第298話 となりのロトト
戦乱で荒れ果てたデーベル河北岸地域、かつてのシゲウツ村から数騎の男たちが西に向かっていた。
「ロトト様、このようなへんぴな所に本当に村などあるのか、知っていても疑わずにはおれませんな」
「まったくだな。下賜されたのが西シゲウツでまだましだったと言うところか。うおっ、このような所に湿地か?みな馬の足を取られぬよう気をつけろよ」
「「ははっ」」
荒れ果てた旧シゲウツ村のありさまには、ついに領地持ちとなった喜びも半減してしまうほどだったが、そこを発って西に向かうにつれて、オレの気持ちは皮肉にも少しばかり上向いていた。
“下には下があるもんだ”と。
もともと同じ自由開拓村と言っても、エルザークの北の玄関口である大都市ビストリアに近いシゲウツ村は、人口は2500を数える「街」と言ってもおかしくない規模があり、文化度もそれなりに高いと言われていた。
ビストリア-シゲウツ間には、街道と呼んでもそうそうおかしくない程度の道も整備されていたし、村特産の地酒や砂糖漬け菓子などは、ビストリアで高値で売れたのだ。
それに対し、西コバスナ山地の中の寒村にすぎず、各国からのあぶれ者たちが集まって出来た隠れ里のようなキヌーク村は、人口はシゲウツの半分にさえ遠く届かず、道らしい道も通っていない、人より獣や魔物が多い土地だと聞いていた。
それを裏付けるように、オレたちの眼前にはただの荒れ地や藪が広がり、そのわずかな平地さえも、この先は右から西コバスナ山地がぐっと迫り、左のデーベル河との間に本当に狭隘な土地が続くだけに見える。
そして、シゲウツの中心部を一歩出た途端、オークやらコボルドやらがうろつくようになり、もう幾度か側近たちとともに槍を振るう羽目になっている。
戦乱のためばかりでなく、ここ数か月魔物がえらく増えたらしい。それも西から来たと聞く。
正直、論功行賞の際に聞かされていたのと異なって1つの村の半分しか与えられなかったのは今も不満だし、その西シゲウツ=ヴェスゲウツ集落の廃墟のようなありさまを一刻も早く復興させたい今の状況では、特に得るものがないであろう辺境の村への訪問に時間を割くなど、無駄なことだとは思う。
だが、新たに着任した領主として、隣接する領主を一度は表敬訪問するのは貴族社会の常識だ。いらぬ軋轢を避けるためにも、必要なことだろう。
キヌークの領主はたった1か月とはいえオレより先に着任しているのだし、腹立たしいことに身分も男爵であり准男爵のオレより上だ。
だからなおさら、こちらから訪問するのが筋だと言うぐらい、ちゃんとわきまえている。いまやオレもれっきとした領主貴族サマだからな。
しかし、二十歳になるならずの若僧らしいのに、いきなり男爵位と村ひとつを与えられるとは一体どんな幸運の持ち主なのだろう?
その人物をしかと見極めたい、という気持ちはある。
わざわざ村の復興の普請で忙しい身を西に向けたのは、それが最大の理由と言っていい。
あまりロクでもないヤツだったら、今後の当家の治安維持や発展にも邪魔になるしな。
まあ、その場合は北部戦線随一の槍働きを見せた百戦錬磨の騎士として、隣領の若い主にたっぷり教えてやるとしよう・・・。
そして、馴れ合いはせんぞ。
オレは貴族社会の派閥で言えば、近接するビストリアのテムレン伯爵の寄子、という扱いになる。
貴族はみな国王陛下の家臣だが、一応の上下関係はある。上司のような存在、寄親にあたるのがテムレン伯なのだ。
一方でキヌーク村は、オレの領地と隣接するとは言え、川向こうのヴェスルント辺境伯の寄子になる。
テムレン伯爵とヴェスルントの辺境伯の仲の悪さは有名だ。
言わばオレの領地とキヌークとの間に派閥の境界線があるのだ。
一方でキヌークの領主については気になる噂も聞く。
戦前はシゲウツと比べものにならぬほどの寒村だったキヌークが、新領主が着任してからわずかな間に驚くほどの復興を遂げている、というものだ。
なんでも、オレたちが治安悪化や住民との軋轢を避けるため、必死に流入を防いでいる難民どもをどんどん受け入れたばかりか、彼らに無償で食い物を与えたり農地まで与えているとか。
もしオレの領地と同じく、当面は税を取らぬ条件で王国に編入されたのであれば、財源も無いなかでそのようなことは出来るはずが無いのだ。
むろん読み書きも出来ぬ貧民たちの噂など全くあてにならぬ。
なにしろその噂の中には、最近ビストリアに導入された最新型の結界装置もそのキヌークの領主が作ったのだとか、南部戦線でマジェラの大軍勢を打ち負かしたのもこの男の妖しい魔道の技だった、などという話まである。
娯楽のない下々が作り話で憂さ晴らしをするのはよくあることだが、荒唐無稽としか言いようが無い。
だが、なぜそんな噂話が出回っているのかは気になる。
「ロトト様、まもなく領境ですぞ」
戦争中にプラト軍が藪を踏み荒らした跡を踏むように進んでいた馬が、ようやく小径らしいものが現れて歩みを早めている。
デーベルからこのあたりにかけては、たしかヴェスルントの辺境伯が少しばかり整備したと聞いている。
山間の道を緩やかに曲がり、眼前にキヌーク川という支流が見えたら、そのあたりからはツヅキ男爵領になるはずだ・・・
「む? 止まれっ」
ククルスが不意に叫んだ。
「どうした?」
「・・・結界があります」
結界だと?
