終話 女王の戴冠
魔王を斃し、戦いが終わってからひと月あまり。
八の月・望月の日、旧プラト公国チラスポリにて
「・・・いまここに神々の嘉する新王国の建国と、天より下されし宝冠を戴く女王サーカキスの即位を宣言する!」
カテラ万神殿のトップとして世界中のアマナヴァル教徒を導くベネディクス大僧正が、跪いたサヤカの頭に宝冠をかぶせて朗々と宣する。
“女王の重臣”として儀式の進行を手伝うため近くに控えていた俺には、格式張ったことが苦手なサヤカの顔がこわばって体が硬直しているのがわかったけど、列席の各国首脳にはきっと、“静謐なたたずまい”とか“魔王を前にしても動じぬ戦女神の化身ならでは”とか、勝手な高評価につながっていることだろう。
割れんばかりの拍手が広間を満たし、同時にチラスポリ城市中の鐘という鐘が打ち鳴らされた。
城下の将兵や市民たちが、一斉に歓声を挙げる。
歓呼の声は尽きることなく、戦乱に打ちのめされた大陸各地にまで響き渡っていくかのようだった。
あの戦いから、ひと月あまりが過ぎた。
きょうは八の月・望月の日。
大陸各国では昔からこの夜、夏祭りが催されるところが多かった。
このプラト公国、いや、旧プラト公国でもそうだ。
その良き日にあわせて、魔王を斃し世界を救った英雄が新たな国を建て復興の指揮を執る。
疲弊した人々の意識を再建に向けて前向きにするために、これほど効果的なストーリーはない。
これが、大陸各国の合意で「サーカキス王国」が生まれることになった理由だ。
具体的なきっかけは、実は200年前にあった。
レムルス帝国建国の祖、サヤカたちのパーティーの一員だった初代皇帝レムルスは、勇者と聖女が眠りにつき、自らが帝国を創建した後、ひそかにこう遺言していたのだ。
《魔王を封じたプラトの地は、将来、勇者と聖女が目覚めて見事に魔王を斃したあかつきには、二人に“返還”せよ》と。
俺だって、プラト公国の宗主国がレムルス帝国で、初代皇帝が自分の一子をプラト公爵に封じたってことは知ってたよ?
でも、プラトの「正式国名」は知らなかった。
『勇者の代理としてプラト公爵がレムルス帝国の元で治める北の領国』━━ この長ったらしいのが、プラトの正式な名称なんだとか。
先に言えよ、って話だ。
で、俺たちが女神?から褒美をもらって下界?に戻り、連合軍の生き残りたちを助けて帰途に着こうとした頃、つながるようになった遠話でアル皇太子から報告を受けた皇帝から、内々にこんな話が来たんだ。
「プラト公国を勇者殿に返還するので、女王として即位し統治してもらいたい」と。
単なる義理堅さ、ばかりではもちろんなく、レムルス帝国にとってもこれはメリットがある話なのだ。
大陸各国は今や荒れ果て、復興は容易ではない。
なにしろ、亜人戦争とこの魔王大戦によって、大陸主要国の人口の2割以上が失われたのだ。
200年前に比べればずっと被害は少なかったそうだが、それでも普通なら国家が一時的に機能不全に陥る規模の人的損失だ。
特に「北方三国」と呼ばれる、プラト、モルデニア、ゲオルギアは悲惨だ。
モルデニアは全域が、プラトとゲオルギアも大半が一時的にせよ魔軍の支配下に入ったため、多くの国民が魔物の餌となって食われるか奴隷にされた。
三国では人口の優に半数以上が失われて、国家は文字通り消滅してしまったのだ。
モルデニアに至っては人口200万いた国が、現時点で生存者2~30万人しか残っていないと見積もられている。
それ以外でも、イシュタールやマジェラは国家が崩壊したし、内戦後の混乱が続くアルゴルなどは自国の立て直しに何年かかるかわからない。
そうした中で、魔物の脅威は未だ無くなっていない。
サヤカがあの女神にかなえさせた願いの効果で、魔王が新たに湧出させた魔物は消滅した。魔王の覚醒と復活でレベルアップした魔物は元のレベルに戻り攻撃性も下がって逃げ散っていった。
