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第316話 (幕間)秘めごと

 静寂の館は、200年前に建てられた石造りの重厚な建築物だ。


 ここは巫女たちが日々の厳しい勤めを行う最北の修道院であり、北の巫女がわずか数百人とは言え部民を治める領主の館でもあるが、もうひとつ最も重要な役割がある。


 たかだか三階建てで決して大きいとは言えぬ建物だが、ここは魔王の復活に備えた最前線の砦でもあるのだ。


 壁面には古えの叡智を集めた魔除けの術式が彫り込まれ、物理的にも分厚い石壁に囲まれて破城鎚や投石器程度では破ることが出来ぬ堅牢さだ。

 それゆえに遮熱・遮音性も極めて高いし、無論、邪悪なものの侵入や攻撃を防ぐために魔法防止の結界が幾重にも張られている。


 だから、その最上階の最奥にある北の巫女の私室で、どんな会話が交わされていようと知る者は無い。


 夜も更け、その広くはないが美しい装飾の凝らされた私室にいるのは2人だけ。


 部屋の主たるスヴェトラナ公女と、その護衛であり相談役であり、今やそれ以上の存在であるメトレテスだけだった。


 それが文字どおり護衛として前室に控えているのであれば、誰もいぶかしくは思わなかっただろう。

 だが、二人は公女の寝台の羽布団の中で寄り添ってささやき合っていた。


「疑われていたわよね」

「まちがいありませんね。私たちの怠慢で魔王の結界が破られ、それに気づいてもいない愚か者か、あるいは不始末を隠蔽しようとしているのだろう、と最初から決めつけるような感じでしたものね」


「・・・本当に大丈夫、なのよね」

「調査のことが?それとも結界そのものですか?」

「・・・どちらもだけど」

「心配なさることはありませんよ」

 二人だけの時にしか決して見せない気弱な様子のスヴェトラナを安心させるようにメトレテスが受け合った。


「でも・・・あの魔力地震、大変だったじゃない?館中パニックになって。それに、その前も去年の秋だったかしら、夜雷みたいな衝撃が走って、朝見たら魔の山から噴火みたいに瘴気が噴き出すのを何人も見て・・・なぜか今はみんな、巫女も村人もよく覚えてないみたいで、それも不思議なんだけど、あれ、本当にあったことよね?」

「・・・大丈夫ですよ。私たちが調べて来てご報告したでしょう?何事も無かったのです」


「けれど・・・ターニャと、イーリア、だったわよね。メティと一緒に調査に行って犠牲になった巫女たちがいたでしょう・・・」

「魔物が増えていますから。それはもうずっと何年も前からのことです。それにあの娘たちは前から反抗的でしたから、きっと神罰を受けたのでしょう。信仰が足りなかったのです。私たちのせいではありませんし、公女様が気に病むことはありません。私たちはすべき役目を命をすり減らして日々行っているではありませんか?南の者たちに責められる筋合いなど無いのです」


 どこか曖昧な記憶をたどるように疑問を呈するスヴェトラナに、メトレテスは暗示にかけるように言葉を強めた。


「そ、そうね。そうよね、そうだわ。私たちが責められるようなことは、なにもないわ。なのにあの南の巫女ったら、本当にいけ好かない女。私たちがこの最果ての地に閉じ込められて、日々魔王の瘴気と圧力に気が狂いそうになりながら勤めを果たしているって言うのに、さも私たちの落ち度で結界が破られたみたいに」


「そうです。メウローヌは豊かで温暖な国、その第一王女ともなれば宮廷でもちやほやされて、多くの殿方にもかしずかれて勘違いしてしまっても不思議はありませんわ」

「そ、そうよ!あの女ったら、私の方が巫女としても先輩なのに侮っているの。そうに決まってるわ。あんなに若くて美しくて、私は魔王の瘴気にさらされて暮らし続けて、こんなにみすぼらしく老いる一方なのに・・・妬ましい、妬ましいっ」

 いつしかスヴェトラナは感情のたがが外れたように、毒々しく負の感情を吐き出し始めた。


「公女様はお若くて美しいですわ。そしてこよなく気高く神々しいお方です。あの南の売女など、きっと自ら言い出した調査行で報いを受けることでしょう。豊かな南の国で安穏と暮らしていた者たちは、この地の魔物の多さなど想像もしていないでしょうから、思わぬことで命を落とすかもしれませんわ。それこそ神罰です」

