第438話 魔王降臨
ピシャーンッ!ゴゴゴゴ・・・バリバリバリバリ!!!
ドド――――ンッ!!!!
誰も経験したことがないような、強烈極まりない雷が落ちた。
魔軍数百万、人類と亜人の連合軍数十万が死闘を繰り広げていた戦場のまっただなか。
いや、正確にはその中でも前線よりかなり魔王城に近い側、魔軍がほとんどの領域に。
だから、その雷は敵味方お構いなし、という以上に魔物をずっと多く、それこそ数え切れないほどを一瞬で蒸発させ、大地はもうもうと土煙に包まれた。
だが、前線に立つ人類側も、エルフのような特別な視力を持たない者でも、その存在がはっきり見えるほど、それは巨大だった。
土煙が拡散するにつれて、戦場の誰もが息をのみ、金縛りのように動きを止めた。
「あ・・・あれは」
「ま、まさかっ・・・」
最初に天高く土煙の上に突き出しているのが見えたのは、ねじくれた巨大な角。
そして、黒々とした溶岩の塊のような顔に左右三対の赤い筋状の眼がギラギラと輝き、鋭い無数の牙が生えた口からは赤い舌がチロチロと蛇のようにくねる。
四対のかぎ爪の生えた腕、鱗に覆われた漆黒の体、とがった爪を持つ足、竜のような尾・・・
魔王が降臨した。
使徒ユーディが死の間際に、魔力の全てを注ぎ込んで魔王城から召喚したのだ。
その足下にはクレーターのように深い穴が広がり、それでもなお、戦場より遙か高くまで聳え立つその巨体。
モモカとサヤカは全長100メートルぐらいあった、と言っていたけど、もっとデカく見える。
そして、全身が赤黒いオーラのようなあやしい光に包まれ、単なる大きさ以上の圧倒的なエネルギーを内包しているように感じる。
<ギンヌガープ 魔王>
ステータスは、モモカが言っていた通り、ただそれだけが表示された。
ダメ元で“情報解析”スキルを発動し、なにかわからないか念じる。
俺たちはユーディを追って最前線からかなり魔軍側に入ったところを、魔王城に向かってドラゴンを飛ばしていたから、魔王が出現した所まで1kmもなかっただろう。
だから、そのままファイアドラゴンのオラニエを魔王に向かわせる。
《モーリア坑道の“真体”を破壊する計画は目処が立たなくなっちゃったけど、でも、ここで放置はできない!やるよっ!》
先行して飛翔するサヤカの遠話に、モモカがドラゴンの背で魔王を見すえ、精神を集中する。
聖女の固有スキル“魔王防御無効化”を発動しようとしているのだろう。
だが、それより魔王の動きが早かった。
《オオオオオオォォォォォォ――――――ッ!!!!!》
その咆吼は、広大な戦場、結界に閉ざされた空間の全てに響き渡り、揺さぶった。
ただの声ではなく、それは全方位にあふれ出る魔力と瘴気の爆風となって戦場を吹き荒れた。
巨体のドラゴン・オラニエが木の葉のように舞い、飛翔していたサヤカとリナが視界から消えた。
「サヤカ――――っ!!」
白い光点は消えてはいないが、その姿は俺たちの視野から消えた。
そして、眼下の戦場では恐るべき変化が起きていた。
魔物という魔物が叫び声をあげ、熱狂し、狂騒状態になって連合軍へと突撃を始めたのだ。
ゴブリンも、ゴーレムも、地竜も、魔族もない。
全てが狂ったように。いや、狂っているのだ、まさに魔王の魔力を浴びて。
そして、人類と亜人たちは恐慌状態に陥り、絶望の暗闇に捕らわれていた。
最も勇敢で気高い者たちでさえ、その瞬間脚がすくみ、剣を持つ腕は力なく垂れ下がった。
聖女と共にあり、その祝福とありったけのバフに守られていた俺たちでさえ、心臓をわしづかみにされたような恐怖を感じたのだから。
そして、狂騒状態の魔物の大群と共に、魔王もまた連合軍に向けて突進を始めた。
足下の無数の魔物を平気で踏み潰し蹴散らしながら。
なんとかオラニエを立て直し墜落を免れた俺たちを、置き去りにして。
《・・・ま、けな、い》
切れ切れの遠話が聞こえた。
眼下からサヤカが、人形サイズに戻ってスリープ状態になってしまったリナを片手につかんで、フラフラと舞い上がり、それでも消えない闘志を奮い立たせて、かすれた声でそう叫んだのだ。
今にも失速し、墜落しそうになっているサヤカのすぐそばにドラゴンを寄せて、その上から手を伸ばし、サヤカの手をつかむ。
必死に抱き寄せた。
モモカがすぐに治療する。
リナを受け取り、俺のMPを流し込む。
「・・・あり、がと・・・行こう、魔王を」
「え、ええ、そうね。止めなきゃ」
エヴァがオラニエを励まし、俺たちも一度は萎えかけた戦意を奮い立たせて魔王を追う。
魔王の巨体の突進は速い。
見かけと裏腹に決して鈍重ではない。
魔力の嵐にあおられたオラニエがまだ本調子でないとは言え、容易に距離が縮まらない。