そのため、全滅寸前だった連合軍の将兵はなんとか数万人が生き残ったが、大陸各地に逃げ散った魔物は、いまだ数十万匹はいるだろう。
大半は低レベルのオークやゴブリンだが、今やほとんどの国がろくな軍隊をもたなくなっているし、丸腰の女子供にとってはゴブリンだって命を奪う危険な魔物だ。
そこで、各国首脳は、大陸主要部全体の治安回復をそれぞれ分担することで合意した。
200年前の大戦後、復興した各国は経済的・軍事的メリットがある地域のみを領有し、収支が合わないような土地は領土にしなかったため、各国の国境の間には空白地=自由国境地帯が広がっている。
だが、そうしたところにできた迷宮から、今回の大戦で各国を苦しめた魔物の津波が発生した。
その反省を踏まえ、基本的に大陸主要部はどこかしらの国が警戒・治安の対象にすることにしたのだ。
領土と言うほど厳密なものではない。
元の世界で言えば、「防空識別圏」とか「排他的経済水域」とか・・・ちょっと違うか。
で、例えばレムルス帝国はシクホルトとキヌークを結んだラインの西側の北方街道周辺エリア全てを、メウローヌは多島海沿岸のカテラ万神領に接するところまでを版図におさめることになった。
エルザークとモントナは、旧マジェラ王国領を含む南部を分割統治する。
そして最大の問題が旧北方三国だった。
とりわけ、モルデニアからゲオルギア北部にかけての広大な北方平原は、元々人口密度が低く生産性も低いが、200年前に続いて今回も魔王の根拠地となった、放置できない土地だ。
そこには、パルテアとレムルスが共同で新王国を建てることになった。
レムルスの皇弟ジークフリード皇子(アルの叔父にあたる、前回のチラスポリ出兵の際の総大将だ)が国王に。
パルテアの皇女アメストリスが女王に。
アメストリスは王妃ではなく女王。2人は、この「シャマノラ王国」の共同君主という位置づけになった。
ジークフリード皇子には既に妻と3人の娘がいるが、その妻は側室という扱いになり、今後アメストリスとの間に子が生まれれば、その子が王位継承権を持つことになる。
政略結婚そのものだな。
連合軍の最大兵力を出し総大将も出したのはレムルスだが、この地域はパルテアと近接しているから、元々パルテアは自国の勢力圏だと見なしてきた。
だから、最低でも共同統治、というのが譲れない一線だったのだ。
北伐に18万の将兵を送り込んだパルテア帝国は、皇女アメストリスこそ生還したものの、ベハナーム元帥以下将官クラスが戦死し、生き残った兵力はわずか5千人に過ぎなかった。軍事的には全滅というのに等しい。
同じような状況にあったレムルス帝国軍は3万人が生存し、大戦後の北方駐留の主軸を担ったのと比べると、パルテアの発言力が低下したことは否めないが、魔王軍を打ち破った指揮官の一人として東方では今や絶大な人気を得ているアメストリスを送り込むことで、父帝はなんとか権益を確保しようとしているらしい。
そうした事情で、世界最強と称されるレムルス帝国でさえも、実質的にカバーすべき領域があまりに広くなってしまうから、“勇者の建国を応援する”という名目で、一部を丸投げしようとしている、とも言える。
勇者女王サーカキスが治める「サーカキス王国」の領域は、旧プラト公国の全域に加え、南はコバスナ山脈まで。つまり、エルザークとの境までの空白地帯全て。
そして西はキヌーク村とラボフカ自治領周辺の空白地全てだ。
オアシス都市ラボフカは、今年初めの“魔物の津波”でレムルス-エルザーク両国の実質保護下に入った後、第一次チラスポリ出兵の際に領主ウラド・ニレジュが敵前逃亡し(その後死亡が確認され)たことで、統治権が剥奪され、両国の共同統治となっていた。
そこが今回、新生サーカキス王国に割譲されることになったのだ。
割譲と言えば、キヌーク村もエルザーク王国からサーカキス王国に編入された。
これはまあ、俺がサーカキス王国に移籍?することに伴うもので、エルザーク貴族としての今回の大戦での軍功に対しての報奨・・・なんだろうか?
