第164話 幽霊船
ムニカから再び西へと海路をとり二日目、新月の晩に、俺たちは伝説の幽霊船に遭遇した。
きょうは七の月の最初の日、新月の晩だ。
太陰暦でカレンダーを刻むこの世界では、正確に闇夜だと言っていい。
日が暮れた途端、真っ暗になった海の上に、ボーッと、青白い光に包まれた古い船影が浮かび上がった。
まさに幽霊船だ。
距離はまだ数百メートルあるだろう、てか、もうそれぐらいしか離れてない。
海賊船とかだったらもう大砲で撃たれたり、停戦を要求する旗が掲げられてる頃だ。
攻撃意図が無いんだろうか?
再び遠めがねを出した船長が、様子を見ている。
「うじゃうじゃいやがる、亡者どもが・・・」
まじか。
音も無くこっちの船に併走し、近づいてくる幽霊船の甲板の上の人影?が、やがて俺たちの目にも見えてきた。
ゾンビと言うにはもうちょっとちゃんとした格好の、海賊っぽい奴らから商人やら貴婦人やら、色んな年格好の連中が、でもみんな青白く光ってちょっと透けて見えてるような、幽霊っぽい姿だ。
そういうのが甲板を埋めるほど大勢いて、みんなこっちの方を見て・・・笑ってる。
ゾッとした。
なんていうか、仲間を見つけた、じゃないな、「仲間にしたいやつを見つけた」っていうコワイ笑顔だ。
本能的に、ヤバい、取り込まれそうだ、って感じる。
「あいつらの船に接触されて、精気を吸われると亡霊の仲間入りだって、それであんなに数が増えたって言われてるんだ」
船長の言わずもがなの説明に、甲板上に集まった者たちはみなビビってる。まあ、俺もちょっとだけ・・・
「・・・ど、どうすんだよ?逃げられ無いったってこのまま指をくわえてるわけにゃいかんだろう?」
「あいつら、アンデッドだろ?だったら僧侶の呪文持ちがいたら退治できるんじゃないのか?」
商人の中にそんな知識を持つ者がいた。
確かにそうなんだけど・・・
「わたしは僧侶だ。浄化呪文なら使えるが、あれほどの数が相手では・・・」
巡礼グループのリーダーが口ごもった。
そう、相手の数が多すぎる。浄化は相手に近づかないと使えない。あの幽霊船の亡者たちは百とか二百とか、少なくともそれぐらいいそうだ。
「ほ、他に浄化が使えるものは?」
船長が集まった客たちに聞く。つまり、船員の中には使える者はいないってことか、頼りないな。
「うちは俺を含めて3人いる」
リナを数に入れて申告した。いざとなれば他の者も聖素を練った丸薬とか、浄化した武器とかを使わせることもできるが。
「わたしの所は、もう一人、巫女がいる」
計5人か。いざとなればやるしか無いが、勝ち目は薄いな。
「いっそ接触される前に、あの船を焼いたりできないのか?この船の武装はどうなんだ?」
商人の一人が尋ねる。
「大弩がひとつあるから、火矢を射ることはできるが・・・」
船長の答えは歯切れが悪い。あー、大砲とかは無いんだな。弩ひとつの火矢ぐらいじゃ仮に火をつけられても、あの人数だしすぐ鎮火されそうだ。
「とりあえず用意はさせてますが、その間に浄化できるお客さん方にも戦支度をしてもらいますかね?」
水夫の頭らしい者が、船長に尋ねた。
その時、リナの遠話で中継を結んでいた女子部屋から、俺に提案があった。
「ちょっと待った、なるべくなら戦いを避けられないかな?」
そう言い出した俺に、視線が集中する。
「それが出来るならもちろんそうしたいが・・・方法があるのか?」
「この船を結界で覆ったら、幽霊船をやり過ごせるんじゃないかって。少なくとも朝まで逃げられれば助かるだろ?」
ルシエンのアイデアだ。
船長と水夫頭が顔を見合わせた。巡礼のリーダーは、なるほどって顔をしてる。
「日が昇れば幽霊船は姿を消すはずだが・・・できるのか?」
「亡霊は人を目で見てるのではなく、人の気配を察すると言いますからな。我々を感知できなくなる可能性はあるでしょうな」
「この船全体を覆うのは大変だけど、結界が張れる者が2人いるから・・・ダメ元で。もし効果が無くてこの船に乗り移られそうになったら、その時は戦うしか無いと思うから準備もしておく、ってことでどうだろう?」
俺も確実な成算があるわけじゃないので、うまく行かなかった場合の備えは欠かせない。
船員と俺たち以外で戦えそうなのは、商人の護衛二人が戦士とスカウト。そして、護衛を同行してない商人は、実は自らが元兵士で剣技持ちだという。
どっちにしろアンデッド相手にはほとんど戦力外だが、いざとなれば剣に聖素や浄化をかけて、他の者を守ってもらおう。
作戦はまず、ルシエンと僧侶モードのリナに、船を覆う結界を張ってもらい様子を見る。
幽霊船が俺たちを見失ってスルーしてくれればそれでよし、朝まで警戒態勢を維持。
第二段階として、もし結界の効果が無い、あるいは途中で破られるようなことがあれば、巡礼組と俺たちが中心になって浄化を使って倒せるだけの相手を倒す。
それでも倒しきれなければ・・・海に飛び込んであとは運任せ、だ。
(それはもう作戦って言わないでしょ?)
