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第462話 スヴェトラナ

勇者パーティーが魔王城の地下で絶望的な戦いを続けている頃、プラト公国北部の地下深くでは、魔王の真体を滅ぼすべく歩を進めていたノルテ一行に、アンデッドと化した淫魔ラハブが襲いかかった。

 破れた白いローブを身にまとわりつかせ、野獣のように岩場を駆け下りてきたラハブは、恐るべき跳躍力で人竜の幼子ルーヒトを飛び越え、スヴェトラナへと襲いかかった。


 いや、彼女が背負う“聖鎖の球体”、その中に封じられた“魔王の真体”へと。


 既に疲労困憊した北の巫女は、それを信じられぬ思いで凝視することしかできなかった。


 その眼前に小柄な背中が滑り込む。


 ブンッ、と聖属性を付与したハンマーが疾風のように旋回した。

「ガハッ」


 吹っ飛ばされた淫魔は、血は吐かない。既にアンデッドと化した体だ。

 代わりに聖属性の武器で撃たれ、シュワシュワと体が溶ける。


 見れば何本ものミスリルの矢を受けた体のあちこちから、同じように蒸気が上がり、溶け落ち始めている。

それでも、ラハブは止まらなかった。


 獣のように四つ足になり、かつてイシュタール一の美姫と呼ばれた面影など無くした爛れた顔と体で、なおも隙を見てスヴェトラナを襲おうとする。


 ノルテは息を切らせながら、その前に立ち塞がるよう位置を変える。


「待って!なぜそこまで?もうゲルフィムは死んだはずです。あなたは、もう解放されていいはずでしょう!」


 ラハブは魔王の使徒にして上級悪魔ゲルフィムの眷属か下僕だったはずだ。

 それとも、魔物・魔族同士でも愛人関係、などということもあるのだろうか。それにしても、ここまで執着するのはなぜか?


「それ、を・・・よこし、なさい」

 言葉も既にあやしくなっている。


「なぜ・・・」

「・・・おそらく、これが呼んでいるのね。ラハブもこれに魅了されているのでしょう」

 背後で立ち尽くしていたスヴェトラナが、ラハブの様子を見つめながら、そう口にした。

 

 麻痺しているはずの魔王の真体から、なにかあやしい靄のようなものがしみ出している。


「魔王の真体が、呼んでいる?」

 ノルテはラハブから視線をはずさないまま、背後の巫女に尋ねた。


「ええ、これは自分が滅ぼされようとしているのを知り、聖なる短剣に力を一時的に封じられ、危機を感じた。だから、近くにいる魔物を引きつけ、己の依代にしようとしているの。私にはわかる・・・」


