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第342話 ウェリノールの森

メウローヌ辺境のマコンの街を出て、荒れた森の中の道を辿っていた俺たちは、いつの間にかエルフの秘境と呼ばれる、ウェリノールの地に入り込んでいた。

 俺たちを取り囲んだ射手たちに、ルシエンが“ルネミオンとリンダベルの娘だ”と告げると、無表情だったエルフたちの間に驚きの色が浮かんだ。


 ルシエンがこの地を出たのは十数年前のことだと聞いたし、それから全く連絡を取っていなかったはずだから、この中に顔見知りがいたとしても、ルシエンは既に死んだと思われていたのかもしれない。


 1人が囲みから離れていったん木立の陰に姿を消し、遠話でどこかと連絡でも取っていたのか、そう間を置かず戻ってきた。何人か援軍を連れて。


 他のエルフになにやら耳打ちすると連中の表情は険しさを増し、俺たちは10人以上の武装したエルフに取り囲まれ、ひとこと“ついて来い”とだけ言われると、罪人が護送されるみたいに巨木の森を歩かされた。


 ルシエンがパーティーのみんなに頷いて見せたから、俺たちは大人しく不思議な森の中をついていった。


 巨木が立ち並び、深い海の底のような空気の重たさや濃密なエネルギーを感じる点では大森林地帯に似ているけれど、あそこともまた違う。


 なんて言ったらいいんだろう。


 木々のざわめきゃ鳥の声など、音はするのに静寂に包まれている感じ。そして、初めての土地で見知らぬ射手に囲まれているのに、俺たちの心は穏やかに落ち着き、恐れや不安も感じない。


 それは、“良いこと”であるはずだ。


 けれど、妙な気もする。

 なにか、不自然な感じ。それがなんなのかわからないが。


 ノルテもエヴァも、表情を変えず歩いている。

 カーミラはなにか盛んに匂いを嗅いでいる。なにか気になるんだろうか。


 

 いつの間にか集落らしい所に入っていた。


 瀟洒な木製の建物は、家なんだろうか?

 芸術作品みたいに曲線を取り入れ、まわりの森に溶け込むような淡い色合いが多く、でも多くの花が飾られてアクセントを付け、どれも美とセンスのよさを感じさせる。


 エルフの姿も増えてきた。


 家の外、庭とか木陰みたいなところに糸車や機織り機らしき道具を置いて、美しい糸や布を作り出している、若く美しい女たち。

 もちろん、若いのは外見がであって、エルフだから普通に百歳越えてる人も多いようだけど。


 それにしても、全員が美人だ。でも何というか生々しさがなくて、全くエロい気持ちとかは起きない。それも不思議だ。


 家々のそばには大抵家庭菜園みたいなのがあって、男たちがカボチャみたいな作物を収穫したり、植えられた作物に手をかざしている。これは一種の農作業だろうか?畑を耕したりするかわりに、“植物”の呪文をかけて育て“水”の呪文で潤しているようだ。


 草地に仔牛みたいな群れがいて、その近くで銀色の母牛が一人のエルフにおとなしく乳を搾られている。


 男たち女たちは、射手に囲まれて歩く俺たちに気付くと、一様に少し驚いた顔をしてしばらくじっとこちらを見つめ、それからまた穏やかな笑顔を浮かべると、それぞれの仕事に意識を戻した。


 誰もが穏やかで、エルフだけでなく牛や鳥まで穏やかな様子で、不安も恐れも無く、何も足りないものの無い様子に見える。


 最初になんとなく心に浮かんだのは、「楽園」とか「浄土」とか言うことばだった。

 けれど、どことなく違和感があった。




 その違和感の正体がわかったのは、一本の巨木の傍らに設けられた、蔓草で出来た大きなカゴのような建物に連れられていった時だった。


 そこは、これまでの集落とは違って、まわりにも蔓草の柵のようなものが設けられ、衛兵らしい武装したエルフが入口を固めていた。


 何というか、軍の詰め所とか警察署とか、そういう機能を持ったところに見える。

 ひと言で言えば、勝手に逃げ出せないように作られた建物だ。


 そんな場所に連れ込まれたのに、あまり不安な気持ちにもならない。


 その時気付いた。


 この、自分の心の動きの無さが、不自然なんだ。


 集落のエルフたちの様子もそうだった。そして、ノルテもエヴァもこんな不思議な場所で珍しいものをいっぱい見ているのに、ここに来てから感情の起伏がほとんどない穏やかな表情でどこかぼーっとしているようだ。


 その二人のメリハリのあるボディーラインをじっくり目で楽しんでも、いつもみたいに俺がエロい気持ちにならないのも不自然すぎる。


(・・・・)


