第104話 (特別編)エルフの家出少女
シローたちが眠ってしまった後の、ルシエンの独白
さわぐだけ騒いで、シローたちは結局まぐわうこともせずに眠ってしまった。
薄汚れていた私を抱くために、わざわざ湯あみをさせたのだと思っていたから、ちょっと拍子抜けだ。久しぶりに高まった気持ちをどうしてくれるの。
年齢を聞くと人間の19とか人狼の17とか言っていたから、一応成人年齢を幾つか越えている、エルフの社会では成人と認められるのは30だから、ちょうど私と同じぐらいの年頃にあたると思うのだけど、こうして寝顔を見ていると、みんなまるで子どもみたいだ。
日々迷宮で命のやりとりをしているはずなのに、どうしてこんなに無邪気でいられるのだろう。
私のことを聞きたいとか言っていたくせに、たぶん私の生い立ちとかの話は、最後眠ってしまって誰も聞いてなかったんじゃないだろうか。
私が里を飛び出したのは、エルフとしてはまだ子供と言っていい18の時だった。
今思うと、別に家出しなくちゃいけないほどの理由などなかった。
ただ、古い因習に縛られ、何も変わらない百年一日の退屈な暮らしを続けるエルフという古い種族それ自体と、その閉鎖的なムラがイヤだっただけだ。中でも、「エルフの歌姫」「理想のエルフの淑女」などと褒めそやされていた母親と比較されるのが耐えられなかった。
ただ、それだけ、本当に子供じみた反抗だった。
置き手紙には、冒険者になってエルフの聖地、キャナリラ・アマンをめざすとか適当なことを書いた気もするけど、正直そんなに信仰心が篤いわけでもなし、息苦しいこの里以外のどこかに行ければ、どこでもよかった。
でもそんな世間知らずの不良少女の末路なんて、今ならわかりきっている。
弓の腕には子どもの頃から自信があったから、小さな街で冒険者として登録したものの、一緒にパーティーを組もうと声をかけてきた男たちに騙され、クエストの依頼人に騙され、慰み者にされた挙げ句、借金漬けにされた。
そこをなんとか逃げ出したものの、容姿と弓の腕しか取り柄のない馬鹿な娘に待っているのは転げ落ちる坂道だけだ。
目の前にあった選択肢は、どちらも前歴を問われない娼婦か最下級の傭兵。私は傭兵を選んだ。大義のかけらも無いような国同士の戦に何度か出たけれど、運悪く負け戦で捕虜にされ、非正規の傭兵には身分の保障もなく、また敵兵のおもちゃにされた末に奴隷にされた。
あとは、もう思い出すだけで吐き気を催すような、おぞましい、死んでいるのと変わらない時間が何年続いただろう。気づいたら私は成人と呼ばれる年になっていた。
落ちるところまで落ちた私の生は、もう終わったも同然、亡者のような存在だった。一度だけ、ほんの少しだけ心を動かされた人間の奴隷の男と一緒に逃亡しようとして、それが無残な失敗に終わった後はなおさら・・・
それが思わぬ形で変化を迎えたらしい。
まだ、なんとも判断はつかない。これまで人間たちに何十回、何百回、騙され利用され辱められてきただろう。
望みを持たなければ裏切られることもない。
けれど、再び自由の身になる日が、私にも来るのだろうか?いや、もし今自由の身になったとして、私はどうすればいい?何ができる?何がしたい?
私はいったい、何者なのだろう?
心を守るために考えることをずっと避け、封印してきた私は、突然の事態の変化にまだついていけていないのだ。
だが、時間は少しはあるはずだ。だから今夜ぐらいは、何にもおびえる必要の無い眠りをむさぼりたい。・・・いや、おびえはある。これが単なる夢で、目が覚めたらまたあの男爵の館の囚われの身に戻っていたら、永劫の牢獄の中にやはりいたと知ったなら・・・願わくば、もしそんな現実に直面するぐらいなら、ヴァラの神々よ、どうか私をもう目覚めさせないで下さい。
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美味しそうなパンの焼ける香りに目が覚めた。
まだ夜明け前の、ようやく薄明かりが差し初めたばかりの時間だ。
一瞬、里で母の焼く薄焼き菓子かと思った。そんなことはあるはずがない、けれど、できたての食事の香りで目覚めるなんて、一体いつ以来だろう?