そして、その魔力の余波によって転移魔法もいまだ使えそうにないから、このまま追うしかない。
魔王の突進とあわせて、狂騒状態の魔物の群れが大波のように連合軍陣地に殺到していく。
俺の視力ではよく見えないけど、あれを今の、打ちひしがれた人間たちが支えられるとは思えない。
焦燥感に駆られる俺たちに、しかし、声が届いた。
「え・・・ええ、わかった。頼むわ、私たちも大丈夫、すぐに戻るから!」
「ルシエン?」
精霊の声がルシエンに届いたらしい。
「父・・・ルネミオンから。ハイエルフとエルフが手分けして、将兵にバフをかけなおしている。必ず心を立て直させるから、あきらめるなって・・・」
ウェリノール勢、大森林地帯のエレウラスと配下のエルフたち、そしてウリエル山脈のダークエルフたち。
かつてガラテア遺跡で、俺たちがダズガーンの放つ「魔の地鳴り」によって絶望の闇の中に捕らわれかけた時、ただ一人平常心を持ち続けていたルシエンが“心の守り”を唱えて目覚めさせてくれたように、いま東西のエルフ族が力をあわせ、連合軍の将兵に精神防御の魔法をかけて回ってくれているらしい。
エルフやダークエルフたちは、長い歴史の中で魔族との戦いの記憶を受け継いでいるからか、もっと体質的なものなのかはわからないが、魔の波動への耐性が人間より強いのかもしれない。
いずれにしても、これでしばらくは前線が持ちこたえられるかもしれない。
「よし、とにかく全力で魔王に一撃入れる!それで流れを引き戻すわ!」
サヤカが武者震いする。
「わかったわ、“魔王防御無効化”は、魔王に数百メートル以内には近づかないと効かないから、オラニエをギリギリまで近づけて」
「ええ!」
「カーミラも行くよっ」
ようやく調子を取り戻したオラニエの羽ばたきが力強さを増し、ぐっと距離が縮まる。
魔王は俺たちに気付いていないのか、相手にしていないのか・・・あれか!
連合軍が短い時間の間に統率を取り戻して、魔王に向かって一斉に大砲を放ったのだ。
俺たちは巻き添えを食らわないよう、高度を上げる。
なんと!大砲弾の直撃をくらったはずなのに、その瞬間魔王の体が赤黒い光に覆われ、まったくダメージが無い!
これが魔王の絶対防御か。
俺は総司令部に遠話を飛ばす。
《ツヅキ卿か!いまどこだ!?・・・あのドラゴンか!》
バイア元帥に直接つながった。
《今から聖女が魔王の防御結界を破るっ、そのタイミングで一斉攻撃をっ》
《なにっ・・・わかった!!》
さすがに話が早い。
「・・・魔の守りを砕かんっ!!」
モモカの体が白い光の繭に包まれ、そこから発した細い閃光が一直線に魔王に飛んだ―――― 《パリン!!》
幻音が、おそらく俺たちだけで無く、魔法資質を持つ全ての者の脳裏に届いただろう。
かつて、あの封印の地で、魔王を封じる結界が破れた時のように。
《一斉砲撃、放てッ!!!》
バイア元帥の遠話が飛んだ直後、これまでを上回る轟音が轟き、大砲が一斉に火を噴いた。
俺たちは魔王の背ごしに正面で見る位置だからおっかない。
ドドンッ!
激しい着弾音と共に、魔王が土煙に覆われた。
赤い光点は消えない。
そうだろう、絶対防御が無くなっても、これで魔王を倒せるとは思っちゃいない。
「行くわ!!」
「おけー!」
サヤカとリナが飛翔し、砲弾の第二射に巻き込まれないよう、「上」へと舞い上がった。
オラニエはさらに魔王を包む土煙に接近する。
カーミラがドラゴンの背で狼化していく。ホムンクルス化した専用セラミック鎧がその形に合わせて変形し、攻防一体の武装になっていく。
「ウオオオーンッ」
高らかな叫びと共に、巨大化した銀色の狼が“跳躍”スキルで100メートル以上の距離を飛び降りた。
煙の中から、魔王の体が見えてきた。
やはり倒れたりはしていない。
だが、手傷は負わせているようだ。なにか、青黒い体液のようなものがしたたり落ちている。
「・・・HPが減ってるわ、人類軍の攻撃も効いている!」
モモカが魔王の体を凝視しながら言った。
<アクセス権LV9“表示データ拡張”>のスキルを使って、ゲージ状に表示される魔王の能力を見ているらしい。
「わずかだけど、ゲージの色が変わってる部分がある。それに・・・MPも消耗している。あの魔の咆吼はそれなりにMPを喰うんだわ。なら、無制限に使うことはできないはず!」
200年前の戦いでは見られなかった魔王のデータを把握できるようになったことで、手応えを感じているのか、昂揚した声だ。
そして・・・
《“急所看破”“貫通攻撃”・・・“光閃剣”!!》
《貫けっ、“魔槍”!》
《“貫通攻撃”ッ!》
ねじれた角と角の間、まさに魔王の頭上めがけて3人が突入した。
激しい閃光がきらめき、はじけた!
巨体がゆっくりと・・・大地に倒れ落ちた。




