第229話 (幕間)“聖戦”の名の下に
九の月・下弦の一日 大陸北部プラト公国
大陸各国に急激に信者を増やしているイスネフ教。
プラト公国の一応はまだ公都である背徳と混沌の街、ここミコライにも、その正教会があった。
正義と清貧を旨とし日々の勤行を欠かさぬ信者たちは、唯一神イシュテランが邪神・邪教の徒らをいつか討ち滅ぼし、地上に楽土をもたらすことを信じて疑わない。
その真面目な信者のほとんどは詳しく知らぬことだが、各地の正教会には“神器”と呼ばれる魔道具が置かれ、それが教区長の権威を示すとされている。
いま、その神器を通じて、総本山イシュタールから全ての正教会に、新たな預言が伝えられていた。
《時は満ちたり。いま、預言者に大いなる神意が下された。今こそ地にはびこる腐敗と堕落を一掃し、神の道を示す時なり。邪神の跳梁を許す王の首は切られ、血を濁らせし亜人は聖なる王国より砂と塩の荒野に駆逐される・・・天に二神なく、地に二王なく、二つの人類なし。神の似姿たるイスネフの子らのみ祝福される。これは神の御名の下に行われる“聖戦”なり。神の僕らよ、命を捧げ信仰を証し立てよ》
神器の間に立ち入ることを許されるのは、教区長と神職にある者たちだけだ。
これまで長年待ち望んでいたことであるはずなのに、突然の預言に、彼らの大半は実のところ戸惑いを隠せなかった。
初期のイスネフ教は弱き者が助け合い、信仰をつらい日々の心の支えとして慎ましく生きる、穏やかな宗教だった。
それがイシュタールに“預言者”が現れてから、急激に過激化し排他的になっている、と古くからの信徒たちほど内心違和感を持つ者が多かった。だが、最近はイスネフ教徒の間でも、そうしたことを口に出すことさえタブーとなりつつあった。
「なにをぐずぐずしているのです」
神職の中でもまだ若い、最近急速に発言力を増している神官が老人らを叱咤するように口を開いた。
「総本山の指示は明白ではありませんか。その時が来たのです。信徒らに決起を呼びかけ、邪教徒の公家の打倒と周辺の蛮族国家を平らげねばなりません!」
「うむ、それはそうだが、本当に武力で国を転覆するなどクーデターではないか。それにどれほどの血が流れるか・・・」
教区長は、温厚な人柄で貧民らにも慕われてきた老人だった。
「なにを言うのです!神の意志が示されたのですぞっ、地上のいつわりの王権など神の意の前にはなんの権威もない。ましてや聖戦の前に命を惜しむなど!それが本心であれば、あなたの教区長の資質にも疑問ありと、イシュタールは判断するのではありませんかな?」
「い、いや神の意志に異など・・・」
まわりの年配の神官らの半数は、若い神官の物言いに反感を抱いているのものの、今やイシュタールに直接服従を誓う“教会騎士団”という名の粛正部隊が目を光らせている中では、めったなことは口に出来なかった。
「では、各支部に至急指示を」
「はっ、かしこまりました!」
プラトでは、イスネフ信者は有力貴族、軍の幹部から庶民まで各階層に浸透し、しかもその忠誠心はただ、イスネフ教会だけに向けられている。
その連絡網を通じ、公都の教会からの指示はあっという間に全土に広がっていった。
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エルザークの王宮では、深夜にも関わらず王の御前に大臣・将軍らが急遽集められていた。
プラト公国からの宣戦布告文書を届けた大使も、そのまま場に留められている。
「貴国の宣戦は、まことにこの書状にある通りなのか?」
「はっ・・・本国より国璽が押された正式のものにございますれば・・・」
常日頃は雄弁なプラト大使が、エルザーク王の確認に対し、この時はいかにも歯切れが悪かった。
大使本人も、なぜ関係が悪いとは言えぬエルザークに自国が宣戦布告するのか、納得が言っていない様子だった。
