第320話 破綻
レムルスとパルテア、両帝国の密約によってひそかに行われていた魔力分布の測定によって、魔王を封じた結界の中央真上に、穴があいていたことが報告された。
「なんですって!?結界の上部に穴が開いている・・・そんな」
絶句するマリエール王女。
そして、ここまではっきりした結論は聞かされていなかったから、俺やカテラのアッピウス僧正らも驚きを隠せなかった。
昨日夕方、レムルス夜営地の天幕に集まった秘密会合の段階では、まだ分析結果はまとまっていなかった。
それを夜通し行うために、ヨーナスはあの時スヴェトラナに対し、「明朝、今後の方針についてとりまとめたい」なんて提案したわけだ。
魔王を封じた結界のど真ん中に穴が開いていた。
それが偶然のものだなんてことは、考えられないだろう。
けれど、どうやら俺たち以上に驚いている様子なのが、スヴェトラナ公女だった。
これが演技ということも考えられるけど、だとしたらアカデミー女優なみだと思う。
メトレテスの表情を見ると、主犯が誰かはっきりした気がする。薄々わかってたことだし、もちろん、そうは言っても“責任者”が知らないってこと自体アウトだけどな。
そのメトレテスは言葉を選ぶように静かに答えた。
「専門家の方々の学術的なお話は私たちには理解できませんので、なんともお答えしかねます。ただ、私たちには全く心当たりがないのです。私たちも代々受け継いでいる伝統ある方法で、魔力の観測を日々行っております。そこには何ら異変はとらえられておりませんでしたから」
初日に物見台を案内された時、あわせて封印の地での日々の勤めについても説明を受けた。
その中には、星を読んだり、神々への祈りを通じて結界に魔力を注ぎ込む勤行と並んで、古典的な魔道具である魔力の風車の動きを見てこの地の魔素の濃さを知る、というものもあった。
ただ、魔力風車の回り方でわかるのはかなり大まかな魔素の濃度に過ぎず、特に記録をとったりもしていない、そして近年特に変化に気づくこともなかった、とのことだった。
「もしこの地の結界に本当に綻びがあったとしても、それは以前からあったものなのではありませんか?もちろん、皆様が修復をして下さるというのであれば、公女様以下巫女一同、できる限りのお手伝いを致したいと存じますが」
元の世界でいう「分布図」みたいな詳しいデータに基づく結果を示されても、なお冷静にそう主張するのは、ある意味で大したものだと思う。
そして、こう主張されれば、それ以上の責任追求は難しい気もする。
だが、ヨーナス将軍は今度はケッヘル侯爵に視線を向けた。
「そうではない」
侯爵は静かにそう言った。
これまで一行の世話役的な立場に留まり、自分からなにかを主張することは少なかったレムルス帝国の上級貴族の言葉に、メトレテスも虚を突かれたようだ。
「この館で、数か月前に不慮の死を遂げた巫女がいた」
「「!」」
ぎょっとした表情を見せたのは、スヴェトラナとメトレテス、そして部屋の隅に控える巫女たちのうちの数名だった。
他の巫女たちは、思い当たることが無いかのように無表情だった。
それも不思議なことだ。ひとつの館で共同生活をしている、何十人もいない巫女同士だってのに。
「・・・そのことと、今回のことがなにか」
スヴェトラナが尋ねると、ケッヘル侯爵は懷から一冊の書物のようなものを取り出した。
「イーリアという巫女は、ミコライの学者貴族の娘でずいぶんと学問好きだったようですな。たまたま処分を免れていた遺品の中に、彼女が独自に付けていた魔力風車の観測記録があった」
メトレテスの顔に、初めて焦りのようなものが浮かんだ。
ケッヘル侯爵はルセフ伯爵を隣りに招くと、その記録帳を開いて見せた。
「この巫女は毎朝勤行の後で水汲みに行く際、この魔力風車を観察し、“半小刻の間に何回転したか”を記録し続けていました。何年もの間、ただ愚直に」
ケッヘルが言葉を続ける間、ルセフのじいさんは魅入られたようにその記録帳をめくり続けていた。
