第434話 アルフレッド皇太子の決断
俺たちが総司令部近くの天幕で目覚めたのは、もう昼近くになってからだった。
相変わらず霧に包まれたあたりは暗く、時間なんてまるでわからないが、総司令部には時計の役割をする一種の魔道具もあるのだ。
ゲルフィムとユーディ、二体の使徒と連戦してどちらも取り逃がした後、俺たちはエヴァとルシエンに合流した。
率いる使徒を失い、さらに新たな魔物の出現も止まったことで、魔物にとって有利な夜中の戦いでありながら、連合軍は優勢に戦いを進め、この朝までにほぼ全ての魔方陣の破壊に成功したらしい。
もっとも、戦闘が順調に推移していることがわかった段階で、俺たちは引き上げ、モモカとカーミラと交替して仮眠に入ったから、結果は後で聞いた話だが。
目覚めると、俺たちがモモカに報告しておいた情報は、連合各勢力の首脳に共有され、その結果色々なことが判明していた。
あのろくでもない魔人使徒ユーディ・クミンスクは、プラト公国の伯爵だったらしい。
優れた魔導師として軍部で頭角を現したものの、当時の公妃の不倫相手と噂され、それだけでなく数十人の有力者の妻や娘を手込めにしたとか、黒い噂が絶えなかった男だと言う。
そしてユーディに操られた公妃はイスネフ教に入れあげ、これがプラトのクーデターの引き金にもなったそうだ。
ユーディは元々魔女ヴァシュティによって魔人化し、その意に沿って動いていたようだから、つまりはプラトのクーデター、亜人戦争の北部戦線自体がヴァシュティの手のひらの上で踊らされていたとも言える、とわかったのだ。
そして、ゲルフィムについても新たなことがわかった。
俺が“情報解析”スキルで見た、「アンゲリオス・フート(ドナルド・ミカミ)」という謎表示の意味だ。
ドナルド・ミカミというのは、やはりイシュタールの預言者の本名だったらしい。
預言者は素性を極秘にしていたが、パルテア帝国情報部がつかんでいたのだ。
転生者だったとの未確認情報もあるが、名前からすると日系ハーフの可能性もあるな。
そしてミカミは、亜人戦争末期までイシュタールの絶対的な権力者として君臨していたが、魔王復活の前後から活動が確認されず、行方不明になっている。
狂信的な戦いぶりで知られたイシュタール軍も、そのよりどころである“神の代理人”を失ったことで急速に弱体化し、今や神都イシュタールは、パルテアと南方のジプティア王国の連合軍によって陥落させられるのが時間の問題になっている。
「ゲルフィムは、ミカミという預言者を“食べた”のか精神を乗っ取ったのか、いずれにしても何らかの形で自らの一部として取り込んでしまったのだ、と思うわ」
モモカはそう結論づけた。
実際、使徒レブナントとかは喰らった相手の能力を得ていたわけだし、モモカによると200年前の上級悪魔にもそうした能力を持つ者がいたから、ゲルフィムにできても不思議は無いらしい。
なんとなく、前回戦ったゲルフィムと今回相対したフート/ミカミには、うまく言えないけど何かが違う感じがした。
それも、レブナントの日記からわかったように、取り込んだ相手の性格などの影響も受けると考えれば、説明がつく。
問題はミカミがどんな能力を持っていたか、だ。
イシュタールの預言者の言葉を聞いた者は、即座にその言葉を信じ込み熱烈な信者、文字どおり狂信者になった、と言われる。
もしゲルフィムがそんな、魅了と言うのも生ぬるい力を手に入れていたとしたら危険極まりない。
今回の対決では、不意打ちみたいな形で深手を負わせてすぐに逃げられたから、そうした能力はわからなかった。
パルテアの情報部は、ミカミと接触する際は“耳栓”持参という古典的すぎる対応をしていたらしいが、ミカミの失踪前後に潜入したあの上忍ハトーリ・ハンツが生きて帰らなかったことから、この対策で十分なのかは未確認だ。
もっとも、ゲルフィムがミカミを取り込む現場に鉢合わせしたのだと考えれば、あのハンツが生還できなかったことにも、納得はいく。
ともあれ、次に対峙する時には十分注意が必要だろう。
もう一つ、重要な、そして残念な報告があった。
この朝までに、連合軍はほぼ全ての魔方陣を破壊したが、それでも俺たちを封じ込めている結界は破れなかった。
その点では、ユーディの言っていたことは嘘では無かった。
