第100話 (幕間)王都の宵闇
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下弦の十一日、ケウツ男爵らが迷宮で不慮の死を遂げたその晩の出来事
「閣下、ケウツ男爵の甥、ホルトンという者がお目通りを願っておりますが」
初老の執事の言葉に、ブヨブヨとした巨体の上に乗せられた頭がゆっくり持ち上がった。
「ケウツ?ああ、あやつか」
尊大な声にはなんの感情もこもっておらぬようだ。
「男爵風情がこんな時間に目通りを願うだけでも不遜なところを、その甥だと?」
そばに控えていた側近の伯爵が不快感をにじませる。
「それが・・・火急のようだと、なんでも男爵が亡くなったとか申しておりまして」
「なんだと!」
「ケウツが死んだと言うのか、奴はたしか今・・・」
「は、フランツェ様のレベル上げに貢献したいと申し出て、活動しておりましたな」
プレチニク侯爵と伯爵は顔を見合わせた。
「応接はまずいな、西の私室に通せ。すぐに行く」
「それがようございますな。影を裏に控えさせておきます」
既に日が暮れた門前で待たされ、さらに控えの間で待たされた挙げ句、ようやく侯爵の目通りがかなうと猫耳の獣人族のメイドに案内された若者には、待たされたことを不快に思う余裕さえなかった。
叔父が死んだと、夕暮れ近くに突然国軍からの知らせを受けた。
幼くして父を失い、家長となった叔父は配下の者には暴君で全てを仕切っていたため、その叔父を失ってどうしたらいいかもわからず、うろたえていた。それを母親と叔母とに尻をたたかれ、唯一の後ろ盾になってくれそうな侯爵のところに駆けつけたものの、まだ若いホルトンは上級貴族の間の作法なども十分知っているとは言えない。
豪壮な外務大臣の公邸に気圧され、それでもともかく叔父に代わってケウツ家の継承を後押ししてもらうと共に、叔父が約束してもらっていたという、外務省への取り立てを確認しておかねばならない、そう思ってかけつけたのだ。
一度だけ、叔父の従者として会ったことがあっただけの侯爵は、思ったより気さくに応対してくれた。
遅い時間に約束もなく訪ねた非礼を幾重にもわび、迷宮での顛末を伝えたホルトンに、「此度は不幸なことであったな」と形どおりの慰めの言葉をかけた上で、男爵家の継承については口添えしてやろうとさえ言ってくれた。
だが、叔父が約束していたはずの、外務省のしかるべき役職に就けてくれるという話については、言を左右にして約束の存在さえ知らぬような態度だった。
所領を持たぬケウツ男爵家としては、何より高い報酬を得られる役職につきたい。様々な役得と特権がある外交官なら言うこと無しだ。それを約してくれたからこそ、侯爵に尻尾を振って数々の汚れ仕事を実行してきたと言うのに・・・
ホルトンはもう一枚のカードを切ることにした。
「叔父は美しい女エルフを侯爵様に献上することになっていると申しておりました。まずはあれを取り戻しますので、お力添えいただけませんか。侯爵のご子息、フランツェ様が亜人の美女をご所望だと伺っておりますし、あの者ならお眼鏡にかないましょう」
傍らに控えていた伯爵が苦虫をかみつぶしたような顔をする。
「そのようなことを軽々しく口にするでないわ」
「は?こ、これは失礼しました」
「そのエルフはどうしているのだ。男爵と共に事故にあったのではなかったのか?」
「これは失礼しました。あの女エルフだけが悪運強く落盤に巻き込まれること無く生き残ったとのことで、現在、法務省の預かりになっておりまする」
「法務省の?どういうことか」
「まさかとは思いますが、謀って叔父たちを死なせた可能性もあるのでは、と迷宮に詳しい者の中には噂もあるそうで、その詮議だとか言う者もおりました。なに、単に事故のいきさつを聞き取っておるのでしょう。いずれにしても、叔父の財産を受け継ぐのはそれがしですので、あのエルフも当然明日には返されましょう・・・」
ホルトンがそう説明した途端、二人の顔色が変わった。
「つまらぬ噂で侯爵様の貴重なお時間をつぶすつもりか!」
「も、申し訳ございませぬ・・・」
「もうよい、下がれ」
突然、態度の硬化した二人に、ホルトンは半ば追い出されるように退出した。
何が一体気にさわったのだろう?と思いながらも、とりあえず男爵家の継承を後押ししてくれる言質は取れたと、そして明日はあの女エルフを引き取って、それを連れて再度訪ねれば、少しは反応が変わるのではないかと自分をなぐさめるのだった。
「閣下、いささかまずいことになったかと・・・」
「わかっておるわ」
ホルトンを追い返した後、二人はプレチニク侯爵の私室で人払いをして密談をしていた。
「ケウツが奴隷たちをどう扱っていたかを考えると、迷宮で反乱でも起こされて事故に見せかけ殺された、というのはありそうなことです」
「そうだな。そして殺人と見なされれば厳しい詮議が行われる、そこであの奴隷女がケウツのみならず当家で受けたことまで、自己正当化のために口走る恐れはなきにしもあらずであろう・・・」
プレチニク侯爵には、決して表には出せぬ亜人虐待の性癖があった。側近の伯爵もそうした異常性癖者の地下組織で知り合った間柄だった。特に、美しく老いることを知らぬエルフの女は、プレチニクにとって最高の嗜好品であった。
実のところ、男爵の名前すらすぐには出てこなかったものの、あの奴隷エルフを手土産に屋敷を訪ねてきた男だったと思い出したほどだ。ひとたび味わったあのエルフを献上された暁には、存分にいたぶって楽しみ、あとは息子にくれてやろう・・・そんな思惑だったのだ。
だが、エルザーク王国の外務大臣として、様々な亜人たちのテリトリーとも表向き友好関係を結んでいる要人としては、それが漏れることは身の破滅だ。敵対する他の門閥貴族らにも決して知られてはならぬことだった。
「すぐに法務省に働きかけましょう。あくまで事故だった線で幕引きにするのは簡単でしょう」
「ふむ、あの雌としても、死罪を免れるには、事故で大切な主を失い悲しい、と言わざるを得ない状況になるわけだな」
死罪に追い込んで、あること無いこと暴露されるより、あくまで事故で主人に恨みなど無い、という形にする方がリスクは少ないだろう。
「しかし、あのホルトンとかいう馬鹿者が、雌エルフを手に入れるようなことになれば面倒だが?あれは事情を知っておらぬようだぞ」
「・・・大丈夫でしょう、事故後にあのエルフを助けだした冒険者がいたとのことでしたから、国法ではその者に所有権があることになるはずです」
伯爵がしばし考えて答えを返した。
「では、そちらも念のため、ホルトンに渡らぬよう手を打っておけ」
「かしこまりました」
「うまく行かぬ時には消すほか無いが、それは危険が大きかろう」
「さようかと・・・」
一件はこれで片付くだろう、と二人は暗い笑みを浮かべた。
「もうすぐだ、かの国とも話はできておる、そうであろう」
「はっ、いよいよですな」
亜人虐待は二人の個人的な性癖に過ぎぬとも言えるが、亜人差別思想はこの大陸の勢力争いの中で今や大きな影響力を持つものだった。
「志を同じくする者たちには栄華を」
「そして、玉座をよりふさわしい方に、ですな・・・」
「先走るでない、せいてはならぬ、これまで種をまき水をやり、時間をかけて仕込んできたのだ・・・」
大きな嵐の兆しが潜む、王都デーバの宵闇だった。




