第356話 使徒ヴァシュティ戦①
エヴァの絶妙なテクニックと母親(吸血鬼リリス)譲りのエネジードレインで、俺はすっかり骨抜きになって夢の底に沈み込んでいたらしい。
だから、異変に気が付いたのもパーティーの中で一番遅かったんだろう。
相変わらずのダメ男っぷりだ・・・
「シローさん」
エヴァの声と甘い香りに俺は半ばもうろうとしたまま、柔らかい体をなおも抱きしめた。
「シローさん敵襲ですっ、起きて!」
昨夜の甘いささやきとはうって変わって、真剣な声のエヴァに揺り起こされた時には既に戦いの気配があった。
戦い・・・だよな?
ちょっと違和感を覚えながら、ワンとキャン、タロに「みんなを守れ」って曖昧な命令を出して気配のある応接室に出現させ、俺もけだるい体を起こす。
妙に腰に力が入らない感じだけど、なんとか刀だけ手に取って寝室を飛び出した。
そこでは、ラフな普段着のサヤカと下着だけのカーミラが、館の兵士たち、さらには使用人たちと争っていた。
兵たちはフル武装しているけど、執事とかメイドとかも混じっていて彼らはナイフぐらいしか持ってない。
彼らはまったく統制が取れておらず、闇雲に襲いかかってくるのをサヤカとカーミラに剣の腹で打たれたり素手で殴り倒されたりしている。
・・・だから、戦いにしては妙な気配だったんだ。
タロが壁役として割り込み、ワンとキャンが足に噛みついてかき回し始めたことで、とりあえず突入してきた連中は食い止められてる。
ただ、数が多い。
地図スキルには、前室から廊下までびっしり、赤い点が映っている。
赤い点・・・少なくとも今は、館の者たちは俺たちに敵意を持っているんだ。
モモカが一歩引いた所で、場違いに冷静な態度で戦況を見つめている。
「魔法で眠らせたり・・・“静謐”か?」
「ええ、面倒なことにね」
俺たちを攻撃してきたとは言え、リベラ伯爵の館の人々はおそらく魔王の眷属に操られているだけだ。
後々のことを考えると殺してしまうわけにはいかないだろう。昨日は俺たちを歓待してくれた人たちなんだし。
だから、モモカの催眠魔法とかで眠らせちゃうのが早いんだが、ここには呪文無効化の“静謐”がかかっていた。
王宮や要塞の内部などは、魔法攻撃を防ぐために静謐の魔道具を設置しているところがある。
極北の“静寂の館”もそうだったし、このリベラ伯爵の私邸もそうだったんだ。
「でも、数が多すぎるから仕方が無いわね、一時しのぎだけど。しろくん、相手の魔法攻撃に注意してて・・・“静謐破棄”」
モモカが“その場の静謐状態を解除して再び魔法が使えるようにするスキル”を行使した。
聖女ならではのチートなスキルのひとつだな。
立て続けに、催眠魔法をほぼ無詠唱で発動する。
部屋になだれ込んでいた20人ほどがまとめて昏睡し、床に崩れ落ちた。
「来るわよっ」
叫んだのはサヤカだ。
俺は、部屋の入口だけでなく、壁全面を補強するように粘土壁を出現させた。
その瞬間、ズシンッと重い衝撃が壁を貫き、出したばかりの粘土壁も変形した。
「“魔槍”ね。伯爵の領兵なら魔法持ちがいても当然か、厄介な」
廊下にひしめいている連中の中には魔法使い系ジョブの者もいるらしい。そして、向こうは手加減抜きに俺たちを殺そうとしている。
「リナ、転移で外に飛べるか?」
「無理、転移防止結界があるよ」
等身大魔法戦士で出現させたリナが、みんなに聞こえるよう肉声で答えた。
静謐は解除できたものの、さらに館には転移防止結界の魔道具も設置されているようだ。
これも高位の貴族の館だから珍しくは無いが、本来は外部からの転移奇襲に備える防御装置が、今は俺たちの脱出を妨げる役割を果たしているわけだ。
