第358話 魅了
使徒ヴァシュティは戦いに決着をつけぬまま消え、俺たちは力不足を感じていた。
夜が明けると、俺たちは議論の末、いったんビシーの街に様子を窺いに戻ることにした。
もちろん、難を逃れるため街壁を飛び越えて離脱したのに、わざわざ戻らなくても・・・という意見もあった。
けれど、このままだと我々は、“メウローヌの貴族の館で大暴れした挙げ句に突然消えた、ということでお尋ね者にされてしまう恐れもある”とモモカが言い出した。
この世界では領主貴族の自領における権力は極めて大きい。
だから、リベラ伯爵が今も魔王の使徒に操られたままなら、俺たちの立場を悪くして、メウローヌ王国と敵対する構図にされかねないのだ。
それに、さらに重要なことだけど、なぜ伯爵たちがこうも簡単に傀儡にされ、俺たちを襲ったのか、そのからくりがわからない。
使徒ヴァシュティの手の内がわからないと、次にまた不覚をとりかねないから、少しでも情報を得たい、というのが大きな理由だった。
ヴァシュティがいったんは姿を消した今だからこそ、情報収集をするチャンスだろう、ということで意見がまとまった。
俺たちは、ノルテが忘れず持ち出してくれた荷物の中から、魔道具の“隠身ローブ”を出して全員が身につけ、さらにモモカの張った高度な結界に身を隠して、開いたばかりの街門から、こっそりビシーの市内に戻ったのだ。
正確には、サヤカだけは単独行動。囮役だ。
スカウトとしてこの世界のキャリアを始めたサヤカは、勇者になる以前から高度な“隠身”スキル持ちだ。
街中に入り、巡回の兵の姿が見えると、サヤカが近づいて隠身を解く。
兵の反応を見るために。
<戦士(LV4)>だ。地方領主の見回りの兵としては、こんなもんだろう。
「ねえ、キミ、ここの衛兵?」
「ん、なんだ、オマエ・・・いや、嬢ちゃんか?」
サヤカは、鎧を脱いで腰に剣一本下げただけの普通の騎士の若者、いや、男装の若い美女に見える格好だ。
兵は少なくともサヤカの姿を見ただけでは、態度が変わらない。
ところが、サヤカが小声で
「ステータス開示」
とつぶやき、手のひらを兵士に差し出した途端、様子が急変した。
兵は、サヤカが自ら見せた、
<サーカキス 勇者 LV43>という情報だけを目にしたのだ。
「? さーかきす・・・ゆうしゃ、っ!!!」
突然、若い兵が白目を剥き、剣を抜いて襲いかかってきた。
まだ早朝で、他に人通りは無い。
サヤカは、軽く兵の剣を交わすと、武器も使わず背後に回って首筋に手刀を叩き込んだ。
声も無く兵が倒れる。
そこに、モモカが呪文をかけた。
“領域治療”に“領域浄化”、さらには“滅魔”と“聖女の祝福”だ。
どれが効いたのか俺にはよくわからなかったが、目を覚ました兵は、普通の状態に戻っていた。
(単なる状態異常でなく魔族の呪いが加わってるようね。でも、これでもう大丈夫。この人は元に戻った、少なくとももう一度ヴァシュティに術をかけられない限りは・・・)
モモカが遠話でパーティー全員に知らせる。
それから、他にも巡回の兵を見かけると、もうサヤカが姿を見せることも無く、片っ端から同様に治療していく。
だが、一人だけ、それでは済まない兵がいた。
突如、魔人化したのだ。
いや、今魔人と化したように見えたけれど、本当は既に魔人にされていたのが、モモカの治療呪文によって正体を現したのだろう。
<魔人(LV6)
スキル 魅了 催眠 ・・・ >
これか!
