第160話 魔王の眷属
巨大な魔甲ムカデの襲撃を退け、騒ぎで他の魔物を呼び寄せないかと懸念したが、幸いその後、魔物に襲われることはなく、俺たちは廃坑の最下層へと降りていった。
しばらくすると、明らかにまわりの様子が変わった。
かつて人間が道具を使い考えながら掘った坑道ではなく、これはもっと大きな何者かが、はかり知れない力で穿った空洞だ。
壁も天井も大きく広がり、鍾乳洞みたいな感じだけど、全体がぼんやりと魔力を帯びて発光している。
もう間違いない。
ここはガラテヤの遺跡と同様、強大な魔族か魔物の住まう場所だ。
その俺の思いを、一緒に遺跡に入ったメンバーは共有していたし、そうでない者たちにも、リナが遠話で伝えた。
ギルド組やラーキンたちの緊張が伝わってきた。
デカルノ伯爵は、緊張とか恐れは感じていないようだ、これは、むしろ・・・歓喜?
もう出発してから、かれこれ5、6時間。みな疲れが溜まってきた頃だというのに、先頭に立つ伯爵の足がこれまでより速まる。
斜め後ろからちらっと見えるその顔は、喜悦の表情を浮かべているようにも見えた。
その様子をルシエンが心配そうに見つめ、俺に目を向けてくる。
俺はもうしばらく見守ろう、という意思をこめて、ルシエンにうなずいて見せた。
空気が重たく、そしてゆっくりと風のような流れを感じる。
洞窟が緩やかに曲がっているところを過ぎると、視界が大きく開けた。
地図スキルの範囲に、それまで見えていなかった広大な地下空洞が描き出され、そして・・・巨大な赤い塊が、その地図の一部を埋めていた。
地図スキルを見るまでも無い、いや違うな、地図スキルがなければ、目の前の「これ」が一匹の魔物とは、最初は気づかなかっただろう。
ゆっくり上下する大地、溶岩のような黒くゴツゴツした、そして鈍い光を放っているそれは、目を向けた俺に、あっけなくステータスを表示した。隠蔽スキル等は特にないのか?あるいは、そんなものは必要ないほどの存在なのか?
<ヌゴーズ ベヒーモス LV48
スキル 魔力湧出 貪食
HP回復(大) 怪力
物理防御力増加(大)
・・・・・・
・・・・・・ >
ベヒーモスってのは、たしか旧約聖書かなんかに出てきた巨獣のことだっけ?
だが、ヌゴーズってのはなんだ?コイツの名前?だとすると、タロやワンみたいに誰かが名前をつけたことで、力を増したとかって、ゲームとかのいわゆるネームド・モンスターか?
LV48ってのは、これまで見たことが無いダントツのレベルの高さだが、そんなレベルとかを超越した巨大さだ。百メートルとかじゃきかないだろう。
たとえ人間が、LV40とか50とかまで上げられたとしたって、コイツと戦えるなんて思えない。
スエンテが、「透視」魔法を使い、地面の下に大半が隠れているその巨体を見通せるようにした。
動揺が広がる。
そのあまりに巨大で、あまりにおぞましく恐怖を引き起こす姿に。
だが、それが恐慌に変わる前に、ルシエンが「心の守り」を小声で唱えた。
僧侶モードに戻っていたリナが、同じく「心の守り」を前方にいたスエンテにかけてやった。
スエンテは、自らの透視でヌゴーズの姿を目にした途端、膝をつき震えていた。
そうだ、彼だけは俺のパーティー編成に入ってないから、ルシエンの呪文があまり効いてなかったんだ。
我を取り戻したスエンテやゼベトらに比べ、リナやマギーが最初からそれほどショックを受けていないように見えるのは、やはり一度経験しているからだろう。
俺も、恐怖や不安が無いわけではもちろんないけど、それでも心の準備が出来ていた。
マギーが俺の隣りに来て、ひそひそ声で聞いた。
「シローには詳しく見えてる?」
マギーは「判別(初級)」持ちだから、ベヒーモスLV48ってことだけは見えたからだろう。
「ああ、ヌゴーズって固有名があるらしい。スキルは・・・」
「ヌゴーズっ!ごめんなさい」
驚いたマギーが思わず声をあげ、あわてて声量をおさえた。
「《魔王の蹄たる大いなるヌゴーズ、地を這い、地鳴りを起こし、山を崩すもの・・・》って古文書に伝えられる眷属だよ・・・今も存在してたなんて」
やっぱり、というべきか、そんな大物だったらしい。
リナを通じてみんなにその情報を伝え、すぐ引き上げる、と告げた。
そう伝えてる間にも、俺は、透視されたヌゴーズの姿を、ガラテヤ遺跡でも使った粘土板への転写で、なるべく正確に写し取った。
ここには特に人為的な建造物や文字が刻まれたものなどはないが、マギーもギリギリまでまわりの様子を見て、足下の石ころを拾ったりしている。
そして、みんな転移の準備が出来たかな、という時になって、ただ一人パーティーの輪に加わらない者がいた。
伯爵だ。
《ここだ、ここに私はいた、たしかにここに戻ってきたのだ。あるべき場所に・・・》
ブツブツおかしな事を言ってる。
ルシエンとアイコンタクトを交わす。恐れていたことの一つではあるけど、このタイミングとは。
「!」
やばい気配だ。
ベヒーモスの巨体の下から、もやもやと黒い魔力が湧き出しているのが、透視された映像で見える。
ヌゴーズの巨体がまるで寝返りでも打つかのように身じろぎした途端、その魔力の海の中から、わらわらとしぶきのように飛び散ったものが、魔物の形に変わっていく・・・これが「魔力湧出」スキルか?
