第300話 (幕間)預言者の決断
東方の大国・パルテアの皇帝ミフルダテスⅢ世が突然崩御し、帝国全土は喪に服していた。
“亜人戦争”の発端の地、東方で戦火は未だ消えてはいなかった。
戦争の元凶たるイスネフ教の総本山、イシュタール神国に向けて進軍していたパルテア軍は、皇帝崩御が世界に公表されると同時に、服喪のためとして突如行動を停止。
“皇帝の御霊がフラマーズダの神々の元に迷わずたどり着けるよう、静謐の時を設ける”として陣中で詠唱と祈りを捧げると、本国への帰途についた。
だが、パルテアと同盟して南からイシュタールに迫っていたジプティア王国軍は予想に反し、止まらなかった。
パルテアから持ちかけられた同盟であったにも関わらず、そもそも多神教の源流としてイシュタール建国以来、紛争を繰り返してきたジプティアでは、既にパルテア相手に多くの兵を損じた今のイシュタールであれば勝てるとふんだらしく、一層の攻勢に出ていた。
さらに、イシュタールに迫る兵は陸路だけではなかった。
「アンキラの軍船だとっ、まさか!?」
豪華な調度と宝玉に彩られた聖教会の謁見の間で、男は教主の座から立ち上がり、声を荒げた。
その美しい容貌にも、今は憔悴の色が隠せない。
「まことに信じがたいことですが、アンキラの旗を掲げた大帆船が10隻以上、沖合に接近中とのことです。神聖騎士団はジプティア軍の迎撃のため、南下しておりますので、教会親衛隊500が直ちに港に向かっております」
報告する指揮官は、預言者と目を合わせようとせぬ。
「た、大砲があったろう。ガリスの新型砲が!」
「恐れながら既に火薬が残り少なく、ここで使ってしまえばジプティア軍との決戦の際に城壁を守るすべが・・・」
「そのようなこと、今を乗り切らねば明日など・・・」
そこで男はハッと気付いた。
それから不意に冷静さを取り戻し、“力”を行使した。
《神の名において告げる。命に代えて、この地を、神の言葉を預かる我が身を死守せよ!》
彼の唇が、天上の楽の音のような涼やかな声を放った瞬間、謁見の間に淡い光が満ちた。
居並ぶ多くの武官文官らが、突如として喜悦に面を染め瞳を爛々と輝かせた。
「「「ははっ!イシュテラン神の御名の下に預言者様に命を捧げますっ」」」
別人のように力強さと覇気に満ちた隊長が大股で謁見の間を出て行くのに続いて、武官ばかりか戦いとは無縁な文官たちまで駆けだしていった。
「ちっ、まだ使える者まで戦死させることになるが、やむを得まい」
そう口の中でつぶやくと、身振りで残された女官たちに耳に詰めた綿を抜くよう指図する。
そう、彼が<預言>のスキルを使えば、それを耳にした人間はほぼ逃れるすべもなく、その通りに行動してしまう。
それこそが預言者の恐るべき能力のひとつだった。
そのため、彼に選ばれた少数の者たちは常に、必要な際には耳を封じられる用意をさせられていた。
「もうよいぞ、お前たち。余はしばし預言の塔にこもり、神の言葉を授かってくる。誰も近づけぬように」
立ち上がる彼の裾と足とに口づける女官らを残し、背後に影のように従う美女一人を伴って、彼は聖教会のもっとも高所にある塔へと登った。
「教主様、正しいご判断と存じます。今少しの時間さえ稼げればよいのです。あの方が近づいておいでです、とうとうお帰りになりました・・・」
乳のように白い肌、血のように赤い長い髪。
この世のものとは思われぬ美貌の女は、彼女こそが神託を得でもしたかのようにうっとりとした表情で、そうささやいた。
そう、それを遠話で伝えられたからこそ、彼も落ち着きを取り戻したのだ。
塔の高みから見下ろす彼方の海には、既に外洋帆船の巨体がはっきりと見え、やがて大砲の発射音が次々と轟き始めた。
アンキラの軍船から放たれた砲弾は、港湾に着弾し地響きを立てる。足下の教会で多くの悲鳴があがる。
だが、彼の心はもはや動揺することはなかった。
まもなく、海の彼方に煙が上がるのが見え、アンキラの帆船をはるかに上回る巨船がみるみるうちに近づいてきた。
そして、空気をびりびりと震わせるような爆発音と共に、一隻の帆船が炎上した。
次々と上がる水柱、そして火の手、真っ二つになる帆船。
アンキラの船とは比較にならぬ破壊力と射程を持つ砲が、その威力を発揮しているのだ。
「あれが最新鋭の機動船か・・・」
その船体にはガリス公国の紋章が描かれている。
間違いなくフート侯爵を名乗るあの男が乗船しているのだろう。