オレには魔法資質が無いらしくそういうのは全くわからないが、魔法使いでありオレの知恵袋でもあるククルスがそう言うのなら、そうなのだろう。
「だが、なんの結界だ?なにも変わりはないようだが」
戦士のイダルゴはオレ以上に魔法だの妖術だのには縁の無い男だから、なにも感じていない様子だ。
だが、スカウトのキーブは眉をひそめてまわりの気配を探っている。
「ロトト様・・・何者かが“索敵”スキルを使っている気がします」
「なんだと、誰か隠れているのか?」
「いや、人の気配は無いのですが・・・よくわかりません」
「あの噂もまさか本当であったとか・・・」
ククルスが言ってるのはあのビストリアの結界装置の話だろう。
だが、結界と索敵がどう関わっているというのだ。
いずれにしても、こちらを害するものではないようだし、今日キヌークを訪ねることは連絡済みだから、腑に落ちないがそのまま進むことにした。のだが・・・
「なんだあれは?」
「さ、さあ、いったいどういうことなのか・・・」
結界らしい場所を通過しカーブを曲がった途端、眼前に突然、王都近くの主要街道かと思うような、馬車がすれ違えるほどの広さの道が整備されており、それは小川にかかる石造りのような立派な橋へと続いていた。
そして、その橋の向こう側にはやはり石・・・にしては薄く精緻に加工が施された門扉のようなものがあって現在は開かれており、その横に小さいながら堅牢そうな造りの二階建ての番小屋が建っていた。小屋の上には物見櫓まで立っている。
これではちょっとした国境の関所なみではないか。
とうてい人口1千ほどの辺境の村の入口のつくりではない。
家臣たちもみなあっけにとられ、馬を止めている。
「おい、あれは」
「おぉ、領主さまが言っておられたお客人じゃわい」
その番小屋から声が聞こえた。
少しばかり安心したことに、その番小屋にいたのは精鋭の兵などでは無く、槍を持ち慣れてもいない、いかにも村人といった風情の少年と老人だった。
「農民LV2とLV6ですな」
判別スキル持ちのキーブのひそひそ声にも、安心した響きがある。
「う、うむ。所詮は辺境の小村、我々が臆することなどないぞ」
オレたちは他領の領主一行であり客人であるから、堂々と振る舞えばよいのだ。
「ん?あれは・・・」
だが、その番兵のひとり、老農夫が番小屋に戻ってなにやら棒のような物を取り出した。
「あー、ご領主様の館でごぜいますか、番小屋のベッポですが、お客人のご一行が橋までおこしになりましたようで・・・へい、そうでごぜいます・・・」
誰もそばにいないのに、老農夫はその棒を耳にあててへこへこ頭を下げている。
「なにをしておるのでしょうか・・・」
イダルゴが気味悪そうにつぶやいた。
「もしや、魔道具の類か」
「なに、魔道具?いったいどのような」
「わかりませぬが、しかし・・・」
オレたちが馬を進めると、突然、その番小屋のそばにローブ姿の男が出現した。
「なにっ!」
「“転移”の魔法ですな・・・少なくともLV15以上の魔法使いか」
この間の戦でようやくLV13になった魔法使いのククルスが、悔しそうに漏らした。
だが・・・
「ロトト様、あれは魔導師です・・・それも、LV19っ!?」
「まさかっ!?」
このような辺境に、王都の国軍でも数が限られる上級職の魔導師、それもこれほどの高レベルの者がいるなど、常識では考えられない。
オレが領主となるのに魔法使いはどうしても欲しいと思い、ククルスを口説き落とすのにどれほど苦労したことか。それなのに・・・
「ロトト・ロット准男爵様と随行の皆様ですな。ようこそ、シロー・ツヅキ男爵領へ」
ノイアンというその魔導師に領主の館へと案内されながら、オレたちはみな無口になっていた。
そもそも、この魔導師は、オレたちの馬の速度に合わせ宙を浮いて先導する、などということをしてのけているのだ。