女神との邂逅の結果、“元の世界の別ルート”に戻ることになったモモカは、目が覚めたら姿がなく、「聖女は魔王との最後の戦いで命を落とした」尊い犠牲、ということになっていた。
そして姿がなかったのは、もうひとり、リナもだ。
それどころか、俺のステータスからはボーナススキルの“お人形遊び”が丸ごと消えていた。
不思議なことに、パーティーの仲間を除くとリナとこれまで出会ったり共に戦ったことがある人たちも、みなリナのことをよく覚えておらず、急速に記憶が薄れているらしかった。
これもまた、“世界の修正力”なんだろうか?
ともあれこの朝、各国の来賓を迎えてサーカキス王国の建国式及び女王サーカキスの即位式が行われたが、これで終わりじゃ無い。
午後には、女王サーカキスが婿としてエルザーク王国のシロー・ツヅキ“伯爵”を迎える「結婚式」が行われるのだ!
おまけにその後、女王サヤカは俺を公爵にして王国の宰相に任命することになっている。
「シローさん、そろそろ準備して下さいよ・・・きょうは主役なんですから」
「えっと・・・」
「その服は即位式用でしょ?新郎の礼服はあっちに用意してるから・・・」
「シロー急ぐ、ごちそう待ってる」
俺の支度が遅いから、ノルテとルシエン、カーミラが尻を叩きに来た。
エヴァはサヤカの着替えを手伝ってるらしい。女性貴族の礼服とか、サヤカだってそんなに詳しくないからな。
そういうみんなも、明日は主役だ。
明日は各国代表ではなく、もう少し個人的に親しい人たちだけを招いて、俺とノルテ、カーミラ、ルシエン、エヴァの結婚式なのだ。
思い出したくもない胃が痛くなるいきさつがあって、まず最初に女王との結婚式を世界に向けて疲労、いや披露することになった。
1日遅れで、女王の夫である宰相公爵が、新たに4人の側室を迎える、って形になるのだ。
政治が難しいのか女同士が難しいのか・・・もう考えるのはやめとこう。
明日はその場で、俺の正妻であり主君でもある女王陛下から、新たにパートナーとなる4人に祝福と共に、名誉伯爵位と「女王の友」という称号が贈られることになる。
なんだかんだ言って、死線を共に乗り越えてきたサヤカとみんなも今や親友と言える間柄だし、4人には新王国で政治軍事の重要な役割も担ってもらうことになる予定だ。
なにしろゼロからの新王国建設で、人材は不足してるどころじゃないんだから。
サーカキス王国でまともな規模の城市は、現在このチラスポリとラボフカぐらいしか残っていない。
だからチラスポリが暫定首都になる見込みだが、旧プラト領やそこから南に逃れた難民たちを合わせると数十万から百万人の人口がいると見られている。
その実態把握と保護、食糧確保などを急ピッチで進めなくちゃならない。
食糧生産の大きな拠点も、今のところこの両市周辺とキヌーク村しかないから、ルシエンたちに魔法でサポートしてもらって、突貫工事で農地拡大と作付けを行っている状況だ。
とは言え、サヤカにも譲れない一線があるようで、新国家の政務に最低限の一区切りがついたら、サヤカと俺の2人だけで新婚旅行をすることが「決定」している。
4人とは以前既に“新婚旅行”らしきものを一応はしているし、とっくに“そういう関係”なのに、サヤカとは今夜が文字通り初夜だから・・・。
ばしっ!