 ノルテはハッとした。

「じゃあ、急がないと。スヴェトラナさん、すみません。私が少しでも時間を稼ぎます。倒せる、とは言えませんけど、なんとか・・・だから」

「ええ、ノルテ・・・ありがとう、必ず成し遂げるわ」


 スヴェトラナは再び火口に突き出す岩棚へと必死に歩き出した。


 ノルテは振り返ることなく、ラハブの前に立ちはだかる。

「通しません」

「・・・通しなさい・・・通せ・・・トオセッ!」


 小柄なノルテを飛び越えようと身をかがめたラハブの機先を制するように、ノルテは錬金術の“聖素”を放ち、壁のように自分のまわりに張り巡らせた。


 ラハブの面に、焦りと怒りが浮かぶ。

 だが、それは突然、この上なく美しく艶やかな笑みに変わる。

《ノルテ、あなたはわたしのもの・・・》


 突然の甘いささやきに、ノルテの体がぐらりと揺れ・・・持ちこたえた。

 そして、ハーフ・ドワーフの娘は突然自分の唇を噛みちぎった。


「・・・危なかった。耳栓をはずしていた隙を突かれましたね。でも、私は半分ドワーフの血が入っていますから。あなたの魅了も、人間族にしか効果は薄いようです」

 ノルテは自分に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を口にする。

 少しでも時間を稼ぐことが、今の自分の役目だ。


「くッ」

 打つ手を失ったラハブは強行突破をはかる。


 ノルテのハンマーと錬金術がそれを防ぐ。

「はぁ、はぁ・・・」


 この熱気の中でスヴェトラナを助けて歩き続けたノルテも、もう体力の限界だった。

 人竜の幼子は、姉と慕うハーフ・ドワーフの苦戦をつらそうに見つめるが、それでも手出しはしない。


 そしてついに・・・

「うっ」

 ノルテが突然、下腹部を押さえてうずくまった。


 疲れを知らぬ高レベルのアンデッドとの戦いは、妊婦にはあまりにも過酷だったのだ。


「・・・」

 とどめを刺すべきかと一瞬考えたのだろうか、だが、ラハブはなにも言わず、身動きできなくなったノルテを放置し再び野獣のように駆けだした。


「・・・い、いかせな・・うっッ」

 苦痛にあえぎながら振り向いたノルテの視線の彼方に、小さく、岩場の先端に辿り着こうとしている巫女の姿が映った。


「は、はや、く・・・すう゛ぇ・・・」



 ***


「はあ、はぁ、はあ、はぁ・・・つ、ついたわ」


 よろめく脚は、もはや熱さと痛みで麻痺していた。

 何度か躓いて転んではあまりの熱さに必死に跳ね起き、火傷だらけになりながら、スヴェトラナはついに、真っ赤な溶岩の湖の上に突き出した岩場の先端に辿り着いた。


 熱気と蒸気で景色が霞むが、ここから投げ落とせば、間違いなく球体は溶岩の中に飲まれるだろう。


 こわばった体で手間取りながら背負子を降ろそうとする。

「!!」


 疲労困憊し意識も薄れかけた中で、それでも迫る殺気に気付いたのは、魔に備え魔を封じることに日々精進し続けていた巫女の長なればこそだろうか。


 だが、もはや逃れられぬ距離にラハブの姿を捉えたスヴェトラナは、絶望の表情を浮かべた。


 この球体を背負子から降ろし、投げ込むだけだとわかっている。

 だが、あと刹那の時間の間に、自分にそれが可能だろうか?


 なんとか背負子を背からはずそうとしつつも、目の前の断崖へもつれる脚で向かう。

 あとほんの数エルドが、あまりにも遠い。


「神々よ・・・」


 ラハブの腕がスヴェトラナの体を捉えた時、彼女は何かの聖句を唱えていた。


 青白い腕が伸び、巫女を抱き寄せる。

 そして、呪いの言葉が吐き出された。


《あなたは私のもの。スヴェトラナよ、あなたは私に全てを捧げるの・・・》

 ラハブは、そう甘やかにささやきながら、長く赤い舌でスヴェトラナの体をなめ回し、抱きしめた。


 魅了の言葉と共に、淫魔のスキルを全開にしたのだ。


 スヴェトラナの体がビクビクと痙攣した。

「あ・・・はあンっ・・・っ!!!」


 スヴェトラナは、一瞬のうちに淫魔の虜になった。



 そして、情熱的にラハブに抱きつき返した。

 もはや彼女の脳裏からは、先ほどまでの巫女の矜持も、果たすべきつとめも、ひとかけらの理性さえも消えてしまっていた。


 だが――――


「うおぉォォッ、放セ、ハナセェーッ!」

 絶叫をあげたのは、巫女を術中に落としたはずのラハブだった。


 ラハブの全身がジュワジュワと溶けている。

 

 スヴェトラナを抱き、抱かれているその全てから。


「き、キサマ、聖属性ヲ自ラノ体ニィィィー!!」


 魔物の怪力で引き離そうとするが、既に淫魔の快楽の虜となったスヴェトラナは、接触するだけで尽きることのない快感を与えてくれるラハブの体に本能だけでしがみつき、浅ましく腰を擦り付けさえしていた。


 淫魔の力に自分は抗すべくもない・・・そう知っていたスヴェトラナは、最後の瞬間、聖属性を自らの衣服と体全体にまとわせるべく、聖句を唱えていたのだ。

 巫女を捉えたはずの枷は、今や逆に淫魔を封じる枷に変わっていた。



「ヤ、ヤメロ・・・ハナセェェェェ――――ッ!」


 もつれ合った二体の雌は、そのまま崖から踏み外し、落下した。


 灼熱の溶岩の海へ。


 スヴェトラナの背に、“魔王の真体”を背負ったまま。


 


 痛む下腹を押さえながら、ようやく這うようにして岩棚の端へとにじり寄ったノルテの脳裏に、最後にスヴェトラナの声が聞こえた気がした。

 聞こえるはずは無い。それは遠話だったのか、それとも単なるノルテの幻聴か。


《ああ神よ、それでは私にさえ救済はあるのですね・・・》


 そう聞こえたのは、ノルテが初めて聞いた、若々しく幸せそうなスヴェトラナの声だった。



 ***

 

 プラト公国北部。今や誰一人として住む人間などいない極北の地。


 魔王を封じていたと知る人ぞ知る封印の地に、そびえたつ禍々しい火山。


 “魔の山”と呼ばれたその山が、突然大噴火を起こした。


 天をつく高さにまで噴き上がった紅蓮の炎。


 強烈な地震が、噴火と共に大陸各地を襲った。


 それは5か月前、魔王が復活した際に大陸全土を揺るがした、あの天変地異にさえ匹敵する規模のものだった。

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