第445話 もぬけの殻の玄室
ひとつとして灯火もなく、妖しい微かな燐光だけが点々とまたたく地底の迷宮。
そこを一組の男女?は苦ともせず進んでいた。
下等な地下の蟲もここに住み着いた魔物共も、滅多にない闖入者の気配に、最初はエサが迷い込んできたかと近づいて来るものも多いが、その恐るべき正体をわずかでも察した途端、こそこそと逃げていった。
「・・・間違いない、この濃い魔力。このおぞましい聖なる檻の残滓。これが“封玉の間”なぞと呼ばれておった所であろう」
使徒ゲルフィムは、去る二の月に預言者ミカミのスキルによって魔王の封印を解いた後、主を迎えるべくこのモーリア坑道のかなり奥にまで入ったことがあった。
ゲルフィムの能力を持ってしても、至難の迷宮と化した坑道の最深部までは、短期間に辿り着くことはできなかったが、脱出をはかって地上へと向かっていた魔王と途中で出くわし、多くの供物を捧げてその力を速やかに取り戻させることに一役かったのだ。
その際に侵入した場所までは魔法転移の登録を行っていたから、今回一度に飛べた。
そして、そこから先は、魔王が脱出の際に残した瘴気と破壊の痕跡を逆に辿ることで、わずか1日で最深部にまで至ったのだ。
だが・・・
「なぜだ!!なぜ、何も無いのだ!?」
魔の眷属が忌み嫌う、カテラの聖句が床から天井までびっしりと刻まれた金剛石の玄室。その鋼鉄の扉が吹き飛び、中には深い闇が広がっている。
まさに、ここに魔王が封じられていた“封玉の間”であろう。
そして、今もそのミスリル製の鎖で形作られた球体に、魔王の真体たる“魔神の魂”が留め置かれている―――― そのはずだった。
それを確かめ手中に収めるため、精神の激痛に耐えながらゲルフィムとラハブはそこに踏み込んだ。
強い闇属性を持つゲルフィムらにとって、壊れたとは言え聖なる力の結晶とも言うべきこの空間に入ることは、まさに魂の責め苦とも呼べるものだった。
だが、そこまでして踏み込んだ玄室の中には、ミスリルの台座が立ち、まさに球体が置かれていたのであろう半球型の爪が伸びているだけで、肝心のその上には、何も残っていなかった。
「ばかな・・・」
「ゲルフィム様、ドワーフどもの伝承が間違っていたのではありますまいか?そもそも、魔王様は真体ごと脱出されたのでは?」
「・・・いや、それは無い」
ラハブの指摘にしばらく考え込んだゲルフィムは、きっぱりと言い切った。
「私は200年前の魔王をよく知っている。だからこそわかる。今のあれは完全なる魔王ではない。あれ自身は、今回はまだ地上で流れた血が少なすぎる故に、本来の力が回復しきっておらぬのだと思っているようだがな。私にはわかる、あれには決定的な何かが欠けておる」
「では、いったいなにが?」
ラハブは周囲を見回した。
力を取り戻した魔王が、玄室の扉を破壊し、その扉と壁、床と天井に沿って張られていた結界をも力尽くで破って外に出たことは、この壊れ方でわかる。
だが、それ以外になにか争いがあったような跡は無い・・・。
「何者か、その後に侵入した者がいる。戦いは起きておらぬが、侵入者の忌まわしい気配、これは聖なる力を持った者だろう。でなくば、破壊された後とは言え、大した力を持たぬ者がこの忌まわしき玄室に立ち入ることはできぬ」
「では・・・」
「追うのだ、あれを魔であれ聖であれ、他の者に渡すわけにはゆかぬ。あれを魔の者が我より先に手に入れれば、大いなる力をその者が手に入れてしまうやも知れぬ。いや、さらに悪いのは聖なる者の手に渡ることだ。あれを滅ぼそうなどと思われては取り返しがつかぬ・・・」
ゲルフィムは苦痛に耐えながら玄室の外に出ると、ようやく大きく息を吐いた。
そしてその姿は、仮初めの人間の貴族から、本来の悪魔へと変化していく。
迷宮の通路の天井につかえそうなサイズになると、その全身から、深淵の全てに触手を伸ばすかのように、探索の魔力が放たれた。
「・・・マダサホド遠クヘハ行ッテオラヌ。逃ガシハセヌ」
人間の姿の時とはまるで異なる野太い声を発するゲルフィムの後ろに、ラハブが無表情に付き従っていた。




