第294話 (幕間)誤算
東方、イシュタール神国にて――――
「一体どうなっているのだ!?フート侯爵とはまだ連絡がつかんのかっ!」
「申し訳ございません。あの方がご無事なのは間違いないのですが、今は姿を現すことは出来ぬとしか・・・」
「肝心の時に役に立たぬなど、約束が違うではないかっ!!」
「申し訳ございませぬ。私にはなんとも・・・」
大陸一の大国をも魔の力で従え、同時に各地で蜂起する信者らの力を結集し一気に世界の覇者となる、その待ちに待った機会であったはずなのだ。
ところが、計画は出だしから躓き、それでも修正できるギリギリの機会に、これまでもっとも頼りになっていた協力者が突然失踪して連絡さえ取れなくなっている。
このままでは破滅するのは彼の方だ。
落ち着いてなどいられようはずがなかった。
だからこそ今、いかなる王宮にも引けをとらぬ豪華な調度と数多の美姫に囲まれた至高の間で、男は狂ったように甲高い声を張り上げていた。
その様子を日頃の厳かで慈愛に満ちた姿しか知らぬ信者らが見れば、目を疑ったことだろう。
美しい男だった。
既に40を幾つも超えながらその容貌はいささかも衰えることなく、またひとたび説法の場に立てば、その声には何者もあらがいがたく誰もが一言一句をおのが信念だと信じ込む、不思議な力があった。
誰もが彼を地上に降り立った神の子と呼び、あるいは神の代理人と呼んだ。
無論、それがただの人の持つ資質であるはずもなかった。
彼は“転生者”だった。
それも、彼をこの世界に転生させた“神”自身が、“あまりに強力な力を与えたゆえ、その才を限界まで発揮することは簡単に出来ぬようにしておく”と敢えて言い放ったほどの。
彼のジョブは<預言者>。
この世界で同時代にはひとりしか存在できない“ユニーク・ジョブ”と呼ばれる存在だった。
そして与えられたボーナススキルは<預言>。
彼がスキルを乗せて発した言葉を聞く者は、みなそれを神から下されたものと心から信じ、またその言葉は単に人を信じ込ませるだけでなく、時にまことの奇跡として顕現する恐るべきものだった。
彼自身がもともと持っていた豊かな才能と、この世界で与えられた特別な力が相まって、彼は転生してから四半世紀の間にかつてない宗教国家を創り上げることに成功していた。
数え切れない美女を抱き、彼のために喜んで命を捨てる無数の戦士を動かして敵対する者を次々滅ぼし、ついには歴史ある大国と比肩するほどの富と権力、美酒美食とあらゆる財貨も手に入れた。
それでも彼は満足しなかった。
元の世界でもそれなりに成功者と言えた彼は、転生により望むままの力を得て、この世界そのものの覇者になることを望んだ。
その彼の野望に手を貸したのが、転生して間もなく出会った、西方の貴族を名乗るある男だった。
“ガリス公国のフート侯爵、そう今は名乗っている”とうそぶくその男は、彼が人間を操る天賦の才を持つのと同様、魔物を操る不思議な力の持ち主だった。
彼が東方の限られた民族のマイナー宗教でしかなかったイスネフ教に目をつけ、その教団内で地歩をかためていく過程で、敵対する者たちを次々暗殺し、さらに他宗教やそれを信奉する国々に勢力を伸ばしていく過程でも、表に出せぬ汚れ仕事をフートの配下たちがこなしていった。
さらに、フートはこの世界には元々存在していなかった鉄砲や大砲、蒸気機関や電信機までも彼の宗教国家に提供した。
フート自身は転生者ではなく、その配下に転生者の技術者がおり、この世界の基礎技術の水準でも再現可能なものを生み出したのだと言う。
ただ、フートは、これらの近代技術については使い方は控えめにせよ、と矛盾することを告げた。
「貴公の敵となるものどうしを共倒れさせるために使わせるのはよい。だが、これら元々この世界に無い力を使いすぎると、いずれ“世界の修正力”が発動し自らが滅ぼされることになろう・・・」
それ以上、フートは理由を答えようとはしなかった。