「僭越ながら陛下、第二兵団は既にプラト公旗も掲げた軍と交戦中であります」
そこに軍の制服組トップである元帥が、もはや議論の時ではない、と主張する。
「通常の警備行動を取っていた部隊に無警告で攻撃をしかけるなど、偶発的な事故ではありえませぬ。やはりその書状通り、プラトは戦争をしかけてきたのに相違ありません」
「なにをあたりまえのことを!宣戦布告されているのだぞ」
「いや、待て、そのように軽々な判断は・・・」
それを皮切りに重臣たちが口々に声をあげる。
「静まれ、御前であるぞ」
臣下の中で最も席次が高く年齢も上の内務大臣の一声で、ようやくいったん言葉が途切れる。
「陛下」
「・・・プラトの公旗を掲げている、しかし、それだけではない、とのことだったな」
エルザーク王テレリグ2世は今年48歳。既に王座に着いて長く、名君とまでは呼ばれずとも、まずは失政なく勤め上げてきた。
その視線を向けられたのは制服組のナンバー2と言える、国軍参謀長だった。
「はっ、プラトの公旗以上にイスネフ教の旗を掲げる者多く、また明らかに鎧兜のない平民が、斧や鋤を持って従軍しているような姿も多数見受けられたと」
「つまりは、イスネフ教徒による国家転覆、革命というのか?それが起きている可能性があると」
「御意にございます」
エルザークの辺境警備部隊を襲ったのは、統率もとれておらず、武装もまちまちな軍とも言えぬ軍。
ただ、数は多く、士気も異常に高い。味方が幾人倒されようとひるむ様子も見せず、数に物を言わせて警備部隊を飲み込んだらしい。
幸い、少数の兵が逃れたことで、実態が王都に急報されたものの、既に街道はプラト軍?に押さえられ、エルザークの国境に数日中に迫るとみられていた。
「・・・プラト本国への外交上の働きかけは無論続けるとして、まずは国境を固めねばなりますまい」
軍務大臣の発言にテレリグ2世は、当然とばかりにうなずいた。
「どれほどの兵力を動かせる?」
「は・・・気になるのは南にございます」
そう、エルザーク王国の北に位置するプラト公国の宣戦布告以前から、南のマジェラ王国の軍が国境付近に進出してきているのが、もう一つの懸案だった。
「照会に対しては、単なる演習であるとの返答が帰ってきておりますが・・・」
「ばかな、このような情勢下で単なる演習のはずがあるかっ」
エルザークは近隣では富裕な国だが、それは軽軍備で経済優先を国策としてきた結果で、兵力は決して多くない。南北から挟撃されるようなことになれば、最悪の事態も考えられた。
「レムルス帝国からの返事は?」
「それが、北方街道のうち1本が通行不能になっている影響で、軍の行動が制約されており・・・そちらは今朝、復旧したとの連絡も入ったのですがすぐには・・・」
「宗主国なのだからな、プラトの動きを掣肘してくれるよう再度要請を」
「ははっ」
軍事同盟こそ無いものの通商協定を結び王室どうしの交流も盛んなレムルス帝国は、エルザークにとって頼りになる友邦だ。とは言え、レムルスはいかにも遠い。
「ともあれ、動かせる限りの兵力を北の国境防衛にまわせ」
「陛下」
それまでプラト大使の追求にさえほとんど口をはさまなかった外務大臣が発言を求めた。
「なんだ?」
「マジェラ王国とは、トクテス公が長年友誼を結んでおいでと伺っております」
トクテス公爵は王の叔父にあたる、南部の大領主だ。
「そうか、なるほど。ではトクテス公にも、南部の治安維持に尽力するよう使いを出せ」
トクテス公と寄子にあたる南部の領主らの兵力を合わせれば、マジェラ軍に対する一定の押さえになるはずだった。
軍幹部らは、それなら北方国境に十分な兵を回せるとうなずき合う。
だが、そのエルザーク王の指示に、場にいた幾人かの者たちだけは、ひそかに目配せをかわしていた。




