第308話 王命
二の月の新月の日、つまりもとの世界で言えば2月1日のことだ。通常ならこの世界では月一回だけの休日なんだけど、俺は早朝から王宮で国王陛下に拝謁していた。
ルセフ伯爵って名前には聞き覚えがあった。
たしか南部戦線でイリアーヌさんが交渉して味方につけた領主で、マレーバ伯爵に援軍を送って、一度はマジェラ王国軍を食い止めた人だった。
だからなんとなく、“歴戦の猛将”みたいな人を想像してたんだけど、ぜんぜん違った。
「ほうほう、おぬしがオルバニアのお嬢ちゃんの下で戦ったという、あの、なんだったか・・・そうじゃ、スクタリ攻防戦の立役者だったんじゃのう」
総白髪で小柄で痩せた、あたりの柔らかいじいさんだった。
<オスカー・ルセフ 男 71歳 文民LV23>
これまで会った領主貴族はロードとか騎士ってジョブが多かったけど、この老人は、ハメットさんたちと同じ<文民>だった。
非戦闘職にしてはえらくレベルが高いし、この年齢でステータスに(老)って表示されないのは、まだしっかりしてるってことだろうから大したもんだよな。
こっちの世界の70代なんて、元の世界じゃ80とか90近い年齢にあたるよね?
“オルバニアのお嬢ちゃん”って言うのはもちろんカレーナのことで、どうもこのじいさんは先々代のオルバニア伯爵、つまりカレーナの祖父の盟友だったらしい。
で、このルセフ伯爵と俺が同席しているのは、一緒に国王に呼ばれて、厄介な命令を受けたからだ。
いや、緊張しましたよ。ガッチガチだよ・・・
年末に略式の叙爵で王太子に謁見した時も緊張したけど、今回のは国王テレリグ2世本人に初めて拝謁したわけだから。
それも、決まり文句があるような形通りの叙爵とかと違って、本当に特別な王命ってのを受けたのだ、一応は。
まあ事前に官僚だの次官だのに色々説明は受けてたから、ひたすら
「ははっ!」「御意にございますっ」
とか、下向いて言ってるだけでよかったんだけどね。
とにかく、ようやく謁見が済んで控えの間に下がりぐったりしていたところで、ルセフ伯爵に声をかけられたわけだ。
俺たちが命じられたのは、プラト公国の“封印の地”への調査団、にエルザーク王国の代表として参加するように、ってことだった。
いや、代表者はルセフ伯爵であって俺ではない。
ルセフのじいさんは、実はエルザークでは名高い歴史研究の大家らしい。
軍人貴族ではなく文化人系の貴族なんだな。
どおりで王様の前でも、優雅な作法で余裕ありげに振る舞ってたわけだ。
なんでも伯爵はテレリグ2世の少年時代の教師役のひとりだった、とも聞かされたしな。
でもって俺は(というかリナだけど)数少ない、プラトの公都ミコライに転移魔法で飛べる登録をしている貴族なので、ルセフ伯爵の運び屋、兼護衛、兼一応は副使として、伯爵一行を連れて行け、と命じられたんだ。
けど、プラトに進軍した国軍には魔法使いぐらい何人もいたのに、なぜ俺に?
当然そんな疑問を持ったんだけど、外務省で聞かされたのはこういう事情だった。
今回の魔物の大発生は、各国に大被害をもたらしている。現在進行形でだ。
で、俺がエレウラスに聞いたように、数は少ないがこれが魔王に関係する現象ではないか?と疑っている国がいくつかある。
そうした中で、プラトの宗主国であり実質的に占領中のレムルス帝国が、ミコライからはるか北東で魔王が封じられていると伝えられる“封印の地”に調査隊を送り込むことになり、エルザークなど数か国が、これに同行させてもらいたい、と申し入れた。
ヘタをすれば世界の滅びにさえつながりかねない問題だから、レムルスも他国の要員の同行自体は拒否しなかった。
ある意味、管理責任を問われる立場だし、万一魔王が生きてたとかヤバイ事態になったら、さすがに各国との協調関係も重要になるし。
ただし、『他国の軍人は連れて行けない。あくまで文民による視察、あるいは学術調査としてレムルス軍に同行したいのなら、最小限の人数を受け入れる』という条件がつけられた。
そこで軍人は選考対象から外れ、歴史学者として200年前の魔王大戦のことにも造詣が深いとされる、文民のルセフ伯爵が代表になった。
そして、同行者は軍人以外でミコライに行ける者、ってことで俺に話が来たわけだ。
「それとな、多くの領主貴族は今や魔物の討伐と領民の保護でたいへんな状況じゃ。そこで、最も被害が出ておらん領主、というのも考慮されたらしいぞ」