だが、フートが彼に必要な力を与えてくれたことは疑い無かった。
無論彼の方も対価を払った。
フートが様々な文明の利器を開発する費用として、そして西方の国で実権を得るための資金として、信徒たちから吸い上げ異教徒たちから奪い取った豊富な黄金を惜しみなく提供してきたのだ。
持ちつ持たれつの共闘関係だと彼は思っていた。
その結果得られたフートの力がたとえ神より悪魔に近いものであろうと、どうでもよかった。
フートは彼の言葉にも心を操られぬ希有な存在であり、普通の人間であるはずも無かった。
いや、間違いなく悪魔の類だろう。それを確信するような経験も実のところ何度か彼はしていた。
そもそも彼は、《宗教が一番儲かる、人を操るのに一番効果的なのは信仰心だ》と元の世界で実感していたからこそ、この世界に転生する際、「世界中の人間を自分の前に跪かせることが出来る教祖になれる力をくれ」と求めただけで、自分自身は宗教心などはなから持っていなかったのだから。
それに、フートが強力な支援をしてくれたとしても、多くの人間を自分に跪かせ自分の言葉に従わせることが出来たのは、あくまで彼自身の力によってなのだから。
フートが何を望んで自分に協力しているのかは、本当のところわからなかったが、それもどうでも良かった。
“自分は世にはびこる淫祠邪教を排し、正しい教えの元に秩序ある世界を創るべきだと考えている。貴公がその教祖になるなら協力は惜しまない”などと言うが、そう言いながら浮かべる薄ら笑いは一種のゲームをプレイしているようにしか見えなかった。
そして、1、2回、“この世界に真の王たるお方が降臨するため・・・”と口にしたのを聞き逃してはいない。
だが、もしも“魂をよこせ”と最後に言われたところで、そもそも一度死んだ身なのだから、今更なにを惜しむ必要があるだろう?
こうして、もう20数年、彼とフートを名乗る男の奇妙な協力関係は続き、着々と成果を挙げてきた。
彼が乗っ取ったイスネフ教会は、いまや歴史あるカテラ大神殿のアマナヴァル教と世界を二分する勢力になっていた。
多くの国の権力者が彼の教義を信じ、一信者として彼の下僕たると誓いを立てていた。
時は満ちた。
いよいよ大陸全土を彼の宗教の旗の下に跪かせるべき時が来た。
彼も40を越え、いつまでもこの二度目の人生があるわけではなさそうだ。
だからこそ、満を持して作戦を開始したのだ。
最初は計画通りだった。
小国2つを動かしてパルテア帝国軍を北に引きつける。
その間に帝国の南にフートが見つけたという古の大いなる魔を目覚めさせ、パルテアを壊滅させる計画だった。
援軍を送りうる国々を封じるため、海上交通の要衝にあたる国々が戦火に巻き込まれるよう手も打った。
パルテアと並ぶ戦略目標は、大陸の敵対勢力を精神世界で束ねるカテラ神殿領だった。
その辺境にも大いなる魔が眠っており、それをけしかける算段も付いていた。
カテラという精神的支柱を失った多神教国は結束することなく、イスネフ教の信者が支配する国々に制圧されるだろう・・・
ところが、いざ戦いが始まると、パルテア帝国はまるでこちらの狙いをあらかじめ知ってでもいたかのように、南の魔の遺跡を直ちに支配下に置いてしまった。
そして、カテラの辺境に眠る魔はなぜかわからぬが突如強力な結界に封じられ、こちらの働きかけにも動き出す気配が無くなった。
そればかりか肝心かなめのフート自身が八の月の中頃に突然失踪し、ガリスでは失脚したともうわさされている。
フートから提供された機動船も新型大砲も、石炭や砲弾などの補給が止まったことですぐに使えなくなってしまった。
「フート様は生きておいでです。時折わたくしめには連絡も入ります。ただ、思わぬ敵に深手を負わされ、今はその身を潜めておいでだと伺っております・・・」
そう彼に伝えるのは、あまたの美姫の中でも彼にとって特別な存在であるラハブという女だった。
ラハブはかつてフートが自らの右腕だと紹介し、連絡役兼参謀として置いていった女だ。
