第450話 (特別編)ノルテのパーティー③
(スヴェトラナ視点)
段々気温が上がり、息苦しさが増してくる。
闇に包まれた世界で地下深くに進んでいくのだから、本来なら冷えていくはずだが、これはもう魔の山の火の源が近づいているのだろう。
ここに至る道中は、恐ろしくも幻想的な黄泉路のようだった。
モーリア坑道の中心部からも外れたこのあたりには、復活した魔王のエサにもならず、また魔王に従ってモルデニアへと向かうこともなく残された魔物が多数巣くっていた。
知性を持たぬ地蟲やメナシヘビのような魔物だけでなく、ゴブリンの地底亜種とでも言うような、ほとんど視力を持たぬ人型の魔物も大きな群れがいくつもあるようだった。
それらは互いに喰らい喰らわれ、土に還る。残酷で容赦ない争いを何度も目撃したが、不思議とおぞましさは感じなかった。
そして、気温が上がるに連れて、ポツポツと洞窟に灯火のように現れ始めたのは各種の火精の類だった。
ここの魔物たちはこの地底に生まれて、人間族など一度も見ることもなく死んでいく。
そして、ほとんどは魔王とさえ無縁なのだろう。
これほど深い地底に、私たちが知らなかった魔物たちの営みがあるなど、以前の私は、いやモーリアに堕ちた後でさえ、想像もしていなかった。
魔物の接近はハイエルフのリンダベルが事前に察知してくれるし、隠身スキルのかかった魔道具のローブのおかげで、ほとんどの遭遇はやり過ごせた。
火精とはリンダベルが精霊語で意思疎通することができ、私たちに害意がないとわかれば、すんなり通してくれた。
おかげでほとんど戦闘になることなく、私たちは先へ進むことができた。
もっともそのリンダベルは実は病身らしく、時折ひどく咳き込んではノルテが錬金術の“生素”をかけて癒やしていたが、泣き言ひとつ言わず歩き続けていた。
もうひとりの同行者である竜族の幼児は、やはり竜神の化身であるからなのか、まるで滑るように苦もなく私たちのとなりを同じペースで進み続けていた。
ノルテは私の持つ聖鎖の球体を代わりに持ちましょうと申し出てくれたが、これは神々から私に与えられた使命だから、ゆずることはできなかった。
そう私が答えると、彼女たちは無理強いすることもなく、足手まといの私に歩を合わせてくれた。
ノルテが錬金術で球体を収める“背負子”のようなものを作りだしてくれたおかげで、私はこれまでよりずっと楽に球体を運べるようになった。
地下火口に向かう道は悪く、しばしば両手を使って這い進まなくてはならなかったから、これはありがたかった。
そして、リンダベルが分けてくれたエルフの薄焼き菓子は、まるで天上の神々が食していると言うネクトスの実のように美味きわまりなかった。
もう何か月もの間、わずかな地下水を口にするだけで、回復魔法によって命をつないできた私の衰えきった体に、それは砂地が水を吸うようにしみこみ、もうしばらく歩き続ける力と希望を与えてくれた。
***
だがやはり、この黄泉路の旅は、すんなり成し遂げられるものではなかったようだ。
「気をつけて、なにか集まってくるわ。悪意を持った者たちが大勢」
リンダベルが美しい眉をひそめてそうささやいたのは、どれほど歩いた時だったろう?
そこは、これまでの細いくねくねと曲がるトンネルが、ぽっかりと広い地下空洞に出たところだった。
ぼんやりと見える空間に、先に続くいくつもの穴が開いている。
神々は選ぶべき道を示してくれていたが、どうやらその先からも、魔物の気配が向かってきているらしい。
既に汗ばむほどに気温が上がり、目的地が近づいていることは明らかだった。
「火精が姿を消した。恐れているのでしょう・・・何者かが邪悪な魔物を呼び集めているのね」
私たちは一方の壁に身を寄せ、隠身スキルを意識して息をひそめる。
リンダベルはさらに小さな結界も張った。
ゴオオオオーッ、となにか突風が吹くような音と振動が伝わってきた。
ドスンドスンと重い体を持つ者が歩くような音も。
そして、わらわらと赤銅色の鈍い光を体から放つオークに似た魔物の群れが、何本かの洞窟から大空洞に駆けだしてきた。
ノルテが“判別”の魔道具を使い、<ヘルオーク>という種族のLV10~15だ告げた。
かなりの上位種だろう。体格も普通のオークよりずっと大柄で強そうだし、なにより凶悪そうだ。
それらがグアグアッと鳴き交わし、何かを探しているようだ。
いや、なにかではない。
明らかに私たちを探しているのだろう。
いったいなぜ?という疑問はまもなくとけた。
私たちが歩いてきた通路に近い側の別の穴から出てきた、白いローブ姿。
ゲルフィムの配下のラハブというアンデッドの女だ。
元々は高位の淫魔族で、人も魔物も操るあやしいわざを持つらしい。
あれが、魔物を呼び寄せ、私たちを探すよう命じたのだろう。
(まずいですね・・・)
ノルテがそうささやきながら私に“耳栓”を渡した。
ゲルフィムは声で人を操ることができたが、ラハブもそうなのだろうか?
