第443話 ノルテとルーヒト
魔道具に遠話が送り込まれていることを示す信号に、ノルテはただならぬ胸騒ぎを覚えた。
「シクホルトからの遠話器だけど・・・もしもし、あ、メッセン義姉さんですか?え、よく聞き取れなくて、もう一度、な、なんですって!!うそでしょうっ!!」
遠話器から流れ出したのは、長兄オレンの妻メッセンの声だった。
切れ切れの声は、どうやらケガを負っているらしい。
妊娠中、もう臨月も近い身重だというのに。
だが、そのメッセンがケガをおして遠話をかけてきた内容は、信じられない、いや、信じたくないものだった。
魔王の使徒にシクホルトが襲われ、兄アドリンが殺された。
それだけでなく何十人ものドワーフたちが殺された・・・メッセンはそう言ったのだ。
《アド、リンは“自分に、なにかあったらノル、テに”って・・・》
「義姉さん、しっかりして!いまから、すぐにそっちに行きますから!」
「ノルテ様っ、何事です?なにがあったのですか・・・」
日頃はめったに取り乱すことの無いノルテの金切り声に、メイド長のメラニーも普段は決して見せない慌てた様子で駆け込んできた。
キヌーク村の領主の館は、突然の喧噪に包まれた。
***
「・・・アドリンは、このことをノルテちゃんに伝えて、これを渡して欲しい、とは言っていたけど、それで何かをして欲しいとは一言も言ってなかったわ。身重のあなたを危険な目に遭わせる気なんて決してなかったと思うし、それは今は連絡が取れないけど、オレンも義父さんもきっと同じだと思う」
傷の手当てを受けたメッセンは執務室の安楽椅子に大きなお腹を抱えて横になったまま、つい先ほどまでアドリンの亡骸にすがりついて泣き続けていたノルテを気遣うように、そうあらためて口にした。
使徒ゲルフィムの強力な魔法の直撃を受けたアドリンの遺体は、原形さえも留めていなかったが、ドワーフたちがなんとか探し集めて、となりの部屋に置いた石棺に収められていた。
ノルテの手には、ゲルフィムが奪ったのとそっくり同じ形のミスリル製の短剣があった。
アドリンがあの時、メッセンに頼んだこと――――
それは、あらかじめ用意しておいた「ドワーフ王オデロンの聖なる短剣のレプリカ」をなにかあったら持って来て欲しい、ということだった。
奪われたモーリア坑道の地図は、本物だった。
200年前の古びた地図を本物同様に複製することは不可能だし、そもそも地図には既に写しがとってあるから、奪われても手がかりが無くなるわけではない。
一方で、何百年経とうと錆びることも劣化することもほとんど無いミスリルの短剣なら、同じような外見の物を造ることは不可能では無かった。
特にアドリンは、“鍛冶の腕なら兄以上で既に父に並び、オデロン以来の鍛冶の才を持つ”とまで言われていた。
その彼が、父と兄を送り出した後、ベテランのドワーフたちに手伝わせ、いざという時のためにレプリカを自ら造っていたのだ。
そのことはオーリンたちも知らされていなかった。
ましてや、避難民の中からゲルフィムが傀儡にしていた人間たちも、知らなかったのだろう。
アドリンは、守り抜いたオデロンの短剣をノルテに託した。
だが、アドリンの代わりにドワーフたちを率いて封印の地のモーリア坑道の地下深くへ行って欲しい、とは言い残さなかった。
幼い日に奴隷にされ不遇な日々を過ごした末にようやく幸せをつかんだ異母妹に、危険な魔物の巣窟に潜入し、魔王の真体にとどめを刺してきて欲しい、などとは決して思っていないはずだ。
そのことは、アドリンの優しい性格を知るノルテにもよくわかっていた。
だが、同時に、シローやオーリンたち、魔王の本拠地に向かった連合軍と全く連絡が取れない今、アドリンに代わってそれができる者がいるとすれば、自分しかいないということも。
