第440話 聖女の祝福、勇者の鼓舞
モモカが発動した“全反射”の魔法で、魔の咆哮をわが身に浴び傷ついた魔王は、一種の転移魔法かある種の魔道具を使ったのか、赤い光球に包まれ姿を消した。
モモカは魔力を使い切ったのか、ドラゴンの背の上でぐったりしている。
だが、連合軍の全滅を防ぐことはできたと言っても、状況はさほど好転したわけじゃない。
依然、魔王の復活によって地に落ちたままの士気。さらに、魔王の放った“世界の修正力”によって近代兵器と多くの将兵をも失い、連合軍の前線は崩壊したままだ。
そして、魔王の復活で再び勢いづいた魔軍は、怒涛の勢いで攻めかかろうとしている。
俺はモモカを抱きかかえるように支えながら、意識がもうろうとしたままの唇に“魔力ボンベ”の吸い口を押し付ける。
「モモカっ、これを吸って!」
「・・・うぅっ」
最初は弱々しい呼吸が、魔力を吸うにつれてしっかりしてくる。
「・・・はぁ、はぁ。時間、が、ない・・・エヴァ、おねがい」
「いいのね?オラニエ!」
まだ真っ青な顔をしたままのモモカの指示で、エヴァがドラゴンを低空で飛ばす。
まもなく魔軍の大攻勢にさらされる、連合軍の前線に沿って。
「サヤカ、なんとしてもバフはかけきる。でも、そのあと本当にみんなを立ち直らせることができるのはサヤカだよ?」
「わかった・・・」
ひとたびは魔王を倒したかに見えた全力攻撃で、自らも消耗しきった様子のサヤカが、それでもなにか覚悟を決めたようにうなずいた。
「じゃあ、行くわ・・・この地に集い、魔王と戦う諸国の勇士たちよ、聞こえますか。わが名はモカ、いにしえの世において聖女と呼ばれた者・・・」
モモカは“神の言葉+”のスキルを使い、何十万の将兵に一斉に遠話を届けはじめた。
そして、これから前線の皆の魔の傷を癒し力を増すバフをかけることを宣言し、ドラゴンの上で長い詠唱を始めた。
「・・・死すべき定めの吾子らに命の輝きたる聖なる力を貸さん!“聖女の祝福”を!!」
やわらかい光のシャワーが、上空から降り注ぐ。
仲間の死体に囲まれ、ぼろぼろになって絶望に膝をついていた前線の兵たち一人一人に、その光は例外なく届き、魔王の瘴気によって蝕まれていた心身をたちどころに癒し、体力、精神力、あらゆる能力がかさ上げされていく。
この世界で知られている限り、魔を相手にした戦いではもっとも強力なバフとされる、“聖女の祝福”。
だが、それは強力だからこそ、自分の周りのごく限られた範囲にしか影響を及ぼせない、そしてきわめてMP消費の多い魔法だ。
本来ならいかにMPの多い聖女モモカであっても数百人、休み休みであっても数千人にかけるのがやっとだろう。
それを差し渡し十数kmにおよぶ前線の兵全体にかけようというのだ。
少なく見積もっても数万、おそらくは十万人を超えるだろう。
魔法を連続発動しながら、息継ぎをするように“魔力ボンベ”の魔力を吸いながら。
「おお・・・痛みが消えた。力が湧いてくるぞ・・・」
「聖女様、聖女さまーっ!」
「奇跡だ!聖女の奇跡だ!!」
魔法の効果を及ぼすため、低空で飛ぶオレンジ色のドラゴン。
その背に立つ、ミスリルの胸鎧に紫のローブをまとった華奢な聖女の姿は、きっと地上の兵たちの目にも直接見えただろう。
そして、モモカは“聖女の祝福”をかけ続けるだけじゃなかった。
再び、“神の言葉+”を連合軍の将兵につなぐ。
ただし、あくまでそれは中継者として。
言葉を発するのはサヤカだった。
ミスリルのフルアーマーに身を包み、普段は降ろしているフルフェイスの兜の面をあげ、モモカの隣に立って眼下の将兵を見すえながら、遠話を発した。
けれどそれは、俺の幼ななじみの如月清香ではなく、伝説の勇者サーカキスの声だった。
突然なにかが降りてきた。信託の巫女のように。
サヤカをよく知る俺にとっては、そうとしか思えなかった。
《世界中から集まった勇士たちよ。わが名はサーカキス、200年の眠りより魔王を倒すべく目覚めた、勇者サーカキスだ・・・》
