第442話 シクホルト城塞の惨劇
話は少しだけさかのぼる。魔王が戦場に降臨した朝――――
「ユーディめ、口ほどにも無い。思った通りの小物であったな。だが、これは好都合だ。あれの眼がそれている今なら、抜け出しても気付かれまい」
貴族の正装は豪壮な城に似つかわしいと言えなくもない。
ここが常の王城であるならば。
だが、人間には高すぎる天井と、人の眼には暗すぎる城内を照らすあやしい燐光。そしてなにより石と氷の壁にへばりついた血の跡と腐臭は、ここがまともな人間の城ではありえないことを示していた。
男は魔王の巨体が地下の転移の間の魔方陣から消えるとすぐに、白いローブ姿の美女と数名の騎士か従者とも見える男たちを伴って、別の魔方陣のある部屋へと急いだ。
「ゲルフィム殿、どちらへ?」
「・・・おぬしであったか。なに、特にどうと言うこともない」
完全武装の戦士のような男が貴族を見とがめ、いぶかしげな声をあげた。
「今は戦時、しかも至高の君が出陣された時に、留守を預かるべき使徒の1人がいずこへ行かれようと?」
追求をやめる気は無いようだった。
「・・・人間ども、亜人どもの主力をここに取り込めている間に、魔物の群れを持ってヤツらの版図を奪う。その献策をしたのは我であるからな、状況をたしかめ督戦して参るのだ」
「もっともな理由ではあるが、今でなくてもよいのでは無いか?しょせん主力をつり出されて丸裸になった人間の国家など、貴殿の放った低レベルの魔人や魔物だけでも簡単に蹂躙できよう」
「!おぬし、分をわきまえよ」
操る魔人のレベルが低い、と揶揄されたと受けとったゲルフィムは声を荒げた。
「なに、気分を害されたなら許されよ。ただ、至高の君にこの城の守りを任された者として、この有事に出入りすることには神経質にならざるを得ぬ」
「我をおぬしの配下とでも思っておるのか?我がどうしようとおぬしに関わりのないことだ。去れ、さもなくば思い知ることになるぞ」
「・・・よかろう。だが、貴殿のふるまいは至高の君のお耳にも入れておく」
それだけ言い捨てると、戦士姿の男はゲルフィムらを残し魔方陣の並ぶ一角から立ち去った。
「よろしいので?」
「構わぬ、魔力を注げ」
ゲルフィムは配下に命じ、ただひとつ、この結界内から外へと通じる特別な転移装置へと向かった。
龍脈から直接、膨大な魔力を供給されていることで稼働するこの魔道具。
だが、使徒ゲルフィムと言えども、魔王がこの城内にいれば気づかれずに起動させることは難しかった。
「急げ」
「「はっ」」
黒々とした瘴気が魔方陣の上を満たし、それが霧散した時には、ゲルフィム一行の姿は無くなっていた。
***
「何者だ!?」
「レムルス帝国より急ぎの使者として参った、フレンツ伯と申す。ドワーフ自治領の領主殿に至急おめにかかりたいところ、従軍中とは聞き及んでおる。代行の方にお取り次ぎいただきたい」
シクホルトの城塞前に現れた貴族と、その護衛と思われる数人の騎士。
1人だけフードを深くかぶり顔を見せぬ従者が女らしいのが少々いぶかしいものの、フレンツ伯を名乗る男の身分証には特段おかしなところは無い。
「オーリン様が従軍中なのをご存じか。ご子息のアドリン殿が代行をされておるので、しばしお待ちいただきたい・・・」
門番の兵から報告を受けた隊長は、相手が貴族、それも宗主国たるレムルス帝国からの使者ということで、少し迷った末に門の内側に入れ、番所の控え室に席を用意した。
(結界の内側にすんなり入れるとは、矮人どもの迂闊な事よ)
ゲルフィムの独白を聞いた者など無論いなかった。
だが、それが惨劇の始まりだった。
「なに!敵襲だとっ!?たった5人だって・・・とにかくすぐ行く。お前は非番の部隊を呼びに行け!」
城塞の上階、普段なら父オーリンが領主として執務に使っている一室で、飛び込んできた若いドワーフの報告に、アドリンは飛び上がった。
もちろん今は魔王軍との戦争中だから、警戒を怠ってはいない。
数日前から、この界隈にもまた魔物が出没するようにもなっている。
だが、だからこそ、そうも易々城塞内に敵の侵入を許すようなことは考えていなかった。
「アドリン、気をつけてね」
「ああ、メッセン義姉さん・・・もし・・・いや、本当に万一のことがあった場合だが、ノルテに例のことを・・・」
使い慣れたハンマーを持って執務室を飛び出しかけたアドリンは、なにを思ったか一度足を止めた。
そして、兄オレンの身重の妻、今は自治領の内政に目配りをしてくれているメッセンに、以前話した頼み事をあらためて伝えた。
その様子にメッセンははっきりした理由も無く、不安を覚えたのだった。
アドリンが城塞の石階段を駆け下りた時には、既に階下では激しい戦いになっていた。
数千人の大軍に攻められても陥落したことの無いシクホルト城塞。
その門内に詰めている守備兵は、魔王との決戦にほとんどの兵力を出しているとは言え、新たに若者や高齢の者から募った義勇兵で、常に2、300人はいる。
それが、たった5人、それもフードを目深にかぶった女は後ろに下がって見ているだけだから、実質4人の男を取り押さえられずにいた。
それどころか、既に数十人のドワーフの戦士が倒され、石畳の通路は血まみれになっていた。
「アドリン殿っ!気をつけろ、こいつらただの人間とは思えんっ!!」
留守部隊を仕切っているエイダルという歴戦のドワーフ戦士が、アドリンがかけつけたのに気づき叫んだ。
「ほう、アドリン、あれがドワーフ王の血を引く者か。ようやく出てきたな・・・あれを捕らえよ、もはや手加減は無用だ」
貴族らしい格好の男が、配下の騎士らにそう命じるのが聞こえた。
なぜ自分のことを知っている?
