第328話 神降ろしの巫女
ついに魔王が復活し、天変地異に見舞われた“静寂の館”の中で、マリエール王女に異変が起きた。
がくがくと震えだしたマリエール王女。
その体が、淡く光り出した。
それはすぐに、球状に南の巫女を包む、直視できないほどまばゆい輝きになる。
マリエールを腕に抱きかかえていたルイフェが、その光球が広がると共に引き離され押し出された。
単なる光じゃ無く、物理的な障壁なのか?
「あ、あれは・・・巫女の結界か」
アッピウスのかすれた声が聞こえる。
白目を剥いて意識を失っているように見えたマリエールは、その中に囚われの身のように取り込められたまま、しかし倒れることもなく、のけぞって天を仰いだ。
<時ハ満テリ・・・>
確かにマリエールの体から、だが、普段の鈴を転がすような美しい声とは全く異なるかすれた声が、絞り出された。
「こ、これは」「神託かっ」
おそれるようにささやき交わした声は、アッピウスかルセフだろうか。
<魔ト聖ト転生者ト、合スル時ハ満テリイイィィ>
マリエールの体を借りた何かの声は、徐々に大きくなっていく。
<転生者ハ闇ト合シ闇ヲ覚醒セシメ世ヲ滅ボサン・・・
転生者ハ闇ト対峙シ光ヲ覚醒セシメ闇ヲ祓ワン・・・>
なにかの聖句かそれとも呪いでもあるかのように、マリエールは髪を振り乱し、かすれた悲鳴をあげた。
そして、突然。
ばね仕掛けのように巫女の体が飛び、襲いかかった。
俺に!?
「シローッ!」
カーミラが俺の前に立ちふさがり、ふっとばされた!
うそだろっ!!
身体能力では俺よりずっと上のカーミラを華奢なマリエール王女、いや、マリエールを包む光球が弾き飛ばし、そのまま王女は俺を床に押し倒し、馬乗りになった。
なぜ俺は光球に弾かれないんだ?って疑問さえ、その時は浮かばなかった。
マリエールは両手の爪を俺の胸に突き立て、かきむしる。
爪が食い込み激痛が走るが、俺はあまりの状況に言葉も出ない。
<勇者ヲ探セェッ!>
白目を剥いたまま俺を睨み付けたマリエールが、がくがく痙攣しながら、叫んだ。
<勇者ヲ目覚メサセヨオォッ!ソレナクバ百年ノ暗黒ノ王国ガ到来センッ!>
俺に言ってんのか?それとも、そういうことじゃなく、みんなにか?
混乱して、そして信じられない怪力に、俺は身動きも出来ない。
<王ハ墜チ、最モ暗キ道ニノミ光アラン!小サキ者ハ力ナキニアラズ、愚カナル許シハ常ニ過テルニアラズ、三者再会シ諸族結集ス・・・ッッ!>
マリエールは、そこで呼吸ができなくなったように、虚空を見上げ自らの胸をかきむしった。清楚ながら高級な白いドレスが破れ、美しい白い肌が剥き出しになる。
そして、息を吸えぬまま最後に絞りだしたような声が漏れた。
<竜ノ巣ヲ、深淵ノ朽チヌ木ヲ・・・死セヌ骸ヲ・・・モト、メ、ヨ・・・>
そして、海老反りになった巫女は、泡をふいてばったりと倒れ伏した。
剥き出しになった柔らかな双丘と密着した太もも・・・初めてその生々しさを感じた。
抱き合う形になっちゃったのは、あくまで不可抗力なのだ。
(こーゆーときにその感想っ?あるイミ大物すぎるっ)
うっ・・・そう言われても健康な男子だし・・・
「おほん・・・シローどの、大丈夫か?」
微妙にさげすみまじりの視線で口調だけは心配げにルイフェが問いかけ、俺の上に重なってたマリエール王女の体を、まわりの者たちに見せないよう抱き取って自分の上着を掛けた。
「シロー、大丈夫?」
俺を助け起こしてくれたカーミラの口調まで、なぜかルイフェとそっくりだった。
「い、今のは神託か」
「間違いないでしょうな。南の巫女、“神降ろしの巫女”マリエール王女の秘儀でありましょう・・・」
「最後はなんと?死せぬ骸、か?」
「誰か!記録を取ってくれ、急ぐのだ」
各国首脳たちが慌てたように今の出来事を確認し合ってるのが、どこか遠く聞こえた。
その時、俺の脳裏にはなぜかログ画面みたいなものが流れ、マリエールが、あるいは彼女に憑依した神様だか何者かが発した言葉が、そのまま記録されているのを感じていたのだ・・・。
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翌朝━━━━と言えるかどうかも定かでない、わずかばかりの薄明かりが差し初めた頃。
地震と噴火と、それ以上に恐ろしい魔王からあふれ出す呪詛のような魔力の波動によって、ほとんど休まらない夜を明かした俺たちは、かすかな明かりを頼りに、吹雪と噴煙と瘴気の中に旅立つことになった。
