第439話 世界の修正力
聖女モカが“魔王防御無効化”スキルを使用したタイミングで、連合軍の大砲群が火を噴き、勇者サーカキスらの突撃によって、魔王ギンヌガープの巨体は大地に倒れ落ちた。
広大な戦場、何百万の魔軍と諸族連合が戦っていた極北の地は、一瞬静まりかえった。
うおおおおーっ!!!
怒号のような歓声が、息を吹き返した歓喜の声が、連合軍側からあがった。
魔軍の動きが止まった。
「「「え・・・」」」
俺とルシエン、エヴァは、“魔王をやったのか?”って、思わぬ展開に喜んでいいのか、むしろ少しうろたえていたかもしれない。
モモカは身じろぎもせず凝視している。
「・・・ゲージが消えた・・・っ!? 戻った!!」
「なんだって!?」
頭蓋を割られ、大地に倒れ伏した巨体は、赤い光の半球に包まれると、それが見る見る盛り上がり、溶けるように消えた。
するとそこには、これまでの戦いが幻だったかのように、傷ひとつ無い魔王ギンヌガープの巨体が直立していた。
歓声が止まる。
しかも・・・あの、封印の地で耳にしたようなシステム音声が、突然魔王の声であるかのように響き渡った。
《魔王ノ真体再生しすてむガ起動・・・調整ヲ完了》
「魔王の真体・・・そう聞こえたわ」
ルシエンのつぶやきに、俺もモモカも呆然とする。
「真体が無傷だと、もしかして倒しても無限再生するってことか・・・」
「やっぱり、モーリアの真体を倒す必要があるってこと・・・」
さらに、悪いメッセージはこれで終わりじゃなかった。
《本わーるどハ文明れべるガ設定範囲ヲ逸脱シタト判定・・・》
「な、なんだって?文明レベルが逸脱・・・」
「まさか・・・」
モモカが焦りを見せた。
《魔王ノ修正力しすてむヲ起動シマス・・・》
「しゅうせいりょく?・・・修正力か!?」
「・・・あれねっ、このことだったのね!」
モモカの視線の先にあったのは、先ほど魔王に手傷を負わせた大砲群だった。
「どういうこと?」
エヴァが問いを発したのと同時に、雷の逆みたいに、魔王の体から上空に向けて稲光のように、しかし赤いギザギザの光が伸びた。
それは厚い雲に達すると、雲全体が灼熱するように赤く凶々しく輝き、そして、その雲から赤い雷光が幾筋も、いや、数え切れないほど降り注いだ!
ピシャンッ、ドドドドーン!!!
その雷光は、まるで意志を持つ何者かが正確に狙いをつけたように、前線の後ろに並べられていた大砲群を全て打ち砕いていた。
一瞬遅れて火薬が誘爆し、さらに大きな爆発が連鎖的に起こった。
連合軍の中央前線付近が、猛火と阿鼻叫喚に包まれる。
それだけじゃない。
左翼前列に並んでいた1万丁もの鉄砲部隊が、真っ赤な雷の輝きに包まれ――――消滅した。
さらに、総司令部のすぐそばにも爆煙が上がっていた。
「あそこは・・・」
「もしかして、蒸気機関、か・・・」
実は今回、レムルス軍はガリスで開発中だった蒸気機関で動く装甲車両、要するに“蒸気駆動式の戦車”みたいなものを1両押収して、運んで来ていた。
まだ組み立てたばかりで、実戦で運用されたことが無かったものだ。
将兵でもごく限られた者しか存在すら知らなかったし、そもそも本当に役に立つのか総司令部でも半信半疑だった代物だ。
外から見えないように補給物資に混じって覆われていたはずなのに、そんなものまで大砲や鉄砲と共に、魔の雷をくらって消滅した・・・人知を超えたわざによって。
「・・・やっぱり、世界の“修正力”は存在したのね」
モモカだけは、半ばこれを予期していたようだった。
そう、サヤカとモモカが前回魔王と戦った200年前には、鉄砲も大砲も無く、ましてや蒸気機関も無かった。
文明レベルは、俺たちの元の世界で言えば古代ローマからせいぜい中世の前半ぐらいだったらしい。
ところが、いま俺たちがいるこの時代は、トーマス・ジェラルドソンという転生者のエンジニアが現れ、それをガリス公国のフート侯爵、つまり使徒ゲルフィムが積極的に支援したことによって、大航海時代から産業革命期ぐらいの技術が一部の分野でだけいびつに存在している。
『“中世風、剣と魔法の世界”を望んだ転生者(=元の世界で死んだ者たち)の集団意識が反映されて、22世紀の情報物理学によってこの世界が創り出された』
・・・そんなロマノフとモモカの仮説が正しければ、ジェラルドソンが持ち込んだ近代兵器は、このゲーム的世界のバランスを崩すものであり、要するにこの世界のシステムの禁則に触れたのだ。
だからこそ、世界のプレイヤーである俺たちの力を超えたところで、言わば運営の介入によって、ゲームの結果に影響を及ぼすような、中世のレベルを超えた文明の利器だけが取り除かれた・・・そういうことなのか?