「ナニ、にやけた顔してんのよっ!そろそろよっ」
俺の頬をひっぱたいたのは、気がつかないうちに部屋に入ってきてたウエディングドレス姿の美女、だった・・・ごくん。
「・・・な、なによ」
「う、えーと、その・・・綺麗だ・・・ってか、ほんとにサヤねえ?」
「ひとこと多いのっ!・・・あ、ありがと」
赤くなって固まっちゃった俺たち2人を、みんなの咳払いが現実に引き戻す。
「そろそろだから、そういうのはまた2人の時にゆっくりね」
ルシエンがジト目だ。
ノルテは素直に花嫁に称賛の目だ。
「本当に綺麗です!サヤカさん、あ、女王陛下、でした、ごめんなさい」
「あ、ありがと、ノルテ、それにみんな。これまで通り、プライベートではサヤカでいいからね・・・」
「では、参りましょうか」
唯一貴族の礼儀作法をわきまえているエヴァが、にこやかに俺たちを案内する。
その後のことは、人生で一番緊張したってことしか覚えてない・・・
***
と言うわけで、ほとんどはサヤカやみんなから後で聞いた話になっちまうけど、即位式に参列してくれた各国王族のほとんどが、引き続き女王(と俺)の結婚式にも出席していた・・・らしい。
レムルス帝国からは、あの決死の魔王軍との戦いの総司令官を務め、見事生き抜いたアルフレッド皇太子と第一夫人。
式の前に控え室に来て、「シロー、戦友であり王族にもなるキミたちとは、親友としてこれからもよろしく頼むよ・・・」なんて声をかけていった。
メウローヌ王国からは、マリエール王女とヤレス殿下が出席してくれた。
病床の国王に代わり摂政を務めていた兄シャルル王太子が戦死したことで、マリエール王女は還俗し、エルザークのヤレス第二王子を婿に迎えることになった。
まもなく父王が退位して、「マリエール女王」となる予定だ。
今回、アルの第一夫人になっている妹と久しぶりに再会できたそうだ。
モントナからも、以前マジェラ王国攻略の際に共に戦ったターラン公爵が出席していた。
息子のタクソス公子は、あの戦いで保護した14歳のゾフィア王女と婚約していて、いずれ“マジェラ・モントナ連合王国”の初代国王になると見られている。
後ろの方の席には、明日は親族席に座る予定のルネミオンとリンダベル夫妻や、オーリンとオレン親子の姿もあった。
リンダベルはラハブが率いる魔物の大群との戦いでかなりの傷を負い、疲労困憊したノルテと人竜ルーヒトと共に、噴火の際には地下で死を覚悟していたそうだ。
けれど、ノルテを追ってシクホルトからモーリアの地下に入っていた領軍のトレバー、ネイズ、ギヨームの3人がギリギリのところで彼女らを見つけ、ギヨームの転移魔法で脱出に成功した。
既に傷も癒え、魔王が消滅したことで呪いも解けたために、むしろ以前よりずっと元気そうだ。
参列してはいないけど吸血鬼リリスも、使徒ゲルフィムを斃した後、無事自力で脱出していたらしい。
もちろんリリスが死ぬとは思っていなかったけど、キヌークに帰還したある晩、前触れもなく館の寝室に現れたのだ。
“妾は人間どもの式典なんぞに出るわけにはいかぬし、出る気もないぞ”とか言って、古い銘酒を1瓶持ってきた。どうやら娘の生還と結婚祝いのつもりだったらしい。
けど、かわりに“こたびの報酬をもらうぞ”とか言って、たっぷり俺の血を吸って、他にも色々?されたのかもしれないけど俺は意識を失ってて、気がついたら姿が消えていた・・・エヴァも母親のあまりの自由人?ぶりに、唖然としてた。
ルーヒトは、まだしばらく竜王の元で修行する必要があるそうで、エヴァと再開を喜び合った後、父竜のファブニルの背に乗って白嶺山脈に帰って行った。
あの北の地では、魔王軍と戦った将兵の8割以上が命を落とした。
参戦した王侯貴族も半数以上が帰らぬ人となり、この日のテーブルに着くこともなかった。
兵の半数以上が生還できたキヌーク領は例外中の例外なのだ。
それでも世界は再建に向けて、よろよろと少しずつ歩み始めていた。
こうして、アマナヴァル歴971年夏、魔王大戦が名実ともに終結した。