その言葉は戦場の最も遠くにいた将兵にまで届いたと言う。
この死闘を生き抜いた幸運な兵たちは、その知人や家族、子供や孫たちに長くそのことを語り継いだと言われる。
“俺は勇者の言葉を戦場で直接聞いたんだ。そして、立ち上がって魔王軍と戦い抜いたんだ!”と、誇りを持って。
《極北の地に、多くのものを犠牲にしてたどり着いた勇士たち。今また、死の恐怖にさらされながらも立ち上がった勇士たち。あなたたち一人一人に私は告げよう・・・》
勇者の決して大きくはないすらりとした体が、この時、薄暗い雲に覆われた空の下でも光り輝き、圧倒的な存在感、魔王にすら匹敵するエネルギーを発していた。
地上の将兵は、息をのんでその姿を凝視し、その言葉に聞き入っていた。
サーカキスの飛び抜けた“カリスマ”のスキル、大陸各地を恐怖のどん底に陥れてきた魔王の使徒を既に何体も屠ってきた圧倒的な実績とこれまでの戦いでも兵たち自身が目にしてきた実力、そして200年前にも魔王と戦い一度は引き分けに持ち込んだという伝説が、その言葉に超越的な力を与えていた。
《わたしたちは今日死ぬかもしれぬ。明日死ぬかもしれぬ。たとえ長命のエルフ族といえども、私たちはいつか死すべき定めを背負い、今日を生きている。そして、私はひとたびは死んだ身だ。信じられぬ者もいるだろう。だが、私は元の世界でひとたび命を落とし、この世界に転生した・・・》
勇者サーカキスは、転生者としてこの世界に現れ、200年前の世界で魔王との死闘に巻き込まれ、いつしか勇者として目覚め戦いの中心に立つようになったことを話した。
魔王と、そのかつての使徒たちとの死闘を。
失った仲間たちを。
滅びた国々の悲惨を。
しかし、その中でも確かに命をつなぎ、思いをつないでいった仲間たち、知人たち、そして名も知らぬ人々からも、受け取った確かな思いを。
《私たちは定めある命だ。だが、だからこそ今、命ある今、私たちにしかできないことがある。私たちは、一歩でも進むことができる》
兵たちの思いが、旅立ってきた故国に、残してきた家族に注がれる。
いつの間にか倒れ伏していた兵たちも身を起こし、槍や剣を支えに起き上がった。
《そして、敵も不滅ではない。魔物も斃れる。そして魔王さえも、不死身のように復活して見せても、それは永遠ではない。この大陸に幾たびも現れた魔王たちも、最後には必ず、自由の民の力によって斃されてきた。魔王も不死不滅では決してないのだ!だから、私たちは必ず魔王を斃す!!》
兵たちの間に高揚感がわき上がる。
魔の暴風から再編成を終えた魔物の大群が、前線へと攻め寄せ間近に迫って来るが、もはや兵士たちの目に恐怖の色は無かった。
《これから私たちは魔王を斃しに向かう!長く厳しい戦いになるとしても必ず!だから諸国の将兵よ。あなたたちも、決してあきらめるな、絶望するな!》
そして、前線の低空を東から西へとドラゴンに乗って飛び抜けた勇者サーカキスは、最後に宣言した。
《“勇者”とは私ひとりのことではない。故郷の家族や大切な人たちを守ろうと、世界を救おうと、死の恐怖と耐え難い痛みを乗り越えて、いまこの地に立つあなたがた、この戦いで命を落とした仲間たちの一人一人が、既にして勇者なのだ。だからこそ、私は断言する。私たちは必ず望みをかなえると。私たちは勝つ!魔軍に、魔王に、あらゆる災いに!!》
兵たちの熱狂は頂点に達した。
「そうだっ、俺はまだ戦えるぞ!」
「俺もだ、俺たちは勝つんだっ!!」
「勇者様、魔王を討ち取ってくれっ!それまで俺たちも絶対にあきらめねえ!」
押し寄せる魔軍と、立ち直った連合軍が激突した。
数十万の将兵を鼓舞し力づけた勇者と聖女の乗るドラゴンは、その戦いに加わることなく、高度を上げて進路を北へと変えた。
その先に見えるのは、低く垂れこめた雲の下、瘴気に包まれた巨大な城。
魔王城が禍々しい威容を誇っていた。