「静謐破棄も、そろそろ効果が消えちゃうわよ」
一時的に静謐を破棄しても、設置型の魔道具の働きでいずれまた静謐状態になってしまうと言う。
「どうする?」
「強行突破かな」
粘土壁が廊下側からの攻撃で、壊れかけている。
「仕方ないわね。なるべく殺さず、館の外まで出て、そこで転移ね」
「OK、みんな準備はいいか?」
サヤカの判断に全員の顔を見回す。
「荷物の回収も終わりました」
ノルテがみんなの忘れ物を確認して、アイテムボックスと“収納バッグ”の魔道具に片付けてくれたようだ。
俺はタロたちを収納し、代わって応接間にトリマレンジャーを出現させた。
「ルーちゃんはこっちへ」
エヴァは強行突破の前衛組になるから、ルーヒトはノルテのウマだ。
「いくぞ・・・」
俺が粘土壁を吸収した途端、サヤカが風魔法を放ちながら先頭に立って廊下へ飛び出す。
突風でなぎ倒された兵たちを、粘土トリウマが飛び越えながら廊下を駆ける。
モモカが広域に催眠魔法を放ち、目の届く範囲の連中を眠らせていく。
だが、間もなく階段に至るあたりで“静謐破棄”の効果が切れ、再び館の魔道具による静謐が場を覆った。
そこに、レベルが高いのか、昏睡せずに待ち構えていた一団がいた。
弓矢まで用意して。
「放てっ!」
指揮官らしいやつの命令で、一斉に矢が放たれた。
俺とノルテが、静謐の効果を受けない錬金術の“風素”でなんとか矢をそらす。
顔色を変えて、領兵に剣を構えさせる幹部たち・・・あれはリベラ伯爵か!
<ジャン・リベラ ロード LV20>
外務大臣自ら、戦闘職としてかなりのレベルのようだ。
だが、その目はうつろで、昨日俺たちを歓待してくれた知的で上品な貴族とは別人のように見えた。
全速力で突っ込むトリウマは、剣を抜いた領兵たちと一瞬で距離を詰める。
サヤカと並び先頭に立ったエヴァのトリマレッドが、嘴から錬金術“火素”のブレスを吐いた。
大した火力じゃ無いから致命傷ではないはずだ。
それでも隊列がばらけたところを、トリウマの突進力にまかせて強行突破。
2,3人だけ剣を振るおうとする者がいたけれど、エヴァの槍とサヤカの剣、俺たちの錬金術で払いのける。
幅の広い階段を、トリマレンジャーはさほどスピードを落とすこともなく器用に駆け下りた。
館の外に出ると、もう明け方が近いビシーの街は、何ごとも無いように静まりかえっている。
さすがに、1万人を超えるはずのビシーの街の住民全員を操ったりしているわけではなさそうだ。
トリウマたちを粘土収納に収め、エヴァがルーヒトを抱き上げたのを確認して、リナの有視界転移で飛んだ。
城壁のすぐそば、街を覆う転移防止結界のギリギリの所まで。
この時間、まだ城門は開いていないし、そこで兵と押し問答するのも避けたい。
館の兵たちが操られていたことを考えると、城門の衛兵たちも傀儡化されている可能性があるしな。
だから方針は、“街壁を飛び越える”だった。
高さ5メートルぐらいか?スクタリよりは高いけど、各国の王都には及びもつかない低い壁だ。
魔物の襲撃に備え、壁上には夜通し歩哨が立ってはいるものの、隙間も無く、ではない。
モモカが“重力制御”の魔法を唱え、ふわりと浮き上がる。
幸い、見とがめる兵もいないらしい、と思いながら開けていく視界にあたりを見回した時、強烈な殺気を感じた。
「いるわっ」
「あそこっ!」
サヤカとカーミラが叫んだのは、俺たちが城壁の外側、結界の外に出た瞬間だった。
声の方に視線を向けた俺たちは凍り付いた。
街の外側のうっそうと茂った森の中から、突然、火山が噴火したような巨大で真っ赤な炎の塊が、俺たちめがけ飛んできたのだ。




