第171話 漁場の怪異
アルゴル沖で漁船が相次いで失踪し、そのあたりで結界らしいものを発見したという報告もある。俺たちはその海域に漁に出る漁船団の護衛クエストを引き受けた。
「お前たちが護衛の冒険者か?あまっ子ばっかで強そうに見えねえが、船は大丈夫なのか?」
真夜中の鐘の一刻後、久しぶりにテンプレな反応をしたのは、今回の依頼人、漁民たちの顔役であるボンデという男だった。
<ボンデ 人間 男 48歳 漁師 LV14>
48っていうと、こっちの世界ではそろそろ孫のおもり、って人も増えてくる年齢だが、ボンデはそういう衰えとかはまるで感じさせず、頭こそちょっと禿げてきてるものの、日焼けしてがっしりした筋肉質の男だ。
一応は非戦闘職のはずの漁師で、LV14ってのもかなりの高レベルだと思う。実際は漁民はサメとか海の魔物とかと戦うこともあるらしいから、普通の生産職とは違うのかもしれないけど。
正式には、ジベリアス西部遠洋漁業ギルド、ギルド長代理って肩書きらしい。でも、みんな単にトーナ釣りギルドとか言ってる。
どうやらトーナってのはカツオかマグロみたいな魚らしく、大きな漁船に十人、二十人といった数の男が乗り組み、ゴツイ竿で釣りあげるそうだ。
うん、土佐のカツオ一本釣りみたいなイメージかな、むさ苦しいおっさんやオニイさんばっかだ。
そんな所に、美少女を引き連れたパッとしないひ弱そうな男が、「護衛」として乗り込むってのは、すごく居心地が悪い・・・
なんでこんなクエストを受けちまったんだろう、出発前から後悔してる・・・
だが、ボンデの片腕らしい長身の男が、こっちを見てこっそり耳打ちしてる。
ん?ボンデの様子が変わった。
「なに?全員LV10以上で、こいつは錬金術師LV19だと?嘘じゃねーだろうな、カイエン」
どうやらこのカイエンという男は、判別スキルを持ってるようだ。
おかげであれこれ自己PRをしなくても、うちのパーティーのレベルを知ってもらえたのは良かった。
「ふーむ、まあ人は見かけによらねぇってことか。しっかりやれよ」
ほっとした。
港には既に組合の漁師たちが百人以上集まって、松明の明かりで出港準備をしている。
漁船の数では十二艘。小さい船には数名ずつ、そして最も大きな幸丸は、三十人ぐらいまで乗れるそうだけど、きょうは漁師と操船要員合わせて二十名あまりだから、そこに俺たち全員が乗ることになった。
漁師たちの服装を見てかなり濡れそうだとわかったので、俺たちも昨日買っておいた、防水用の油をしみこませたローブをポンチョみたいに着込む。
夏とは言え、夜明け前の海上は風に当たり続けると冷えるそうで、そういう意味でもこれぐらいの格好がいいそうだ。
「よーし、出るぞぉっ」「「「がってんだーっ」」」
ボンデの号令と共に、幸丸の舳先に立った男が松明を振って合図し、漁船が次々出航する。
港を出て風を捕まえるまでは手こぎだ。
動力が無い時代の漁師って、手こぎ+帆の操作+漁そのもの、と考えてみたら大変な仕事だよな。
きょうは上弦の十二日なので、月がかなり明るく照らしてくれている。
運がいいことに波も比較的穏やかで、思ったよりは快適だった。
「この風なら最初の漁場までは一刻半ぐらいだ、そこまではまず問題はないから、お前らも隅の方で体を休めてろ」
港を出て帆走に入り、交替で操船すればよい余裕のある状況になったからか、ボンデが声をかけてきた。
幸丸はマスト上に見張り台があり、甲板上には操舵室、甲板の下に大きな船室と魚を納める船倉を備えた大きな船だ。
当番以外の船員は、さっさと船室に入って寝なおしているようだ。
むさいおっさんたちでスシ詰めの船室に、うちの女子たちを寝かせるのは抵抗があるけど、こういう場合なのでしかたが無い。
リナとワンに警戒していてもらい、俺たちもメナヘム特製酔い止め薬を飲むと、いったん船室で横になった。
やがて、うつらうつらしていた所にリナの念話が届いた。
(そろそろ漁場が近いみたいだよ、魚がはねてるのが見えるよ)
もう3時間も経ったのか?