ククルスによると、魔法使い系の“重力制御”の呪文で飛ぶことは出来るが、魔力の消費が大きすぎて、普通このような使い方は出来ないという。
もちろんオレも見たことが無い。
だが、それはいい。問題はこの村の発展ぶりの方だ。
新たに整備されたらしい広い道は北方街道にも遜色ないものだし、その通り沿いに伸びる集落は、家自体はヴェスゲウツと変わらぬ粗末な小屋程度の物だが、うちの領地とは比べものにならないほど活気があった。
家々の軒下にはダイコンやら川魚やらが多数吊して干され、食うに困っているようには見えない。
実際、洗濯物を干す女たちは血色も良く、痩せ衰えた者ばかりのうちの領民とは大違いだ。オレたちの姿を見ると慌てて頭を垂れている。
戦乱の爪痕とおぼしき焼けた廃屋もそこここに見られるが、それ以上のペースで新たな小屋が建てられている。
神殿のような建物さえ建築中で、多くの男たちが材木を吊り上げている。
「!?」
「あれは・・・」
家並みが切れた所から、新たに拓かれたらしい畑地が一面に広がっているのが見えた。
「ざっと見たところ当家の所領の倍、いや3倍以上の生産力がありそうですな・・・」
「うむむ」
遠目にも大勢の農民が働いているのが見える。
認めざるを得まい。今のキヌーク村はもはや格下の寒村では無い、と。
オレの西シゲウツ集落どころか、あのいけ好かないホランのヤツが分不相応にも与えられた東シゲウツ=オスゲウツ集落を合わせても敵わないほどの生産高がありそうだ。
「あちらが当家の館です、准男爵様」
「・・・あ、うむ」
領主の館はオレの屋敷と大差ない。よかった。
「ロトト様、また結界がありますな。こちらは一般的な転移防止結界でしょう」
「なんだと?さらにか」
結界装置のような高価な魔道具を何段階にも設置するなど、ビストリアのような大都市でさえそうそう行っていないだろう。
やはり、これはうわさ通り領主が自ら魔道具作りをしているのかもしれぬ。
馬を下働きと思われる村人に預け、館に入った途端、オレたちをさらに唖然とさせる光景が広がっていた。
なんだこれは・・・子供?数十人もの子供を領主の館に入れるなど非常識きわまりない。
そして・・・
「1つの袋に芋が3本ずつ入っているわ。その袋が5つ積まれていたら、芋は全部で何本?」
中年の女が、壁に立てかけた大きな粘土板に数字を刻んで説明している。
「これは一体?」
「ああ、これはちょうど授業の時間でしたな。お客人のお目汚しかもしれませぬが何卒ご容赦を。毎朝の朝議の後は、広間を使い村の子供たちに読み書き算術を教えておるのです・・・」
開いた口が塞がらなかった。
一定の年齢の平民の子供全員に、タダで学問を教えているという。おまけに、メシまで振る舞っている、だと。
ツヅキ男爵と言うヤツは頭がおかしいのか?
人気取りかもしれないが、なぜそんな意味の無いことをするのか全く理解できん・・・。
「あ、ようこそ、ロット准男爵さん?」
そして、館の二階のそれなりに品の良いしつらえの謁見の間で待ち構えていたのは、聞いていた通りの若い男だった。
強そうには見えない。
黒い髪に黒い瞳で平坦な顔立ちは東方の人間のようで珍しいが、それ以外は威圧感もカリスマ性も無くごく平凡そうな若僧だ。
これが本当に、辺境の寒村と言われたキヌークをわずかひと月ほどでここまで復興、いやそれ以上に繁栄させた切れ者領主だと言うのか?
あたり障りのない挨拶をしながら、オレは疑問を拭えなかった。
「・・・でこっちが婚約者というか正式には王国会議後に式を挙げるんだけど、まあ奥さんたちで・・・」
「お初にお目にかかります、ロット准男爵様・・・」
ごくっと、思わずオレはツバを飲み込んじまった。
それぐらい、美女揃いでしかも異彩を放つ奥方たちだったからだ。
くそぉっ、38歳のオレがようやく2人の妻を持つ身になったというのに、この若僧は4人だと。
しかも、それが非の打ち所の無い人間の美女2人と、エルフと、そしてドワーフなのか?
