第285話 もうひとつのイスネフ教
領地であるキヌーク村と大森林地帯の間に見つけた亜人たちの隠れ里ザーオ。そこにはなんと、亜人排斥を押し進めるイスネフ教の紋章を掲げた建物があった。
「イスネフ教!?」
「どうして、亜人の村にイスネフ教徒が・・・」
ノルテも、ルシエンさえも驚きに固まっている。
教会と言うにはこぢんまりしているけど、小さな集落では十分目立つサイズの建物だ。
新築というわけでは無いが、それほど古いものでもない。
今回の大陸中を巻き込んだ「亜人戦争」のある意味で元凶とも言える、亜人排斥派の原動力になったイスネフ教会が、なぜこんな亜人の隠れ里にあるんだろう?
先導したヤンカードは、俺たちの疑問に答えることなく木製の扉を叩いた。
まだ午後早い時間だから、礼拝の時間では無いけれど、内部には何人かの人の気配がある。
ギーッと木の扉が開き、中から顔を見せたのは痩せた老人だった。
「これはこれはヤンカード様でしたか。・・・っ!そちらは」
「すまない、スノリ師。キヌーク村がエルザーク王国に保護を求め、こちらのツヅキ男爵が領主として入られたとのことでな・・・」
<スノリ・コルベイン 人間 男 67歳 神官 LV12(老)>
スノリと呼ばれた老人は、ここのイスネフ教徒、というか人間の村人のリーダーらしい。
建物の内部には予想した通り小さな祭壇が築かれ、教会あるいは礼拝所らしかったけれど、予想外だったのは、そこに粗末な身なりの痩せた子供が何人もいたことだった。
しかも、年齢的には10歳前後の子が多いように見えるが、人間も亜人の子もいた。
しばらくは、俺のパートナーたちと互いに自己紹介したり、キヌークの領主になった話とか当たり障りのないことを話す。
ここはどうやら礼拝所兼、孤児院のような施設らしい。
俺がなかなか疑問をぶつけられずにいると、ルーヒトの手を引いて子供たちに話しかけていたエヴァが、自然な笑顔でスノリ老人に訊ねてくれた。
「ここはイスネフ教の教会とお見受けしますが、種族によらず受け入れて下さるのですか?」
スノリは聞かれると思っていたのだろう。少し硬い表情で、しかし毅然と答えた。
「・・・お聞きになりたいことはわかっております。しかし、こたびの戦争を煽ったイシュタールの者たち、あれは本来のイスネフの教えではありません」
「え?・・・どういうこと?」
「イスネフ教会は世界中に、“地に二つの人類なし、神の似姿たるイスネフの子らのみ祝福される”として聖戦を呼びかけたではありませんか」
俺の疑問に被せるように、ルシエンが怒りをにじませた声で問い詰めた。
「おっしゃることはわかります。しかし、あれはイスネフ教の中で“預言派”と呼ばれる新参の一派が行っていることなのです。わしらもまた彼らに迫害され、ここに逃れてきた立場なのです・・・」
スノリの話は俺たちの予想だにしないものだった。
彼の話を信じるなら、イスネフ教は長い歴史を持つ穏健な宗教で、唯一の造物主たる神を信じる一神教ではあるが、それがどんな神であるかはそれぞれの心のうちに抱くものであり、他の信仰を持つ者を力で従わせるような教えではなかった、と言う。
ところが、今から2,30年前、現在のイシュタールに“自らは神の言葉を直接授かった預言者なり”と称する男が現れた。
男は、他の宗教は全て邪教、人を惑わす悪魔の教えであり、地上の全てを真の唯一神の信仰で満たして神の国を作ることこそ信者が命を賭すべき義務だ、という過激思想を広めた。
不思議なことに、男の説教を聞いたものは、それまで全くそんな信仰を持っていなかったはずの者でも、みなあっという間にその教えを信じ込み熱狂的に支持するようになったそうだ。
スノリは十数年前までプラト公国のイスネフ教会で要職に就いていたが、他国に先駆けてこの“預言派”がプラト公国で勢力を持つようになった結果、“異教徒と馴れ合う堕落した者”だと非難されるようになった。
教義をめぐる争いに、スノリらが本来のイスネフ教と呼ぶ穏健な“清教派”は敗れ、教会を放逐された。
それだけならまだしも、清教派はイスネフ教会の実権を握った預言派から異教徒以上に目の敵にされ迫害されるようになって、宗派変えを拒んだ者らは老人から幼児に至るまで身の危険にさらされ、プラトを追われ各地に離散したそうだ。
今回の戦争で亜人排斥側で侵攻してきた国々では、どこも似たようなことが行われているらしい。
「他国に逃れると言っても、多神教が根強いレムルスやエルザークでは、イスネフ教徒だというだけで白い目で見られますし、イスネフ教会、という名の預言派が浸透し始めた国では、それ以上の迫害を受ける・・・結局わしらには落ち着くことのできる国はなかったのですよ」
プラトからの流浪の中で、十年ほど前キヌーク村にも一度身を寄せようとしたものの受け入れてもらえず、通過だけは認めてもらってこの森まで流れ着き、ネオレンたちが集落に住むことを認めてくれたおかげで、ようやく安住の地を得たらしい。
多くの者がその旅の途上で亡くなり、あるいは離散し、今ここで暮らすイスネフ教清教派は40名ほどで、親を亡くした子供たちの面倒は教会で見ている。
教会の裏庭には子供たちと共に芋や豆を植え、少し大きくなった少年たちは森で木の実や野草を、河で魚を捕って自給自足の生活を送っていると言う。
そして、もう一つ驚いた話があった。
プラト公国に進軍した際に聞いた、“封印の巫女”に関するものだ。
あの時聞いた話では、封印の巫女はミコライよりもっと北の地にいて、魔王を封じた結界の番人のようなことをしていて、当然イスネフ教から見ると邪教を司る宗教者だから殺害対象になりうる、ってことだった。
ところが、スノリたち“清教派”のイスネフ教徒がプラトで迫害された際、巫女はそれを哀れんで、国外脱出に間接的に力添えしてくれたらしい。
「男爵様はプラトにも行かれたのですね。もし、お役目で封印の地に赴くことがあれば、巫女様にどうぞわれらは無事安住の地を得たことを、感謝の言葉をお伝え願えませんでしょうか。われらは今も巫女様の御身を案じておりますゆえ・・・」