「そうね、痛い目に遭えばいいんだわ、あんな女。でも、メティ、あなたが心配よ。これから何日も会えないなんて、私イヤよ。案内なんて他の者にさせたらいいのに」


 子供のように駄々をこねる公女の頭を腕に包み込むようにして、メトレテスは耳元に言い聞かせる。


「そうは行きませんわ。各国の高貴な身分の賓客を案内するのに、下位の巫女だけというわけには行きませんし、先日の調査で現地を見てきた私が案内するのが一番なのです。私だって公女様と離れるのは寂しいですけど」

「イヤ、公女様なんて他人行儀な呼び方もしないで!今は二人きりなんだから、いつもみたいに呼んで」


「・・・スヴェータ、私のスヴェータ」

 メトレテスは甘い声で、彼女の胸に顔を埋めた公女にささやきかけた。公女の痩せた肢体が、ぶるっと震えた。


「大丈夫よ、心配いらないから。ほんの2,3日だし、あのいやらしい南の巫女が神罰に合うのを見届けたら、すぐ帰ってくるわ」

「ほんとに、すぐに帰ってきてくれる?」

「ええ、約束するわ」


 ようやく安心したように落ち着きを取り戻したスヴェトラナに、メトレテスはからかうように言葉をかけた。


「そういえば、あの男は好みのタイプだったの?スヴェータ。ほら、会合の後で、イスネフの異端者のことであなたにわざわざお礼を言いに来た、たしか、エルザークの副使の男爵だったわよね?あなた嬉しそうだったわよね」

「え、やだわっ、なに言ってるのよ。違うったら!あんな冴えない男、全然タイプじゃないから。ただ、ほら、懐かしかったのよ。だってもう十年以上前よ」


 スヴェトラナはほんのり朱に染まった顔を上げて、メトレテスに抗議した。

「お母様の葬儀で、一度だけミコライに戻ることを許された時のことだったから。ここから出られたのなんてあの時ぐらいなんだから。たまたま、その時、宗教者会議に陳情に来ていた者たちがいて、かわいそうだから『どうか寛大な処置を』って提案しただけ。でも驚いたのは確かよ。あんな戦争があって、プラトって国自体がもう失われたも同然なのに、それでも流浪した民が今も生きてて、小さいなりに安住の地も得てるって聞いて、それは本当によかったと思った。神々はちゃんと見守って下さっているのだって、そう感じたの」


 かつて、自らが声をかけた清教派イスネフ教徒たちが流浪の末に安住の地を得た――――そのことに思いを寄せるスヴェトラナは、その時ばかりは本当の聖母であるかのような慈愛深い表情を浮かべた。


 メトレテスはその様子を無表情に見つめていた。


「宗教も宗派も違っていても、善行を積み祈りの心を忘れない者たちは、こうして神々の御心のもとで、命を受け継いでいくのね・・・私はこんなに年老い醜くなる一方だけれど・・・」

「スヴェータは美しいわ」

「いいのよ、わかってるから・・・羨ましいの、妬ましいのよ、あの女が。あのエルザークの男爵だって、会合中ずっとマリエールの方ばかりちらちら見てたのよ。私が気づいてないとでも思った?あの女もあの女よ。あんな肌を露出する服装で、男好きのする体で・・・巫女のくせに酒場女みたいに若くて色鮮やかで男たちに注目されて・・・くやしいっ」


「スヴェータ、スヴェータ、大丈夫よ、あの売女には必ず神罰が下るわ。だからあんな女のことはもう気にしなくていいの」

「メティが羨ましい。メティはずっと年をとらずに、こんなに美しいままなのに・・・」

「・・・スヴェータ。大丈夫、もうすぐだから。もうすぐ、偉大なるお方が降臨して、スヴェータにも祝福を与えて下さるわ」

 再び胸に顔を埋めたスヴェトラナを抱きしめながら、メトレテスが甘くささやく。

 だが、その瞳がいつの間にか赤く光っていることに気づく者は無かった。


「・・・私、それまで生きていられる?」

「もちろんよ。スヴェータは若くて美しい。私だけの宝物よ・・・ほら、貴女の体はこんなにも若くて潤っているわ」

「だ、ダメよ・・・いけないわ、メティ」

「あら、ダメなの?」

「・・・そんな、いじわるしないで」

 いつしか息を荒げた公女の体がもじもじとくねる。


「いけないの?やめてほしい?」

「ダメよ、そんな・・・いや、やめないで」

「素直になったわね、スヴェータ。いいのよ、女同士なら姦淫ではないの。だから、巫女の資格は傷ついたりしない、そうでしょ?」

「・・・」


 白く美しい2匹の蛇がぬめぬめと絡み合う。

 静寂の中で夜は更けていった。

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