第392話 魔王軍の尖兵④ チラスポリ籠城戦
「ウラドーは逃亡しただと!許せぬっ」
チラスポリの城館に設けられた司令部。
激戦の末にようやく撤収を終えた各国首脳はそろって険しい表情だったが、中でもメウローヌのシャルル王太子は激怒していた。
無理もない。
オークの大群に包囲されかけた最右翼の自由都市ラボフカの騎馬隊は、他国に何のことわりもなく戦場を離脱。おまけに、敵の目をそらすため、となりのメウローヌ勢を盾に使って、自軍が相手をしていた魔物の群れまで押しつけていったのだ。
その結果、精鋭の騎士を揃えていたメウローヌ軍も、初日で兵力の1割以上を失った。
そして、ラボフカ勢も、オーク軍の包囲からは逃れたものの、いったん軍を退いて再編していたオーガロードの軍とぶつかって大被害を出したらしい。
自業自得と言えるが、人類連合にとってはさらに悪い結果だ。
しかも、ラボフカ勢を率いる領主ウラドー・ニレジュは、責任を問われるのを恐れてか、そのまま連合軍全体の行動からも勝手に離脱し、わずかな側近だけを従えて、戦場から消えてしまったのだ。
いくら軍紀とか近代法とかに無縁な遊牧民とは言え、身勝手過ぎる、と思ったのは俺だけじゃ無く、こっちの世界の常識に照らしても論外だったようだ。
レムルスとエルザークは、先日救援したウラドーからの恩を仇で返す行為に対して、ラボフカの統治権を剥奪する、と宣告した。
敗残のわずかなラボフカ騎馬兵たちは、レムルス軍が預かることになった。
残った首脳は、戦略の立て直しを余儀なくされていた。
まず、魔軍の数があまりに多いこと。
そして、良くも悪くもそれがあまり組織化されておらず、敵軍の中枢がはっきりしないこと。
これは会戦で指揮系統を潰して一気に決着をつける、という方法が採れなくなったことを意味する。
「きょう戦った印象では、それぞれの種族、それぞれの群れが勝手に“獲物”を襲っているかのような印象でありましたな。勇者殿、聖女殿、200年前の戦いではどうでしたかな?」
バイア元帥の質問にサヤカとモモカは顔を見合わせた。
「この規模の戦いになると、通常は使徒クラスの眷属が魔王軍を率いていました。その使徒のタイプによって必ずしも、緻密な作戦などは用いないこともありましたが、それでも圧倒的な力による恐怖で魔物たちを支配していた、と記憶しています」
サヤカの言葉に、各国の王族、将軍たちがそろって頷いた。
それは諸国の古文書にも書かれている魔王軍の戦い方に一致していた。
エルザークのコルネリス王太子が、ミハイ将軍と視線を交わしてから問題提起した。
「まだ後続に指揮を執る高位の眷属がいる可能性はあろうから油断はできぬが、左翼の印象でもバイア元帥の言う通り、今回の各種族には統一した指揮系統が無いように見える。だとすれば、魔王軍の狙いはなにか?いや、魔王にそのような思考があるのかもわからぬが・・・」
それに答えたのはモモカだった。
「あの魔王自体は細かい策を自ら弄するタイプではありませんが、高い知性を持ち意味の無い行動はまずとりませんでした。それに現在は使徒ゲルフィム――――ガリス公国の貴族になりすまして人間社会で生きていたそうですが――――あの使徒が魔王の元に合流している可能性が否定できません。“奸智の冠”と呼ばれたあの策士がついているならなおさら、一見愚策と見えるこの戦い方にも狙いがあるはずです」
俺たちパーティーは、この席に来る前に既に考えをやりとりしていた。
「・・・考えられる狙いの一つは、あえて各種族の魔物に手柄を競わせ、そこから成り上がる新たな使徒を生み出そうとしている可能性です」
「あらたな使徒、ですと・・・」
各国王族が息をのんだ。
「ええ。魔王は自らの血を分け与えることで、他の魔物と一線を画する強力な力を持つ使徒と呼ばれる存在を創り出すことが出来ます。ただ、低レベルの魔物は魔王の血を受けた途端に、それに耐えられず即死すると聞いたことがあります。だから、人類連合に魔物たちをぶつけ、候補となる魔物のレベリングを行っているのかもしれません」
「な、なんだと・・・」
この説明には、歴戦のバイア元帥まで言葉が無かった。
