10話『知りたくなんてなかった』
とても今更なのですが、明けましておめでとうございます。今年もどうか宜しくお願いします!
彼は人差し指をピンと立てて言った。
「例えばの話だ」
彼の話に耳を傾ける。
彼はさっきの私の話を聞いて、すっきりしたように笑った。幸人は私の自己紹介を聞いて、突然顔色が豹変した。『あの日』の記憶が戻った事以外にそんな顔をした理由が考えられない。
「例えば……天野さんは、窓のない密室に大量のダイナマイトと一緒に椅子に縛りつけられてるとしよう」
「うん。……え?」
唐突なことに驚きつつ、目を瞑って脳内に風景を描く。
窓もなく薄暗い四角形の空間に、椅子がポツンと置いてあるだけの殺風景な部屋。
そこにダイナマイトと一緒に縛りつけられている風景。きっと私は誘拐されたのだろう、両手で両足が手錠で縛られていて、きっと声が出ないように口はガムテープで止められている。
よし、想像できた。私はきっと今にも泣き出しそうだろう。生と死の分かれ目に立っているような、緊迫としたそんな心情。
彼は淡々と続けた。
「目の前には、快楽殺人犯のおっさんがニヤニヤしながら爆破スイッチを持って構えてる。今にもそのスイッチを押すか押さないか、という瀬戸際で……」
目の前で醜い中年の男性がにやにやと笑みを浮かべているのを想像する。私が恐怖しているのを見て楽しんでいるのだろう。この距離では自らも死ぬというのに。
爆破スイッチに親指が這い、私はその指に目を奪われる。ドクドクと心臓が激しく波打つ。緊迫した空気、屋上の吹き抜ける冷たい風が想像を更に煽った。もうだめだ。目をぎゅっと瞑る。
「……ドンっ!!」
「ひゃあっ!?」
彼が大きく叫んだ。声に驚いてビクッと身体が跳ねる。心臓の音バクバクとうるさく、冷や汗が頬を伝った。
「はい。今どう思った?」
「えっと…怖い、死んじゃう……?」
それを聞くと彼は、『予想通り』と言った風にニヤッと悪い顔で笑って見せた。待って、ちょっと腹立つ。
「幸人の怖い顔をした理由は、それだよ」
「……え?」
『それ』とは、……まさか。
「幸人は、死ぬのが怖かった。そして自分が消えてしまうのが辛かったんだ。だから、天野さんを拒絶した」
「待ってよ、それはおかしい」
じっと聞いていた寧々が反応する。何をいっているのだ、と否定するような目だ。そんなの私だって認めたくない。でも彼の言い分では、恐らく。
「その例え話だと、『殺人犯』って……!」
「その通り。『天野さん』はそのスイッチに手をかけた『殺人犯』だ。幸人が怖がる理由も分かるだろ?」
……私が、殺人犯? だから、怖がった? 手が震えて、それでも考えたくない頭は忙しく考えた。一つ一つ当てはめては、謎が残る。
私が殺人犯とするならば、スイッチを手にかける行為は、何を表すのだろうか。
いや、この話における『爆弾』とは、何だ?
幸人の様子がおかしくなったのは、私が自己紹介した時。ならば、
「私が『自己紹介した事』が、『スイッチを手にかけた』ってこと?」
「そう。もっと詳しく言うなら、多分、『記憶を思い出させたこと』だ」
「なら、『爆弾』は……『幸人が記憶を思い出すこと』ってこと?」
「大正解。幸人が怖がった理由はそれだよ」
「自分の記憶が戻ることが怖いってこと? なんで? 別にいいことじゃん」
寧々がそう言って、そこでやっと片桐くんの言いたいことに気づいた。
違う。今の幸人は完全に別人。
それが誰なのか、どんな人なのかはまだはっきりと分からないにしろ、今の幸人は私の知る人物ではない。何度聞いても理解し難いが、それでも今の幸人は『別人』なのだ。
幸人の記憶が戻るということは、前の幸人に戻るということ。要するに、幸人の完全復活だ。それはとても喜ばしいことであり、私にとっての悲願だろう。
だが、幸人が戻ったなら。
今の幸人は、どうなってしまうのか。
私は考えていなかった。今更になって考えさせられた。もし、私が目の前でスイッチを押されかけたら。そりゃあ止めるだろう。出ていかせるだろう。納得だ。彼のした怖い顔も、全部。
私は無意識に幸人を殺しかけたのだ。
「……私は、今の幸人を殺しかけたんだね。そんなの、絶対に、やっちゃいけないよ」
「間違いない。例えそれで『幸人』が戻ってくるとしても、俺は絶対に、そんなことしない」
彼は、悔しそうに言った。苦しそうに、辛そうに手のひらをぎゅっと握って丸める。
その瞬間、何故か幸人の言葉を思い出した。
『悪い、やっぱ今日なんか調子悪いみたいなんだ。あの、さ。今日はもう休んでいい……か? 来てくれてすげー嬉しい。だけど……』
彼が自分の死を予期して、恐怖に打ち震えていたとするならば、
この言葉は。『あの笑顔』は────。
人は、目の前で己を殺そうとするような人に対してこんなに優しく振る舞えるだろうか。
彼とは初対面なのだ。彼とはまだ一言しか喋っていなかったのだ。私はそんな精一杯の優しさを見せられたのに、『酷い』だなんて感じたのか。彼は、こんなにも優しい人だったのに。
彼は、どんな人なのだろうか。
きっと、優しくて、頼もしくて。かっこいい人なのだろう。
なんてことを考えると、私の好きな人と重ねてしまう。身体は同じなのだ、仕方ないだろう。
でも、例え幸人じゃなくても、きっと、そんな人。あったかくて、人の気持ちを分かってあげられる人。きっと、そうだ。
そして、そこまで考えて、やっと、私も気づいてしまった。『片桐くんの悔しそうな顔の意味』を。
片桐くんはもう『今の幸人』の友達なのだ。
そりゃあ、苦しいだろう。辛いだろう。
記憶が戻ると前の幸人に戻るのならば。
好きな人にもう一度会いたいならば。
いつか、私たちは、彼を殺さなければならないから。
何かを得るためには、同じ価値か、それ以上のものを失わなければならない。