「そして、十一の月のある日から急に風車の回転数が増した、と書いているのです。それは、夜中に雷が落ち、翌朝峡谷の中央にそびえる魔の山の頂から瘴気のようなものが噴き出した後からだったと、不安に思ったことも書かれていました」
ケッヘル侯爵の話を引き継いだのはヨーナス将軍だった。
「公女殿下。そのような大きな異変があれば、ただちにミコライに報告し、公家からレムリアにも一報することが安全保障協定で定められています。もっとも、当時既に公爵はクーデターによりミコライを追われていたため知らせようがなかったのでしょうが、ならば、私たちがここに来てからも、ひと言もご説明がなかったのはどうしたことでしょうか?」
「そ、それは・・・」
スヴェトラナは助けを求めるようにメトレテスを振り返った。
さらに、ルセフが追い打ちをかけるように発言した。
「間違いなく、この記録は、さる十一の月よりこの地の魔素濃度が飛躍的に増したことを示しておりますな。それ以前より推定で2~3桁は魔素の量が増したと。ただし、その後は横ばいだったようです。ですがな、あの魔力風車はわしもこの地に来てから毎日観察しておりますが、現在はこの記録の頃よりもさらに大幅に増しておりますぞ」
「どういうことでしょうか?ルセフ伯爵」
尋ねたのはカテラのアッピウス僧正だった。
「さよう、この地の魔素濃度は、二段階に渡って増えたと結論づけられましょう。一度目がさる十一の月です。“瘴気の噴出が山の高さの何倍にも至った”という記述を見る限り、結界中央部が破られたのはおそらくこの時でしょうな。そして、その後この巫女が存命中は大きな変化は無かったものの、彼女が亡くなってから現在までの間に、もう一度魔力の噴出が桁違いに増す現象が起きている。これは推測ですが、先月の魔力地震がそれに該当する可能性がありますな」
ちょっと俺は頭が混乱してきたぞ。
カーミラなんか既に考えるのはやめたのか、くんくんまわりの匂いばっかり嗅いでる。
えーっと、要するにだ。
十一の月の末に亡くなった巫女が、スヴェトラナたちも知らない所で詳細な記録を付けていた。
それによると、十一の月の半ばに落雷?と魔の山からの瘴気の噴出があり、それまではずっと一定濃度だったこの地の魔素の濃度が、その後急激に上がった。
けどどんどん増えたわけじゃ無く、ドンと増えてその後は一定だった。
で、その後のどこかの時点で、さらに魔素が桁違いに増えて現在に至っている。 ルセフはこの二度目の急増が、一の月に起きた魔力地震の結果だと考えてる、ってことか。
ざわざわとささやき交わす各国関係者も、同じように情報を整理しているようだ。
そうか。
ケッヘルやルセフが結界の総点検に加わらず館に残っていたのも、こういう意味があったんだな。
「・・・で、繰り返しになりますが、なぜこのような事態が起きていたことを隠していたのか、お聞かせ願いたい。公女殿下」
ヨーナスがわずかに語気を強め、言い逃れは許さないという意思を伝える。
「そんな、隠していたなど・・・私はこのようなことは聞いていません、何かの間違いではっ」
スヴェトラナは明らかに動揺していた。彼女自身が信じられないと言った様子だ。
「そちらの巫女は知っているようですな」
ヨーナスは、彼女の背後に影のように立つ、メトレテスに目を向けた。
「昨年十一の月にまずなにが起き、なぜそれを記録していた巫女がたまたまその直後に死んだのか?そして、そのことと今回の魔力地震との関わりを」
「待って下さいっ、メティは私の最も信頼する巫女です」
動転したスヴェトラナは、二人だけの時にしか使わない呼び名を思わず口にしていたが、ヨーナスは容赦なく追求を続けた。
「そしてどうやら、誰がなんのために、このようなことを引き起こしたのかも」
長身の巫女は今や全く表情を消し、その雰囲気は巫女と言うより練達の剣士か刺客のように隙が無かった。
そう感じたのは間違いじゃなかった。
カーミラが俺の後ろから腕をぎゅっと握り、俺が振り向いてささやきかけた時、それが始まった。
ヨーナスの作戦はおそらく、ほぼ完璧にはまっていたんだろう。
ただひとつ、相手の戦力を彼もまた読み違えていたこと以外は。




