第384話 世界に関するロマノフー如月仮説①
シクホルト城塞の一室で、使徒レブナントこと転生者南部徹の日記を読み終えたモモカは、俺とサヤカに話し始めた。
200年前の私たちのパーティーの賢者ロマノフは、それ以前に魔王軍との戦いで斃れた先代勇者のパーティーにもいた人だって話はしたよね。
ただ、その前、つまり転生前の元の世界では、ウラジミル・ロマノフ博士は22世紀のロシア出身の情報物理学者だったの。
色々びっくりだと思うけど、まず22世紀。そう、私たちより100年ぐらい未来から来たのね。
それと、“情報物理学”っていうのがわからないと思う。私も知らなかった。だって、私たちしろくんより4年前に死んだんだし、まだ高1だったから。
でも、そもそも私たちの時代にはまだ一般的でなかった学問だと思う。
“情報生物学”とか“バイオ・インフォマティクス”っていうのは知ってる?さすがしろくん、聞いたことあるんだね。
バイオ・インフォマティクスは、コンピューターを使ってゲノム、要するに遺伝子情報を詳しく解析して、生物の進化とか、体の機能を遺伝子と紐付けて解明していくような分野だよね?
それまでの生き物を観察して調べる生物学とは、まるで違ってた。
で、ロマノフ博士の専門の情報物理学って言うのは、言わばその物理学版だって彼は言ってた。
そう言われてもよくわからないけど、イメージとしては量子コンピューターを駆使して、情報次元に仮想世界を創り出して、そこで色んなシミュレーションを行うような・・・いや、ちょっと違うかな。
彼が言うには、それは仮想世界ではなくて、本当に存在するもう一つの世界、らしいから。
うん、サヤカも当時この辺でもう理解を放棄しちゃったから、私一人の解釈でどこまで正確かわからないけど、この情報物理学のベースにあるのが、21世紀後半から急激に発達した「複素宇宙論」と「並行世界仮説」なの。
並行世界仮説の方がわかりやすいかな。
SFでよく出てくるパラレルワールドのことだと思えばいいから。要するに。
私たちの住む世界に、重なり合って無数のよく似た世界がある。
巨大な災害がもたらす結果から、私たちの行動の選択まで、違いを生み出すIFの先には無数に分岐する様々な世界がある。
それは、「可能性があった」ではなくて、本当に確率に応じた存在量的な意味で、「実在している」世界なのだってこと。
で、それを科学的に裏付けることになったのが、「複素宇宙論」ね。
これは、私たちの世界は「縦・横・高さの3次元+時間=4次元」っていう、古典的な時空の概念を拡張して、全ては複素数で記述できるって理論。
複素数は、受験生だったんだしわかるよね?
虚数iと実数とをあわせた複素数、ってあれね。iは2回かけるとマイナス1になるような数。
簡単に言えば、複素宇宙論は、私たちの世界は「縦・横・高さ・時間」のそれぞれに実数と虚数の部分がある、4次元が2組、考えようによっては8次元だって考え方。
私たちの時代にも、既に時空は10次元だとか11次元だとか、超弦理論とかって物理学の分野では議論されていたよね。
私は科学オリンピックに出るのに集中講義を受けたりしたから、なんとなく基礎は知ってたけど、しろくんは?物理選択?聞いたことはある?・・・うん、とりあえずそれで十分。
で、22世紀にはこの世界は複素次元で出来てるってことは、ほぼ定説化してたそうよ。
鍵になったのは宇宙論との融合。
ダークエネルギーって聞いたことある?おーけー。宇宙を膨張させている謎の力。私たちの時代には、その存在は疑いようが無いのに、正体はまったくわかってなかったわよね?
