第96話 (特別編)迷宮入り殺人事件
事件は迷宮で起きている。
奴隷エルフのルシエンにとっての、二の月・下弦十一日のオザック迷宮戦
そろそろ覚悟を決めなくてはいけない。
あの蛆虫は、とうとう私を汚物への貢ぎ物にすると決めたようだ。それも気色悪い汚物の息子の慰み者として。
寄生虫は自分が漏らした不用意な言葉に気づいていないのか、それとも私が気づいた所でどうということもないと思っているのか。
たしかに蛆虫にも汚物にも散々汚されたこの身が、これ以上汚れることなどないかもしれぬ。だが、あの汚物溜まりに囲われ、もはや日の目を見ることもない場所で、風の声を聞くことも弓を引くこともなく、下劣なものたちにメスとしてのみ跪かされる、そんな境遇にまで堕とされれば、遠からず私の魂まで摩滅して消えてしまうだろう。
もはや私が救済の地へたどり着くことは無いだろうが、それでもあの汚物から逃れられぬのなら、死による解放を勝ち取るしかないだろう。もちろんそれは最後の手段だ。あくまで自由を得るために手段を選ばぬ。望みがいくらかでもあるとすれば、配下を伴わぬ迷宮での戦いの最中だろう・・・
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そのパーティーは、多くの冒険者たちの顰蹙を買ってはいたが、間違いなく強力だった。
経験値を効率よく稼ぐために、魔物の多いこの迷宮に来たと公言しているだけあって、高レベルの魔物の密度が最も高いメインの洞窟をひたすら先に進む。しかも、魔物を呼び寄せる香をつけた肉片を撒きながら。
それだけなら単なる無謀な挑戦だが、側面や背後から自分たちを襲う魔物が出てくる恐れのある横穴を、いずれもわざわざごく薄い土魔法で埋めていったのは、冒険者のモラルに反する行いだった。
わずか数分で破れてしまうように横穴をふさぎ、自分たちが通過したあとで、次に来るパーティーたちに襲いかかるように。それによって後続の冒険者たちは足止めされるだけでなく、結果的に自分たちのために背後を守る働きをすることになる。
そして、こんな無謀な方法を取っても、群がる魔物をなぎ倒して進めるだけの戦力が、彼らにはあった。
オーガの突進を食い止められるだけの膂力を持つ、前衛のリザードマンの戦士。しかも、それは呪文を詠唱する時間だけを稼げればいい。
後衛の人間の魔法使いとエルフの二人の女奴隷は、どちらも高レベルの攻撃魔法の使い手だった上、エルフは弓の名手でもあった。金に糸目をつけぬ魔力回復薬の連続使用で、二人の呪文は尽きることもなく、群れ飛ぶ吸血コウモリも度重なるオーガの襲撃もその他多くの魔物も、パーティーの前を遮る魔物はことごとく葬られていった。
最初から戦いに加わるそぶりさえ見せぬ爵位持ちの貴族には、高レベルの冒険者が付添っているが、護衛の必要さえないだろう。冒険者がやっているのは、ただパーティー編成した同行者らにスキルで探った魔物の情報を共有することぐらいだった。
こうして、わずか5人のパーティーが、この迷宮に入った初日だというのに、午後には二階層の最奥にまで到達しようとしているのだった。
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魔力回復薬は副作用が強い。
もはや味覚など麻痺した私には味などどうでも良いが、頭痛やめまいだけでなく、鼓動が速まり寿命をも削ると言われている。無駄に長いエルフの寿命だから、少しぐらい減っても知れたものだろうが。
以前入った迷宮でも目にした、階層最奥の結界の淡い光が目に入ってきた。
もし私に、ヴァラの神々の加護が少しばかりでもあるのなら、ここで乾坤一擲の機会があるかもしれぬ。
「迷宮ワームの討伐は御法度だったな」
「はっ、結界に入らねばワームがいる迷宮の最果てか、それとも階層の主がいる抜け殻かはわかりませぬ。きょうは十分稼いだと思いますが、いかがされますか?」
蛆虫は奴隷たちの様子をねめ回した。
ヌンダウはほとんど喋らぬリザードマンだ。しかも、血を見るのが何より好きないかれたオスだから、行けと言われれば死ぬまで戦うだろう。
「デイナ」
「薬の多用で体調が・・・ひッ、ごめんなさい、大丈夫ですっ」
蛆虫は戦場にも必ず鞭を持ってくる。剣も槍もろくに振るえぬくせに。
「ルシエン」
「・・・問題ないわ」
デイナが恨みがましい目でこっちを見た。痩せこけた体に不釣り合いに膨らんだ胸。大して美人じゃないし頭も良くないくせに、男にこびるのはうまい人間の女。あんたともこれでお別れかもね。
「ではゆくぞ、“破魔”」
蛆虫は結界を破る呪文を唱えても、自分が先頭に立ったりはしない。ヌンダウが最初に中に踏み込む。私には予想がついているけれど、続いて入り、少しだけ驚いたフリをする。
そこには、亀裂の入ったワームの抜け殻があった。
「グレゴル様、ようございました。これで階層突破の報償も得られますな」
「まあ、必要経費は出してもらえるにしても役得というものだな。ルシエン、敵は?」
私は精霊の声に耳を傾ける。こういう所にはほとんど精霊がいないのはわかっているけれど、一匹しかいないのだから探りを入れるのはそう難しくない。