王都から、“各地の迷宮が魔物大発生の原因と思われる。至急討伐・封印せよ”という指示が出されたとき、同時に各領主に被害状況の報告も求められた。
うちは幸い今のところ領民の死者はゼロだが、そんな領主は他にほとんどいないらしい。
ルセフ伯爵のところも被害ゼロでは済まなかったものの、もともとルセフ家は裕福で、全ての町と主要な村には街壁か結界装置が備え付けられていたそうだ。
そして、領内に現存する迷宮は地下九階層と五階層の2つだけだったために、すみやかに制圧に成功したそうだ。
伯爵自身はいくさとかは無縁なタイプに見えるけど、優秀な指揮官や兵士がそろっているらしい。
「心配じゃろうが、オルバニア家もなんとかやっとるようじゃぞ」
オルバニア家が広大な旧領を回復したことでルセフ領とは隣接することになり、ルセフ伯爵はカレーナたちの状況もかなり詳しく知っているようだった。
領境では魔物相手の共同作戦も行うわけだから、当然と言えば当然だ。
幸いあまり被害は出ていないらしい、と聞いて少しほっとした。
ミコライに集合するのは2日後。二の月・上弦2日の夕刻だ。
当日またデーバでルセフ伯爵らと落ち合って、リナの転移魔法でミコライまで移動するってことになった。
問題はまず、伯爵が“随行者は3名連れて行きたい”と言っていることだ。
だから俺はリナ以外にひとりしか連れて行けない。
まあ主役は伯爵で、俺自体がお供であり運び屋に過ぎないんだから仕方がないんだが、誰を連れて行くのがいいんだろう?
そして、6人パーティーだとしても、一気にデーバからミコライまで転移するのはリナのMP的に無理だ。
今ならなんとかデーバからシクホルトまでは飛べそうな気がするが、それも一度には無理だったら、2回に分けてだ。
そしてシクホルトで回復した後、あらためてミコライへ、だな。
だからやっぱり、あさっての朝にはデーバ発ってことにしとくべきだな。
伯爵とそんな形で段取りを確認してからデーバの城外に出ると、帰りはいったん、ヴェスブルクの辺境伯の館に寄った。
魔物大発生への対応状況の報告のためだ。
ヴェスブルクはさすがに大都市で、堅牢な城壁と結界装置にも守られているけど、登録してある城門前に転移すると、いつもと違い通りを行き交う馬車も見られず、城門がぴたりと閉じられていた。
衛兵に名前を告げて身分証がわりのギルドカードを見せると、すぐに通してくれたけど、城内もかなりざわついていた。
「シローどのか・・・見ての通り、うちも厳しい状況だが、そっちはどんな様子だ?」
最初にキヌークに案内してくれた辺境伯の娘婿のカメーネフ卿が、軍装のまま出迎えてくれた。
ヴェスルントの辺境伯領は広大だから、未制圧の迷宮が領内に5つも確認されているそうだ。
西は大森林地帯、北はデーベル河と俺の領地、東はヴェラチエ河と、領外からの魔物の侵入はほぼ無いのが救いだが、領内の迷宮から湧き続ける魔物の群れに、かなり広い範囲が蹂躙されたのだと言う。
「私はこれから軍を率いて救援要請の出ている村に向かわねばならんが、義父上に会われていくとよい・・・」
カメーネフが辺境伯のところに案内してくれた。
レフ・タラグスト辺境伯は50代の半白の髪とひげを備えた、大柄で恰幅のよい男だ。
直接ちゃんと話をしたのは着任前に立ち寄った時以来だけど、このおっさんは大貴族と言うよりたたき上げの開拓集落の長みたいな雰囲気だ。
質朴でイヤミの無い人物だけど、少々頼りない感じもする。
「思った以上に領内の掃討に苦戦しておってな、迷宮の制圧はもう少しかかりそうだ。寄親でありながら、最前線にあたるシローのところに増援も出してやれず申し訳ない・・・」
辺境伯は、兵は残念ながら回す余裕が無いが、物資の支援ぐらいなら渡し船で送らせるから、できることがあれば言ってくれ、とのことだった。
俺は“お気持ちだけいただいておく”なんて大人な返事をして、今回の王命のことも報告し、帰途についた。
だが、館に着くと、今度はうちもざわついていた。
「シローさん、お帰りなさい!」
「ちょうどよかったわ、シロー、侵入者らしいの。今、センテたちが状況確認に向かったところ」
ノルテとルシエンが早口で教えてくれた。
敵対する者を通さないはずの、俺が作った“選択式結界装置”。
それに囲われているはずの領内に、馬に乗ったならず者らしい連中が侵入して、村人とトラブルになっているのだと言う。