でも、複素物理学ではこれが説明できた。
この世界が複素数で出来ていて、私たちが直接見たり触れたり出来るのが実数部分。
そして、実数の物質やエネルギーは、一定の比率で、素粒子の崩壊現象のように虚数の物質やエネルギーへと転換されている。もちろん、虚数物質も一定比率で実数空間へと転換される。
だから、実数時空の物質やエネルギーが虚数時空へ転換され、さらに実数時空へ再転換されれば、それは実数世界に再び出現する。ただし、この時、iが2回かけられることになるから、再出現する物質やエネルギーはi×i=-1という符号がつく。
つまり、重力は「マイナスの重力」になってこの宇宙に再出現する・・・そう、つまりこれが「ダークエネルギー」の正体ってわけ。
すごいでしょ?
目からウロコって言うか、初めて聞いた時、私“なんて美しい理論だろう!”って感動したわ。
(ゴホンゴホンっ)
はいはい、わかったわよ、サヤカ。ちょっと脱線したね・・・
ともかく、宇宙の歴史とそこから導き出される物質・エネルギーの総量、そして複素時空の転換率を適切に仮定すると、現在の宇宙の加速膨脹がキレイに説明できる、ってことがわかって、この複素宇宙論は正しいってことが専門家の間では合意された。
で、ここから導き出されたのが、私たちの世界には、同じ実数の座標のこの場所にも、虚数部分が異なる無数の世界が重なって存在出来るってこと。
それは、もうひとり、もう百人の如月桃香がちょっとずつ違った人生を生きているってこと。
ここまではいいかな。
ごめんね、ここまでは前提条件で、本題はここからなの。
つまり、この私たちが今いる、剣と魔法の世界は何なのか?ってこと。
ここからは22世紀の世界でも合意された事実では無く、ロマノフ博士の仮説よ。
私は今回、それが正しいんだろうって確信したけどね。
結論から言うと、この世界は、複素物理学を応用して人為的に創り出された世界。
具体的には、
【中世風の剣と魔法のRPG的世界が好きな人たちの多数の思念が、虚数空間に創りだした世界】。
なにを言ってるかわからない?
うーん、たしかに難しいよね。それにまだ説明が足りなかったわ。
あのね、ロマノフさんたちの時代には、最新の複素物理学理論の実証実験として、人の思念を虚数時空に送り込む、って試みが行われていたの。
そう、人の思念は虚数の物質・エネルギーによって支えられている。
これを先に言っとくべきだったね。
人間の思考や感情は、たしかに「現実の」と私たちが思っている実数時空の神経電流とか体内物質の変化とか、そういう物理現象で説明することも出来る。
でも、それだけかしら?
天才科学者の理論的ひらめき、芸術家の創造性、好きなものへの激しい妄執や、失恋した時の底なし沼みたいな黒い感情、そういうものは実数物質の動きだけで説明するにはエネルギーが大きすぎるんじゃないか・・・
22世紀の科学者たちはそう考え、やがて、虚数時空の物質やエネルギーが人の精神活動のメインステージだという考えに至った。
つまり人や高等動物の精神活動は、実数物質の反応を引き金にして複素転換されたエネルギーが虚数空間で反応し増幅されて、その結果が実数空間に再転換されて戻ってくる。
言わば、虚数空間が信号の増幅回路として働いている、って考えられているそうよ。
多くの人が熱狂するスポーツイベントやコンサートでは、大勢の人の方向性のそろった思念が、虚数空間で増幅されて戻ってくることで、圧倒的な熱気をその場にもたらす。
そうした「思いの力」は、時に奇跡的な逆転劇や、歴史に残る名舞台を生み出す力にもなる。
そう、あり得ないようなスポーツの逆転勝ちみたいに、思念の力が結果を動かす現象、さらに言えば、超能力や超常現象の多くが、この虚数空間で増幅された人の精神の力でもたらされるんじゃないか、そういう仮説があるらしいわ。
そこで、この時代の最先端理論を元に、ある実証実験が行われたの。
少なくともロマノフ先生はそう考えている。
それは、
「多くの人が共通認識として描いた世界を、実際に虚数空間内に生み出すこと」
そして、
「意志を持った人々をその世界で活動させること」
そうして生み出された世界のひとつが、いま私たちがいるこの世界よ。