乳のように白くなめらかな肌と血のように赤い髪、琥珀色の瞳、ぼってりとした紅唇は男を誘わずにはおかず、その床技もまた人間の女のものとは思えぬものだった。
たおやかな肢体のうら若き女の姿をしているが、戦になれば練達の戦士をも軽くあしらい、またフートと遠話を結ぶなど魔法の技も持ち、しかも王侯貴族を前にしても如才なく振る舞う知識の持ち主でもあった。
いつしか彼にとって、他の美姫たちとは一線を画した腹心であり愛人になっていた。
その上、ラハブは年をとらぬ。
20年前に出会った時のまま、容色はいささかも衰えぬ。十人が十人とも認める美男である彼から見ても、ラハブは異質だった。
そして、フートと同様、ラハブも彼の言葉に心を操られぬ、心酔しているように振る舞ってはいるが、それは表向きのことだ。
人ではない。
魔性のなにかであることは間違いない。だが、それさえもはやどうでもよかった。
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「ラハブよ、フートは確かに戻ってくるのか?・・・余はどうすればいいのだ!?」
今はとにかく敵を食い止めねばならない。
パルテア軍は既に南のジプティア王国をもそそのかし、イシュタールへの反攻を開始している。
このままでは、新年の一の月の末までにはイシュタール全土が灰燼と帰し、彼の二度目の生も終わりを告げるに違いない。
「教主様、フート様は必ずお戻りになります。もうしばらく、偉大なる力を取り戻されるのをお待ち下さい。さすれば必ずや教主様の大望もなりましょう。少しばかり時間を稼げばよいのです」
「だ、だが、どうすればいいと言うのだ?」
彼はもとより軍事は得手では無い。こたびの作戦もフートとラハブが立案したものだ。
彼はそれを配下の将軍たちに、さも自分の発案であるかのように下命しているだけなのだ。
「まず、パルテア軍を止めましょう。かの国の王宮深くには、幾人もの刺客を送り込んでおります」
「皇帝を、いや皇太子をでも暗殺すると申すか?だが、実際そんなことが可能なのか?そもそも、それで軍が止まるのか?」
「実権を握る皇太子スマウディエスは用心深い男、暗殺はできますまい。されど、耄碌したミフルダテス帝ならば可能でしょう」
「だが、そなたも言うとおり、軍の実権はスマウディエスと宰相が握っておろう?」
「左様です。ただ、あの古めかしい国は、皇帝が崩御すれば長く喪に服すが決まり。それは保守的な貴族どもが譲りますまい。例え皇太子が健在であろうとも、しばらくは軍事行動を止めざるを得ないと存じます」
ラハブの言葉は、藁にもすがりたい彼の気持ちにわずかな希望の灯をともした。
だが、同時にそれだけでは済むまい、という確信めいた思いもあった。
フートは本当に戻ってくるのか?彼が既に滅ぼされ、あるいは再起不能であるなら、最後の手段を使うほかないかもしれぬ・・・
それは、この戦争を始めて彼がついに得た、<預言(LV9)><預言(LV10)>のスキルだった。
転生から四半世紀を経てようやく、最終段階に到達したボーナススキル。
それも、LV8まで上がった後はおよそ10年もの間、何をしようともレベルが上がらなかったものが、立て続けに2レベル上がったのだ。
戦争を起こし、多くの血を流した。そのことが神への供物になったのだろう。
やはり、今がその時だった、彼は正しいルートを選んだのだ、と確信したものだ。
だがあの時、神と名乗る存在はたしか彼にこう告げたのだった。
「使う機会は無いかもしれぬし、他にいかなる手段もない場合を除き使ってはならぬ。それはそなた自身をも破滅させかねない力だから・・・」
<預言(LV9) “覚醒”>
<預言(LV10) “業火”>
それが何をもたらすのか?神の業火が邪教の徒らを焼き尽くしてくれる、などという都合のよいことが起こるのか?誰もその答えを教えてはくれなかった。