リナの言うとおりだな。それに、リナとルシエンは申し訳ないがフル稼働だ。
(あんたのMPをもらうからね、気合い入れなさいよ)
そうだよね、俺はリナの外部燃料タンクみたいなもんだから。
そして、船員たちが急いで、でも物音をひそめて甲板上に弩を備え付けるのと並行して、ルシエンとリナが船首楼の上、見晴らしのいい操舵席の所に立つ。
魔法を同調させるため、ルシエンとリナ、そしてリナにMPを供給する俺の三人が手をつなぎ、ルシエンとリナが詠唱を始めた。
ゆらゆらの陽炎みたいなものが、月の無い暗い甲板上に立ち上り、やがてそれがゆっくり広がって、灘潮丸を覆っていく。なんだか全体が水中にあるみたいに、景色が透明な膜に包まれたようになっていく。
船長と水夫長以外の船員は船首楼の中に身を潜め、巡礼のリーダーと巫女以外の乗客は船室に閉じこもってもらっている。全員なるべく物音を立てないよう、息をひそめている。
もはや彼我の船は、接触する寸前だった。
その時、幽霊船側の様子が変わった。
少しぼやけた、磨りガラス越しのように見えるようになった幽霊船の甲板の上で、それまで歓喜の表情を浮かべていた亡者たちが、戸惑っている。
あたりをキョロキョロ見回したり、亡者同士でなにやら言い合っている。
これは効いてるんじゃないか?
あいつらは俺たちが急に見えなくなったようだ。
だが、なんとなくこっちを指さしたり、探るように見ている者がいるから、完全にわからないわけではなく、こっち側にいそう、みたいな感覚はあるようだ。
そして、近づいてきた勢いのまま、ゆっくりと幽霊船と灘潮丸が接触・・・してない?
!!
甲板上の皆が、そして船首楼の中から様子を注視していた水夫たちが、驚きの声を飲み込んでいた。
二つの船は、明らかに一部が重なり、そして、すり抜けている!
目で見えている様子は、ガラス越しか水槽ごしのようにちょっとぼやけた彼我の船の船縁も甲板も、二重に重なっている部分があるのに、当たっている感覚はなく、どんどん重なっている領域が増えている。
甲板上の亡者たちも、まだ俺たちを見つけられずうろうろ、キョロキョロしながら、俺たちの眼前を甲板と共にスライドしていく・・・なんとも不思議な光景だ。
こいつらには実体がないんだろうか?
俺だけでなくリンクしてるルシエンも目を見張ってる。それでも結界維持の集中を切らさないのはさすがだ。
呼吸さえ忘れて気を張り詰めた俺たちの前を、幽霊船の甲板に乗った亡者の群れが横切っていく。
・・・何百人いるんだろう?そして明らかに海賊らしい連中の他に、身なりのいい男女が多数、そして俺たちの船のように商人や冒険者風の者たちも・・・いくつもの異なる層の亡者たちがいるように感じられた。
一度は亡霊の貴婦人の体が俺に触れたような気がする。その瞬間、ひんやりした、おぞましく吐き気をもよおすような、それでいてどこか甘美な感触があった。
青白い顔の貴婦人の目が、その瞬間はっと見開かれ、うっとりするような表情を見せた。
どれぐらいの時間が経っただろう・・・幽霊船は、灘潮丸に重なりだしたのとは反対側へとすり抜け、通過して少しずつ離れていく。
それと共に船長が、ゆっくりと舵を操作している。
はっきり見えていないうちに灘潮丸の進路を変えて、ちょっとでも距離を離そうとしているんだろう。
完全に、両船が離れた。
ほぅーっと、ルシエンが長い息を吐いた。俺はごくっとツバを飲み込んだ。
このまま遠ざかって、朝まで乗り切れれば・・・
そんなことを思い始めた時、予想だにしていなかった新たな事件が勃発した。
ひゅーっ、と風を切る音が月の無い夜空を切り裂き、ドンッッ!と、幽霊船のすぐそば、つまり俺たちの船にとっても近くで、大きな水柱が上がったのだ。
(えっ?)
船首楼の上からではよく見えないが、後方だ。
なにか、巨大な船影が、みるみるうちに接近していた。