 なぜかリナから無言の念話が飛んできた。


 ルシエンがジト目で見てる。ここに来てから初めての感情豊かな顔だ。


「それで気付くとか、あなたって本当に・・・まあ、いいわ」


 ここでしばらく待つように、とエルフの射手たちに言われ、蔓草のカゴのような建物の一室に俺たちだけが残された後、ルシエンがそう口を開いた。


「カーミラとシローは気付いたようだけど、この“心の穏やかさ”は『そうさせられている』ものよ」


「「えっ!?」」

 エヴァとノルテが驚きの声をあげた。


「ウェリノールでは、ハイエルフたちの祈りの力で何者にも脅かされない“平安の地”を実現している・・・ということになっているわ。負の感情も正の感情も一様に抑え、一種の心の凪の状態を生み出す。それが日々の修行とか勤めとか言われているの・・・」


 ルシエンが明かしたウェリノールというエルフの隠れ里の姿は、驚くべきものだった。


 高位のエルフ、ハイエルフたちが何百年もの間、日々の勤行として念を込め、外界と隔てられた一種の結界のようなこの地を維持してきた。

 その祈りによって、この結界内では怒りや恐れといった負の感情は抑え込まれ、それだけでなく強い愛欲や執着、野心や向上心も抑えられているのだと。


「だから、ここに来てから、すごく自分の感情が無くなったような気がしてたんだけど・・・それも、人為的なものだったってことなのね」

 エヴァがショックを受けた様子で言う。


 純粋にそんな現象自体に驚いたってのもあるだろうし、それに自分が気付かなかったことも不本意なんだろう。

 俺の場合なんとか気づきはしたけど、きっかけがきっかけだからな・・・


 考えてみたら、エルフの“聖地”と呼ばれていたあのキャナリラ島にも似たような、人の心に働きかける仕掛けがあったけど、あれは人工的な装置みたいなものだったと思う。

 もしかしたら、キャナリラではウェリノールで行われていることを魔道具か何かで再現しようとしてたのかもしれない。あっちは不安や恐れが無くなる代わりに、欲望はむしろ高められてたけどな。


 

 その時、近づいて来る人の、いやエルフの気配に、ルシエンとカーミラ、そして遅れて俺も気付いた。


 ルシエンの表情に、緊張だろうか?滅多に無い様子が浮かんだ。

 この“情動を抑える結界”の中で、それだけ心が動くって言うのは・・・



「ルシエンっ、ほんとにあなたなのねっ」


 そのルシエン以上に感情の起伏をあらわにして部屋によろよろと入ってきたのは、美しいって言葉を幾つ重ねても足りないような、エルフの女性だった。


「!」

 ルシエンの表情が変わる。

 懐かしさと、そしてなにかもっと複雑な感情に染まる。


 その女性はよろめきながらルシエンを抱きしめ、涙を流す。


 ぱっと見の印象はルシエンと同じぐらいの年頃にしか見えない。


 顔立ちなどは似てるところもあるけど、ルシエンがクールビューティー系の美女なのに対して、むしろオトナ可愛い系の、「可憐な」って言ってもいいような美女だった。


 ただ、顔色が悪く明らかになにか病気か体調が優れないようで、よろよろとした足どりはそのためらしかった。


 この人が、そうなんだ・・・


<リンダベル>


 その名前を初めて聞いたのは、キャナリラの結界を守るセイレーンからだっただろうか?あの時はまだ、ルシエンの母親だなんて想像もしてなかったけど。

 たしか、“エルフの歌姫”と呼ばれる人だ。


 そして、こんなに華奢な、ルシエンよりもっと華奢で小柄な、しかも病気のようにも見える女性が、伝説の勇者のパーティーの一員として魔王と戦ったなんて信じられない。


 けど、その容姿になんとなく見覚えがあるように感じたのは、そうだ、サーキアの“勇者記念館”に飾られていた一枚の絵。

 勇者のパーティーの一員が描いたとも伝えられていたあの絵に描かれていたエルフの姿に、顔色の悪さをのぞけば、かなり似ているんだ。


 あの絵は素人くさくて、けっして上手ではなかったけど、こうして見ると特徴はよくとらえていた。

 だとしたら、本当に勇者パーティーの誰かが自ら描いたものなんだろう・・・



 十数年ぶりに再会した娘を抱きしめるリンダベルさんの涙は、裏表なく娘を愛する母親のものだと思える。

 抱きしめ返すルシエンの方は、病んだ母の姿になにかもっと色んな思いがあるのか、少しぎこちなく硬い。


 だが、その母娘の後ろからもうひとつ、男の声が響いた。


「ルシエンよ、これまで何をしていた。そして、ようやく帰ってきたと思えば数々の災いを運んでくるとは・・・なんと愚かな娘か」


 冷静な、いや、冷ややかと言ってもよい声だった。

 情動を抑えるという、このウェリノールの結界の中でもそう感じるほどの。


<ルネミオン ハイエルフ 男 245歳 LV28>


 性別をぬきにすれば、ルシエンにそっくりの整った目鼻立ち。

 そして、初めて出会った頃のルシエンのような感情を押し殺した表情。


 それが、ルシエンの父親だった。

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