ノルテという、ハーフドワーフの娘だ。
16歳だと言うけど、もっと幼く見える。それでも人間だとしてもドワーフだとしてももう成人だ。特に体は、・・・それはどうでもいい。シローの奴隷だけど、むしろ愛妾という感じだ。明るく振る舞っているけど、この娘は私ほどではないにしても人間にずいぶん虐待されてきたようだ。
ここには鞭が無いし、そもそも逃げようとすればいつでも逃げられるような作りだけど。
「あ、おはよう、ルシエンさん。パンでいいですか?」
私の分まで用意してくれてるらしい。
「・・・ありがとう。なにかやることはあるかしら?」
私は料理とか家事の類はまるで覚えてこなかったから、はっきり言って役に立たないと思うけど、この状況はなんだか居心地が悪い。
「朝食は大丈夫ですよ・・・あ、ご主人様が水汲みしに行ってくれてるんで、手伝ってきてもらえますか?」
「主人が水汲みですって?」
「えっと、正確には水汲みって言うより、魔法で出してるみたいですけど、ご主人様とリナちゃんで。でも、ほんとは奴隷の仕事ですよね」
どうも調子が狂うな。
「・・・ねえ、ノルテたちは、奴隷からの解放条件ってどうなってるのかしら?」
主のいる所ではなかなか聞きにくいことだ。
「え?解放条件ですか。特にありませんけど」
「つまり、無期限に奴隷のままってこと?」
そう、私も無期限での奴隷誓約を結ばされた。私の場合、死罪になってもおかしくないところだから文句を言える筋合いでもないけれど。
「無期限・・・そうですね。特に年数とか稼ぎとかで解放されることにはなってませんよ。でも、自由になりたいときはいつでも解放するから、って言われてます。もっともわたしは今のところその気はないけど」
「いつでも解放する、ですって!?」
「ええ」
ニコニコしながら、とんでもないことを言う。希望すればいつでも解放するとか、そんなのは普通、奴隷とは呼ばないだろう。
「カーミラちゃんもわたしも身寄りがなくて、シローさんの家族にしてもらったみたいなものだから」
亜人への偏見を持たない人間ももちろん少なくない。高齢の資産家が、連れ合いをなくして後妻代わりに奴隷の女を買って、身の回りの世話をさせるようなケースも時々聞く。ただ、これは違う気がする。
人狼の娘の方はまだ寝ている。主に働かせて奴隷がこれってのもありえないだろう。
私は混乱したまま、家の外に出た。壁沿いに、古い建物とははっきり違う大きな筒状の構造物が付いていて、あの動く人形とシローがいた。
「シロー」
「あ、ルシエン、おはよう」
「なにをしているの?」
「タンクに一日分の水を溜めてるんだ」
筒状の構造物は、家の洗い場で使うための水を溜めておくものらしい。貴族の屋敷には似たような作りのものもあるが、普通は奴隷が井戸から水を汲んでくる。
それをノルテが言っていたように、魔法で水を出しているようだ。
「昨日寝る前にやっとけばMPが回復したんだけど、うっかりしててさ。まあ、きょうはそんなに沢山魔物狩りはしないつもりだから」
「ノルテが、いつでも望めば奴隷から解放してもらえる、と言っていたけど本当なの?」
「え?あー、そのことか。そもそも奴隷にするつもりもなかったしね」
昨日は簡単にしか聞かなかったが、どうやらひどい主の所からの脱走を手助けして、そのまま解放してやるつもりだったらしい。
「ただ、逃亡奴隷を直接自由民にするってのが難しくて、アングラな奴隷商人に所有者を俺に書き換えてもらったんだ」
それはそうだろう。逃亡奴隷が簡単に自由民になれるようなら、みんな逃げ出している。
「だから、ノルテが食べていけるぐらいの力がついたら、いつでも解放してやるつもりだよ。ルシエンはどうしたいんだ?」
そう言われて考えてしまった。ずっと叶わぬ夢と思っていた自由の身だけれど、仮に今すぐ自由民になれたとして、一文無しだし、傭兵なり冒険者登録をしてソロでやっていくってのも、なにかと面倒なのは経験済みだ。
「自由になりたいわよ、もちろん。でも・・・あなたがひどい扱いはしないと約束してくれるなら、しばらくは従ってもいいわよ?助けてくれた恩義は忘れてないから、借りは返すつもり。そうね、私を奴隷として売ったら大金貨2~3枚の価値はあるはずだから、それぐらいの働きはしてみせるわ」
人間に借りを作ったまま、情けをかけられて解放されるなんて私の誇りが許さない。
「うん、それでもいいよ。じゃあ、あらためて俺たちはパーティーであり、パートナーであり、家族だ」
ふーん、ま、悪くはないか。私はそっと、手に触れようとする。
「じゃあ早速、水を入れるのを手伝ってくれ。水魔法も使えたよな?」
前言撤回、女好きのくせに女心のわからない男だ。