「オーガの上位種・・・それ以上はわからない」
「どうして?わかるはずでしょ」
デイナが余計なことを言う。いつもの嫌がらせだ。
「チッ、役立たずが」
鞭を完全にはよけず、あまり痛くない程度に受ける。何百回となく繰り返した儀式も、終わりにする。
もう少し強い相手なら、魔物に殺させる手も使えたのに。
ヌンダウがその怪力で、抜け殻の亀裂をこじ開ける。そこにまず私が隠身を使って潜り込む。パーティー連携で捉えた魔物の情報が伝わったようだ。
「オーガロードLV13か、二階層にしては高めだな」
こんな雑魚が?でも相性が悪そうなのは確かだ。
デイナが呪文の詠唱を始める。一発ぐらいは入るかもしれないからね。オーガがこっちに気づいて、手近な岩か何かを投げるのが見えた。
「散開しろ!」
蛆虫が叫んでみな従ったけど多分悪手だ。一瞬前まで私たちがいた場所に落ちた岩の破片が飛び散る。蛆虫と寄生虫の悲鳴があがる。デイナに魔法盾で防がせた方が良かった。私の肌まで傷ついたじゃないの、かすり傷だけど。
着弾とほぼ同時に、デイナの火炎と私の風の刃がオーガの巨体を捕らえていた。聞き苦しい絶叫があがった。そして、オーガロードは当然、“静謐”を唱える。岩を投げた直後から用意していたらしい、少しは頭もあるようだ。
こうなると、デイナは静謐が解けるまでしばらくの間は役立たずだ。
突進してくるオーガロードの前に、ヌンダウが戦斧と盾を持って立ちはだかる。脳筋がどこまで持ちこたえられるか。私たちは装備を弓に持ち替える。寄生虫は少しは当てられるだろう。
私は一番貫通力の高い鏃のついた矢を選び、まず額に一射。刺さったけど突進は止められない。最初に“守護”も唱えていたのかもしれない。
だから、体に当てても通らないって!蛆虫と寄生虫の焦りがパーティー編成のせいで伝わってくる。気持ち悪いからやめて。デイナも牽制ぐらいはしてほしい。
二射目はもっと狙いを絞って左目に。外れた、頬骨だ。
三射、刺さった。片眼を潰され動きが止まる。ヌンダウが斧を振りかぶる。体格は大人と子供ほども違う。棍棒で弾かれた。
四射、歯に当たって跳ねた。巨大な棍棒がヌンダウを横なぎにする。リザードマンが吹き飛ぶ。斧の柄で受けてるから致命傷ではない。私たちとの距離は十五歩。あいつの足なら十歩か。
五射、口の中に、刺さった! かすれた叫びが上がる。
六射、右目を潰した。
オーガロードの巨体が痙攣して倒れた。脳まで貫けたようだ。
起き上がったヌンダウが戦斧を振り上げる。首から紫色の血しぶきが飛び、ようやく動きを止めた。
「やったか?」
寄生虫が近づいて確かめたようだ。そんなの地図スキルの光点が消えてわかってるだろうに。
「はい、間違いありません」
「では、魔石の回収だな」
「グレゴル様、結界が破れると下が崩落する恐れがあります」
言わなくていいことを・・・でもまだ手はある。一か八かの賭けだが。
「ではヌンダウ、遺骸をあそこまで引きずっていけ」
オーガロードは多分人間十人分ぐらいの重さがあるだろう。さすがにリザードマンの腕力でも、抜け殻の縁まで動かすには時間がかかる。
蛆虫は、少しでも汚物の息子と自分に入る経験値を多くしたい。だから・・・私はひそかに身構える。ヌンダウは送ったサインに気づくだろうか。もし逃げられる機会があればお互い恨みっこ無し、そう話したことがあったけど、できれば死なせたくない。
「サミール」
「はっ」
冒険者LV18の寄生虫がパーティー編成を変えて、ここにいない汚物の息子と、寄生虫、蛆虫の3人だけを残す。そう、私たち奴隷は外される、浄化の経験値を自分たちだけで分けるために・・・
! その瞬間、私は“隠身”をかけて全力で抜け殻の外に向けて走り出しながら、オーガロードの遺骸に“浄化”をかけた。
パーティーが解かれているから、私が消えたことしかわからないはずだ。だが、不意に遺骸がかすみ始めたことで、なにが起きたか察したようだ。
「グレゴル様!?」
「わ、わしではないっ!」
このパーティーで“浄化”を使えるのはロードである蛆虫と、私だけだ。
「な、まさか、ルシエンか!どこだっ!?」
既に地響きと共に、陥没が始まっている。
蛆虫と寄生虫は慌てて走り出そうとしたが、既に足もとが沈み飲み込まれていく。一番運動能力の高いヌンダウは、重い魔物を引きずっていたせいで最も遅れていたし、陥没の中心にいた。運のないヤツ・・・
私は必死に走る。わずか20歩足らずの距離がこれほど長く感じたことは無い。巨大なアリジゴクの巣に落ちるように、土砂が流れ落ちていく。自分まで巻き込まれたらとんだ道化だ。
ギリギリで逃れられそうだと思い振り返ったとき、デイナが下半身を砂に飲み込まれながら呪文を詠唱し始めた。“転移”する気?
あの女が嫌いだからじゃない、生かしておいたらこの顛末がばれてしまうかも、そんな理由が頭に浮かんだのは、“静謐”が発動した後だった・・・あいつまで殺そうとは思ってなかった、本当に。
女魔法使いが自分の魔法が発動しないことを悟って、絶望に顔を引きつらせながら土砂に飲まれて消えていく、私は目をそらし、ただ抜け殻の亀裂にしがみついて震えていた。




