第317話 地獄のお鉢巡り
魔王を封じたモーリア坑道を囲む結界。そこに綻びがあるのではと疑うマリエール王女らの発案で、広大な結界の外周をめぐり総点検する調査行に俺たちは乗り出した。
一度死んだと言っても、まだ地獄に行ったことはないはずだ。それとも、ここがそうだったってオチなのか?
ついそんなことが頭に浮かぶ光景だった。
モーリア坑道を囲む結界のまわりには、整備された道なんてものは無い。
坑道は大きく陥没した広大な峡谷の地底にあるから、そのまわりの岩山を、荷を積んだオオツノジカを兵が引いてかろうじて歩けるぐらいの、比較的平らな所を探って進む。
ゴツゴツした岩場は吐き気をもよおすような瘴気の霧に包まれて視界が悪く、岩の間からは高熱の蒸気が噴き出している。
霧の中には、ところどころに針葉樹っぽい林がぼんやり見えるけれど、それはどれも奇怪にねじくれて、おまけにユラユラ妖しげに動いていて、ただの樹木とはとても思えない。
それ自体が魔物の一種なのか、そうでなくても植物も空間を満たす強い魔素の影響を受けるらしく、判別スキルにもただ<樹?>なんて曖昧に表示されるか、なにも表示されないかのどちらかだ。
魔力が非物理的な嵐のように一帯を吹き荒れていて、ごく簡単な魔法を使うのにも普段よりずっと集中して多くのMPを注ぎ込む必要がある。
魔法資質を持つ者ほど、いるだけでも消耗するような場所だが、危険を発見するスキルや魔法による探知能力を各人が最大限駆使して、慎重に進む。
岩の下や樹木の枝の隙間から、見たことも無いような奇怪な生き物がガサゴソと這い出し、うごめき、時には威嚇音らしい声をあげたかと思うと、素早く消える。
それでも、一行には低レベルの魔物を寄せ付けない“退魔”の呪文を使えるものや、同様の効果の魔道具を持つ者もいたからか、これまでのところ本格的な魔物の襲撃は受けていない。
ただ、生物相自体が元の世界はもちろん、転生してきたこっちの世界でもこれまでに見てきた所とは根本的に違うように思える、そんな魔境だった。
「魔の瘴気からは原始的な魔物が生じるだけでなく、元々は普通の生き物も、瘴気にさらされ続けることで、歪んだおぞましい変化を遂げていくのですよ」
俺たちの前を歩いていたマリエール王女一行が、足を止めてそう教えてくれた。
メウローヌ王家の紋章が刻まれたブレスト・アーマーと防御魔法が織り込まれたローブを重ねてまとった王女は、深窓の令嬢とは思えないしっかりした足取りで岩山を歩き続けてきた。
その足を止めたのも、常に陰のように付き従う女魔法戦士ルイフェから飲み物を手渡されて休憩するためと言うより、この場でまた結界を調べようというのが主な目的だったらしい。
メウローヌの3人のさらに前を歩いていたカテラ組と声を掛け合い、モーリア坑道の方向に向かって、俺にはよくわからない高度な技を使って、慎重になにかを探っている。
俺にぴったり寄り添っているカーミラも、それに呼吸を合わせるように、耳と鼻をヒクヒクさせ、五感を研ぎ澄ます。
カーミラはきっと、“結界察知”のスキルも使っているんだろう。けれど、小首をかしげている。
「・・・カーミラ?」
じっと考え込んでいる様子のカーミラに、しばらく待ってからそっと声をかける。
「うーん・・・シロー、こんなのはじめて」
戸惑った様子でカーミラが俺の方を向いた。
「結界はあるよ・・・でも、なにかが流れ出てる。ここじゃない、どこかから漏れてる・・・そんな感じ」
「結界はあるんだよな?」
「うん」
「その娘は人狼族だったわね、なかなか優秀ね」
マリエール王女が、カテラの一行を率いるアッピウスとうなずき交わしてからこちらに話しかけて来た。
アッピウスが続ける。