ヘルオークたちは、どの穴にも私たちの姿が見つからなかった、と報告しているらしい。
ラハブは自分よりずっと大柄な魔物たちを当然のように指揮し、こまかく指図しているようだ。
いずれは見つかってしまうだろう。
その上、状況はさらに悪化した。
ひときわ大きな地響きと共に、向かいの穴から巨大なトカゲか竜のような姿が現れたのだ。
紅蓮の炎に包まれ、長い尾を持つ四つ足の魔物だ。
(サラマンダーです)
ノルテがささやく。だが、そこには不思議と恐怖感や絶望感は浮かんでいなかった。
あれほどの魔物を目の前にしているのに。
(リンダベルさん、あれをうまく誘導してヘルオークにぶつけられないでしょうか。ラハブに操られているだけで、互いに仲間というわけではなさそうです)
小さな体で、この娘は冷静に多数の魔物の様子を観察していたのだ。
いったいどれほどの修羅場をくぐってきたら、これほどの胆力が身につくのだろう。
《そうね・・・いえ、ノルテちゃん、私にまかせて。ゲルフィムが追っ手にいないのはリリスさんが役目を果たしてくれたからでしょう。ここは私が引き受けます》
だが、リンダベルは魔物たちを見すえたまま、遠話でそう答えてきた。
(でも・・・)
《心配しないで、決して死んだりしないから。あなたたちはここで姿を見られない方がいい。既に二手に分かれているのだと思われた方が、追っ手がすぐにかからずに済むから・・・》
そしてリンダベルは、ノルテにこの後の行動を伝えると、私たちが耳栓をしているのを確認してから、静かに歌い始めた。
歌ったのだと思う。
はっきりしないのは、最初はその声が聞こえなかったからだ。
おそらく人間の耳には聞き取れないような音で、歌い始めたのだろう。
いつのまにか、地下空洞を埋めるほど集まってきていたヘルオークたちが、動きを止め、地にへたり込み、そして・・・次々に眠りに落ちていた。
なにが起きているのか、最初は理解出来なかった。
静かに歌うだけで、何百、いやそれ以上の魔物を瞬時に眠りに落とすなど。
ラハブが異変に気付いた時には、ヘルオークのほとんどが横たわり、深い眠りに落ちていた。
そしてラハブ自身もふらつき、そしてハッと身構えた。
そこで己の両手で耳を塞ぎ、叫び声をあげた。
「起きよっ!これは魔力の声だっ、術に落ちるなっ!」
その金切り声にも関わらず、意識を保てているヘルオークは既に何十匹もいなかっただろう。
だが、残念なことにサラマンダーだけは平気なようだ。
おそらく、人間や人型の魔物とは聴覚がまったく異なるのだろう。
リンダベルは無念そうではあったけれど、それも予想の中にあったらしく、流れるような動作で弓を構えた。
銀色に光る矢をつがえ、射た。
結界を解いたのはまさに矢を射る瞬間だった。
にも関わらず、信じがたい反応を見せてかろうじて急所をはずしたラハブも、やはりただものではなかった。
アンデッドと化した淫魔の頬に矢が突き立ち、シュワシュワとアンデッドが浄化される際の瘴気が立ち上った。
だが、苦悶の声をあげながら、ラハブはサラマンダーに命じた。
リンダベルを襲えと。
まだ眠りに落ちていなかったヘルオークたちも一斉に向かって来る。
《今ですっ、お行きなさい!》
リンダベルの遠話が飛ぶ。
隠身ローブに身を隠した私とノルテ、ルーヒトの3人は壁伝いに駆けだした。
サラマンダーが出てきた、その穴を目指して。
リンダベルは短く詠唱を唱え、水魔法を放った。
突進してくるサラマンダーに向けて。
2,30エルドもありそうな巨体を止められるはずはない。
だが、炎に包まれた火竜に大量の水がぶつかったことで、爆発的な水蒸気が生じた。
ただでさえ暗闇の中、サラマンダーとヘルオークの体から放たれる赤い光だけに支えられていたこの場にいる者たちの視界は、完全に塞がれる。
そして水蒸気が一気に膨れ上がった際の騒々しい音が、私たちの足音を完全にかき消した。
赤く染まった水蒸気に満たされた闇の中、私たちはサラマンダーが出てきた洞窟へと駆け込んだ。
そのまま、リンダベルの無事を祈りながら一目散に走り続けた。