「急いで下さいっ、出発します!」
斥候隊長の呼びかけで、静寂の館の前に並べられたオオツノジカのそりに飛び乗る。
結界が破れ猛吹雪が吹き込むようになったことで、一晩であたりは一面の雪原と化し、往路では徒歩になっていた館の前までそりが使えるようになったのだ。
振り返ると、対魔王戦の砦として築かれた堅牢な館は、それ自体が壊れてはいないものの何か所も壁が崩れかけていたし、最もモーリア坑道側に立つ物見棟は噴石で破壊されて上部が無くなっていた。
今もまた激しい地震によって、石のかけらがバラバラ降ってくる。
もういつまで保つかわからない。
そして、周辺の村落や耕作地だったあたりには、雪で覆われてもなおわかる大きな陥没や地割れが随所に生じている。
「いいぞ、出せっ!!」
呼び子が鳴らされ、先頭のオオツノジカが走り出す。
次々に、俺たちの乗るそりも進み出す。
兵らが後発の部隊と手を振り交わして互いの幸運を祈り合い、前庭にひしめく避難民たちの不安に包まれた顔が、後方に過ぎ去っていく。
俺たち先発隊の一番先頭は、レムルス軍の斥候隊と思われる十数名の兵が分乗した、2台のオオツノジカのそりだ。
それに続いて、ケッヘル侯爵と随行のレムルス騎士らの乗るそり。
以下、パルテア組、数を減らしたカテラとメウローヌの要人、俺たちエルザーク組と続いて、最後尾はもう1台だけレムルス兵のそりだ。
わずか7台、兵は俺たちのそりを操る者を含めても30名あまりしかいない。
往路は600人の大隊規模だったレムルス軍が、少なからぬ被害を出し、残る大半を封印の地の村人や静寂の館から押収した観測機器や記録資料などを守り運ぶことに割かれたため、各国要人を含む先発隊がこれほど小規模になったのだ。
ヨーナス将軍は、ほとんどしんがりに近い位置になると聞いた。
「シロー、これをおぬしに渡しておく」
館を離れ、多重結界が張られていたあたりを過ぎて、荒れ狂う吹雪と魔力嵐が一段と激しくなってきた頃、同じそりに乗るルセフ伯爵が、人目を避けるように外套の下から一枚の羊皮紙を俺の手に握らせた。
「これは?」
「静寂の館の地下室の壁にのう、建設時のメモと思われる文言が小さく刻まれておったのじゃ。巫女団にも知られておらなんだ、というか、ドワーフの古語で読めなかったのじゃろう・・・」
「えっ・・・ドワーフ?」
吹雪の中でよく聞き取れなかったけど、思いがけない言葉だった。
「うむ、わしもドワーフ古語はさほど詳しくないのじゃが、この館はドワーフ王オデロンが自ら建設の指揮をとったものらしいわい」
なんだって!?ドワーフ王オデロンって、魔王と戦った勇者の仲間で、ノルテのご先祖、オーリンの祖父にあたるんじゃなかったか。
でも、そうか。
魔王を封印したのが勇者パーティーの聖女だったのなら、それを監視する仕組みをオデロンが造ったってのもありうることだ。
「じゃあ、これをオーリンさんに?」
「さよう。機会があればわし自身がシクホルトに滞在して一緒に解読したいと思うとるが、これは写しをとったものゆえ、お主にも渡しておく。・・・あそこでは、誰の目があるかわからなんだでの。古文書には、魔王の眷属の耳目はあらゆるところに張り巡らされていた、ともあるからのう・・・」
その時の俺には、ルセフのじいさんの警戒がまだピンとこなかったけれど、これがすごく重要なことだってのはわかった。
そして、この時聞いておいてよかったのだ。
往路も多くの魔物に襲われた、ツングスカと封印の地の間の雪原。
だが、帰路の危険は、さらに桁違いだった。
遠話でアッピウス僧正が伝えてきたのは、魔王が復活すると、スタンピードのような魔物の大発生だけでなく、それぞれの魔物のレベル自体も上がり格段に凶暴化するのだと言う。
いま起きているのは、まさにそれに違いない、と。
昼夜を問わず、一段と高レベルになったスノーゴーレムが氷精の群れと共に襲いかかってきた。
吹雪の中、オオツノジカを休ませるため、凍てついた岩山の陰で夜営せざるを得なかったが、そこには複数のアイスドラゴンに加え、アンデッドの大軍を従えてドラゴンゾンビまで現れた。
ベハナームとリナが流星雨を連射し、マリエールとアッピウスはMPが枯渇するまで広域の浄化魔法を使い続けた。俺も粘土スキルで壁役に徹した。
かろうじて夜が明け、魔物の群れを撃退した時、俺たちは疲れ切っていた。
兵の半数以上と、そしてルセフ伯爵が帰らぬ人になっていた。
まもなく第四部のエンディングへ。