オデロンは、「我が血を引く者」に魔王の真体を消滅させうる短剣を遺した。
それが単に子孫に自分の志を継いでほしい、という意味なのか、あるいはオデロンの血を引く者が使わなければ、魔王の真体を消滅する効果を発揮できない、という意味なのか、正確な所は試してみなければわからない。
ただ、後者の可能性が高いと信じたシローやオーリン、そしてオデロン王をよく知る勇者と聖女が、そのために、アドリンをシクホルトに残していったのだ。
だとすれば、これは自分の役目だ。
ノルテはそう確信していた。
メッセンをはじめ、ドワーフたちの多くが反対している。
自分の身を心配してくれる気持ちはありがたいし、嬉しい。
キヌークからここへ自分を連れてきてくれたシローの家臣たち、冒険者のトレバー、スカウトのネイズ、魔法使いのギヨームも大反対だ。
身重であるから危険な戦場には連れて行かず、領主代行としてキヌークに留めた奥方を、ここで危険な目に遭わせるなどツヅキ子爵に合わせる顔がない、という。
それも当然だ。
彼らも自分を心配してくれているのだし、もし自分が勝手な行動をとれば、彼らは後々シローからとがめを受けるかもしれない。
それでも、誰かがこれをやらないと、魔王は倒せない。
シローたちがキヌークを発つ前に聞いた話では、そして、シローのホムンクルスがモーリア坑道の地下深くで封印の間を見つけたと遠話で知らされた時の話でも、これが世界を救うために決定的に重要らしかった。
そして、今それができるのは、自分だけなのだ。
そのことは、何度考えても明らかだった。
ただ、どうやって?
アドリンと共にモーリアに向かう予定だったドワーフの戦士たちもみな、ゲルフィムの襲撃によって命を落としたり重傷を負ってしまった。
そして、元々の計画通りであれば、魔王が去ったモーリアには大した高位の魔物は残っていないはずだからシローかリナのどちらか1人の他は普通のドワーフの戦士たちで大丈夫だろう、と思われていたモーリアに、今や間違いなく使徒ゲルフィムが向かっているのだ。
ガリスで戦った、いや、自分たちだけでは戦いにもならなかったあの恐るべき悪魔。
実際に、シクホルト城塞に拠ったアドリンたちドワーフの戦士らは何百人もいたのに、このような惨劇になってしまった。
たしかに、あれから自分も成長した。
身重とは言え、今や錬金術師LV30だ。
だが、これまで使徒を倒したのは勇者や聖女の力だ。自分にはとてもかなう相手だとは思えない。
自分の命ひとつで魔王を倒すきっかけが作れるなら、世界を救えるかもしれないなら、そして大切な人たちを救うことができるなら、本当にこの身を捧げても悔いは無いと思う。
けれど、このお腹にはシローの子供がいる。
自分の無思慮な行動の結果、なにも為すこともできず、自分だけで無くお腹の子供も死なせることになったら・・・
そう思うと、どうしていいのかわからなかった。
“しばらくアドリンと二人だけにしてほしい”
そう言って、石棺が置かれた隣の部屋にこもって、ノルテはさらに悩み続けていた。
その時、脳裏に遠話が届いた。
これは、遠話だ。
ノルテ自身は遠話の魔法は使えないが、仲間から遠話をかけてもらったことは何度もあるから、なじみの感覚だ。
けれどこれは誰だろう。
シローやリナの遠話なら、“精神の波長”ですぐわかる。
よく知っている感触だけど、すぐには誰だかわからなかった。
「・・・え?ルーちゃん!?」
《のるねー、のるてねーさん、きこえる?》
白嶺山脈の竜の巣に残して来たベビードラゴンのルーヒトらしい。
どうりでなじみ深い感触だ。
でも、ルーヒトはまだほんの幼児だったはず。
まだ竜王様のもとにいるはずだ。
なにより、遠話の魔法なんていつ覚えたのだろう?