かつて魔王には13体の使徒がいたらしいが、200年前の戦いで7体、そして今回2人が目覚めてから3体を倒しているから、現存するのは3体まで減っていることになる。
大陸全体を征服するには手足が足りない、と魔王が考えても不思議は無いだろう。
「・・・聖女殿は、他にも狙いがあると考えておいでですか?」
けれど、異なる視点からの質問の声もあがった。
全身に負った傷の治療を受け、それでも杖をついて参加しているモントナ公国のタクソス公子だった。
「はい。もう一つ考えられるのは・・・“時間稼ぎ”かもしれません」
モモカは顔を曇らせて答える。
「時間稼ぎですと!いったい、なんの?」
声をあげたのは、シャルル王太子の下でメウローヌ軍を率いていたオーギュスト将軍。半分白くなったひげをおしゃれに整えた初老の男で、魔導師LV29だ。
「低レベルの魔物でも、魔王の一種のバフを受けることで急激にレベルアップし強力になります。そして使徒や眷属も、単独行動の時以上の力を発揮できる。つまり、魔王としては、できるだけ多くの魔物と、それ以上に使徒を呼び集めたいのです。その時間を稼ぐための捨て石、という可能性もあるかと・・・」
確認されている使徒は、パルテア帝国にいる“魔王の爪牙ダズガーン”と各地に出没しているフート侯爵ことゲルフィム。
そして、もう一体強力な魔物が、北東のゲオルギア王国に出現したとの情報があった。
ただ、エルザークの南のマジェラ王国や、西のアルゴル王国でも大量の魔物が発生しており、使徒はそちらにいる可能性もある。
そうした使徒の合流する時間を稼ぐため、だとすると、ここの戦いで俺たちが足止めされているのはまずい。
「・・・とは言え、現在の戦況で勇者殿、聖女殿に抜けられるのは痛い。きょうの戦いでもお二方の隊がいなければ、タクソス殿も助からなかったでしょう」
だが、ミハイ将軍の懸念ももっともだった。
「なるべくなら短期決戦・・・とは言え、現状それはもはや難しいであろうな」
レムルス軍の名目上の総大将であるジークフリート皇子が、実質的な指揮官であるバイア元帥に視線を向けた。
「そうですな、殿下。きょうの戦いによる損耗は、総兵数で見れば9万のうちの5千程度ですみましたが、騎兵の損耗は甚大にございまする・・・」
短期決戦に持ち込むには、野戦で機動力を発揮し陣形を自在に動かせる騎兵が重要だ。
ところが今日の戦いで、メウローヌとラボフカの騎兵の多くが失われたのだ。
しかも、魔軍はきょう1日で2、30万を失ったとは言え、未だ百万近い兵力があるはずだ。
「受け太刀になるが、やはり籠城しか無いか・・・」
各国首脳は、そう結論づけるしかなかった。
***
その晩、夜空を月や星の明かりも見えなくなるほどの吸血コウモリの大群が覆った。
強力な物理結界に加え、聖女モモカの“滅魔”の魔法を城壁に張り巡らせたことで侵入されることはなかったものの、元々の住民に加えて9万近い軍勢を受け入れたチラスポリの街は、緊迫の夜を過ごした。
翌日からの攻勢は、さらに激しさを増した。
オークやオーガの上位種の軍勢に加え、遅れて城攻めに加わったのは、身長5メートルを超えるトロルの群れだった。
動きがのろく知能も低いものの、体重は数トンはあるだろう。
巨体のトロルは数こそ百体ほどだったが、岩を投げ、巨大な棍棒で撃ちかかり、城壁が何カ所も破壊された。
戦いは消耗戦の様相を呈していった。
そして、空からもさらに強力な敵が現れた。
悪魔族だ。
使徒ほどではないが、LV30の上級悪魔に率いられた下級悪魔の群れが、城市を覆っていた結界を破り、モモカの“滅魔”に低レベルのものは消滅させられながらも、ついに空からチラスポリの市街に突入してきたのだ。
飛翔の魔法で飛ぶサヤカとリナ、ワイバーンにエヴァと2人乗りしたモモカの活躍でようやく撃退に成功したが、上級悪魔にはとどめを刺すことが出来ず、取り逃がした。
***
十日後、レムルス帝国から増派された兵力7万の第二陣がようやく到着し、ついに魔軍を打ち破ることができた。
しかし、魔軍は壊滅したわけではなかった。
いくつかの種族は、まるで任務は果たしたから撤収する、とでも言うかのように整然と東へと去った。
少なくとも10万のオーク族、そして数十体の下級悪魔を従えた上級悪魔は健在なままだった。
 