(ロトトさまっ)
ククルスにつつかれて、オレはボーッと見とれていたのに気づき、ハッとなった。
あわてて奥方たちの美貌をほめ、そして、荷馬に積んで運んで来た土産物をイダルゴから男爵の前に差し出させる。
「当家の所領で産する地酒と果実の砂糖漬けにござる。お近づきのしるしに・・・」
「あ、こりゃ、わざわざ悪いね・・・」
ツヅキ男爵はこうした儀礼になれていないのか、戸惑っているようだったが、奥方のひとり、人間の美女が完璧な作法で返礼し、オレたちを少しくつろいだ応接間へと案内する。
そして奥方たちは、オレの土産をずいぶん喜んでくれているようだ。
よかった。
正直、よその貴族に笑われないような土産物は、今のウチの領地にはほとんど無いからな。
ビストリアの伯爵家に産物を納めていた酒蔵と菓子処が、焼かれずに残ってくれていたのは幸いだった。
気のせいか酒を一番喜んでたのが、一番幼そうな小柄な奥方だった気がするが、そうするとやはりあの奥方はドワーフなのかもしれん。
その後は応接の間で、互いの自己紹介やら領地の状況など一般的な話をして、ともかく周辺で魔物や盗賊団などの跋扈が見られたら協力して当たることなど、まずは表敬訪問として順当な話をした。
その時、なにやらうまそうな匂いがして、気付くと「ぐぅーっ」と腹が鳴った。
い、いや、オレじゃない。
きっと大食漢のイダルゴだろう。な、なんだその目は・・・オレじゃないぞ、オレじゃ。あるじに恥をかかせるな。
「これは気が利かず申し訳ございません。ちょうど子供たちの給食の時間のようで・・・ロズウェル、そろそろメラニーに」
「かしこまりました、エヴァ様」
美人の奥方が艶然と微笑み、部屋の隅に控えていたいかにも執事風の老人がベルを鳴らした。
オレたちは一層気まずい思いをしてしばらく口数が少なくなっていたのだが、それも食事が運ばれてくるまでのことだった。
「う、うまい・・・この味はいったい?」
「お気に召していただけましたか?これは、東方のパルテアよりご主人様方が自らお持ち帰りになった香辛料を使って味付けしてございます」
「ぱ、パルテア!?なんとっ」
遠く東方のパルテア帝国と言えば、金と同じ価値で取引されるという貴重なスパイスの宝庫として知られる。
多くの交易商が、危険を冒しても一攫千金を夢見る遠い異国の地だ。
そこに自ら行って来ただと!?
食事の合間にスカウトのキーブが男爵や奥方たちのレベルを耳打ちしてきて、オレは一瞬口の中のスープを噴きだしかけた。
男爵が<錬金術師LV25>というのは、とんでもないことだがまだいい。
魔道具作りが出来るのはそれぐらい高レベルの錬金術師だと聞いたことがあるからな。噂は本当だったと言うことが確かめられただけでも価値がある。
だが、戦さなど無縁に見えるたおやかな美女・美少女たちまで、歴戦のオレの家臣たちが霞んでしまう高レベルというのは、いったい何の冗談だ?
中でもオレたちに気遣いを欠かさないエヴァという美女、おそらくは正室が、<騎士LV18>という、オレと同じジョブでオレよりレベルが上、と聞いた時には平静を保つのが難しかった・・・。
「どうかなさいましたか?准男爵さま」
「い、いや、なんでもござらぬっ」
それでもツヅキ男爵は、
「あ、俺のことはシローって呼んでくれればいいよ?堅苦しいのは苦手だし、お隣りさんだしさ・・・」
などと、気さくなのか常識が無いのかわからないことを言い出した。
一応こちらより身分が上の者にそう言われれば、
「ではこちらも・・・」
と答えざるを得ないから、いつのまにか、“シロー”“ロトト”とタメ口をきく関係になった。
だが、驚かされることはまだ終わりではなかった。
帰り際に、シローがこう言ったのだ。
「あの、お土産を持って来てくれたのに、俺、そういうのに疎くて何も用意してなかったからさ。よかったら俺の手作りなんだけど、これ、持ってってよ・・・」
渡されたのは、なにやら不思議な形をした道具のようなものだった。
「こ、これは、まさかっ!?」
驚きの声を挙げたのは魔法使いのククルスだった。
「“索敵”と“結界”を組み合わせた魔道具でさ、1台だけだと効果の範囲は狭いんだけど、あんたの館か領地の入口に取り付けとくと、周辺2,3百エルドぐらいには敵意を持った魔物とか盗賊は近づかなくなると思うから・・・」
なんと、ビストリアの伯爵様が自慢していた、あの最新型の結界装置らしい。やはりシローが作ったというのは本当だったのだ・・・だが、そんな貴重なものをポンと土産に、だと!?
(ロトト様、ロトト様っ、これを王都で購入すれば金貨100枚は下りませんぞっ!)
ククルスの遠話が、悲鳴のように脳裏に響いた。
オレは確信した。
こいつとはぜったいに敵対すべきじゃない。
この男は味方につけるべき人物だ、と。