そう疑念を抱いたアドリンだったが、義弟のシローからもらった魔道具を使うことは忘れなかった。
それは、“判別”のスキルをこめた魔道具だった。
<魔人 LV14>
<魔人 LV12>
<アンゲリオス・フート ロードLV22>
「っ!みんな、こいつら人間じゃない、魔人だ!」
そう叫んだ後、アドリンの記憶を何かが刺激した。
「・・・フート、フートってのはもしや、貴様っ、魔王の使徒か!?気をつけろみんなっ」
シローやノルテから聞いた、その名を思い出したのだ。
そのアドリンの声に応えるように、通路を新たな兵たちが駆けてきた。
出兵で足りなくなった兵力を補うため避難民たちの中からも徴募した、ドワーフと人間族混成の義勇兵部隊だ。
応援が駆けつけたことで指揮と統率を回復した守備兵たちも、魔人たちに一斉に攻めかかった。
アドリンのハンマーが魔人の1人をたたきのめし、残る者らも激戦の末に討ち取られていく。
だが、レムルスの使者、フレンツ伯爵を名乗っていた男、使徒ゲルフィムと、フードをかぶった女、ラハブの二人だけは、ろくに戦っているようにも見えないにも関わらず、かすり傷ひとつ負っていない。
「ふ、矮人どもが小賢しいいことよ」
ゲルフィムは薄ら笑いを浮かべると、強い魔力をこめた声をあげる。
「我が声を聞け!オデロンの末裔、アドリンよ!我に従え、おぬしが持つモーリアの地図と、オデロンが鍛えし短剣を我によこすのだ!」
一瞬吹き荒れた魔力と、その声の力にドワーフたちの動きが止まった。
だが、その様子は変わらなかった。
「貴様、なぜそれを・・・」
だがアドリンは、勇者パーティーの他にはシクホルトの限られた者しか知らぬはずの秘密をゲルフィムが知っていることに驚きを隠せなかった。
「・・・効かぬか。やはり、ミカミの“声”は人間族にしか効果を発揮せぬらしいな。ラハブが日の光の下では満足に動けぬようになったのが誤算であった。まあよい・・・では、わが下僕よ、“アドリンを刺せ”」
「え・・・うおっ!」
「アドリン殿ぉっ!!!」
アドリンのまわりを守るように集まっていた義勇兵の1人、人間の男が、ゲルフィムの声に操られ、背後からアドリンを剣で刺したのだ。
そして、貴族の正装が数十メートルの宙を一気に飛び、ゲルフィムの手はアドリンののどに食い込んでいた。
「うぐっ」
身を盾にしてアドリンを守ろうとしたドワーフ兵たちは、一瞬でなぎ倒されていた。
「まだ殺さぬぞ。おぬしが持つ秘宝を渡せ。素直に渡せば、治療してやらぬでもない」
「・・・だ、だれ、が、魔王のて、したな、どに・・・」
背中からダラダラと血を流しながら、締め上げられたのどから、アドリンは拒絶の声を絞り出した。
「待って!」
だが、その時、階段を駆け下りてきた女ドワーフが声をあげた。
「私はオーリンの嫡子オレンの妻よ。アドリンを放して。これ以上の人殺しをしないと約束してくれれば、お望みのものを渡すわ」
「ほう・・・では、先払いだ」
メッセンは“アイテムボックス”の魔道具の箱から、丁寧に包まれた2つの塊を取り出した。
「ラハブ、とってこい」
「・・・」
幽鬼のようなローブ姿の女が、無言のまま石畳の通路をのっそりと歩き、女ドワーフから宝物を受け取る。
ゲルフィムの前で包みを広げてみせる。
「見覚えがあるな、これはオデロンの紋章。そして、この地図もモーリアの一部だろう・・・よかろう、確かに受け取った」
「じゃあ・・・」
ゲルフィムはメッセンに向かい薄ら笑いを浮かべると、手に入れた宝物をどこへともなく収納した。
「うむ、有象無象の命になど興味は無い」
そう言うと、あいている片手から無造作に灼熱の溶岩を放った。
轟音と共に、堅牢極まりない城塞の壁に外へ通じる大穴が開いた。
呆然とするメッセンはじめドワーフたちの前で、ゲルフィムが言い放った。
「だが、後を追われては面倒であるからな。オデロンの血を引く者は始末するとしよう」
「なんですって!そんなっ!」
抗議する声など聞こえぬかのように、ゲルフィムはアドリンを石畳にたたきつけると、ラハブを片腕に抱いて壁の大穴へと飛んだ。
そして、あいている片手から、再び灼熱の溶岩が放たれた。
激しい爆音がシクホルト城塞を揺るがした。




