第323話 応急処置
魔人メトレテスを倒し、北の巫女が奈落へと堕ちた後、巫女たちの様子に変化が現れた。
不可解な現象だった。
メトレテスを倒した後、残された巫女たちに変化が現れた。
これまでなぜか忘れていたことを思い出した、と言う者。押さえ込まれていた感情が噴き出したかのように、不安に駆られたり泣き崩れたりする者。そして、いなくなった存在に思いをめぐらせ慌てふためく者。
カーミラがメトレテスの腕を噛みちぎって、ステータスが見えるようになったあの時、俺には全部を読み取る余裕が無かった。
けれどどうやらあの魔人は、人の精神に働きかけるスキルを持っていたらしい。
魅了とか催眠とか、あるいはもっと強力な、記憶を操作するような力も。
夢から覚めたような巫女たちは、それでも消された記憶の全ては取り戻せないのか、個人差も大きいのか、話は断片的で矛盾も多かった。
だが、マリエール王女やルセフ伯爵らが苦労して巫女たちから聴き取った内容を総合すると、なにが起きていたのか半分ぐらいはわかってきた。
年かさの巫女たちの記憶では、メトレテスは元々巫女ではなかったはずだ、という。
まだ十代だったスヴェトラナが、急死した叔母の跡を継いで封印の巫女に任じられて間もなく、側仕えの侍女に欠員が出た。
その時、ミコライの公宮から侍女兼護衛役として送り込まれてきたのが彼女だったらしい。
少女だったスヴェトラナは、親元を引き離され、一生結婚することも出来ず、極北の地で幽閉同然の生活を強いられることになったことで、当初は毎日泣き暮らしていたという。
だが、メトレテスが身の回りの世話の担当となり、常に共に行動するようになると、徐々に笑顔を見せるようになり自信を取り戻したように見えたという。
メトレテスはいつの間にか、スヴェトラナの信頼を得て一番の側近に、巫女団のナンバー2になっていたそうだ。
どういうわけか、メトレテスの言葉には不思議な説得力があり、最初は巫女でも無い世俗の女が権力を持つことに反発していた巫女たちも、多くが彼女の言葉に心を動かされ、いつしか唯々諾々と従うようになった。
もちろん中にはそんな彼女をうさんくさく思ったり衝突する巫女もいたが、そうした者たちはいつの間にか姿を消した。
病であったり不慮の事故であったり、あるいは修行のために館の外に出た際に魔物に襲われたり、時にはまったく理由もわからず失踪した者もいた。
だが、そうした巫女がいたことさえ、なぜかこれまで多くの者が忘れていた、急に思い出した、というのが奇妙だった。
メトレテスが、魔物のような何かと話をしているのを見た、と噂した巫女が、まだ若いにもかかわらず翌日急死した時には、しばらくの間、不気味に思った者が多かったのに、それもやがて忘れられた、と言う。
やっぱり、お鉢巡りの時にメウローヌの天幕を襲った黒晶蟲は、あの魔人が召喚した魔物だったんだろう。
証拠を消すために、帰還だか回収だかを使ったと考えれば急に姿が消えたのも納得がいく。
さらに、最も重要な証言があった。
十一の月、この地に訪問者があったのだ。
「なんて言いましたっけ、あの紳士・・・」
「整ってるんだけどどこか怖い人でしたよね、ホートン侯爵?いえ、フート侯爵さまだったかしら?」
フートだって!?なんてことだ!
誰一人供さえ連れず、どこかの国の貴族らしい男がこの地を訪れたのだという。
俺たちがレムルス軍の護衛に守られ、多くの魔獣と戦いながら、オオツノジカのそりで何日もかけてやってきたこの地に、たった一人で。・・・そんなことが、たった一人で鎧姿でさえ無かったという貴族に出来るはずがない。
それなのに、なぜか誰もそれを疑問に思わなかったそうだ。
メトレテスがその男とは旧知の間柄だから心配いらない、と言って、スヴェトラナに引き合わせたらしい・・・そんな重要なことを、誰もが忘れていたのだと。
「なんだと!?上級悪魔っ」
「ガリスの動乱の原因になった男ですって!?」
俺がフート侯爵、こと上級悪魔ゲルフィムについて話すと、今度こそ各国代表たちも顔色を変えた。
「・・・それでつながったな。十一の月の最初の異変、それはその上級悪魔が、魔王を目覚めさせるために封印を破りに来た。メトレテスという魔人は、それに協力した・・・どちらが主でどちらが従だったか、詳しいところはわかりませんが」
ベハナームの分析に、マリエール王女も同意した。
「そうですね、それと二度目の異変、今回の魔力地震との関係ははっきりしませんが、呼び水になったのは確かでしょう・・・」
「一刻も早く結界の全面的な修復を行う必要がありますな。直ちに大僧正様に聖職者団の派遣を要請しますが、やはりリスクを下げるためにも応急処置をできる限りせねば・・・」
既にヨーナス将軍の指揮下で、レムルス軍が坑道結界のまわりに再び展開中だ。
レムルス軍の中で結界魔法が使える者は十名あまりいた。