そして、鱗のようなものに覆われた巨体の端、目の無い頭部みたいな塊の一部がパクッと開き、その魔物たちをゴォーッと吸い込んだ。
まさか、眠りながら喰ってるのか?
幸運にも吸い込まれずに済んだ魔物たちは、蜘蛛の子を散らすように逃げていく、一部はこっちに向かって来る。これが、迷宮から漏れ出してた魔物の発生源か。
こうしてこいつは200年もの間、眠りながらむさぼり食い、そして、成長し続けているとでも?
《おぉ、おぉう、なんと凄まじい、あふれる力、尽きることなき魔力・・・これこそ私が仕えるべき王国ではないか・・・》
本格的にイカレてきたか、これは想定してた中の悪い方だな。こうなったら殴り倒して無理矢理連れて帰るか・・・
そんなことを思ったその時、つかつかと恐れ気も無く、伯爵に歩み寄った者がいた。
ラーキンだ。
「父上」
彼は静かに、伯爵の正面に、ベヒーモスの姿を遮るように立ち、父親の目をじっと見つめているようだ。
「父上の版図はここではありませぬ。父上が生涯をかけて慈しみ守ってきた者たちは、ムニカの民、そうではございませぬか?」
俺は、もし伯爵がまずい行動に出たら介入できるよう、そっと親子の横手にまわった。
若く青白く端正な、そして生気を欠いた伯爵は戸惑っているようだった。
《ムニカの民、ムニカの・・・おお、そうだとも、無論だ、わが全てを捧げた父祖代々の版図・・・私は誰だ、そなたは?そなたは何者だ?》
ラーキンは感情を抑え、穏やかな声で言葉を紡いだ。
「私はデカルノ伯爵の嫡子、父上の息子ラーキンです。父上こそ、正当なるムニカの統治者、デカルノ伯爵であらせられます」
《むろん、無論だ、そうだな息子よ。ラーキンはこんなに大きかったか?あの赤子が・・・だが、私は行かねばならん、あれは私の同族だ、大いなるお方が私を呼んでおるのだ・・・》
「父上っ!」
ラーキンは、フラフラと巨大な魔獣の顎門に向かって歩き出そうとした父を、その体で受け止めた。
「母上を悲しませてよいのですか」
そのささやくような声に、びくっと伯爵の体が震えた。
「母上がこよなく愛したムニカの街を、朝の魚市、花に包まれた家並み、美しい港の夕暮れを、朽ちさせ捨て去るとお考えか。それで母上は浮かばれましょうか?」
青白く生気を欠いたその面に、初めて血と意思が通ったかに見えた。
「おぉ、レティシア・・・そう、レティシアはこの街を愛していた。カテラの高貴な家から、このような田舎町に嫁がされ、さぞ落胆していようと引け目に感じていた私に、あれはこの街がどこよりも愛おしいと、素晴らしい街だと言ってくれた。そして民もあれを愛し、敬ってくれた・・・」
その声は、先ほどまでの魂のこもらぬ声ならぬ声ではなく、たしかな人の意思に満ちたものに変わっていた。
消えかけていたかすかな灯火が、伯爵の胸の内でたしかに輝きを取り戻したようだった。
「戻らねばならぬ、私はこの街の守り手だ。この闇を遠ざけ、ムニカに害なすことなきように封じ込めねばならぬ」
そしてデカルノ伯は俺たちに向き直った。
「頼む、ここを封印してくれ、できるだけ堅固に、あたう限り長く・・・」
俺は、ベヒーモスの顎門を逃れこっちに向かってきたオークたちを「火素」で焼き払い、ルシエンとスエンテに合図をする。
ルシエンが静かに長い詠唱を始める。LV20になって習得した「封印」の魔法だ。かつて、討伐を完了したスクタリの迷宮最深部で、巡検使のメイガーが唱えたあれだ。
もっとも、あの時は迷宮の主たるワームを倒し浄化した後だったのに対し、こちらは巨大な魔獣がまだ眠っているだけで健在だ。どれぐらい保つかはわからないが、少しでも外部からの刺激で起きたりするのは避けたい。
ルシエンは、大量のMPを注ぎ込んで巨獣のまわりを包む広大な範囲を封印すると、がくっと膝をついた。
マグダレアがなにか薬液を飲ませてやってる。
代わってスエンテが、その外側をさらに覆うように結界を構築する。
詠唱を完了すると、こちらも額に汗を浮かべ、肩で息をしている。
「スエンテ、飛ぶだけの余力はあるか?」
「ああ、こっちは自分一人だけだからな・・・そっちのお嬢ちゃんは大丈夫か?」
消耗を気遣うゼベトに対して、スエンテは7人を転移させることになるリナを心配してくれているようだ。
(大丈夫だよ、みんな準備はいい?)
リナの遠話が全員をつなぐ。
俺は、結界が完成する寸前に漏れ出てきたゾンビに聖素を飛ばし、パーティー編成したみんなと手をつないで輪になった。
「こっちも準備完了だ」
スエンテの合図に、リナと二人が同時に転移呪文の詠唱を始めた。
周囲の景色が歪み、淡い光が足下から俺たちを包み込み、景色が暗転した。
そして・・・既に曙光の差し初めた岩だらけの谷筋、あの坑道入口の前に、俺たちは戻っていた。
テントの前で当番の歩哨をしていたノルテとワンが、びっくりした目でこっちを見つめてる。
「ご主人さまっ」
ノルテが抱きついてくるのと同時に、テントからカーミラが飛び出してきた。
ちょっと遅れて寝ぼけた様子の、すっぴんで誰だかわからない、なんてことはぜったい言わないけど雰囲気がかなり違う、ブッチが出てきて、マギーと抱き合って喜び合った。
 