狭くてちょっと臭いのはなんだが、そんなに気分は悪くない。薬が効いてるようだ。
漁師たちは既に準備に上がってるようだ。
他のメンバーも起きたところで、甲板に上がる。
「きれいだねぇ」
ブッチが思わず声をあげた。うん、朝焼けの海、波間に白くはねる魚影、漁船が一列に並んで、一枚の絵みたいな景色だ。
「まだちょっと魚影が薄いが、まずまずだな。始めるから、船首の操舵室に入って見てろ、危ないからな」
ボンデがこっちを見て声をかけた。
俺たちが指示通り操舵室に入ると、舳先の一段高いところに上がっている若い男に、手で合図した。
若い男がすぐに、大漁旗みたいな長い棒につけた布を大きく振り回す。
これが操業開始の合図らしい。
それぞれの漁船の両舷側に並んだ男たちが、一斉にゴツイ竿を振る。
海面がバシャバシャと激しく波立つ。
ゴツイ竿がぐん、としなるとロープみたいな太い釣り糸が張られて、びゅんっと、勢いよく大きな魚が甲板に飛び込んできた。
それを確認することもせず、次々に竿を振るう。
50センチ以上はある大きな魚がどんどん飛び込んでくる。
これがトーナか。薄明かりの中で黒っぽく見える魚体に何本かの明るい色の筋が見える。
15分ぐらいで、甲板には百匹を超すトーナが並んだ。
だが、そこで急に釣果がなくなった。
「アタリが止まったな」
「むう、少ないな、セビラ瀬の方に行くか?」
ボンデとカイエンがなにやら相談している。
再び舳先の上で旗が振られ、他の漁船が幸丸に接舷するように集まってきた。
他の船から声がかかる。
「ボンデさん、これじゃあダメだ」
「うちは十匹しかあげられんかった、やっぱり潮目が変わったのは間違いねえよ」
「あっちの新しい漁場に行かねえのか」
口々に不漁を訴える漁師たちの声を、ボンデが手を挙げて制した。
「わかった、今日は魔法が使える護衛も乗り込んでるしな、セビラ瀬の新しい釣り場に移動だ」
「よしっ」
「そうこなくっちゃ!」
「ただし!」
歓声をあげる男たちをボンデは再び制する。
「あっちはガルジやメシスの船が相次いで襲われたところだ。魔物の正体だってわかってねえ。絶対に夢中になって深入りするなよ。もし、うちが旗を横に振ったら、すぐに逃げ帰れ!いいな」
ボンデの言葉に漁師たちの顔にも緊張と不安の色が浮かんだ。
そうして漁船団は再び帆走を始めた。
「ボンデさん、漁船が魔物に襲われたってのは確かなの?ギルドじゃ行方不明としか聞いてないんだけど」
乗組員に指図をしてから、操舵室に腰を下ろしたボンデとカイエンに聞いてみた。
二人は顔を見あわせ、カイエンの方が説明役を買って出た。
「俺たちは間違いなく魔物だと思ってる。だが、はっきり姿を見たわけじゃない・・・」
行方不明になった4艘は、いずれもこれから向かう新たな漁場で難に遭った。
最近、潮流の変化か、海の魔物のせいかははっきりしないが、トーナの群れが現れる海域が以前とは大きく変わったらしい。
そして、以前より遠いその海域、「セビラ瀬西」と呼ばれるあたりは、いつも霧が立ちこめ、熟練の漁師でも方角に迷ってしまうことがあるそうだ。
そこに漁に入った船が、いつの間にか一艘消え、二艘消え・・・思いっきり怪談っぽい。
ただ、一度だけ、姿を消した船の方から悲鳴のような声が聞こえたらしい。
「転覆して海に落ちたならあんな声はしない。あれは船の上から、なにかおっかないもんを見てあげた声だ・・・」
何人もの男が、魔物と遭遇したような漁師の悲鳴を霧の向こうに聞いたという。 だが、たしかにそれだけではギルドが“魔物の討伐”と判断はしないだろう。
「結界みたいなのがあったって聞いたけど?」
もうひとつギルドで聞いたことを尋ねてみる。それにはボンデが答えた。
「魔法使いのいるパーティーが護衛についてくれてな、4艘目がやられた時だ・・・」
ジベリアスのギルドでまずまずの評判の中堅パーティーだったそうだが、その悲鳴が聞こえた漁船が消えた後、漁協でもなんとかしなくては、と雇ったそうだ。
そしてその護衛のついた漁でも姿を消した船があり、探し回った幸丸が海上で壁のようなものに突き当たったのだという。
「もちろん硬い壁があったわけじゃねえ、だが、まっすぐ進もうとしてるのに、勝手に面舵方向に進路が変わっちまって、進もうとすると同じ場所をぐるぐる回らされるようになっちまったんだ」
「しかも、それに気づいた途端、海坊主が何匹も湧いてきたのさ。だからこれまでの船も、アレにやられたに違いねえ」
横からカイエンが声を重ねる。海坊主ってのは二人の説明ではよくわからないが、黒っぽいのっぺらぼうの頭みたいな大きな海の獣らしい。
魔物か獣かは別として、なにかいるのは間違いないようだな。
そして、気がつくといつの間にか、漁船団は濃い霧のベールに包まれていた。




