第120話 満月のミッション・インポッシブル
海上の襲撃を退けた翌朝、俺はルシエンから、カーミラの様子がおかしいと伝えられた。それは、忘れられない三日間の始まりだった。
「カーミラがまずそうなの」
甲板の隅で、ルシエンはひそひそ声でそう告げた。
夜、まわりの誰かに抱きつき癖があるのはいつものことなんだが、きのうの夜中からはぁはぁ息が荒くなり、様子がおかしくなってきてるという。
「思い当たることはない?」
・・・そういえば、カーミラに最初にあったのは先月の今頃、あの時カーミラは紛れもない“狼”だった。そして、もうすぐ・・・満月だ。
「・・・忘れてた」
「やっぱり」
ルシエンはため息をつく。人狼の性質を知ってるようだ。
「きょう夕方には入港するのが本当に幸運だったわね。狭い船内で狼化されたら大惨事だもの」
そうだよな、大げさでなく。だけど船を下りてどうすればいいんだろう。
「今夜から3泊は、報酬も出ない代わりに自由行動だよな、どっか人里離れた所に行くとかすればいいかな?」
「普通の宿屋は個室でもまずいでしょうね・・・個人差が大きいって聞いたことあるけど、満月の時のカーミラってどんな感じだったの?」
「え、えっと、一度しか見てないけど、まだ奴隷商人の所にいた時で、鉄格子ごしに会ったんだけど、完全に狼になってて意思疎通できなかった・・・」
「はぁ・・・そうなのね。あのね、満月の時の人狼って、あらゆる欲望が極限まで高まるらしいから、ヘタするとみんな喰われちゃうわよ?」
「そ、そこまでなのか?」
たしかにウドリオは「頑丈な檻に入れて」とか言ってたっけ・・・
ルシエンはこれは言いたくないけど、って感じで続けた。
「食欲で暴走させないためには、他の欲望をそれ以上に満たしてやること、って聞いたことがあるけど・・・」
「それ以外の、欲望?」
「言わせないでよね」
あ、それって、そういうこと、なのかな?
「・・・えーっと、その」
「・・・とにかくカーミラが狼化しないように、徹底的に、足腰立たないぐらい、他のことが考えられなくなるぐらい、満足させなさいっ!」
まじか・・・それって天国なのか地獄なのか、どっちだ?
「それが出来なかったら私たち全員、カーミラの胃袋行きよ?日頃の見さかいなしの性欲をこういう時こそ役に立ててよ?」
ひどい言われようだよ、俺そんな風に思われてたの?
「その、もし満足させられなくって、その最中に狼になっちゃったりしたら・・・」
「・・・考えなくていいわ、その時はもう考えることなんて出来なくなるから」
「・・・」
ごくっとツバを飲み込む音がした。俺のだった。
ちょっと前までDTだった引きこもりにはハードル高すぎる。ミッション・インポッシブルだ。
「がんばってね、ご・しゅ・じ・ん・さ・ま」
ぞくっとするような笑顔だった。
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燃えたよ・・・燃え尽きたよ、真っ白にな。
どっか遠くの方で、眼帯をはめたおっちゃんが、「立て!立つんだ、シローっ!」
って叫んでるのが聞こえた気がするけど、試合終了のゴングが鳴ったときには、もう俺は、風が吹いたら飛んできそうな灰になってた・・・
潤んだ熱っぽい瞳のカーミラと二人で、大テントの中に送り込まれたのは、たしか3日前の晩のはずだけど、もう遙か昔のことのようだ。
アンキリウムの港について、商人たちから下弦二日の薄明に宿に迎えに来てくれ、と言われ解放された時には、もうカーミラはかなり落ち着きの無い様子になってたから、それをだましだましして、街の外の人気の無い森まで自走車を出して移動した。
そこでテントを2つ張って、ルシエンが
「私たちは始まっちゃったら小さい方に避難させてもらうわね。リナは大テントの前に居て、いざって時はためらわずカーミラに“麻痺”の呪文を打ち込んで、頼むわよ」
って指示を出した。
そして、今のうちにたっぷり食べときなさい、と言われて干し肉と果物を腹に入れ、熱にうなされてるようなカーミラと抱き合ったまま寝た。