「おそらく、そういうことだと思う・・・でも、今はそんなこと考えている場合じゃないわ」
そうだ。
今は戦の最中だ。
魔王が復活したことで、ぬか喜びだったと悟った連合軍将兵の士気は大きくくじかれていた。
それだけでなく、大砲の誘爆と鉄砲隊の全滅で、おそらく数万の兵が一瞬で命を奪われ、前線が崩壊している。
魔軍の方も魔王が倒れた時のあおりで少なからぬ被害は出ているが、魔王が立ち上がったことで再び勢いづいている。
このまま激突すれば、連合軍はこんどこそ持ちこたえられない。
その時、サヤカがカーミラとリナをパーティー編成して、転移魔法でドラゴンの上に戻ってきた。
「モモカっ、どうしようっ!?」
滅多に聞くことが無い、サヤカのうろたえた声だ。
「とにかく、全軍の動揺を抑えて、もう一度士気を奮い立たせるしかないわね。でないと・・・魔王と戦う以前に全滅するわ」
冷徹に前線を見つめながら、モモカがそう自分に言い聞かせるように口にした。
「次の魔王の咆吼は“全反射”で一度ならはじき返せるはず・・・でも、それだけじゃ兵を立ち直らせることはできない。一度全反射を使ったら、わたしはほぼMPを使い切るわ。どうしたら・・・」
俺はその時、奥の手を使うとしたらもうここしかないんじゃないかと思いついた。
「モモカ、これ使えるかな?」
「え?あ・・・」
俺がアイテムボックスから取り出したのは、充填しなおした“魔力ボンベ”だ。
かつてマジェラ戦争でゴーレム軍団を動かすのに使った、そしてこの出征に際して充填しなおした魔力の缶詰。
エルフの聖地キャナリラで得た、これ自体が“修正力”にかかりそうなほどのチート道具だ。
「そうか、アイテムボックスに入れてたから?それとも、これは魔法の産物であって、元の世界の科学技術じゃないから?いえ、それも今考えることじゃないわね・・・うん!これなら行けるかも。エヴァ、ドラゴンを魔王の正面へ、連合軍を守る位置へお願いっ」
それはギリギリのタイミングだった。
世界の修正力を発揮して近代兵器を消し去った魔王は、奇妙なことにその後しばらく、連合軍を攻撃することもなく立ち尽くしていた。
魔王自身にとっても、この世界の修正力を行使したのは自らの能動的な意志ではなかったのか?あるいはあれは、HPかMPを大量に使うスキルだったのか?
ひょっとしたら、“真体”が別にあることに気付いていない魔王は、倒れたはずの己が復活したことが、すぐには理解できていなかったのかもしれない。
だが、ようやく己を取り戻した魔王は、また先ほどのように、魔軍を狂騒状態にし、人類や亜人たちを絶望に陥れる魔の咆吼を放とうとした。
いや、放ったのだ。
《オオオオオオォォォォォォ――――――ッ!!!!!》
ただその寸前に、オラニエの飛翔によって俺たちは魔王の正面に回り込み、モモカが200年前、聖女V35になった時に習得した魔法、“全反射”を発動した。
大音量の魔王の叫び声はそのまま俺たちの耳を、そして心を貫いたから、最初は失敗したのかと思った。
だが、透き通るような淡い鏡のようなものが、サイズの制限など無いかのように魔王の正面に広く一瞬で展開し、魔王の放った魔力の暴風を受け止めた。
そして、何の力感も伴わないのにその暴風を180度反転させて、魔王へ、魔軍へとはじき返した。
これは、200年前の戦いで、魔王を封じる起死回生の逆転劇のきっかけとなった魔法だったらしい。
これを使い、魔王の渾身の攻撃をはね返して眷属たちをまとめて吹き飛ばした。
さらに、その攻撃の魔力を逆用して、勇者サヤカが“魔力崩壊”という魔法で魔王を自らの魔力で内向きに崩壊させ、加えてモモカは“無限封印”という魔法を重ねがけすることで、魔王を封印する“封玉”を生成したのだと・・・。
ともあれ、今俺たちの目の前で起きたのは、魔の暴風が魔王自身の体を激しく切り裂き、大地がえぐれ、まわりにいた魔物たちを吹っ飛ばしたってことだ。
魔王はそれでも倒れはしなかった。
おそらく200年前の決戦の時と違い、これは魔王の全力攻撃ではなく、あくまで人類を従えるための脅し程度の威力しか、(ヤツにとっては、だが)なかったからだろう。
攻撃が弱ければ“全反射”したダメージも小さい。
ただ、それでも魔王にある程度のダメージは与えたらしい。
あるいは、魔王の本能に、かつて封印された時の忌まわしい記憶が刻まれていたからかも知れない。
全反射をしのいだ後、魔王の体は復活したときのように赤く光る巨大な球体に包まれていき、それが晴れた時には姿は消えていた。