あの使徒のべらべらよく喋る口が、どこまで真実を語っていたのかはわからない。
だが、ハイエルフたちが“観相”スキルを駆使して調べた結果によると、この土地の地下に龍脈が走っていて膨大な魔力が利用できる可能性は、たしかに否定できないらしい。
「実際、200年前には龍脈の弱い支脈しか見つかっていなかったけど、当時の魔王の根拠地もその魔力の豊富なところに造られていたからね。ヴァシュティが目覚めた後、まず龍脈探しをしていた可能性はあると思う」
俺と同様、昼近くになって目覚めたサヤカも、同じ見方だった。
ただ、これは何とかしないと非常にまずい話だった。
魔王軍はこれで俺たち、人類をはじめ魔王と戦う意志を持つ諸族の連合軍を、完全に1か所に閉じ込めることができているわけだ。
このまま補給物資を消費し尽くして飢え死にするまで放置することもできるし、そもそも、この間に無防備になっている世界を思うままに蹂躙できるのだ。
さらに、俺たちが知った、魔王の真体=魔神の霊魂の問題もある。
計画では、俺たちパーティーがこの地で魔王の肉体と戦うのと並行し、ドワーフ王オデロンの血を引く者らが封印の地のモーリア坑道地下深くに突入し、魔神の霊魂を破壊することにしていた。
シクホルトで待機しているオーリンの次男アドリンらのパーティーに、俺かリナのどちらかが同行する予定だったのが、このままではシクホルトに行くことができないどころか、連絡さえも取れないのだ。
だから俺たちとしてはなんとしても、この封印結界を破り、魔王軍を倒さなくてはならない。
そういうわけで、カテラの高僧たちや、魔法研究では大陸随一の歴史を持つと言われる都市国家アダンの魔導師たち、そして東西のハイエルフたちが、今手分けして俺たちをぐるりと囲い込んでいる結界の状態を調べ、綻びを見つけようとしている。
モモカとルシエンも各国首脳への報告や対処方針を話し合った後で、調査に参加していた。
俺たちが目覚めたことを知って戻ってきたところだった。
「二人とも今のうちにちゃんと休んでおいた方がいいんじゃないか?次いつ戦いになるかわからないし、夜眠れるとは限らないんだしさ」
俺がそう言ったのは、なにか具体的な根拠があったわけじゃないし、俺たちだけ昼まで寝ちゃってて申しわけないって気持ちも働いていた。
でも、それは結果的に正解だった。
モモカもなにか思うところがあったのか、素直に「そうね、ルシエン、休ませてもらっとこう」と言いだし、天幕に入った。
事態が動いたのは、相変わらず晴れない霧の中、そろそろまた暗くなってきた頃だった。
***
「なにっ、見つかったか!」
「はっ、北辺の調査をしていた大森林地帯の亜人隊から報告があり、確認したカテラのアッピウス僧正からも、間違いないと」
「ただちに各国首脳と連絡をとれ!急ぎ方針を決める」
総司令部が慌ただしく動き出した。
連合軍が進軍していた前方にあたる北辺は、一際濃い霧に覆われていた。
封印の地の“お鉢巡り”の時のような、強い瘴気も混じっているのを感じる。
案内されなければ多くの者が道に迷ってしまいそうな、低い岩と湿地が迷路のようになった先に、カテラの僧侶段と東西のハイエルフたちが各国首脳を待ち構えていた。
エレウラスに伴われて、オオツノジカの背の上で半ば意識を失っているように見える緑色の少女=精霊王の御子の姿もあった。
結界の綻びを察知したのは精霊王の御子だったと言う。
エレウラスによると、御子は昨日から魔王の結界に閉ざされ森とのつながりを断たれたことでずいぶんと衰弱しているものの、それゆえにこそ感覚は常以上に鋭敏になっているそうだ。
「ここだけは他の外周結界とは明らかに異なり、もともともっと大きな結界が向こうに広がっている所に、後から言わば内壁をもう1枚こしらえたように見受けられます」
アッピウス僧正が首脳陣に説明する。
自らも結界魔法などを使える者は、程度の差こそあれ結界の強さを感じ取れるようだ。
「僧正、ここなら破ることは可能なのですか?」
アンキラ軍を率いる王弟、ラーミン公爵がそう尋ねる。
ラーミン公は商人ジョブを持つ非戦闘職ということもあって、戦闘指揮自体は将軍たちに完全に委ねているが、49歳と今回従軍している各国首脳の人間族の中では最年長でもあり、なんとなく多くの者が抱く疑問を代表して口に出してくれる役柄のようになっていた。