もう夜明けも近づいてきたかな、という上弦十四日の未明、雲の切れ間から満月に近い月が姿を出した途端だったらしい、テント越しに月なんて直接見えないのに、人か狼かわからないような吠え声が上がった。
深い紺色の瞳がギラッと金色に光って大きく見開かれ、カーミラが一瞬で俺の上にのしかかってきて、あとはもう、二匹の獣だった。
朝になり昼になり夜になり、また朝が来て昼が来て夜が来た・・・
上になり下になり数えきれないぐらい・・・こんな美少女に、もういいよ、勘弁してくれ、なんて思うことがあるなんて想像もしてなかった。
でも、やっといつもの穏やかな寝顔に戻ったカーミラには、一生そんなこと言えないな。
三の月には「望月の日」てのは無いから、一番月が満ちるのは上弦十四日と下弦一日の間のはずだ。カーミラの絶叫におびえてか、囀る小鳥さえ寄りつかなくなってしまったけど、この朝の光は下弦二日が明けたんだろう・・・本当に三日三晩だ、体の中になにも残ってない、空っぽだ、絞りかすか陽炎になって消えちまいそうだ、ぜったい人生観が変わった。
「・・・終わった、みたいね」
テントの外から、ルシエンの、そしてノルテの声がかかる。
「ご主人様、ご飯にしますか?お風呂にしますか?」
ああ、その続きは今はいいよ。うん、ハラ減った、すごーく。
「ご飯にしたいな」
「はいっ、すぐ作りますからね」
ルシエンとノルテは、アンキリウムの市場で新鮮な食材を買い込んで来てくれたらしい。この2日間、二人は俺たちの面倒を見ててくれたんだ、本当に感謝だ。
火が焚かれ、すぐに美味しそうな肉の焼ける匂いと、スープの香りが漂いはじめた。
幸せそうな寝顔を見せていたカーミラの鼻がひくひく動き、ばっっと目を覚ました。
「ごはんっ?ごはんっっ!」
だ、だいじょうぶだ。狼にはならない、いつもの食いしん坊だ。
「カーミラ、おはよう」
なんだかあらためて言うのは気恥ずかしい。二人とも当然まっぱだ。
「あるじ?おはよー・・・」
カーミラが赤くなるのは珍しい。記憶はあるけど、いつもの自分じゃなかったのも覚えてる、ってことか。
「あるじ、カーミラ、おかしくなかった?」
「おかしくなんかない、いつもとは違ったけど、カーミラはカーミラだ」
「カーミラ、なんだか夢を見てたみたい、頭の中にかすみがかかってた。全部わかってるし覚えてる、けど、自分が自分でなくなっちゃってる感じ・・・でも、もう大丈夫、カーミラ、あるじのもの」
なんだかカーミラの言語力がまたちょっと上がってる気がする。
カーミラは毛布を体に巻き付けて外に出る。
「カーミラちゃん」
焼き加減を見ていたノルテが声をあげる。
「おはよー、ノルテ。カーミラ、すごくお腹すいたー」
「あはっ・・・カーミラちゃん?」
いつもと違う様子にいぶかしがるノルテと、なにか感心している様子のルシエン。
「こういうことなのね」
「どういうことだ?ルシエン、ノルテ、おはよう。心配かけたな」
「お早うございます、ご主人様」
「おはよう、シロー」
「リナも、ありがとうな。ずっと見ててくれて」
「感謝しなさいよ、海より深く」
リナはいつものリナだ。
俺はルシエンに問いかけの視線を向ける。
「あのね、人狼族の成長は非連続だって言われるの」
「非連続?」
俺だけでなくノルテも、カーミラ自身もわかってない感じだ。
「そう、人狼族は満月を乗り越えるたびに急激に変わったり成長したりする、そういう種族だって言われてる。言葉が少し豊かになったのも、きっと狼化せずにこの満月をシローと二人で越えたことで、シローの影響を受けて、より人族の思考に近づいたんじゃないかしら」
不思議なことがあるもんだな。
「うん?あるじに近づいたの?ならいいよ、もっと近づくよ」
カーミラがぴとっとくっついてくる。
「カーミラちゃん、ずるいです、ずっとご主人様を独り占めして」
「うー、カーミラまた体がヘンな感じ。あるじとしないと、おかしくなりそう・・・」
ルシエンが疑り深そうに見てる。
俺は苦笑いしながら突っ込む。
「カーミラ、カーミラ、俺のいた世界じゃ、そういう嘘をついてると、“狼少女”って言われちゃうんだぞ・・・」
「「「・・・」」」
あれ?そのまんまじゃん。