「我らの見立てでも同じだ。このあたりには具体的な綻びは見当たらぬ。これまでと同様にな。だが、どこかから魔力の大規模な漏出は続いているのは間違いない。いや、単なる魔力以上のなにかも、だ」
「それでいて、“どこからか”“どういう理由でか”はわからない。厄介なことにね」
俺は2人に尋ねた。
「このままだと、どうなっちゃうんですかね?それと、止めることって出来るんですか?」
顔を見合わせる2人を、俺だけでなく、まわりに集まっていた各国首脳も見つめている。
先に口を開いたのはアッピウスの方だった。
各国首脳にも聞かせるように、口調があらたまった。
「・・・もしも魔王を封じる結界にわずかでも穴が開いているなら、それは世界中の魔物や悪しき者たちを活性化させ力を与えるでしょう。逆に善なる意思や祝福された生命全ては蝕まれ病み衰えるでしょう。そして、そのことがさらに魔王に力を与え、口にするさえはばかられることですが、ついにはその復活にさえつながりかねない・・・そう伝えられております」
みんなが息をのむのがわかった。
それを見回して、マリエール王女が続けた。
「結界の穴がどこにあるか具体的に特定されない場合、このモーリア坑道全体を覆う結界そのものをもう一層張り直すしか無いと思います。しかし、これだけの巨大な結界を一から張り直すとすると、多数の術者がこの領域を囲むように配置され、タイミングと魔力の波長を同調させて行う必要があります。現状ではかなり難しいでしょうね」
これまでに何度か行われた多重結界の補修の際には、カテラから100人規模の神職がやって来ておこなったと言う。日頃から万神殿で一緒に修行し、息が合っている者同士の方が効果を発揮しやすく、それでも容易でないと言う。
今回の国際調査隊は、能力の高い魔導師や巫女がいるとは言え、混成部隊で数も少ないから難しいってことだな。
一行はそのまま、瘴気から身を守る浄化や治療呪文を定期的にかけ直しながら先へと進んだ。
だが、どこで結界を調べても、得られる結果は同じだった。
行程のおよそ三分の1を踏破し、その日の夜は、レムルス軍に守られ岩山の陰で天幕を張って野営することになった。
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二日目も状況は変わらなかった。
相変わらず瘴気に満ちた岩場を歩きながら、定期的に結界を点検していく。
やはり具体的な綻びは見つからない。
けれど、大量の魔力の漏洩、瘴気の放出は検知される。
一行は、その瘴気と身を守るための魔法行使でHPもMPを消耗しながら、なおも調査行を続けた。
「まだ、お続けになりますか?」
ちょうど結界のまわりを半周したあたり、つまり館から最も遠い場所に来たところで、案内役の巫女たちを率いるメトレテスが一行にそう尋ねてきた。
物腰は丁重だが、冷ややかさが口調ににじみ出ていた。
「ここまで来たら、いずれにしてもあと半周しなくては帰れまい。ならば反対側を調査して回り完遂して帰投すべきかと」
「ここでは転移魔法を使って館へ戻るのは困難でしょうからな」
アッピウスの言葉に続き、パルテアのベハナームが冷静に付け加えた。
魔力の嵐とも言えるようなこの地では、特にモーリア坑道を飛び越えるような形で転移魔法を使うのは危険が大きすぎる。そういう意味だ。
「・・・なにか異状があるのは間違いありません。皆様、引き続きよろしくお願いしますわ」
マリエール王女が、憔悴を隠せない顔色でそう結んだ。
なんと言っても険しい道程だし、おそらく魔の瘴気によってダメージが蓄積しているのだろう。
それでもこの点検調査を提案したのは彼女だし、スヴェトラナ公女への対抗心もあって後へは引けない面もあったかもしれない。
王女はこれまで以上に念入りに結界の状態を調べながら、先へと向かう。
その様子を、メトレテスがじっと見つめていた。




