡めてきた。
横から押しつけられたもっちりした感触に、俺は脳がフリーズする。
そして不自然に硬直したまま、不器用に歩きだした。
このルートを。
(完)
コロナ禍で少し時間ができたことから初めて書き始めたネット小説ですが、まさかここまで長くなるとは(連載も、コロナ禍も)思っていませんでした。
実に1年3か月にわたって、毎日更新、しかも1日平均原稿用紙10枚分という無謀な挑戦を自らに課したことで、何度もストックがゼロになり、“あと○時間以内に次を書かないと・・・”という地獄の責め苦を味わいました。
それでも何とか穴を開けずに完結できたのは、応援して下さった皆様のおかげです。
あらためて御礼申し上げます。
多すぎた伏線も、ようやくほぼ回収しきれました。
この世界の物語は、今後また何らかの関連作で取り上げたいと思っています。
例えば、元の世界でモモカが死ななかったルートのサヤカはどうなるのか?など、色々気になるところです。
しばらく充電させていただきますが、またいずれどこかの物語世界でお会いしましょう!!