蜘蛛の子を散らすように逃げ始めたアンキラ艦隊だが、しょせん帆船では出せる速度も小回りも機動船と比べるべくもない。
かろうじて、たった一隻だけが逃走に成功したのは、むしろそれを本気で仕留める気が無い、あるいはあえて力の差を見せつけ、戦いの結果をアンキラ王国に知らしめるため、としか思えなかった。
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「侯爵よ!心配していたぞ。これまでどうしていたのだ」
上陸したガリス人たちは300人ほどだった。
軍人と思われる者が半数。残りはフート侯爵の配下や協力者たちと思われた。
フートは、“この男が機動船の開発者ジェラルドソン博士だ”と1人の男を紹介すると、ジェラルドソンと配下の技師・職人らに、聖教会敷地内の安全な場所に工房を設置させたい、と言い出した。
「必要な加工装置や資源は運んで来た。彼らの自由にさせれば、貴公に渡してある銃砲の弾や火薬の生産が可能であるし、蒸気機関や電信機も活用できる・・・」
フートは彼の質問には直接答えることなく、戦局をくつがえすためだとして次々と策を提言した。
それはいずれも実現できるのなら理にかなったものだったから、彼は教会と騎士団の者らに、指示に従い最大限の便宜を払うよう即座に命じたのだった。
当面の危機を脱する手はずが済んだ後、フートと彼とラハブの3人は再び預言の塔の上階に登った。
「フート侯爵よ、なにがあった?そなた程の者が、随分と深手を負っていると見たが?」
彼がフートと初めて出会ってからの四半世紀、この底知れぬ男がこうまで精気を失っているのを見たことはなかった。
「ふむ、それを察するとは、やはり貴公はただの人間とは違うと見える。だが、心配はいらぬ。数百年の齢を重ねた鬼女と渡り合ったゆえな、いらぬ傷を負わされた。が、なすべきことはなして来たよ。封印の地に赴き、貴公が持つスキルを発揮できるようにしてきたのだ・・・ドナルド・ミカミよ」
「な、なにっ!?」
預言者を名乗り、教主、あるいは神の代理人と称する彼の本名を呼ぶ者は、この20年以上いなかった。
無論、フートにも名乗ったことは無い。彼のステータスは、通常のスキルでは見られぬように隠蔽が施されているのだ。
そして、そのこと以上に驚いたのは、彼のボーナススキルを理解しているかのようなフートの口ぶりだった。
「・・・一体そなたは何者なのだ?」
「はて、今更な問いだな。我と貴公は同盟者だ。それでよかろう。いずれにしても、今日は敵を追い払えたし、ジェラルドソンに大砲や異世界兵器の整備をさせればしばらくは戦えよう。だが、それだけで世界はつかめぬぞ?それに、元々この世界に無かった力を多用するのは避けねばならぬ。貴公にもわかっていよう」
フートを名乗っていた男は、内在していた力の多くを失っているように見える一方で、より人間ならざる雰囲気を隠さなくなっていた。
だが、フートの言うことは彼にも理解出来た。
もとより、最大の敵と言うべきパルテア軍は一時止まったに過ぎぬ。
その20万とも言われる兵力が再び動き出せば、フートから提供された兵器がいかに強力だろうと、イシュタールは灰燼に帰すだろう。
戦局をくつがえすには、聖戦を起こし大陸中のイスネフ教徒を決起させた以上の、大きな力が必要だ。
「・・・預言者のスキルを使えば、それが可能だと?」
「うむ、まずは<覚醒>が使えるようになったはずだ。そのために封印に穴をあけてきたのだ。だが、<業火>はまだ使えぬだろう。それは<覚醒>を機に邪教徒たちの多くの血が流され、それが供物となって初めて力を発揮できるようになるはずだ」
「そ、それを知るとはそなたは一体っ?そして何が覚醒するというのだ!?」
「おや?それを疑うのか?貴公のスキルだぞ。それに、貴公は神の代理人なのだろう?ならば覚醒し降臨する者は何者か、預言者たる貴公が一番よく知っているはずだが」
「それは・・・」
ミカミが本当に神の代理人であるなら、彼が呼び覚ます者がなにかは明らかだ。
だが、そのことを誰よりも信じていないのは彼自身だった。
それでも我が身の破滅を免れ転生した時に望んだ世界を手に入れるためには、他に選択肢は無かった。
なおも迷う彼に、ラハブが慈母のごとき微笑を向け、その胸に額を寄せた。
「教主様、ラハブは教主様のお力を信じております・・・」
そしてこの日、大きな、あまりにも大きな力が、覚醒した。