魅了と催眠のスキルを持っている。
既に人間では無い姿に変わった魔人を、やむなくサヤカが斬り倒し、モモカが浄化した。
魔石に変わるまで、わずか数秒。誰にも見とがめられなかったものの、後味が悪い。
おそらくは、使徒ヴァシュティはこうして自らの下僕となる魔人を作りだし、自分は離れた所から、そいつらにさらに多くの人間を魅了や催眠で操らせたんだ。
「だとしたら・・・」
「伯爵の館にも、魔人化した者がいるでしょうね・・・危険だけど、行ってみましょう」
人通りのまばらな夜明けの屋外と違って、多くの人間がいる領主の館に潜入して、隠身ローブがどの程度効果があるかはわからない。
結界の中で相談した結果、俺とノルテ、エヴァの3人は、ルーヒトと共に館の外に張った結界の中で待機し、退路の確保と警戒にあたることになった。
館に潜入するのは、サヤカ、モモカ、カーミラという、隠身を持つ3人だ。
モモカもなにげに、スキルポイントを使って隠身スキルを取得しているのだ。
「これ、便利だからね、しろくんもSP溜まったらオススメよ」
そう言い残して、3人は重力制御魔法で館の塀を跳び越えて侵入した。
ホント、魔法のある世界は犯罪者の天国だよな・・・
その後のことは簡単にまとめておく。
予想通り、館に詰めている騎士の中に、ひとりだけ魔人化していた者がいた。
詳しいことを聞き出す前に暴れ出して、正気に戻っていた領兵たちに殺されてしまったけれど、判別スキル持ちの同僚の証言では、そいつは少なくとも2、3日前までは、普通の騎士だった。
ステータスを見た覚えがあるが、魔人ではなかったそうだ。
おそらくは昨日、この騎士はヴァシュティに魔人にされ、その夜のうちに館のほとんどの者たちを魅了して、ヴァシュティから与えられた“勇者と聖女の一行を殺せ”という暗示を刷り込んだのだと思われた。
館のメイドの1人が証言したところでは、騎士はこの日の夕方、街外れになんでも言い当てるすごい占い女が現れて、幸運の秘訣を助言されたのだと自慢していたらしい。
それを聞いたメイド2人もその占い師を探したのだが、見つからなかったと。
リベラ伯爵は、幸い正気に戻った。
彼は魔人に魅了された一人に過ぎなかった。
魔人化した騎士から、就寝前に警備の報告を受けたのが最後の鮮明な記憶だと言う。
傀儡にされた後のこと――――俺たちを兵たちに襲わせたことは、おぼろげに記憶にあるものの、自分のこととはとても思えない、自分がそんなとんでもない行動をとったことが信じられない、と記憶が戻ってくるにつれて狼狽していた。
まだ朝早かったけれど、メウローヌ王宮に遠話をつないで、伯爵と共に一件を報告した。
にわかには信じてもらえないような話だったけれど、とりあえずメウローヌの古文書には使徒ヴァシュティのことも記されているようだから、それを博士たちに洗い直してもらうことになり、互いの協力関係を維持することは確認できた。
その上で、今後も同様のことが起きれば、犠牲者を増やすことになりかねないから、俺たちはいったんメウローヌを離れる、と伝えた。
行き先ははっきりとは告げずに。
どこにヴァシュティに操られている者がいるか、依然わからないから。
「・・・けど、どうやって限られた時間で、騎士さんを魔人に変えたんでしょう?私たちがこの街に来たのは昨日の午後ですよね。あらかじめ手を打っておくようなことは、できなかったと思うんですけど?」
粘土トリウマに乗って再び街の外に向かいながら、ノルテが疑問を呈した。
もっともな疑問だ。俺にも謎だ。
封印の地で戦ったメトレテスも、こうしてみると、ヴァシュティの力で魔人化した可能性が高い。だが、メトレテスの場合は、長い年月をかけて力ある魔人になっていたように思う。
そして、やはり配下に魔人を抱えていたゲルフィムも、1日や2日で魔人を生み出すことはしていなかった。
魔物を食わせたり、その上で自分の血を与えたり、少なくとも何日かの時間はかかっていたはずだ。
「・・・やっぱり、あれかな・・・ヴァシュティは淫魔族から上級悪魔になった説」
サヤカとモモカには思い当たることがあるようだ。
ちょっと口ごもりながら、平静を装うような態度で、俺たちの疑問に答えた。
「そうね・・・淫魔族、サキュバスは男性のせ、せい、を吸うことで強力な魅了をかけたり、一瞬でかりそめの眷属に変える力がある、とも言うから・・・」
口にしながら、モモカがうつむいて赤くなってる。なんか初々しい。