だが、それはルーヒトだった。
竜王が“世界にとって危急の事態が起きつつあるから”とルーヒトに特別に力を分け与え、ノルテに連絡を取らせてくれたらしい。
《りゅうおうはね、りゅうじんはね、げかいにちょくせつ、かいにゅうしちゃいけないんだ。でもただ、おはなしするだけならかまわないって・・・》
幼児の話はわかりにくかったが、それはあまりに高度な概念や知識を、幼児の言語力で必死に理解し、伝えようとしてくれているからなのだろう。
ルーヒトから伝えられたのは、にわかに信じられないが、“このままでは世界に同時に2人の魔王が誕生してしまう”ということだった。
本来ありえないこと、あってはならないことだが、ゲルフィムの行動によって、そのありえないことが起きそうになっている。
それは神々にとっても想定外で、世界のバランスを極端に崩してしまうことになるため、バランスの守護者の1人である竜神が、最小限の介入をすることを決めたのだと言う。
正直、ノルテの理解を超えていた。
ただとにかく、「竜神の器」としてその力の一部を分け与えられたルーヒトは、直接魔王や使徒と戦うことはできないものの、助言や連絡をとる、といった形でなら協力してもよいことになった、というものだった。
それは、今回のイレギュラーなできごとの一環で、魔王の結界に封じ込められた連合軍と、その外部にいる者たちの間で連絡すら取れなくなっていることに対する、代替措置?なのだと言う。
「シローさんとリナちゃんが結界に遮られていても話ができるような感じ?」
《うん、しろーもりなもでられなくなっちゃったから、かわりにるーひととえう゛ぁかあさんが、おはなしできるようにしたの》
「エヴァさんと!?そうか、竜の絆ね。それでルーちゃんは、結界に閉じ込められてる人たちの中でもエヴァさんとなら連絡がとれるんだ」
《うん、そう。それでね、まじんのいるもーりあに、だれかがいかなきゃいけないんだよね》
「え、ええ・・・そうなの。そうなんだけど、私にできるかな、私が行っていいのかな。それを悩んでるの」
《るーひとにはわからない。それをきめるのはりゅうじんじゃないの。でも、だれかのるてねーさんがつれていきたいひとと、おはなしはできるけど》
ルーヒトが言っているのは、誰がモーリア坑道に入るのかを決めるのは竜神では無く、魔王と戦う自由の民自身が、その意志と責任で行わねばならない、ということなのだろう。
ただ、そのために誰か、ノルテが連れて行きたい者がいるなら、ルーヒトが遠話をつなぐこともできるらしい。
「でも、結界の中に閉じ込められちゃってる人とは?エヴァさん以外とも話せるの?」
《だめ。まおーのけっかいはぜったい。えう゛ぁかあさんだけしかはなせない。つれだすのはえう゛ぁかあさんもむり。それいがいのだれか。つれていけるのはひとりかふたりか、さんにん?》
魔王の結界内に閉じ込められている者をそこから出してモーリアに同行させることはできない、という。
それができるならノルテが行く必要も無いのだから、考えてみれば当然かもしれないが。
だが、こうしている間にも、ゲルフィムが魔人の魂を手に入れ、もうひとりの魔王になってしまうかもしれない。
時間は限られている。
世界各国の有力な戦士も魔法使いも、今やきっと連合軍に加わっており、つまりは魔王の結界に捕らわれている。
そもそもノルテにはそんな人脈も無い。
いま、その外にいる人。
ノルテが知る、頼りになる人・・・
ルーヒトが連れて行けるのは、ほかに2,3人だという。
「そうだわっ!」
必死に考え込んでいたノルテの目が輝いた。
「ルーちゃん、お願いっ、探して欲しいひとがいるの・・・」
これしかない、と思う。
ひとりはきっと協力してくれる。もうひとりは・・・わからない。けれど、説得するしかない。
できるはずだ。だって・・・
ノルテは自分のお腹に手を当てて、そう自らに言い聞かせた。