「確実とは言えませんが、他の外周結界はどうやっても破れそうに無いのに対し、ここならおそらく可能でしょう」
「言葉を変えれば、現時点で突破口はここにしか無いと言えますね」
アッピウスに続いて、都市国家アダンのカサンドラ副議長が発言した。
彼女は魔導師LV27で、魔法研究者としても名高いらしい。
研究者として旧知の間柄だったらしい、パルテアのベハナームが頷いている。
「ただし、この向こうが“外”につながっている保証は無い」
そう口を開いたのは、霧の中に半ば同化するように、それまで存在感が薄かったハイエルフ。ウェリノールのノルディルだ。
たしか彼は400歳とか500歳とか、掛け値無しの最年長者だな。
「この瘴気の漏出から見て、間違いなくこの先は魔王の本拠地へと向かう道筋であろう」
ルシエンの父ルネミオンらを従え、ノルディルが抑揚を欠いた精神に直接響くような声でそう話すと、首脳たちの間に緊張が走った。
連合軍は昨日からの戦いで、総兵力の2割にあたる10万近い死者・重傷者を出し、メウローヌのシャルル王太子も還らぬ人となった。
だが、この先はそれ以上の修羅場になるだろう。
そのことを言葉には出さないものの、みんなが理解していた。
「それでも、行くしかあるまい。もともと魔王軍との決戦のために我らはこの北の最果てまで来たのだ」
尚武の国イスパタの戦士たちを率いる大男、クレオネメス将軍がそう明言した。
「とは言え、用心には用心をすべきだろう。もう夜も近い。夜戦になれば魔軍の有利は否めぬし、間違いなく罠を張っておろうからな」
慎重論を唱えたのはアルゴル王国勢を率いるフェルディナンド公爵だ。
彼は<文民LV18>と非戦闘職だし、自国の内戦収束に協力してくれたシャルル王太子の死が、少なからぬ動揺を与えているようだ。
人々の視線は、東西両大国、レムルスとパルテアの首脳たちに向けられた。
「ベハナーム元帥、どう思うか?」
アメストリス皇女に問われ、ベテラン魔導師は慎重に言葉を選んだ。
「・・・こちらが今、踏み込まないことを選んだとして、魔王軍が兵糧攻めをとるとは限りませぬ。今夜、あるいは魔軍側にとっての最も有利となる時を選んで、結界を向こうから解除し攻勢をかけてくる可能性も考慮すべきと愚考します、皇女殿下」
「なるほど、戦機をどちらが選ぶか?という視点は重要よの」
そのやりとりを聞いて、レムルスのバイア元帥が考え方を整理するように述べた。
「この先に魔王軍が待ち構えているとして、我らが魔王を倒す戦略目標を持つ以上、いずれにしても戦わねばなりませぬ。それが今からか、今夜か、明日以降か、いずれが相対的に我が方の勝率を高めるか、ということになりますな。勇者殿、聖女殿のお考えも伺いたいが?」
サヤカとモモカは、発言を求められることを予想していたようだ。
考えてみれば当然だ。
200年前の魔王軍との大決戦を経験しているのは2人だけなんだから。
アイコンタクトを交わして、モモカが先に口を開いた。
「200年前に比べ、今回の魔王軍は思考がより人間的と言いますか、人類や諸族の動きを推しはかって手を打っているように感じます。ゲルフィムやヴァシュティといった人間の中に混じって情報を得てきた使徒の働きがあったからでしょう。ですから、この先にも何らかの策を用意しているのは確かでしょう。とは言え、バイア元帥がおっしゃったように、この結界を破り踏み込まなければ状況が良くなることが無いのも事実です」
そして、サヤカが、いや勇者サーカキスが凜とした声で言った。
「こうしている間にも魔軍が国々を襲い人々の命が奪われているかもしれません。止めることができるのは私たちだけです。万全の準備をした上で、こちらのタイミングで主導権を持って乗り込むべきでしょう」
その言葉に、エルザークのヤレス王子、モントナのタクソス公子らが、我が意を得たりとばかりに頷いた。
そして、総大将であるレムルス帝国アルフレッド皇太子が口を開いた。
「日没までは?あと1刻半あるのだな・・・では、速やかに戦闘態勢を整え、半刻後に結界を破り進撃したい。異存はおありか?・・・では決定する」