俺にとってはおねーさんでもあるし物理的には今も最年長なんだけど、この中でそーゆー経験が無いのはモモカとサヤカの2人だけなのだ。
「そ、それって、そのぅ、おくちでだ、だんせいのし、白い(ゴニョゴニョ)を直接、って・・・」
ノルテも真っ赤になってる。
そういえばノルテはそういうプレイはしないコだもんな。
「ごほんごほん・・・ま、だから、この方法で即眷属にされてたのは、男の騎士や兵だけだった、ってわけね」
サヤカが頬をピンクに染めながら、そうまとめて見せた。
「そこまで特別なことをしなくても、ヴァシュティと目を合わせただけで、普通男性は一瞬で魅了されちゃうからね・・・そうだわ!」
モモカが大事なことを思い出したように、俺の方を見た。
「しろくん、なぜ無事だったの?目が合ったよね、あの時、ヴァシュティと」
「うん、一瞬、すごいゾクゾクっとして、ふらふらーっとして、あ、やべ・・・って思った」
サヤカも驚いてる。
「そんな、術にかけられたのっ?・・・でも、耐えた?ウソでしょ、シローがそんな自制心が強いはずないわ」
驚いたのはそこかよっ。
「そこはやっぱりさ、良識と自制心の塊みたいな俺には、魔王の使徒の誘惑すら通用しなかったってことじゃ・・・」
「「ないわ!」」
ぐさっ。瞬時にハモった双子の声に、ハートをえぐられた。
「うーん、しろくんのことは信じてるけど、それは信頼の種類が違うって言うか・・・え!?」
モモカが、突然俺をじっと見つめて顔を寄せてくる。
「・・・モモ姉?」
どきっとしたけど、そうじゃなかった。聖女のスキルで何かを見抜いたらしい。
「・・・魅了、かかってるわ」
「「「ええっ!?」」」
俺だけでなく、サヤカもノルテも絶句した。てか、サヤカ、剣を抜くのはやめてほしい。目がマジだし。
「まさか、撤退したと見せてヴァシュティの罠っ!?」
「待って、さやか。これは・・・!」
モモカが視線を転じてキツイ目でにらみつけたのは、エヴァだった。
「エヴァちゃん、どういうこと?」
「うっ・・・す、すみません」
なにを言われてるか、エヴァ本人だけはわかったらしい。
すごく気まずそうに、口を開いた。
「その・・・お二人を迎えてから“私だけ”の夜は初めてだったので、いつも以上に気持ちが昂ぶってしまって・・・それで、最近エナジー・ドレインのスキルに目覚めてしまったもので、つい・・・」
「・・・す、す・・・すったの?アレ」
頬を赤くしてサヤカが低い声で尋ねた。
「は、はい・・・シローさんの魔力は濃厚でちょっと甘・・・」
「「それは言わなくていいっ!!」」
サヤカとモモカが、すーはーすーはー深呼吸してる。
「・・・そうだった。あんた、リリスの娘だったのよね。それでサキュバスみたいなスキルもあるのか。目が覚めた後でも魅了が続くなんて、強敵だわ・・・いや、こっちのことだから」
サヤカがなんかブツブツ言ってる。
「・・・つまり、既に吸精による魅了がかかっていたから、ヴァシュティの魅了が効かなかった。たまたまワクチンみたいな働きをしたってことかしら・・・」
モモカは裏技を見つけたゲームオタクみたいな表情になってる。
あー、ひょっとして、俺が今朝なかなか目覚められなくて腰が重たい感じがしたこととか、起きた時もエヴァに手を出したい気分になっちゃったのとか、あれって昨日の晩、“魅了”にかけられてた後遺症みたいなもんだったのか・・・
(あー、ひとのせいにしてるー、シローの自制心が足りなかっただけじゃないのかなぁ)
うるさいよ、リナ。
「ずるいですっ、そんなスキルを使ってシローさんを夢中にさせるなんて。それに、危険があるかもしれないじゃないですか!」
ノルテが声を張り上げて抗議した。
モモカとサヤカも冷静さを取り戻して指摘した。
「そうね。魅了をかけられたままじゃ判断力も低下するから、一歩間違えればシローだけじゃなくパーティー全員が危険にさらされたわ」
「そ、そうよ、たまたま今回は上手くいったかもしれないけど、それは禁じ手よね」
エヴァもこれには、痛いところを突かれたって顔してる。
「そうね・・・すみません、今回のことはちょっと自分でもやり過ぎたかなって思ってます。もうしませんから」
でもそこで、上目遣いに俺の方をちらっと見た。
俺は気持ちよかった昨夜を思い出して惚けた顔をしてたらしい。
「ええ、もうしません・・・シローさんがお望みにならないときは」
「ちょっ!・・・って、シローっ、なに嬉しそうな顔してんのよっ!!どんだけ危険な目に遭ったかわかってんの!?」
よくわからないまま、結局俺がサヤカになじられることになった。