そうした者を2名ずつ含む部隊が、静寂の館から遠い側に展開し、各所に簡易の祭壇を設置する。
そして、各国代表団の中で結界を張れる能力を持つ者も、これからいったん多重結界の外まで出てそれぞれの母国に魔法通信で連絡した後は、館に近い側に展開する予定だ。
「急ぎましょう。この一大事を一刻も早く伝え、そしてできる限りの処置を・・・」
レムルス軍の護衛部隊に守られ、館を出て多重結界の外に向かう途中、パルテアのベハナーム教授が話しかけてきた。
「シローさん、マグダレア君たちの護衛任務が終わった後で、そのようなことがあったとは思わなかったよ」
そのようなこと、ってのはもちろんガリスのフート侯爵のことだよな。
マギーとブッチが調査を中断して帰国した後で、その調査対象の大本命と言える上級悪魔と俺たちが直接対決したなんて、出来すぎた話だもんな。
「かわりにこちらからも重要な話をひとつしよう。これはまだ推測に過ぎないので、各国代表団に公式な形で伝えるのは控えたのだが・・・」
ベハナームは、亜人戦争を煽ったイシュタールの“預言者”が、魔王の勢力と何らかのつながりがあるのではないか、手段はわからないが、その男が今回の魔力地震のきっかけを作った可能性があると考えているらしい。
「でも、その男はイシュタールにいるんですよね?どうやってこんな遠くの出来事に関わりを?」
「・・・それはまだわからない。だが、タイミングがね、イシュタールにとって状況が変化したタイミングで、異変が起きているようにも見える。そういう見方もあるのだ、あくまで推測だがね」
その後、超長距離の遠話でベハナームがパルテア本国とどんなやりとりをしたのかはわからない。
俺にはまだこの時点では、行ったことも無いイシュタールという国には具体的なイメージもなかった。
ただ、あのマジェラやプラトのイスネフ教徒たちを扇動した大本、っていうことでとにかく悪い印象しか無かったイシュタールに、さらになにかもっと、言い知れない気味の悪さを感じた。
そして翌朝未明、俺たちは再び、あの「お鉢巡り」に乗り出した。
相変わらず濃い瘴気と岩山の間から噴き出す高温の蒸気、小さな蟲とも魔物ともつかぬ地を這うものたち、そして目に見えないが確かに吹き荒れている魔力の嵐・・・メトレテスの正体と上級悪魔ゲルフィムのなしたことを知った後では、なおさらここが地獄の一丁目のように見える。
ただそこにいるだけでも消耗する魔境を歩き続け、昼前には、俺たちは持ち場に到着した。既に簡易祭壇が設営されていた。仕事速いよな、レムルス軍。
モーリア坑道を時計盤に見立て、静寂の館を「6時の方向」とすれば、俺たちがいるのは「9時」のあたりだ。
10時~2時ぐらいの遠い側にはレムルス軍の魔法職たちを含む部隊。3時にはカテラの残った2人、4時にはベハナームらパルテア勢。
俺たちに隣接する館寄りの8時の位置にはメウローヌ組だ。体調が回復しきっていないマリエール王女らをあまり歩かせられないって判断だ。
そして、5時~7時の館周辺には、巫女団がレムルス兵の護衛(半分は監視の意味もあるのか?それと遠話の使える魔法使いもいる)付きで展開している。
たしか巫女が結界魔法を使えるのはLV13か14ぐらいからだったかな、そういう者は5,6名だが、他の巫女たちも結界に魔力を注ぎ込んで補助することには慣れているから総出で参加だ。
そして館で指揮を執るのは、ヨーナス将軍とケッヘル侯爵、ルセフのじいさんたちもそっちにいる。
「シロー、半小刻後に開始だって」
遠話のために魔法戦士姿にしていたリナが肉声で俺たちに伝えた。
護衛についてくれてる20人ほどのレムルス兵たちにも緊張が走る。
「わかった・・・じゃあ、皆さん、よろしく頼む。結界に集中してるときに、魔物が襲ってくる、とかってのも考えられなくもないしさ」
「了解であります、男爵殿・・・総員、警戒レベルを最高にせよっ!」
隊長の命令で、屈強なフル武装の男たちが、俺たちのいる祭壇を等間隔で囲むきれいな陣形をつくり、槍と盾を構える。
「・・・りょーかい、感覚を同調、結界感知、うん、できてる」
静寂の館からの遠話が各所のメンバーに一斉連絡され、それぞれの魔法使いや僧侶、巫女らが坑道結界の認識を共有し始めた。
カーミラも目を細めて、リナと一緒に結界を感じ取ってるみたいだ。
(・・・カウント300っ)
集中を高めるためリナは口を閉じ、遠話の中継に切り替えた。
俺はカーミラと護衛隊長をパーティー編成し、遠話の声を共有する。
兵たちには隊長が肉声で繰り返す。
「カウント300っ」
本来なら百人以上の訓練を積んだ高位の神職が必要とされる、魔王を包む巨大な結界の修復。
それをにわか仕込みの限られた人数で出来るのか、どれぐらい効果があるのかもわからない。
けど、今はとにかく、出来ることをやるしか無いのだ。




